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ヘルムートとの最後の時間
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「あの日はなんであんなに優しかったんだ?」
「怪我人に何を言えと仰るのですか?」
バルタザールが魔法を暴発させた日以来、ヘルムートはこうしてバルタザールの様子を見に来てくれていた。
誰か供をつれてくるべきだと言われたが、この訓練に誰かを付き合わせるのは忍びないと話せば、同じぐらいの時間に様子を見に来ると言ってくれたのだ。
「普段の其方は、私を見下しているだろう?」
「人聞きの悪いことを……見下してなどいませんよ」
「それだ。それが見下していると言うのだ」
「心外ですね。そのようなこと思ったこともありません」
くすくすと透き通る鈴の音のような笑い声。それを奏でる紅い唇はいつ見ても美しい。
訓練後のわずかな時間とはいえ、何日も二人で会っているというのに、相変わらず崩すことのない態度。
その高潔な態度に惹かれていたというのに、こうなってくると今度は特別扱いをしてもらいたくなるというのが、人の悪いところだ。
「いつもヘルムートはこんな時間まで何をしているんだ?」
バルタザールを見つけたあの日、寮に帰るところだと言っていた。魔法訓練室を通るというのならば、騎士寮にいたのだろうか。
「私は外出しております」
「外出? 毎日か?」
「バルタザール殿下ならば、お話しても良いでしょう」
「何だ? 何のことだ?」
『バルタザールなら』ヘルムートの口から聞こえた特別扱いの証拠のような言葉。
思わず心が跳ね上がる。
「平民の診療所で、治療の勉強をしております」
「診療所?」
「はい。私がお仕えする予定のロイエンタール家当主は、少々特別な事情をお持ちです。どうしても治療技術を鍛えなければなりません。それには学院で学ぶだけでは不十分ですから」
ヘルムートから告げられたのは、予想外の答えであった。
王太子である自分を手放せないくせに、国立学院にいる間だけはその重圧から解放されていると、王城に戻ることに抵抗さえ覚えていた自分。
憧れるヘルムートの視線は、既に卒業後の未来を見据えている。
「そうだったのか……」
「誰にも話したことはありません。平民の診療所なんて、差別される場所ですから」
「そんなこと……」
「わかっております。ですが、私の身分では貴族の診療所に入ることはできません。それに、誰でも分け隔てなく診察しなければならない環境というのは、自分を鍛えるためには最高の場所です。毎日少しずつ技術が上がっているのは、嬉しく思いますよ」
そう言って笑ったヘルムートの顔は、これまでと違いバルタザールを嘲笑っているようには見えない。
これまでバルタザールが見たこともない顔に、胸が苦しいぐらいに高鳴った。
「ヘルムートは、素晴らしいな」
未来を描いて前を向いているヘルムートの姿が眩しくて、バルタザールの声が沈み込む。
「そうでしょうか。バルタザール殿下も、毎日過酷な訓練に身を投じていらっしゃるではありませんか」
「私のは、国王陛下に言われたからだ」
「それで、あのような訓練を?」
「あぁ。魔力を増やせと、そう命じられている」
「魔力……それはわかりますが……殿下はそれに反対はしないのでしょうか?」
「反対、できるものならしたい。このような訓練、誰が好きこのんでやるものか。だが、王族であるならばやらねばならない。それに、魔力が弱い私には、誰もついてきやしない」
「そうでしょうか。殿下の魅力は魔力だけではないと思いますよ」
「其方だって、私が王子だから心配するのだろう? 先日のように一人で倒れたら困るからと。誰もが王子の私を望んでいる。それであり続けるには、魔力を鍛えねばならない」
「私を侮らないでいただきたい」
バルタザールの耳に、聞いたこともないヘルムートの声が聞こえてくる。
「ど、どうした?」
「バルタザール殿下。少々口調が荒くなることを、前もって謝罪しておきます」
「あ、あぁ。それは構わぬが」
「失礼いたします」
ヘルムートはそう言うと、ほんの少し俯いた。
「私が殿下のことを王子だから心配すると? 本気でそう言っているのか? たかが第一王子、どうなろうと知ったことではない。私が暮らしているロイスナーでは、ロイエンタール伯爵の安否が全て。国王が誰になろうと、王子が誰になろうと、大した影響もない」
「へ、ヘルムート?」
これまで聞いたことのない声色に、聞いたこともない口調。
まるで別人のような言葉達に、隣で声を出した人物が間違いなくヘルムートであることを、その顔を覗き込んで確かめた。
「それでも、このように様子を見に来るのは、王子という立場に慢心せずに、努力なさっているからだ。私の時間が有り余っているとでもお思いか? 平民の時間など、大した価値もないとでも思っているのか?」
「そ、そのようなことを思うわけがない」
あのヘルムートの、愛しい人の時間を独り占めできていることに感謝すれども、価値がないなど思ったこともない。
「殿下はこのように話を聞いてくれるから。吹けば飛ぶような存在の者の話ですら、耳を傾けてくれるから。殿下との時間は、故郷への思いを忘れてしまいそうにさせる」
「ヘルムート……」
「王族にこのような口を聞いては、ここにいられなくなってしまうでしょう。この身を故郷へと戻す前にもう一つだけ、よろしいでしょうか」
「あぁ」
ヘルムートの態度は、間違いなく不敬罪にあたる。バルタザールの周りを常に見張っている国王直下の影。間もなく国王に報告が上がるはずだ。
「国を治めるのに必要なものは、強い魔力ではない。魔力など、どうにでもなる。それだけは、忘れないでいて欲しい」
「わかった……」
「それでは、私はこのあたりで失礼いたします。もしかしたら、もう二度とお会いすることは叶わないかもしれませんが、くれぐれもご無理なさいませんよう」
ヘルムートはそう言って、深く頭を下げた。
「国王には、私から進言しておく。無事に卒業できるように」
「毎日、本当に楽しい時間でした。ありがとうございました」
あの苛烈な国王が、バルタザールの進言に耳を傾けてくれるとは思えない。
この時間はもう戻らないだろう。
静かに頭を上げたヘルムートの目元が光っているように見えたのは、この時間の終わりを覚悟したからか。
それとも、国立学院を追われることの絶望か。
もしかしたら、バルタザールとの別れのせいか。
盗み見た涙の理由は確かめる術を持たない。
バルタザールを虜にした男は、その前から姿を消した。
「怪我人に何を言えと仰るのですか?」
バルタザールが魔法を暴発させた日以来、ヘルムートはこうしてバルタザールの様子を見に来てくれていた。
誰か供をつれてくるべきだと言われたが、この訓練に誰かを付き合わせるのは忍びないと話せば、同じぐらいの時間に様子を見に来ると言ってくれたのだ。
「普段の其方は、私を見下しているだろう?」
「人聞きの悪いことを……見下してなどいませんよ」
「それだ。それが見下していると言うのだ」
「心外ですね。そのようなこと思ったこともありません」
くすくすと透き通る鈴の音のような笑い声。それを奏でる紅い唇はいつ見ても美しい。
訓練後のわずかな時間とはいえ、何日も二人で会っているというのに、相変わらず崩すことのない態度。
その高潔な態度に惹かれていたというのに、こうなってくると今度は特別扱いをしてもらいたくなるというのが、人の悪いところだ。
「いつもヘルムートはこんな時間まで何をしているんだ?」
バルタザールを見つけたあの日、寮に帰るところだと言っていた。魔法訓練室を通るというのならば、騎士寮にいたのだろうか。
「私は外出しております」
「外出? 毎日か?」
「バルタザール殿下ならば、お話しても良いでしょう」
「何だ? 何のことだ?」
『バルタザールなら』ヘルムートの口から聞こえた特別扱いの証拠のような言葉。
思わず心が跳ね上がる。
「平民の診療所で、治療の勉強をしております」
「診療所?」
「はい。私がお仕えする予定のロイエンタール家当主は、少々特別な事情をお持ちです。どうしても治療技術を鍛えなければなりません。それには学院で学ぶだけでは不十分ですから」
ヘルムートから告げられたのは、予想外の答えであった。
王太子である自分を手放せないくせに、国立学院にいる間だけはその重圧から解放されていると、王城に戻ることに抵抗さえ覚えていた自分。
憧れるヘルムートの視線は、既に卒業後の未来を見据えている。
「そうだったのか……」
「誰にも話したことはありません。平民の診療所なんて、差別される場所ですから」
「そんなこと……」
「わかっております。ですが、私の身分では貴族の診療所に入ることはできません。それに、誰でも分け隔てなく診察しなければならない環境というのは、自分を鍛えるためには最高の場所です。毎日少しずつ技術が上がっているのは、嬉しく思いますよ」
そう言って笑ったヘルムートの顔は、これまでと違いバルタザールを嘲笑っているようには見えない。
これまでバルタザールが見たこともない顔に、胸が苦しいぐらいに高鳴った。
「ヘルムートは、素晴らしいな」
未来を描いて前を向いているヘルムートの姿が眩しくて、バルタザールの声が沈み込む。
「そうでしょうか。バルタザール殿下も、毎日過酷な訓練に身を投じていらっしゃるではありませんか」
「私のは、国王陛下に言われたからだ」
「それで、あのような訓練を?」
「あぁ。魔力を増やせと、そう命じられている」
「魔力……それはわかりますが……殿下はそれに反対はしないのでしょうか?」
「反対、できるものならしたい。このような訓練、誰が好きこのんでやるものか。だが、王族であるならばやらねばならない。それに、魔力が弱い私には、誰もついてきやしない」
「そうでしょうか。殿下の魅力は魔力だけではないと思いますよ」
「其方だって、私が王子だから心配するのだろう? 先日のように一人で倒れたら困るからと。誰もが王子の私を望んでいる。それであり続けるには、魔力を鍛えねばならない」
「私を侮らないでいただきたい」
バルタザールの耳に、聞いたこともないヘルムートの声が聞こえてくる。
「ど、どうした?」
「バルタザール殿下。少々口調が荒くなることを、前もって謝罪しておきます」
「あ、あぁ。それは構わぬが」
「失礼いたします」
ヘルムートはそう言うと、ほんの少し俯いた。
「私が殿下のことを王子だから心配すると? 本気でそう言っているのか? たかが第一王子、どうなろうと知ったことではない。私が暮らしているロイスナーでは、ロイエンタール伯爵の安否が全て。国王が誰になろうと、王子が誰になろうと、大した影響もない」
「へ、ヘルムート?」
これまで聞いたことのない声色に、聞いたこともない口調。
まるで別人のような言葉達に、隣で声を出した人物が間違いなくヘルムートであることを、その顔を覗き込んで確かめた。
「それでも、このように様子を見に来るのは、王子という立場に慢心せずに、努力なさっているからだ。私の時間が有り余っているとでもお思いか? 平民の時間など、大した価値もないとでも思っているのか?」
「そ、そのようなことを思うわけがない」
あのヘルムートの、愛しい人の時間を独り占めできていることに感謝すれども、価値がないなど思ったこともない。
「殿下はこのように話を聞いてくれるから。吹けば飛ぶような存在の者の話ですら、耳を傾けてくれるから。殿下との時間は、故郷への思いを忘れてしまいそうにさせる」
「ヘルムート……」
「王族にこのような口を聞いては、ここにいられなくなってしまうでしょう。この身を故郷へと戻す前にもう一つだけ、よろしいでしょうか」
「あぁ」
ヘルムートの態度は、間違いなく不敬罪にあたる。バルタザールの周りを常に見張っている国王直下の影。間もなく国王に報告が上がるはずだ。
「国を治めるのに必要なものは、強い魔力ではない。魔力など、どうにでもなる。それだけは、忘れないでいて欲しい」
「わかった……」
「それでは、私はこのあたりで失礼いたします。もしかしたら、もう二度とお会いすることは叶わないかもしれませんが、くれぐれもご無理なさいませんよう」
ヘルムートはそう言って、深く頭を下げた。
「国王には、私から進言しておく。無事に卒業できるように」
「毎日、本当に楽しい時間でした。ありがとうございました」
あの苛烈な国王が、バルタザールの進言に耳を傾けてくれるとは思えない。
この時間はもう戻らないだろう。
静かに頭を上げたヘルムートの目元が光っているように見えたのは、この時間の終わりを覚悟したからか。
それとも、国立学院を追われることの絶望か。
もしかしたら、バルタザールとの別れのせいか。
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バルタザールを虜にした男は、その前から姿を消した。
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