そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第5部

みつの日記1

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ここに来て2日め。

先の尖った鉄の筆と、透明なびーどろに入った墨と帳面をマリアからもらった。

今日からここでの暮らしのことを日記として書いていくことにする。

この日記を、いつか誰かが読んでくれるかしら……いいえ、それは無理。わたしの言葉も文字も、誰もわからないもの。

わたしは下田辺村の三郎とお梅の娘として生まれた、みつ。歳は十六。文政4年師走廿四日にここに来た。

わたしには兄が2人、姉が1人、妹が1人いて、うちは貧しかったけど、家の手伝いが少ない時は寺子屋で文字の手習いとそろばんを習っていた。わたしは寺子屋でいちばん読み書きが上手だった。そろばんも得意だった。

わたしは十二のときに乾物問屋に奉公にあがるようになった。わたしはそろばんも得意だったから、商いのことも手伝わせてもらえるかと期待したけれど、女だから一日中そうじや洗い物の下仕事ばかりだった。

だんな様もおく様も、女中たちもみんな、こわかった。なにをしてもおこられた。ご飯をぬかれることもしょっちゅうだった。

得意だった読み書きもそろばんも、させてもらえなかった。だからおこられずに字を書けることが嬉しい。

わたしが十六になったとき、二番番頭の忠太郎さんとの祝儀の話がもちあがった。忠太郎さんはわたしより十も上で、いつもいやらしい目でわたしを見ていた。これまでも時々いやらしいことを言ってきたり、誰もいないところで体をさわられたこともあった。いやだと言ったら、祝言をあげたらどうせおれのものになるんだ、と叩かれた。それでもいやだと家に逃げかえった。

家にかえったら、おとうちゃんにたたかれた。おかあちゃんには、そんな生意気なことは決して誰にも言うんじゃないとおこられた。夜のことは、目をつぶってたえていたらいいと言った。そのうちに体がなれると言った。好きじゃない人とそうすることは普通だと言った。忠太郎さんといっしょになることは玉の輿だから、かならずいっしょになれと言った。

今まで言われるままに家の手伝いをして、奉公にでて、それが当たり前だと思ってきたけれど、このまま好きではない人と祝儀をあげて、好きではない人に体をゆるして、子供ができて、好きではない人と暮らして年を取って、死んでいくことが当たり前のことだとは思えなかった。それはわたしにはこの世のおわりにしか思えなかった。

いのうただたかという人が全国をまわって地図を完成させたとだんな様が言っていた。

江戸をぐるりと回ったこともないのに、全国を回るって、どんなにたいへんだったのだろう。でも、わたしもいろんなところに行ってみたい。いろんな考えを知りたい。広い国を回ったら、だれかと祝儀をあげるとか、小さなことに思えるだろうか。

おとうちゃんとおかあちゃんに、店にかえれと家を追い出された。店にかえる道を歩いていたら、雪が降ってきた。
風が強く、川はいつになく波を立てていた。川面をじっと見ていると、店にかえるよりは死んだほうがましだと思った。

わたしは川に身を投げた。





 「さま……ナオ様」

 名前を呼ばれて、アシェルナオは弾かれたように顔をあげた。

 そこには心配そうに自分を見つめるメーヴィスとビビアナがいた。

 「みつ様の手記が読めたのですね?」

 覗き込むように尋ねてくるメーヴィスに、アシェルナオは動揺しながら頷く。

 「みつ様はどのようなことを書かれているのですか?」
 
 「兄さん」

 ビビアナはみつのことを知りたがる兄を諫めた。「ナオ様、顔色が悪いです。続きは少しお休みされてからがよろしいかと」

 ビビアナが心配するほどアシェルナオの顔色は悪く、体は小刻みに震えていた。

 「大丈夫。しばらく1人で読みたい」

 みつが自死を選んだという事実に、アシェルナオは手の震えが止まらなかった。






死んだと思ったのに、わたしは生きていた。

気がついたら、きれいな泉のほとりで寝ていた。

そばには長い髪を頭の高いところで一つに結んだ、黒髪と黒い目の女の人が立っていた。

「ようこそ、みつ。わたしはスーザー」

スーザーは、ここは前とは違う国だと言った。国だけでなくまるごと別の世界だと言った。前の世界で死んだわたしを、この世界に招いたと言った。

何のことだかわからないわたしをすーざーは森の外に案内した。

森を出ると、大きな馬に乗った赤と青の髪の男の人がいた。2人とも異人だった。男の人たちはわたしを見て何か話していたけど、異人の言葉はわたしにはわからなかった。

「ごめんなさい、みつの言葉は私にしかわからないの。それに……私のことはみつにしか見えないの。私は精霊……闇の精霊だから」

スーザーがわたしにしか見えない。それがどういうことかわからなかった。けれど、2人の異人はスーザーのことを一度も見なかった。

2人の異人に連れられて異国のお城のような場所に連れて行かれた。それから大勢の人が来て、馬車に乗せられた。

馬車に一緒に乗ってきた人も、馬車の周りを馬に乗って囲んでいる人たちもみんな異人で、髪の色と瞳の色がとりどりの大きな人たちだったけど、その人たちからはお店の人たちみたいないじわるな気持ちがないように見えたから、怖くなかった。

言葉はわからなかったけど、わたしのそばにはスーザーがいてくれたから。

馬車でつれていかれたところは、お城のように背の高い、白い大きな建物だった。瓦のない、今まで見たこともないようなきれいな建物の中にはいると、大きな神社に行ったときのような身の引き締まるような神聖な空気があった。

建物の中は天井の高い大きな部屋で、天井には異人の人と雲と空の絵が描いてあった。ずっと見ていると首が痛くなって、スーザーが笑っていた。部屋の正面にはきれいな色のびーどろでできた窓を背にして白い女の人の像があった。

話にきいたことがある、きりしたんというものかと思った。きりしたんと言うことも禁止されている、おそろしいものだと聞いたことがあるけれど、ここにいる人たちはおそろしい人たちではないように見えた。

みんな、像の前にひざまずいて祈ったあと、わたしを見て話をしていた。言葉がわからないから何を話しているのかわからなかったけど、とてもおどろいているようだった。

「ここは王都エンロートの精霊神殿よ。この人たちは神官。愛し子さまがきた、って言ってるのよ」

「愛し子?」

「愛し子は、必ず黒目黒髪で、精霊の姿が見える者のこと。精霊に愛されているから愛し子で、めったに現れないの。愛し子はこの国に幸福をもたらすと言われているわ」

わたしが愛し子? 親にも見放されたわたしが?

「みつは黒目黒髪で、わたしが見えるでしょう? 正真正銘の愛し子よ。こうやって私と話をしている様子は、みんなにはみつが見えない何かと話しているように見えているの。それは精霊でしかありえないから、みんなみつを愛し子と判断したみたいね」

スーザーの言うとおり、わたしはすごく大切に扱われた。

身の回りの世話をするためにマリアが側付になった。

マリアの幼なじみのエーリク、リーヌス、ザシャ、クオトの、かっこうのいい服を着て剣を持った4人が常にわたしと行動を共にしてくれるらしい。

ただの下働きだったわたしに、言葉はわからないけれどみんな親切にしてくれる。一度死んだわたしだけど、新しい国で新しく生きるのもいいかもしれないと思った。



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 エール、いいね、ありがとうございます。
 もう少しみつの日記が続きます。応援いただけると嬉しいです。
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