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第1部
怖かったねぇ、もう大丈夫だからねぇ
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「ナオ様」
ナオに自分のことを話してほしいと願ったテュコだったが、ナオに辛い思いをさせたいわけではなかった。
あくまでもお世話をするために必要なことを知っておきたいという、職務からくるものだった。
ただ知りたいと思っている相手に無理して言わなくてもいいんですよ。そう目で訴えてくるテュコに、梛央は小さく首を振る。
滅多に現れないシルヴマルク王国の伝説の愛し子は、どこからどういう経緯で現れたのか。
それはここにいる皆が知りたいはずで、愛し子として大切に扱われているのだから話すべきだと、梛央は思った。
「僕は、地球という星の、日本という国にいたんだ。僕の……」
家族のことを思い浮かべると、自然と涙が零れ落ちる。
「ナオ」
ヴァレリラルドは心配そうに梛央の手を握る。
サミュエルから梛央が恐ろしい思いをしてきたことを聞いていながら、ヴァレリラルドは愛し子の出現に浮かれていたところがあった。
一人で知らない場所に来てしまったことがどれだけ心細いのか、梛央が家族と引き離されたことがどれだけ辛いのか。ヴァレリラルドは改めて思い知る。
「大丈夫。僕の父さんは秋葉晃成。オーケストラといってたくさんの楽器で構成された楽団の指揮者をしていて、僕のいた世界ではよく知られている有名な指揮者なんだ。見た目がちょっと怖くて、いつも厳しい顔をしていて、忙しく活動していたからあまり話をしてこなかったかな。母さんは秋葉琉歌。声楽家で日本だけじゃなくいろんな国で公演しているけど、僕にはすごく優しいんだ。」
公演から帰るたびにぎゅっとハグして、公演先であったことを面白おかしく話してくれていた琉歌を思い出して、梛央の瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。
「母さんはいろんな歌を歌ってくれて、僕は母さんの歌が大好きだった。姉が一人いて、カオルっていうんだ。ちょっと意地悪で口が悪いんだけど、留守がちな両親にかわって僕のことを気にかけてくれていたよ。音楽の大学に通っていて、将来はピアノの演奏家を目指していたんだ」
薫瑠は晃成と仲がよくて、梛央はずっとうらやましいと思っていた。その分琉歌が梛央を可愛がってくれていて、きっと薫瑠も弟のことが羨ましかったのかもしれない。
そう思うと、新たな涙がまた黒曜石の瞳から零れ落ちる。
「ナオの家族はみんな音楽に携わってたんだね。ナオも音楽をしていたの?」
「僕は高校1年生で、4歳からヴァイオリン、6歳からピアノのレッスンを受けていて、高校を卒業したらカオルのように音楽の大学へ行く予定だったんだ。将来はヴァイオリンの演奏家になるのが父さんの希望だったから。僕もヴァイオリンのコンクールで優勝したこともあって、そんなにヴァイオリンが好きというわけじゃなかったけど、流されるままその道に進むはずだった。でも、高校でみんなとダンスを披露したときから歌ったり踊ったりすることが好きだってことに気付いたんだ」
テュコもアイナもドリーンも、もちろんその場にいる者たちも、梛央が自分自身のことを語るのを息をのんで見守っていた。
ヴァレリラルドも黙って梛央の話に耳を傾けている。
「でも、言うと反対されると思ったから、ピアノのレッスンだけやめて、ダンスと歌のレッスンを始めたんだ。本当はヴァイオリンもやめてダンススクールに通いたかったけど、それは勝手にはできないと思って。でもピアノをやめたことが両親に知られてしまって、父さんと母さんが滞在先から日本に帰ってきて。父さんにどういうつもりなんだって聞かれたから、ピアノをやめて自分のやりたいことをやってるって言ったらすごく怒られて、顔を叩かれた……」
「顔を? いくら父親でも叩くのはだめだよ」
痛ましげな顔をするヴァレリラルドに、梛央は首を振る。
「僕が相談しなかったのが悪いんだ。でもその時は僕も頭に血が上って『僕のことを知ろうともしないで決めつける父さんなんか大っ嫌いだ』って言って家を飛び出して。でも一人になって冷静になったら僕も悪かったって思えて。父さんとちゃんと話し合おうって思って。家に帰ろうとした時、突然知らない男の人に捕まえられて、それで……」
梛央はそこで言葉を途切れさせる。
そこからは話せなかった。
あの場面を思い出すだけで冷静になれなかった。激しい痛み。男が何を言ってたのかあまり思い出せなかったが、おとなしくしないともっとひどいことをする、そんな意味のことを言われたことだけは頭にこびりついていた。それから男に……。
梛央の呼吸が荒くなり、体が震えだす。
あの時に出せなかった悲鳴が今あふれ出しそうで、梛央は口元を抑える。冷汗が止まらない。吐き気もする。怖い。気持ち悪い。助けて。
いろんな感情があふれて混乱する梛央に、
「ナオ様、もう話さなくて大丈夫です」
テュコはたまらずに制止した。
「ナオ様、手を」
フォルシウスは梛央の前に跪き、その手を取る。
フォルシウスは梛央の治療をする前にサミュエルから愛し子の身に起きたであろうことを聞かされていた。
癒し手としての加護でも心の傷を癒すことはできないが、吐き気や不快な症状を少しでも穏やかにしたかった。
「口にできないということは、ナオ様の心が言わせないようにしているんです。だから無理に言おうとも、思い出そうともしなくていいんですよ」
フォルシウスの言葉とともに、
怖かったねぇ、もう大丈夫だからねぇ
温かな意思が梛央の中に入ってくる。
梛央がゆっくりと目を閉じると、溜まっていた涙がまた頬に伝う。
その様子だけでも梛央が心に深い傷を負ったままだということがわかった。
ナオに自分のことを話してほしいと願ったテュコだったが、ナオに辛い思いをさせたいわけではなかった。
あくまでもお世話をするために必要なことを知っておきたいという、職務からくるものだった。
ただ知りたいと思っている相手に無理して言わなくてもいいんですよ。そう目で訴えてくるテュコに、梛央は小さく首を振る。
滅多に現れないシルヴマルク王国の伝説の愛し子は、どこからどういう経緯で現れたのか。
それはここにいる皆が知りたいはずで、愛し子として大切に扱われているのだから話すべきだと、梛央は思った。
「僕は、地球という星の、日本という国にいたんだ。僕の……」
家族のことを思い浮かべると、自然と涙が零れ落ちる。
「ナオ」
ヴァレリラルドは心配そうに梛央の手を握る。
サミュエルから梛央が恐ろしい思いをしてきたことを聞いていながら、ヴァレリラルドは愛し子の出現に浮かれていたところがあった。
一人で知らない場所に来てしまったことがどれだけ心細いのか、梛央が家族と引き離されたことがどれだけ辛いのか。ヴァレリラルドは改めて思い知る。
「大丈夫。僕の父さんは秋葉晃成。オーケストラといってたくさんの楽器で構成された楽団の指揮者をしていて、僕のいた世界ではよく知られている有名な指揮者なんだ。見た目がちょっと怖くて、いつも厳しい顔をしていて、忙しく活動していたからあまり話をしてこなかったかな。母さんは秋葉琉歌。声楽家で日本だけじゃなくいろんな国で公演しているけど、僕にはすごく優しいんだ。」
公演から帰るたびにぎゅっとハグして、公演先であったことを面白おかしく話してくれていた琉歌を思い出して、梛央の瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。
「母さんはいろんな歌を歌ってくれて、僕は母さんの歌が大好きだった。姉が一人いて、カオルっていうんだ。ちょっと意地悪で口が悪いんだけど、留守がちな両親にかわって僕のことを気にかけてくれていたよ。音楽の大学に通っていて、将来はピアノの演奏家を目指していたんだ」
薫瑠は晃成と仲がよくて、梛央はずっとうらやましいと思っていた。その分琉歌が梛央を可愛がってくれていて、きっと薫瑠も弟のことが羨ましかったのかもしれない。
そう思うと、新たな涙がまた黒曜石の瞳から零れ落ちる。
「ナオの家族はみんな音楽に携わってたんだね。ナオも音楽をしていたの?」
「僕は高校1年生で、4歳からヴァイオリン、6歳からピアノのレッスンを受けていて、高校を卒業したらカオルのように音楽の大学へ行く予定だったんだ。将来はヴァイオリンの演奏家になるのが父さんの希望だったから。僕もヴァイオリンのコンクールで優勝したこともあって、そんなにヴァイオリンが好きというわけじゃなかったけど、流されるままその道に進むはずだった。でも、高校でみんなとダンスを披露したときから歌ったり踊ったりすることが好きだってことに気付いたんだ」
テュコもアイナもドリーンも、もちろんその場にいる者たちも、梛央が自分自身のことを語るのを息をのんで見守っていた。
ヴァレリラルドも黙って梛央の話に耳を傾けている。
「でも、言うと反対されると思ったから、ピアノのレッスンだけやめて、ダンスと歌のレッスンを始めたんだ。本当はヴァイオリンもやめてダンススクールに通いたかったけど、それは勝手にはできないと思って。でもピアノをやめたことが両親に知られてしまって、父さんと母さんが滞在先から日本に帰ってきて。父さんにどういうつもりなんだって聞かれたから、ピアノをやめて自分のやりたいことをやってるって言ったらすごく怒られて、顔を叩かれた……」
「顔を? いくら父親でも叩くのはだめだよ」
痛ましげな顔をするヴァレリラルドに、梛央は首を振る。
「僕が相談しなかったのが悪いんだ。でもその時は僕も頭に血が上って『僕のことを知ろうともしないで決めつける父さんなんか大っ嫌いだ』って言って家を飛び出して。でも一人になって冷静になったら僕も悪かったって思えて。父さんとちゃんと話し合おうって思って。家に帰ろうとした時、突然知らない男の人に捕まえられて、それで……」
梛央はそこで言葉を途切れさせる。
そこからは話せなかった。
あの場面を思い出すだけで冷静になれなかった。激しい痛み。男が何を言ってたのかあまり思い出せなかったが、おとなしくしないともっとひどいことをする、そんな意味のことを言われたことだけは頭にこびりついていた。それから男に……。
梛央の呼吸が荒くなり、体が震えだす。
あの時に出せなかった悲鳴が今あふれ出しそうで、梛央は口元を抑える。冷汗が止まらない。吐き気もする。怖い。気持ち悪い。助けて。
いろんな感情があふれて混乱する梛央に、
「ナオ様、もう話さなくて大丈夫です」
テュコはたまらずに制止した。
「ナオ様、手を」
フォルシウスは梛央の前に跪き、その手を取る。
フォルシウスは梛央の治療をする前にサミュエルから愛し子の身に起きたであろうことを聞かされていた。
癒し手としての加護でも心の傷を癒すことはできないが、吐き気や不快な症状を少しでも穏やかにしたかった。
「口にできないということは、ナオ様の心が言わせないようにしているんです。だから無理に言おうとも、思い出そうともしなくていいんですよ」
フォルシウスの言葉とともに、
怖かったねぇ、もう大丈夫だからねぇ
温かな意思が梛央の中に入ってくる。
梛央がゆっくりと目を閉じると、溜まっていた涙がまた頬に伝う。
その様子だけでも梛央が心に深い傷を負ったままだということがわかった。
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