ソーダ水の夏休み

関谷俊博

文字の大きさ
1 / 1

ソーダ水の夏休み

しおりを挟む
いよいよ明日から夏休みが始まる。
その一学期最後の大掃除のさなか。弘美の声が教室に響き渡った。
「ちゃんと掃除やりなさいよ!」
すると窓際でお喋りしていた女子たちは、ぶつぶつと文句を言いながらも掃除に戻った。
さすがだ、と僕は思った。
弘美はいつも堂々としている。言いたいことはハッキリと口にするし、どんなときでも慌てない。勉強もできるし体育も万能だから、誰も弘美の言葉には逆らえないのだ。
少しうらやましくはある。
「さあ、じゃあ机を元に戻して」
弘美がみんなに号令をかけた。
僕はテキパキと机を運んだ。夏休みが始まるかと思うと、嬉しくって仕方がない。高校に入って初めての夏休みが。
「みんな辻くんを見習ってよ」
弘美がみんなに声をかけた。少し得意ではあったが「あの二人、できちゃってるんじゃないの」という声が聞こえてきて、僕は頬が熱くなった。  
確かに僕と弘美は仲がいい。席も隣どうしで家も近所だから、登下校も一緒なのだ。
「さあ、終わったわ」
教室を見渡して、弘美はパンパンと手を叩いた。

夏休みに入って一週間が経った。
朝から駅前のCDショップへ出かけた僕は、レジで会計を済ませ、外へ出た。太陽がじりじりとアスファルト道路を焼いている。
歩き始めた僕は、すぐ近くの喫茶店から弘美が出てきたのに気がついた。弘美はスーツ姿の男の人と一緒だった。
弘美も僕に気づいたらしい。男の人に軽く手をふると、こっちへやってきた。
「辻くん。偶然ね」
弘美は白のワンピースに麦わら帽子をかぶっている。
「誰? 今の人」
僕は弘美に尋ねてみた。
「私のお父さん」
弘美は言った。
「私の両親は離婚してるの。月に一度、養育費を受け取るのは、私の役目なの」
弘美は言ったが、それを引け目に感じている様子もない。逆に僕の方が、聞いてはいけないことを聞いてしまったように思った。
「そうなんだ…」
離婚なんて今どき珍しくもないのだろうけれど、何と言ったらいいのかわからなかった。
「そうだ!」
弘美は何かを思いついたようだった。
「ちょっとうちに寄っていかない? 辻くん」
「えっ、きみのうちに?」
女の子の家に行くことには、さすがに抵抗があった。
「そう」
弘美はうなずいた。
「今日はお母さんもいないし、本当に本当に暇なのよ。ねっ、来なさいよ」
弘美が懇願するような顔つきになった。かなり強引なアプローチではある。
押しきられるように、僕は弘美についていくことを決めた。

僕は弘美の部屋に通された。
いくら相手がサバサバした性格の弘美でも、女の子の部屋に入るのは初めてだったのでドキドキした。弘美の部屋は、こざっぱりと整頓されている。
「辻くん。みぞれアイスあるけど、食べる?」
「あ、食べる食べる!」 
動揺を隠す為、ことさらに大げさなリアクションである。
「ちょっと待ってて」
弘美は階段を降りて、みぞれアイスを二つ持ってきた。
「だけどお母さん、どこへ行ったの?」
やっと落ち着いてきた僕は、みぞれアイスを口に運びながら、そう尋ねてみた。
実は弘美の家に来るのは、これが初めてではない。弘美が風邪で学校を休んだとき、その日に配られたプリントを届けにきたことがある。そのとき出迎えてくれたのが弘美の母親だった。
「フラガールショーを見にいったの」 
「フラガールショー!」
僕はむせ込みそうになった。
「どうしてフラガールショーなの?」 
「そんなこと知らないわ」
弘美は肩をすくめた。
「とにかく一泊おとまり付きのフラガールショーなの」
なんだか事情がありそうだ。僕は弘美が気の毒になった。
「弘美はそれで大丈夫なの?」
「私? 私は平気よ。もう小さな子供じゃないもの」
僕は少し考えてから慎重に言った。
「たしかにそうだね。弘美はしっかりしてるもの。言いたいことがはっきり言えて。いつも堂々としていて」
「私は堂々となんてしてないよ」
弘美は苦笑した。
「負けちゃいけないって、いつも肩に力を入れているの。とても疲れるけど、力を抜いたらバラバラになっちゃうから」
窓の風鈴がチリンと鳴った。

八月に入ってすぐの全校登校日、
「ね、どこか寄ってこうよ」

全てが終わると、弘美がこう誘ってきた。
「このまま帰るのも、つまらないじゃない」
「もしかして、またお母さんいないの?」
「うん。近頃、お出かけが多いの」
とりあえず僕と弘美は、駅に向かって歩き始めた。あちこちの家の庭から、ヒマワリが顔をのぞかせていた。
やがて駅が近づいてきた。
「あ」
小さな声をあげて、弘美が立ち止まった。 
僕らに向かって真っ直ぐに、その二人は歩いてきた。
弘美の母親は、若い男にもたれかかるように腕をからめていた。母親も僕らに気づいた様子で、立ち止まった。
「どうした?」
男がたずねた。
「ううん。何でもないの」
弘美の母親は首をふった。
二人はすぐ脇をすり抜けていった。
「弘美…」
「行こ」
僕の手をつかんで、弘美は駆け出した。 

やがて弘美は駆けるのをやめた。近くの小学校の前だ。
「あー、息が苦しい」
僕らは小学校の校庭に入っていった。
「ね、座ろ」
僕らは並んで、ブランコに座った。空には金色に輝く入道雲。
「あーあ、入道雲になりたいな」
「どうして?」
「入道雲になって、空から人を眺めてみるの。辻くん、どうしてるかな。みんな、どうしてるかなって」
弘美は空に向かい、両手をひろげた。
「そうしたら、どんなことも小さなことに思えるような、そんな気がするから」

翌日、僕はかなり朝遅くに眼を覚ました。外はすでにセミの鳴き声のシャワー。
トーストとスクランブルエッグで朝食をとっていると、手元のスマートフォンが鳴った。弘美だ。
第一声は、
「暑いわねえ」

「暑いねえ」
全くの同意見だ。

「ねえ、プールへでも行かない?」
電話の向こうで、弘美は言った。


弘美はクロールでプールを何度も何度も往復した。

「すごく楽しい」

プールサイドにあがると、弘美は言った。

「胸のつかえが取れたみたい。来て良かった」


「そいつは良かった」

「そいつは良かった…か。辻くんて、すごいクールよね」
「ごめん。ほかに言葉が見つからなかったんだ」
「いいのよ、クールで。それが辻くんなんだから。こうしてつきあってくれて、とても感謝してるわ」
弘美は立ち上がった。
「もう少し泳いでくるね」



八月二十日。この日は、この街の神社の夏祭りで、お神輿も出るし夜店の屋台も出る。僕は弘美を誘うことにした。
「今夜のお祭り。良かったら一緒にどうかな?」
僕が言うと、スマートフォンの向こうから、弘美のはずんだ声が聞こえてきた。
「行く行く! 辻くんから誘ってくれたの、初めてじゃない?」


弘美は参道の手前で待っていた。僕は弘美の浴衣姿に、はっとさせられた。
「なに?」
「いや」
「どうしたのよ?」
「いや、似合ってるよ」
僕と弘美は歩き始めた。

お面にヨーヨー、金魚すくい
焼きそば、わたあめ、かき氷

僕と弘美は、夜店の屋台をひとつずつ見てまわった。
ソーダ水を買って二人で飲んだ。透明な容器の中で、ソーダ水の泡が立ちのぼっては消えていった。
「夏休みってソーダ水の泡みたいね」
弘美はつぶやいた。
「キラキラしてるけど、すぐに消えていってしまう」
「うん」
「楽しかったな」
弘美の言葉が引っかかった。過去形の言葉…。
しばらく弘美はソーダ水の泡を眺めていたが、こう口を開いた。
「私、転校するの。新しいお父さんができたから」
「そう…」
「いつか会ったことがあったでしょう?」
「あの男の人か」
「あの人が田舎に帰るから、お母さんもついていくんだって」
「うん…」
「だけどお父さん、とは思えないな」
弘美はぽつりと漏らした。
「無理してお父さんと思わなくてもいいと思うよ。いつかそう思えたら、そう呼べばいいんだよ」
「うん」
弘美は納得したようだった。上辺だけかもしれなかったが。



あくる日の夕方。
「智之。お友達よ!」
母さんの声。階段を降りてドアを開けると、弘美が玄関に立っていた。
「ほら」
投げて寄こしたのは、野球のグローブだ。
「一緒にキャッチボールしない?」


川べりの小道を歩いて、僕と弘美は校庭へと向かった。校庭に着くとグローブをはめて、僕と弘美は向かいあった。
「じゃあ、行くよー!」
弘美が叫んだ。
「よし、来い!」
僕はグローブを構えた。
投げる直前、弘美が何か言ったようだったが僕には聞こえなかった。
「なんだってー?」
投げ返したボールは弘美のグローブにおさまった。
「だからー!」
弘美が投げ返したボールも僕のグローブにおさまったが、今度もまた弘美の声は聞こえなかった。
「なんて言ったのー?」
僕が投げ返したボールが、弘美のグローブにおさまる。
「ありがとうって言ってるのー!」
弘美が投げ返したボールが、僕のグローブにおさまる。
「どういたしましてー!」
そう言って僕はボールを投げ返す。
その日、そんなふうにいつまでも僕らはキャッチボールを続けた。
ヒグラシがどこかで鳴いていた。


そして、その日。
僕は弘美を、駅まで見送りに行った。
弘美の母親と男の人は、もう改札の向こうで待っていた。
僕と弘美は改札のこちら側で向きあっていた。
「じゃあね」と、僕は言った。
「うん」
「メールするよ。電話もする」
「うん」
そのとき、弘美は何かを思いついたようだった。
「あっ、そうだ!」
「なに?」
「辻くん。最後に大事な話があるの」
弘美は真剣な顔で言った。
「なに? 大事な話って」
僕は訊き返した。
「ほんと、だーいじな話なの」
僕の耳元で、弘美はささやいた。
「辻くん。好きよ」
「えっ?」
「好き好き。大好き。本当よ!」
弘美はそう言うと、思いきりあかんべをした。
「グッバイ!」
弘美は明るく手をふった。
「 グッバイ!」
僕も明るく手をふった。
こうして僕らの夏休みは終わる。
ソーダ水の夏休みが。




 


しおりを挟む
感想 2

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(2件)

2015.11.14 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

解除
上瀧麗奈
2015.11.01 上瀧麗奈
ネタバレ含む
解除

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。