愛犬はブルーアイズ

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6.ライオンと鹿

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 それから俺たちは、金が無いというクリスのために顔を合わせれば一緒に食事をするようになっていた。

 常勤の俺は週のほとんど出勤してきているから、週三回のクリスのシフトのたび毎回だ。もともと自炊をする方だったからクリスの分を多めに作るだけだけとど。

「はあ、でも正直助かった」

 今月は二人分の食費で財布の中身にヒヤヒヤしていたが、給料が出たらクリスは真っ先に食費を渡してくれた。
 手間賃とか言って多めに渡してきたからそれは断わろうとしたんだけど、二人で話し合って折り合いのつく金額を決めた。

 クリスがうちの店に来てからもう一ヶ月になる。ただでさえ目立つ容姿や人種の壁なんてもろともせず、クリスはあっという間に店に馴染んでいた。

 俺はキッチンで食器を洗いながら、カウンター越しに、まじまじとホールで接客をするクリスを眺める。
 日本人向けのシャツは身体に合うものがなく制服合わせは苦労したらしい。最終的にはシャツの襟ボタンを二つ外して腕まくりをするスタイルで定着したようだ。

 同じ制服を着ているはずなのに、自分が着るとコスプレのように見える制服も、クリスが着ると本場のギャルソンみたいだ。

 左手の指先で支えるトレイの持ち方も、長い脚で颯爽とテーブルからテーブルへと渡り歩く姿も、はっきりいって他のスタッフとは比べられないほどさまになっている。

 クリスの隣のテーブルで注文を取るバイトの大学生だって決して顔もスタイルも悪いわけじゃない。むしろうちの店はイケメンといわれる部類の男子がそろっていると思う。

 自分で言うのもなんだが、俺だって普通の日本人の中にいたら背が低いわけではないし、容姿も整っていないわけではない。

 だけどクリスと並んだら見劣りどころか同じ種族の男には見えない。きっとライオンと鹿みたいに見えるに違いない。

 バイトの大学生が応対するテーブルの若い女性客も、さっきからちらちらとクリスの姿を盗み見ている。

 草食男子なんて言葉が流行したことがあったが、実際クリスのような長身で筋肉質なイケメンを前にすると大抵の女性は力強い雄の魅力に虜になってしまうらしい。

 今も女性客に何か話しかけられたクリスが二、三言葉を交わすと、彼女たちはうっとりととろけそうな表情を浮かべていた。

「あの色男のおかげで店は繁盛だな」

 ぽんと肩に手が置かれ思わず肩が跳ねる。いつの間に後ろに立っていたのか、店長の大場だった。

「色男って、まあ見た目はそうですね。あいつ中身はガキみたいですよ」

「はは、妬くな妬くな。お前だってイイ男だよ、その無愛想さを何とかすればな」

「はぁ? 別に妬いてるわけじゃないです、本当のことを言ってるだけです」

 俺にはあんな風に無駄に笑顔をふりまくようなことはできない。相手の女だってクリスの上っ面だけしか見てないじゃないか。
 俺の前でしっぽを振るクリスと今の彼はまるで別人みたいだ。

「ほら、スマイル。そこの色男を見習え」

「ひゃめてくらはい」

 大場に両頬をつままれ無理やり持ち上げられ、俺はじとっと大場を睨み付ける。

「オオバさん、カフェラテ二つお願いします」

 カウンターの向こうにやってきたクリスが大場にオーダーを伝える。それからこっちを見てにこりと微笑んだ。

「モリナギさん、どうですか? 今日はひとつもオーダー間違えません」

「そんなの当たり前だ、無駄話してる暇があったらホール回ってこい」

「はいっ!」

 初めのうちはつっけんどんな俺の言葉にいちいち小さくなっていたクリスだったが、最近では怒られ慣れたのか全く動じなくなっていた。それどころか何がうれしいのかにこにこと返事をしてホールに戻って行く。

「森永、お前ずいぶん懐かれたな。最近よく一緒に帰ってるんだろ?」

「あんなデカい男に懐かれたってうれしくないですよ」

 実際は一緒に帰っているだけではなく、クリスの為に飯を食わせてやっているのだけど、そこまで大場に話したらますますからかわれるに違いない。

「可愛くねえなぁ」

「俺は元から可愛くないっす。あー、忙しい。さっさとカフェラテ用意したらどうです?」

 大場の言う通り可愛くない返事をしながら、素直じゃない俺とは逆に、いつだって正直な反応が返ってくるクリスを思い浮べる。
 その一方で女たらしにも見える接客中の態度を見ていると別人のようで、どちらが本当のクリスなのか、騙されているのは自分の方ではないかと思ってしまう。

「モリヤギさーんっ」

 懲りずに俺のところにやってきたクリスの前に、大場がドンとカフェラテを差し出す。

「ほら、カフェラテふたつ」

「あ、はい」

 どうせ大した用事ではなかったのだろうけど、クリスはカフェラテを受け取るとホールに戻って行った。

「あいつ顔はいいんだけどな。さっきから森永森永ってなんだありゃ、やる気あんのか?」

 オーダーがひと段落したのか、大場はだるそうに流し台の横に寄りかかってあごひげを撫でている。

 大場にはそんな風に見えるのだろうか。俺には女性客に愛想よくしているところの方が目につくのに。

「クリスはちょっとアホなだけで一生懸命やってますよ。接客態度だっていいし、あいつ目当ての客もいるんじゃないですか?」

「ふうん、うざがってるフリしておまえもあいつのことが可愛いんだ?」

「可愛いとかそんなんじゃないですから、俺は別に頑張ってる奴が正当な評価を受けられないのは気の毒だと思っただけです」

「ふうん」

 大場はほとんどホールには出ないから、制服のコックコートのボタンを一つ外してだらしなく着崩している。
 そんな彼が流し台に寄りかかったまま腕を組んで、じっとりと面白がるような流し目を送ってくると凄みみたいなものがある。

「なあ森永、ここだけの話だが――」

 大場が声をひそめ、内緒話をするように顔を近づけてくる。

「あいつって実はゲイだったりして。お前って無愛想だけど美人だし、気の強そうな目元なんて堪らなく泣かせたくなる……なんて狙われてるかも」

「は、はぁ? いきなり何言ってんすか? つまんない冗談やめて下さい」

 男の自分が美人だなんていう自覚はないし、大場がそう思っていたのだとしたら驚きだ。
 近すぎる大場の顔から離れたいと思っても、泡まみれのスポンジと皿を持ったままでは腰を引くことしかできない。

「細せぇ顎だな。この生意気な唇が憎まれ口をたたくたび塞いじまいたい……とか思ってるかもよ?」

 大場の指が俺の顎に伸びてきて、ぎくりと肩に力が入る。冗談にしては大場の目が怖い。
 そう思った瞬間大場の身体がぐらりと後ろに大きく揺れ、顎から大場の手が放される。

「ミスターオオバ、オーダーをお願いします」

 大場の後ろに、大場の肩に手をかけた彼より頭ひとつ分大きいクリスが立っていた。
 クリスが注文伝票を差し出すと、大場は面白くなさそうに受け取る。

「今日もモリナガさんの手料理食べたいです、お家にいってもいいですか?」

「あ? ああ、いいけど」

 毎回バイト帰りはうちに寄っていくくせに、なんでわざわざそんな話をするのか不思議だったけど、すこし硬い表情をしていたクリスがそれを聞くと満足そうに笑った。
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