幸福なラブソング

Chan茶菓

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幸福なラブソング

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        『幸福なラブソング』

 夢の話だ。



 それは、音楽室らしい教室の前から始まる。 

 私は学生で、そこには私の友人や、私を疎ましく思う人たちも居たが、その時は誰もが皆、己自身の未来の事だけでいっぱいだった。 



 どうやらその日は、「お見送りらしきもの」をする者を選ぶための試験らしい。 

 「お見送りらしきもの」は旅立つ人達の安全を願ってのものらしい。



『彼』が今度、旅立つことが決まった。



 その試験会場である音楽室の前で並んでいる私も当然、自分の未来を思い描いて興奮が収まらなかった。



 私は歌にはとても自信があったようだ。 

 自分の才を、今まで疎ましそうに虐げていた大人や歳の近い人達に披露すれば、『彼』を見送る事も出来るし、皆に少しは認めてもらえるかもしれない。 

 そんな期待が順番を待てば待つほど、どんどん膨らんで行った。 



 こっそり教室の扉を少し開け、試験の様子をそこから覗き見る。 



 博識であるのに、何故かとても音痴な歌を披露する男の子。 



 可憐で誰からも人気のある愛らしい少女が、地面に正座をして習字を書き始める。 



 いつも着飾っていたカチューシャをつけた女の子は、袴姿で袖をまくり背丈が変わらない大きな筆で墨を走らせ、床に漢字を書きなぐる。

 変わった芸を披露しようとする者も居れば、周りをあっと言わせるほどの素晴らしい芸を見せる者もいた。 



 そうして試験を覗きながら待っていた私の順番は来ず、忘れ去られて夕方には試験が終わった。



 試験官も皆も私には気付いていたのに。 



 音楽室のベランダで夕暮れを見ながら歌う。



 「お見送りらしきもの」の歌ではなく、ラブソングを歌う、『彼』を想って。 私が好きなラブソングだった。 



『彼』はもう旅立ったようだ。 

 試験に合格した者たちは綺麗な和装で着飾り、顔を笠で隠して夜になるまで踊り、奏で、歌い続ける。 

 ベランダで1人歌う私の隣には友人がいた。 

 頭の上のお団子から所々解けた橙色の髪が、夕日に照らされてより鮮やかに煌めく。

 とても美しい子だった、一人の私を優しい目でずっと私を見守ってくれていた。 



 「まだ間に合うんじゃない?」 

『彼』と最後まで顔を合わさず、言葉も交わさずに離れてしまう私を心配して出た、ただの慰めの言葉だった。 

 だけど、それが私の背中を押した。 



 4階にある音楽室を飛び出し、階段を何段も飛び越え、遠心力で最小カーブを曲がる。 

 転がろうともぶつかろうとも、腕が擦りむけようとも関係なく走り続けた。 

 玄関に先生たちがいた。構わず間を走り抜ける。 

 「お見送り」をする者以外は外へ出てはならない決まりがあった、そんなの知るものか。 

 後ろから声が聞こえたが構わず走る。 



 学校の外に出ると右手は校庭、左手は神社、その間には長い下り道が続く。 どこもかしこも「お見送りらしきもの」の祭りで賑わっていた。 人をかいくぐり坂道を走って下っていく。 

 左でワッと声が上がったのを耳にして目だけを左にやると、隙間からではあるが試験に受かった子達の姿が見えた。 

 彼ら彼女らの衣装を着てあの中に居たら、と一瞬思い描くが、今はそんな事は関係ない。

   足をとめずにただ走っていく。



 まだ『彼』のいる一行は見えてこない。 



 ずっと、ずーーっと走っていくと高台から飛び込む縁担ぎの建物が見えてきた。 

 飛び込むと言っても浅瀬だ、当たり所が悪ければ大怪我では済まない。 

 嫌なことを考えてしまい、血の気が引いていくのが分かった。 



 高台を過ぎると、『彼』がいる一行の姿が見えた。近付こうと駆け寄ると、高台の方から声がした。 



 「にいちゃん大丈夫か?がんばれよ!!」 



 ハハハ…と笑っていた。 

 顔を見られないための籠を被っていても分かる程、聞き覚えのある乾いた笑い声。 



 振り返ると『その人』は、痣だらけでヨロヨロと朦朧としながら高台から出てきた。 



 おぼつかない足取りで一行の後を必死について行こうとする。 

 まさか飛び降りたのか、『彼』は!! 



 その姿を見て、泣きそうになりながらも禁を破って追いかけてきた私には声もかけられない。 

 ふと、過去に私と会話した彼の言葉が思い浮かんだ。 「君との糸を繋ぎたい」だったか、そんなような事を話していたようだ。

  やはりこのままでは引き下がれない。 



 私は近くにあった稲木にかけてある籠を被り、高い石垣に上って彼らに近付いた。



『彼』が前を通る時 



 「糸は紡ぐことは出来ましたか?」 



 ただ、それだけを言った。 

 服はズタズタに破れ泥まみれ血まみれ、顔は隠れているし、誰だかこれでは分からないだろう。 だが、彼はその一言で気付いたようだ。 

 籠越しに彼の目がちらりと見えた。とても綺麗な目青い目を大きく見開いていた。 



 そして 

 「どうしてここにいるんだ!」 

 と泣きそうに私に訴える。心配しているのがよくわかった。私も籠を被っていたけど、とても嬉しくて顔が笑ってしまう。 



『彼』が目の前に居る。 

 「はやく戻るんだ!ここに来ては行けないんだ!」 

 周りも気にせず『彼』は私に訴えかける。 私が動くことは無い。 

 「ああ!そんなに!腕もそれじゃ使えなくなってしまう!」 



 自分の右腕を見ると擦りむけたり、抉れたり、ぶつけたりしたせいで、布が赤紫色に変色していた。 

 大袈裟だな、腕はあるよ、ただ動かし辛いだけだよ。 



 一行の一人が『彼』に気が付き様子を見ようと振り返った。 

 私は稲木の後ろに走って隠れた。 



 まだ、彼の声が聞こえる。 



 「僕はもうすぐ死んでしまうんだ!」 

 私が一人になることを心配しているようだ。 涙が溢れてくる。 嬉しく、寂しく、苦しく、切ない。 

 ひとしきり叫んだ後、『彼』は 



 「君が幸せであることを願っている。」

 だったか、 



 「君の幸せに星の導きがあらんことを。」 だったかもしれない。 

 そんな事を泣きながら、心を込めて言っていたような気がする。 



 そこで目が覚めた。 

 意識が朦朧としていたんだろう。 あまり覚えてはいない。 



 何せ体を動かす体力はなかったし、振り絞って稲木に隠れたが、そこで力尽きて倒れていたので。

  傷も酷かったし、炎症を起こし始めていたんだろう。 





 多分、『彼』も私もあと数刻の命だった。 



 ただ、体は辛かったけれど、『彼』の声を聴きながら命が尽きていくのは、とても幸福だった感覚を覚えている。 

        















 終 『幸福なラブソング』









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