EDGE LIFE

如月巽

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Case.03 Game

東都 中央地区α 二月二十四日 午後七時十分

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 夕食時から少し過ぎているとは言えど、店内はそれなりに人が賑わっている。
 二つの店内用バスケットに食糧を載せつつ、疾風は鮮魚売場を覗き込む。
「夕飯、どっかで食って来るべきだった…」
 日々と請負業務に追われて外での食事が増えていたことも相まって、久々に夕食を作ろうと冷蔵庫を開くと、食糧がほぼ尽きていた。
「今更だよなぁ」と一人ぼやきながら魚の開きを入れる。
 日用品と食糧を別にしてカゴへ入れているが、店に来てまだ半分も進んでいないという状態で、上のカゴは既に四分の三程が埋まっている。

─能力者は超人の様に思われる事が多いが、力を発症させなければ一般人と変わりはない。
生活の為に働き、時に病に臥せることもある。
空腹状態の男が二人で買物に出れば、この状況になるのは簡単に考えつく筈なのだが、判断力が鈍っていたとしか言えない。

「…ま、たまにはこんなのも良いか……」
 一緒に暮らしてはいるが、日常での職種や趣味が違うことがあり、日常生活で同じ時を過ごす時間はそこまで長くない。
子供の頃よりは一緒にいる時間は伸びたが、それでも今の様に二人で買物へ出るのは本当に稀なのだ。
「どうかしたのか?」
 別の売場から戻ってきた疾斗の問いに軽く首を振り、下カゴへと入れられる酒瓶を見送る。
 雑誌で着飾り写る彼を知る人間は少なくない筈だが、今はレンズ越しに見る両眼の色が変わっている。
その上、紺色のジーンズに真っ黒いパーカーという出で立ちだからなのか、人の目は引けども他人と思われているのか話しかけられるまでには至っていない。
「気付かれねぇモンだな」
「気付いても[人違い]と認識してる事もあるだろう。実際に動いているのを見た事なくて、視界情報だけしか頭に無いと、先入観が勝つ」
「なるほど、確かに写真と目前の人間がまるっきり違ってたら最初は疑うわな」
 酒の肴になりそうな惣菜を見ようとカートを押しつつ声を落とす。
 夕飯時を過ぎているからか棚にはあまり残ってはいないが、目を引く色味のシールが貼られているものもいくつか残っている。
 カゴの中身と似たような物を買わぬよう確認し、パック詰めされた揚げ物へ手を伸ばすと、白い手が同じ物へと伸ばされた。
「っと、失礼」
「あっ、いえ、大丈夫です!私、こっち…に…?」
 先に手をカートへ戻した疾風に遠慮を見せた娘が顔を上げ、不思議そうに見つめてくる。
「…新堂さん、髪染めたんですか?」
「は?」
 突然の問いに思わず問い返しの音を落とす。 
 先日の依頼で実弟と入れ替わって南都に行った際には紫髪に染めたが、それは一ヶ月ほど前の話だ。
今の緑髪は地毛なのだが、飲料瓶の底のような分厚い眼鏡を掛けた女は此方を見ている。
「兄貴、他の邪魔に……倉井?」
「ふえっ?」
 人の密集地帯から少し離れた棚を見ていた弟が軽く目を見開き、倉井と呼ばれた女は驚いた様子で自分と弟の顔を交互に見る。
「知り合いか?」
「仕事仲間だ。事務所は違うが」
「……想像つかねェ」
 思わず音に出してしまい、手の甲で口を抑える。
 彼女の掛ける眼鏡もそうだが、アースカラーで纏められたシンプルなパンツスタイル。
色素の薄い髪を二本のゆるい三つ編みに結っており、化粧っ気もない。
 少々の後ろめたさを思いつつ左目に軽く意識を向け、眼鏡の下に隠された顔を透過して見れば、疾斗の言葉の意味を理解できた。
「…え、と…前、言ってた…お兄さん、なんです、か?」
「どーも新堂兄です。弟が世話になってます」
「は、初めましてっ、間違えてしまって申し訳ありません!」
「…会計してからにしろ、詰まってる」
 珍しく表情を崩して溜息をつく呆れきった様子の疾斗がレジの方を指し示す。
 妙な視線に目だけを動かして周囲を見れば、妙齢の女性方が割引の高い商品を狙うも届かないのか、此方へ冷たい目を向けている。
 互いに取ろうとした惣菜を倉井のカゴへと有無を言わさず入れ置き、自分達へは別の物を放りこんでショーケースを離れれば、待っていたと言わんばかりに人が雪崩れた。
「夜のお惣菜売場って、魅了上手な魔物いますよね…」
「…俺には雪崩れた人の方が魔物に見えるが」
「ゲームだと魅了で踊らされちゃってる人、的な?」
「一番厄介な奴だな」
「レジ行け言っといて話に興じるな」
 人山を見る二人へ眉を顰めて呆れ笑い、振り向き片眉を上げた疾斗と慌ててカートを進める倉井と共に会計場へと向かう。
 ゲートへカートを通せばすぐ会計になるシステムだが、最後の割引を狙っていた人間が一気に並んだのだろう、既に人で溢れている。
娘が先順になるよう列に並び、他愛ない雑談を交わしていれば、倉井の頭が何度となく見比べるように動く。
「どうかしたのか?」
「はぇっ!?新堂さ…えと、ハヤトさんとお兄さん、目と髪以外は鏡みたいだなーと思いまして……」
「俺らは一卵性なんでね。コイツが俺に間違われる事もありますよ」
 疾斗の肩を叩けば、迷惑げに息を落とされ目を逸らされ、それにすら驚いた様子で娘は再度顔を見比べる。
列が進み、一歩一歩と足を進めるたびに此方を見上げてくる。
 間もなく自分達の会計になる所で漸く前を向くも、何事かを整理しているのか、聞き取りきれぬ程の音で何事かを呟いている。
「……で…、かな………」
「倉井」
「…でも……じゃ…」
「おい、倉井」
「新堂さんっ!!」
「「っ?!」」
 考えに没頭していたらしく、疾斗の呼びかけに気付かず振り向いた倉井の声に思わず慄く。
「この後、少しだけお時間いただけませんか?ちょっと聞いて頂きたいコトが」
「聞いてやる」

だから早く前に進め。

 無言の圧力に耐えきれなかったらしい実弟は、娘の言葉半ばで返事をして背を押し会計ゲートへと向かう。
 苛立った様子の会計客にゆるりと頭をさげ、隣の会計場へと足を進めた。



──────────


「─つまりなんだ、その[ハルさん]の態度がおかしい日があるって事か?」
「はい。ハルさん、確かに元々熱くなりやすい人ではあるんですけど、ここ最近のサバゲとかは酷くて。口調とか動きが荒い気がするんです」
 大皿に盛っていたペスカトーレを倉井の皿へパスタトングで分けながら、疾風はその言葉に首を傾げる。
 会ったこともない人間の状況を聞いただけで判断するのは難しいが、趣味と仕事で二面性が出ること自体は特におかしい事ではない。
 職種が違う自分には回答し難く、疾斗の皿を受け取りながら目配せをすれば、思い当たる節があるのか視線が天へ向く。
「…確かに悪態吐くのは初めて見たな」
「こないだ仕事でやり合った時もか?」
「いや、あの日は特にそんな様子は。いつも通りの青山だった」
「最近は別のお仕事も始めたとかで。ちょっとお疲れ気味みたいですけど、ちゃんと話や相談も聞いてくれます」
「お疲れ気味ねぇ……」

様子がおかしいと思ったその日、倉井自身は本人にそれを伝えようとしたが、その当日の帰路はあまりに苛立っている[ハルさん]こと青山に近付く事が出来ず伝えられなかったと言う。
文章で伝えようにも、意味合いが捻れてしまうことを懸念して送ることもできず、兼業手続きの為に三日程空いてしまい、日数が経つうちに話すタイミングを失ってしまったらしい。

 話を聞くだけの自分からすれば、疲労から自身の本性を隠しきれなくなっている様にしか思えない。
しかし、毎日ではないにせよ、その人物を見る機会のある人間二人が不審に思っている現状、それが愚案なのは目に見えた結果でもある。
 具材とパスタをフォークに絡め、大目に巻いた一口を口へ運びながら疾斗へ眼を向けると、携帯端末を確認している。
 その内容を見ることは出来ないが、彼にとって何か疑問があったのか、首を傾げつつ口に入れていた食事をあまり噛む様子なく呑みこんだ。
「…倉井。青山が最近体調崩したりはなかったか?」
「えっ?いえ、特にそんな話は聞いてないです。顔色が悪かったとかも無いですし」
 唐突の質問に戸惑いながらも返された解に、実弟は再度首を傾げる。画面を見直しながら黙々と野菜を食べ始めた彼に呆気に取られた倉井が此方を見るも、疾風にもその行動がよく分からない。
 横目で疾斗を確認しつつ、「冷めきる前に」と言葉を添えて苦笑を見せる。
 あまりにも黙り込んで食べ続ける彼に呆れつつ、時折雑談を交えて食事を進め、メイン料理を腹に収めた所で漸く疾斗が顔を上げた。
「お前な、自分の後輩にほっといて携帯見てんじゃねーよ」
「すまない。から青山の件で連絡が来たんで、つい」
「ハルさんのことですか?!」
 リーダーの名を聞いた倉井が前のめりに尋ね、その勢いに少々押され気味になりながら、疾斗が数度頷く。
 誰なのかを告げずに話すという事は、樹阪からの案件に絡んでいる人間からの連絡だろう。
「…こないだゲームした時に、青山の声が妙に低かったのが気になったらしくてな」
「そう言われれば、確かにいつもよりハルさんの声低かったですね。喉痛めてたんでしょうか…」
ヤロウだったら低い声なのが一般的じゃねえの?」
 空いた食器を纏めながら、不可思議な会話に何気なく問い掛けを投げてみれば、二人は顔を見合わせて目を数度瞬かせる。
 何かおかしいことをいっただろうか、と疾風が首を傾げて肩を竦めてみせれば、「そういえば言ってなかった」と疾斗が頬を掻いて苦笑した。

「青山は女だ」

「…は?」
「見た目も体格も中性的で、公式に性別の発表はしていないんだが」
「どちらの仕事も受けられるオールラウンダーさんで、私の所属事務所の大黒柱さんなんですよ」
「へぇ…」
 疾斗の端的な説明へ嬉しげに言葉を付け足す倉井の様子とは反対に、勝手に男性と認識して聞いていた疾風からは間の抜けた音が喉から抜ける。
 元々衣服に対しての興味が薄いため、ファッション雑誌も実弟へ届く献本で見る程度だ。被写体として写る人間を観察する事など全く無いに等しい。

 今の話の流れから察すると、声も元々ハスキーな方と仮定が出来る。
二人の話しているその日については、元以上に低音だった事に加えて粗暴な印象があった、という事なのだろう。

(……入れ替わり、か?)
 数ヶ月前に起きた、影を使う能力者の時と同じように。
 そう仮定したところで入れ替わっている動機がまるで分からない上、ただ似ているだけで入れ替わっているとしたら、二人だけではなく、ほかの者達も違和感を感じて相手に問うはずだ。
 それがない、という事は倉井以外に何かを思った人間が居ないということだろう。
「兄貴、能力者に──」
 何かを問いかけようとした疾斗の声が、携帯端末からの呼び出し音にかき消される。
 面倒げに画面を確認し、不思議そうな表情で通話を始めた実弟の表情が崩れたのは、その数分後だった。
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