心模様

宇田いちご

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ある晴れた日のこと

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 今朝は、目が覚めると雨が降っていた。眠い目をこすりながらのそのそと布団から這い出て、窓の外を覗いてみる。
 僕は雨が嫌いじゃない。雨が降った時の独特な匂いや、アスファルトを打ちつける音が、僕を理由もなくわくわくさせるからだ。たぶん、非日常感を無意識に楽しんでいるのだと思う。
 しかし、近頃の僕は、雨に心を躍らせるような能天気さは持ち合わせていなかった。
 
 高校に入学して早くも一年が過ぎた。
それなりに頑張って勉強して入った高校は、それなりに楽しくて、友達もそれなりにいて、なかなか悪くない高校生活だな、と、思っていた時期もありました。

「なんっっで僕だけ二人と違うクラスなんだよ!?」

春の陽気が心地よい三月の朝、二年の新クラスの名簿を見た僕は、柄にもなく大きな声をあげた。

「へっへ~。なんだよ晴田ぁ、お前J組かよ~。寂しくなるなぁ。」

そう言って天笠は、快活な笑顔を浮かべて僕の肩に腕を回してきた。 

「安心しろって。気が向いたら昼休みに会いに行ってやるからさ。気が向いたら、な。」

慰めになっているか微妙なラインの言葉をかけてく
れるのは、雪代だ。
 僕と天笠と雪代は、一年の時に同じクラスで仲良くなった友達で、今ではいわゆる、「いつメン」になっていた。

「それ絶対来ないやつじゃん...。」

ぶつくさと小声で文句を言う僕を尻目に、二年B組で同じクラスになった二人は新しいクラスに行ってしまった。しかし、まいったな。僕はもともと人見知りなために、地味っこ男子として1年間過ごしてきたのだ。だからいつメン以外とはほぼ喋ったことがないので、新しいクラスのJ組で友達を作るというのが僕の高ニ生活最初の課題であった。

 そして今日までに至る。J組での生活もあっという間に二週間が過ぎ、クラスメイトたちはぼちぼちクラスになじみだしていた。そんな中、僕は未だ、J組の誰とも喋らない生活を続けていた。

「誠~?いい加減起きたら~?」

一階のリビングから母さんの僕を呼ぶ声が聞こえた。外は朝なのに少し暗く、雨の音だけが僕の部屋に響いている。

「はぁ...学校行きたくないな...。」

そんな僕の独り言は、誰かに届くわけもなく、雨の音にかき消された。僕は母さんの呼びかけに返事をして、階段をゆっくり降りていった。

 僕がいつも乗っているバスは、今日は雨ということもあって、普段よりも乗客が多かった。帰りのバスは空いてるといいな。そんなことを考えているうちに、授業時間はどんどん過ぎていって、気づけば昼休みに入っていた。そして昼休みこそ、僕の勝負の時間なのだ。
(頼む..!誰か僕に話しかけてきてくれ...)
そうして僕は他力本願なスタイルをこの二週間続けていた。僕自身、このままじゃ友達ができないことくらいわかっている。でも僕は、誰かに話しかけるのがすごく苦手なタイプの人見知りなのだ。
まぁ、話しかけられても何か気の利いた会話ができるわけではないのだけれど。
 そういえば昨日は、久しぶりに天笠と話をした。クラスの人に話しかけるにはどうしたらいいか聞いたら、

「はぁ?お前、そんなことで悩んでんのかぁ?んなもん天気の話でもしとけよ」

と、かなり適当なことを言われたので、

「コミュ強くんには僕の気持ちはわからないだろうよ!」

と、皮肉を言っておいた。
 しかし、事実、多くの人にとっては僕の悩みなんて小さなことなのだろう。
学校という限られた社会の中では、誰も彼もが同じような生活をし、同じような境遇の中に生きている。だからこそ、彼らには右も左も友に見えるのかもしれない。だが、中には右にならえが苦手な人間もいるってことを、そういう不器用なやつもいるってことをわかって欲しい気持ちもあって、つくづく他力本願スタイルが染み付いているなと実感する。           
 まぁこれはこれで楽なんだけれど。
 それにしても今日は朝からずっと雨が降っているな。帰る頃には止むだろうか。お弁当を頬張りながら帰り道の心配をする僕は、相変わらず一人だった。

「うお...まじか...。」

生徒玄関から見える外の景色に僕は、少々肩を落としていた。昼休みの時点ではそこまで強く降っていなかったのに、午後になって本格的に降ってきたようだ。幸い、学校からバス停まではさほど距離はない。少し濡れるが、走っていくことにしよう。
 
 五分ほど走って、ようやく屋根のある小さなバス停の前に着いた。見たところ僕の他にバスを待っている人はいないようで、僕の来る少し前に行ってしまったようだ。もう少し急いでいればという後悔はさておき、とりあえずベンチに座ってバスを待とうとしたその時だった。
 
 突然、僕の世界から激しい雨音が失われた。
 
 ベンチには一人の少女が腰掛けていた。肩口までかかる長い黒髪のその少女は、横顔からでもわかるほど整った顔立ちをしていて、外の様子を見つめるその姿は、さながら一枚の絵画のような存在感を放っていた。綺麗だな。素直に、そう思った。
 すると、口に出ていたのか、彼女は僕の存在に気づいた。

「こんにちは。」

控えめながらも、よく通った声でそう言った。

「こ、こんにちは。」

僕は咄嗟にそう返したが、内心、結構びっくりしていた。今時知らない人にあいさつするか普通。というか、この子、うちの制服着てるじゃないか。頼むから僕のことは知ってないでくれ。

「晴田くんだよね?私はついさっきバスに置いていかれちゃって。っていうか、私のことわかる?」

フラグ回収が早すぎるというのはともかく、僕は頭をフル回転させて彼女の名前を思い出していた。

「あ...えっと.......。」

どうやら僕の頭は使い物にならなかったらしい。

「うそ!ほんとにわかんないの~?同じクラスじゃ~ん!まぁ、いいかー。私、風宮詩織っていいます!よろしくね、晴田くん。」

風宮詩織。その名前に心当たりがないわけではない。でも、僕が知っている風宮は、いつも一人でいて、誰かと話しているところを見たことがないような地味で目立たない女の子だ。特に気にかけていたわけではないが、友達が居なそうという点では、僕は彼女に妙な親近感を抱いていた。だからこそ、普段の教室での彼女と、目の前の美少女とのギャップがどうも消化しきれず、僕は彼女に尋ねた。

「風宮さんって結構明るい人だったんだね。普段友
達と話してるとこ見たことなかったから結構びっくりしたよ。学校でもそうすればいいのに。」

余計なお世話かとは思ったが、つい、言葉に出してしまった。すると、風宮は、僕のこの二週間の苦悩が馬鹿馬鹿しくなるような台詞を平然と言ってのけた。

「別に学校で友達作る必要無いでしょ。あそこにいるのはみんな、よくも悪くも似たような連中ばっかりだよ。だから面白みがないって感じ?」

そう言って風宮は、微笑を浮かべた。
 僕の中に少しの怒りと、少しの困惑と、少しの焦りが生まれた。僕はほとんど脳を介さずに彼女に尋ねた。

「それじゃあ、寂しくないの?」

「寂しくないよ。私には学校の外に素敵な友達がいるもの。」

風宮は力強く答えた

「でも学校にいる間は一人じゃないか。
一人でいるのは可哀想なことじゃないの?」

知らず、僕の口調は弱々しくなっていた。

「可哀想なことなんかじゃないよ。一人でいる方が心地良く感じる人だっているもの。」

風宮はまた、力強く答えた。
僕はというと、彼女の言葉を聞いて固まっていた。風宮が急に僕から遥か遠い場所にいるように感じられた。

「晴田くんは学校で友達が欲しいの?」

風宮は大きな瞳をこちらに向けて聞いてきた。

「...わからない。今の風宮さんの言葉を聞いてわからなくなっちゃった。」

誤魔化しの言葉でもなんでもなく、それが本音だった。僕は今まで友達が居ないことは、一人でいることは可哀想なことだと、惨めなことだとばかり思っていた。
 だけど今日、彼女に会って、話して、思ってしまった。彼女のことをかっこいいと、一人でいる姿がかっこいいと、そう思ってしまったのだ。クラスの他の誰よりも、彼女のことを知りたいと強く思ったのだ。

「そっか。それはなんかごめんね。」

そう言って風宮は苦笑した。
それからしばしの間、沈黙が流れた。
僕は意を決して口を開いた。

「ねぇ。風宮さんは、雨、好き?」

我ながら変な質問だなと思う。こんな時でも天気の話しかできないなんて、大したコミュ力だ。でも、風宮は答えてくれた。

「うん。好きだよ。雨って独特な匂いがするし、地面に雨粒が落ちる音ってなんだかワクワクしてこない?」

そう言ってにひっと彼女は笑った。
その笑顔が、この二週間、僕の中で眠っていた感情を呼び覚ました。

「あのっ。よかったら、僕と友達になってくれませんかっ!」

彼女は少し驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかい笑顔を浮かべた。僕は照れくささから、つい言い訳まがいな言葉を漏らした。

「えっと、僕も雨、好きなんだ。」

どうやら僕は天笠に感謝しなきゃならないらしい。

 それにしても雨ってやつはこんなにもワクワクドキドキするものだっただろうか?
 そう思ってなんとなく空を見上げてみたら、雨は止んでいて、雲の切れ間からは晴れを告げる光がさしていた。










 
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