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父親よりもはるかに早く、メイドに頼んだ絵本が到着した。
記憶喪失になどなっていない猫は、バタバタと騒がしい廊下を一瞥して、机に齧りついて絵本を読み始めた。
絵が付いている事によって文章の予測がしやすくなり、すぐに文字が読めるようになった。文字が読めればもっと難しい本が読めるようになる。
その本を何度も読み直していると、ノックもせずに立派な髭を蓄えた壮年の男が入って来た。
ズカズカと大股で詰め寄ってくるところを見るに、彼は父親なのだろう。
「おい、ヴァネッサ! 記憶喪失とはどういう事だ」
どうしたもこうしたも、言葉のままの意味なのだが。顔を真っ赤にして詰め寄ってくる男を見やり、猫は冷静に発言しようとしたが。
スパンと空気を裂くような音と共に頬に痛みが伝わってくる。
「この役立たず!ただでさえ真面に魔法の使えない落ちこぼれのくせに、これ以上更に私に迷惑をかけるのか!!」
(なるほど、どうやら親子関係も破綻しているらしい)
きゃんきゃんと口汚く罵る男を見ながら、他人事な猫は冷淡な瞳を向けた。いつもなら怯えるか、口論になるはずの娘は淡々としている。
その異質さに、男は一歩後退る。
「不出来な娘がご迷惑をおかけして申し訳ありません。人前に出られるレベルになるまでは、自宅で謹慎し勉学に励みたく存じます」
「わ、分かっているなら良い。ゼバス! 今すぐ箝口令を敷いておけ!! いいかヴァネッサ、絶対にこれ以上私に迷惑をかけてくれるなよ!!」
男と一緒に入って来た執事らしき老人に指示をし、吐き捨てるようにして男は部屋から出て行った。
やっと煩わしいのが居なくなったと、猫は静かに息を吐く。いつ元の体に戻れるのか分からないのだ、有限な時間を知識の吸収にあてたい。
倒れてから体調がすぐれないことにされた猫は、朝な夕な書庫で人間として、ヴァネッサとしての知識を得ることに時間を割いた。
体が弱く、頭を使って食事にありつくしか生きる術を持たなかった彼は、数週間もすれば日常生活に支障ない程度のレベルになっており、家庭教師への授業の開始を許可されたのだった。
「では次に魔法の種類と使い方についてですが。火、水、風、土の四属性に分けられ、攻撃、癒し、支援、防御と得意な戦闘方法が分類されます」
そして、それは一人に対して一属性のみしか与えられない。
やっと真面目に出席し始めた魔法についての授業で猫は初めて魔力という存在を知り、己の魔力量が多すぎるが故のコントロール不足で体が弱かったのだと気づいた。
真面目に話を聴く猫に、家庭教師は嘲笑の視線を寄越してくる。
「ここまで理解できましたか? まあ、お嬢様には関係の無い話かもしれませんが。しかし、いくら関係が無いといっても、逃げ回っていた授業に出ようと思った意欲は良い事です」
覚えておいてくださいねと、紅を引いて艶やかに光る唇を歪に上げる。本人の歪み切った性格はともかく、元の体に戻った時に非常に益になる授業だ。
馬鹿にしているのは大目に見てやろうと、猫は美しく微笑む。
「今まで先生の授業を逃げ回っていて申し訳ありませんでしたわ。しかし、たとえ先生に関係がないと思われていても、知識は無駄にはならないと思ったのです」
猫がはっきり言うと、彼女は口端をひくりと動かした。
「そうですね、知識は無駄にはなりません。お嬢様の魔力では、実戦は無意味かもしれませんが」
持っていた扇子で顔を隠した教師はくすりと笑う。
「その通りですわね。ただ、たとえ私の魔力が火種やそよ風、土くれや水滴程度しか出せない魔力量であったとしても、先生に教えていただけたら爪の先程度には成長するかもしれませんもの」
期待していますわと含められた空白に、口撃するのを止めた教師はツンと顔を背けた。
彼女の授業は面白いとは言いがたかったが、解りやすくはあった。
家庭教師に教えてもらった通りに魔法を使ってみたが、杖の先でからポチャリと僅かばかりの水が滴っただけだった。
「あらあらあら、まあまあまー。やはりお嬢様には難しい授業でしたわね」
憫笑する彼女の声は聞こえないことにして、猫はひたすら修練に明け暮れた。
たとえこの体が微弱な魔法しか使えなかったとしても、いつかは魔力量が上がるかもしれない。
そうでなかったとしても、魂が元通りになるという、来るべき未来のために備えることは、けして愚かなことではないはずだ。
「どうせ無駄ですのに」
家庭教師だけではない。暴君であるヴァネッサに面と向かってものが言えないだけで、使用人達も同様の反応だったが、猫は侮蔑も嘲笑も憫笑も黙殺した。
じりじりと肌を刺す日差しが和らぎ、空気に冷たさが纏いだしたころ、数滴の水しか滴らなかったものがコップ程度の量が出せる位には成長した。
「なんだ、あれだけ人を馬鹿にするから魔力の量は上がらないのかと思ったら違うのか」
僅かながら、しかし、確実に成長している事を喜ばしく思ったのだった。
記憶喪失になどなっていない猫は、バタバタと騒がしい廊下を一瞥して、机に齧りついて絵本を読み始めた。
絵が付いている事によって文章の予測がしやすくなり、すぐに文字が読めるようになった。文字が読めればもっと難しい本が読めるようになる。
その本を何度も読み直していると、ノックもせずに立派な髭を蓄えた壮年の男が入って来た。
ズカズカと大股で詰め寄ってくるところを見るに、彼は父親なのだろう。
「おい、ヴァネッサ! 記憶喪失とはどういう事だ」
どうしたもこうしたも、言葉のままの意味なのだが。顔を真っ赤にして詰め寄ってくる男を見やり、猫は冷静に発言しようとしたが。
スパンと空気を裂くような音と共に頬に痛みが伝わってくる。
「この役立たず!ただでさえ真面に魔法の使えない落ちこぼれのくせに、これ以上更に私に迷惑をかけるのか!!」
(なるほど、どうやら親子関係も破綻しているらしい)
きゃんきゃんと口汚く罵る男を見ながら、他人事な猫は冷淡な瞳を向けた。いつもなら怯えるか、口論になるはずの娘は淡々としている。
その異質さに、男は一歩後退る。
「不出来な娘がご迷惑をおかけして申し訳ありません。人前に出られるレベルになるまでは、自宅で謹慎し勉学に励みたく存じます」
「わ、分かっているなら良い。ゼバス! 今すぐ箝口令を敷いておけ!! いいかヴァネッサ、絶対にこれ以上私に迷惑をかけてくれるなよ!!」
男と一緒に入って来た執事らしき老人に指示をし、吐き捨てるようにして男は部屋から出て行った。
やっと煩わしいのが居なくなったと、猫は静かに息を吐く。いつ元の体に戻れるのか分からないのだ、有限な時間を知識の吸収にあてたい。
倒れてから体調がすぐれないことにされた猫は、朝な夕な書庫で人間として、ヴァネッサとしての知識を得ることに時間を割いた。
体が弱く、頭を使って食事にありつくしか生きる術を持たなかった彼は、数週間もすれば日常生活に支障ない程度のレベルになっており、家庭教師への授業の開始を許可されたのだった。
「では次に魔法の種類と使い方についてですが。火、水、風、土の四属性に分けられ、攻撃、癒し、支援、防御と得意な戦闘方法が分類されます」
そして、それは一人に対して一属性のみしか与えられない。
やっと真面目に出席し始めた魔法についての授業で猫は初めて魔力という存在を知り、己の魔力量が多すぎるが故のコントロール不足で体が弱かったのだと気づいた。
真面目に話を聴く猫に、家庭教師は嘲笑の視線を寄越してくる。
「ここまで理解できましたか? まあ、お嬢様には関係の無い話かもしれませんが。しかし、いくら関係が無いといっても、逃げ回っていた授業に出ようと思った意欲は良い事です」
覚えておいてくださいねと、紅を引いて艶やかに光る唇を歪に上げる。本人の歪み切った性格はともかく、元の体に戻った時に非常に益になる授業だ。
馬鹿にしているのは大目に見てやろうと、猫は美しく微笑む。
「今まで先生の授業を逃げ回っていて申し訳ありませんでしたわ。しかし、たとえ先生に関係がないと思われていても、知識は無駄にはならないと思ったのです」
猫がはっきり言うと、彼女は口端をひくりと動かした。
「そうですね、知識は無駄にはなりません。お嬢様の魔力では、実戦は無意味かもしれませんが」
持っていた扇子で顔を隠した教師はくすりと笑う。
「その通りですわね。ただ、たとえ私の魔力が火種やそよ風、土くれや水滴程度しか出せない魔力量であったとしても、先生に教えていただけたら爪の先程度には成長するかもしれませんもの」
期待していますわと含められた空白に、口撃するのを止めた教師はツンと顔を背けた。
彼女の授業は面白いとは言いがたかったが、解りやすくはあった。
家庭教師に教えてもらった通りに魔法を使ってみたが、杖の先でからポチャリと僅かばかりの水が滴っただけだった。
「あらあらあら、まあまあまー。やはりお嬢様には難しい授業でしたわね」
憫笑する彼女の声は聞こえないことにして、猫はひたすら修練に明け暮れた。
たとえこの体が微弱な魔法しか使えなかったとしても、いつかは魔力量が上がるかもしれない。
そうでなかったとしても、魂が元通りになるという、来るべき未来のために備えることは、けして愚かなことではないはずだ。
「どうせ無駄ですのに」
家庭教師だけではない。暴君であるヴァネッサに面と向かってものが言えないだけで、使用人達も同様の反応だったが、猫は侮蔑も嘲笑も憫笑も黙殺した。
じりじりと肌を刺す日差しが和らぎ、空気に冷たさが纏いだしたころ、数滴の水しか滴らなかったものがコップ程度の量が出せる位には成長した。
「なんだ、あれだけ人を馬鹿にするから魔力の量は上がらないのかと思ったら違うのか」
僅かながら、しかし、確実に成長している事を喜ばしく思ったのだった。
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