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66話

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 爆発を呆然と見ていた紗々丸が、青龍の声にビクリと肩を震わせながら涙目で抗議した。

「んなこと言われても、どうしろって言うんだよ……」

 最もだと思ったが、一応保護者として怒らない訳にはいかず。気まずい顔で麒麟を見た。

 旬介に駆け寄った黄龍が確認すると、2人は全身に軽い火傷を負って気を失っていた。

「大丈夫。死んではいない。青龍もあんまり怒るな。悪いのはあの子だ」

 キッと、黄龍が子をにらみつけた。

「お前、少々おいたが過ぎるようじゃな」

 黄龍が隠し持っていた鎖分銅を、子に向かって投げた。

 シャラシャラと伸びた分銅の鎖が子の首に巻き付き、咄嗟に子は首元に腕を入れて締まるのを防ぐのが精一杯だった。

「さあ、来てもらうぞ」

「ふん!」

 子が鼻で笑うと、1匹のイタチが黄龍に向かって飛びかかってきた。

「危ない!」

 と、麒麟がそれを切り捨てた。

 その隙を狙って、子は鎖から抜けると獣のように走り去った。

「待て!」

 詫びでもするかのように紗々丸が追おうとしたが、それを麒麟が肩を掴んで止めた。

「もういい。近いうちにまた会うことになるだろう。奴の目的は分かってる」

「でも」

 と、申し訳なさそうに紗々丸は旬介と藤治を見た。

「大丈夫だ」

 麒麟と朱雀はそれぞれ自分達の倅を背負うと、歩き出した。

「さて、今日のところは帰るとするか」

「う、うん」

 黄龍が笑いながら紗々丸に言う。

「悪いと思うなら、そこの不良親父を連れ帰ってくれ」

「おい! 黄龍!!」

「なんじゃ、青龍。本当のことだろ?」

 青龍は、苦虫をかみ潰したような顔をした。グウの音もでないとはこの事だった。


*****


 子は息を切らせながら、生まれ育った汚い小屋に戻ってきた。ここはかつて、麒麟が育った場所であった。が、更に環境は悪い。人が住めるような場所ではなかった。けれども、間違いなくこの子はここで育ったのだった。

「母……上……」

 怖かった、と言いたい気持ちを抑えて、母を呼んだ時だった。そこにあったのは、見たことも無い人影である。

「お帰り」

 にやりと笑い、子にそう言ったのは泰親であった。

「誰?」

「父上じゃ」

 と、富子が不完全な姿を見せた。

「父上?」

「ああ、お前が頑張ったからね。父上が助かったのじゃよ。父上と共に残りの祠を壊しておくれ。お前一人じゃ難しいだろうしな」

「残りの祠を壊したら」

「そうじゃ。何度も言うように、我が助かる」

 富子もにやりと笑った。

「僕、頑張るよ!」

 泰親が立ち上がった。

「残りは玄武と白虎の祠。玄武領から攻め入りましょうか」

「うん!」


*****


 1羽の鷹が舞い降りた。

 真っ白の髪が鷹のおこした風に揺れた。

「麒麟(兄上)から?? あい、わかった」

 麒麟の言霊である鷹は要件を伝えると、霧のように消えた。

「父上?」

「甲蔵、少しばかり出掛けてくる。氷河(ひょうが)に伝えといてくれ」

「急ぎですか?」

「ああ」

 言うと玄武は走った。

 あれから玄武は後妻と言うべきか、妻を娶った。その連れ子に甲蔵の名を与え、息子として迎えていた。が、この話はまた別の機会に。

 連れ子と言えとも、甲蔵は玄武を尊敬し、本当の父のように慕っていた。玄武のその様子からただ事ではないと悟り、1度母の氷河に事の次第を伝えると、そのあとを追う事にした。しかし、何処へ? 鷹の様子から、恐らく麒麟が知っている事だろうと旬介に鷹を飛ばした。



*****


「もう、いい加減泣くのはよせ」

「だって……」

 年甲斐もなく、ぐすぐす泣く旬介に黄龍は慰めるのも飽きたのか、今は呆れていた。

「普段から真面目に修行せんから、いざと言う時にそうなる。修行のやり直しだ」

 旬介の身体に巻かれた包帯が痛々しい。

「思ったより傷も酷くなかっただけ、よかったではないか」

「ヒリヒリする」

「仕方なかろう」

「薬がしみる」

「仕方なかろう」

「そればっか」

「仕方なかろう、としか言い様がない」

 旬介が再び泣いた。

 黄龍がどうしたもんかと溜め息を吐いた時、ふわりと甲蔵の鷹が舞い降りた。

「お前に言霊が来とるぞ」

「誰から?」

「珍しい甲蔵からのようだ」

「返しといて」

 黄龍は旬介の代わりに甲蔵からの言霊を受け取ると、代わりに返事の鷹を飛ばした。呆れて代わりに聞いたつもりではあったが、聞いてみればそれで良かったとすら思った。これ以上、子供を巻き込むのは本意ではない。

「お前は暫くふて寝していろ」

 そう言うと、黄龍は旬介を残して部屋を出た。

(ふて寝しておった方が助かるかな……)

 事態は、お世辞にもよいとは言い難い。


*****


 急ぎ玄武が祠に着いた時、幸いにもそれはまだ無事であった。

 彼が祠に術を唱えると、祠は凍り始め、あっという間に氷の中に閉じ込められた。その上に、玄武はどかりと腰掛けた。自分で作った氷は、彼にとっては冷たくもない。

 暫くそうして待っていると、やがて全身に鳥肌がたち始めた。嫌な予感が背中をゾクゾクとさせ、奇妙な汗が流れた。

(現れたか)

 真っ白にきらめく髪の間から覗くと、そこに居たのはかつて1度だけ見たような姿だった。

「おやまあ、その髪とその眼は……あの時の子供がまた随分と大きくなりましたね」

 存在に気付いた時は随分遠くにいた筈なのに、そう泰親が言い終わる頃には相手の顔が玄武の目と鼻の先まで来ており、思わず仰け反った。

「ふふふ。どいてくださいませんと、私は貴方を酷い目にあわせる他なくなってしまいます」

 泰親の目は笑っていなかった。

「おん あらきしゃ さぢはたや そわか」

 玄武が呪文を繰り返すと彼の身体から凍るような冷気が溢れ出し、みるみる彼の身体を覆うと共に彼自身の身体を変えていったら。その姿は大きな亀のように見えた。

「威嚇のつもりですか?」

 泰親が、玄武をキッと睨みつけた。

「威嚇だと思うか? 貴様など潰すかひと呑みで終わらせてやる」

 巨大な亀が祠を庇うように暴れた。確かに僅かでも触れれば吹き飛ばされて潰されるか、その身体の下敷きにでもなりそうな勢いだった。加えて、口から容赦なく吹き出す冷気が周りの草木を凍らせていった。その陰に隠れながら、旬介と戦った子が身を震わせ、逃げながらその様子を見つめていた。寒くて、吐く息は白く凍っていた。

「こんな術まで使えるようになっているとは、驚きましたよ。けどねえ、私には子供騙しだということを教えて差し上げなければなりませんね」

 暫く交わしていただけの泰親の目が細くなると、彼の身体が巨大な般若とも鬼とも呼べる怪物のようになり、玄武ごと祠を叩き潰した。

 術の解けた玄武が、祠の残骸の上で動けなくなってしまったのを笑いながら、泰親の化けた鬼がそれを指で摘みあげた。そして、それに向かって

「実に貴方は不味そうですね」

 と呟いた。

「くっ……くそが」

 呻くように玄武の口からそう漏れたが、それを泰親は無視して彼をその場にぽとりと捨てた。

「貴方を今この場で食べてしまうのは簡単です。しかし、富子さんが開放されるのを邪魔されては困るので貴方を殺すのはまたにしましょう。でないと、葛葉さんがどう動くかわからない」

 玄武は何となく察した。

(こいつは、消滅させられることを恐れている……という事か)

 確かに、泰親だけなら五霊獣の法を使うまでもなく、消滅させることも葛葉であれば容易いであろう。寧ろ強靭な悪霊であるというのもあるが、泰親と富子が封印で済んでいるのは晴明の母であるからという事実が大きい。晴明がこの世に居ない今、封印で済ませておく必要などないのだ。

(こいつは、自分の立場をわかっていると言うことか……)

 なんとなくぼんやりとした意識の中で、玄武は泰親がその場から離れていく様子を見ていることしか出来なかった。やがて遠くから甲蔵の姿が見え、何故ここに来たのかと問おうとして意識が消えた。

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