EDGE LIFE

如月巽

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Case.05 奪回

海上 同日 午後九時十九分

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勝者の咆哮。敗者の啜泣。
波に乗る者。溺れゆく者。
歓声、悲鳴、罵声、制止。

 ルーレットのホイール・ヘッドが廻り始め、盤面の回転とは反対向きに金属の球がボトムトラックをはしれば、賭けた番号スポットを追い回す物欲塗れの視線達。
 遠心力を借りたボールは弾かれ転がり、赤く塗られた【7】のポケットへ収まれば、新たな歓喜と悲哀が満ちる。

極東国での賭博は決められた施設以外では禁じられてられており、現在許可されている政都内に大型賭博遊技場カジノのみ。
しかし、其処は海外客や政都に暮らす人間に向けて作られているため、一枚のチップでさえ高額で一般職の人間どころか、政都以外の政治家達ですら気軽に遊べるような場所ではない。
 一部のγガンマΦファイエリアには非合法の賭場もあったが、指定暴力団・飛伽ひが組の解体が相俟ってその存在もほぼなくなりつつある。

許可が必要である筈の賭博が、何故ここで行うことが出来るのか。
その主な解は、今いるこの場所がであることが関係する。

 極東国では国が所有・管理する水域で船を停泊していても、陸地から離れた時点で国外と看做みなされている。
そのため、何処で誰が視ているかも解らない陸地とは違い、外部からの人目も圧倒的に少ない。
まして此処は貸切となっている客船。見ているのは警備員と監視カメラくらいだ。
 最低限の教養と常識さえ守り、余程の事をしでかさなければ、船から降ろされる事はない。
(事実上この場所は治外法権、って事か)
 学生時代に身内で敗者が食事代を持つ程度の遊びは経験した。本格的なギャンブルは今日で二回目になるが、手許のチップはまだ一枚たりとも使っていない。
 隣に立つElder Phantomメンバーの一人・北尾 水葉も、顔をこわばらせたまま、仲間から渡されたチップ入りのカップを持ったまま動かずにいる。
─否。動けなくなっている、と言う方が正しいのだろう。
 体調は回復しているようだが、欲を漲らせる者達に圧倒されているのが手に取るように判る。
「大丈夫か?」
「…平気。少し驚いただけ」
 淡々と言葉を紡ぐ声はやや震えており、僅かに合った目が明後日の方向へと泳ぐ。
 深海を思わせる黒青ピーコックと冴えるような花浅葱セルリアンのツートンに染めたミディアムショートの髪を緩く掻き上げ、ゆっくりと呼吸を整え始める北尾に苦笑し、その目前へ手を差し出す。
「良ければ、ご一緒させて頂けると」
「……わかった」
 天運に任せるようなゲームに手を伸ばす気は更々ないが、ディーラーの手癖はこの数分で確認した。担当者が変わらない限りは勝てるだろう。
 差し出した右手へレース編みの手袋に包まれた細い指先が乗せられ、歩幅を合わせて空いた席へと導く。ディーラーへ手持ちチップの数枚をテーブルへ置けば、娘も見様見真似で高額が書かれた架空コインを差し出す。
 大枚を叩く勝負師達の相手をしていたためか、出し渋るような小額交換にディーラーは僅かに眉を顰めるが、すぐさま口角を上げて同額相当にあたるルーレットチップのスタック20枚を二つずつ寄越す。
 所属事務所から託された資金を預かる北尾は気が気で無いのだろう、不安の色を隠しきれないままルーレットチップを受け取って此方へ目を向ける。
「……どう賭けるの?」
「とりあえずは赤か黒カラーに賭けておけ。配当は少ないがリスクも小さい」
 問い掛けへ静かに返し、スタックからチップを摘み四つの数字が並ぶ境のラインへと移動させる。
 ゲームでの敗北による損失を心配する必要はないが、同行人を負けに付き合わせるつもりはない。
 再度廻り始めた盤面の縁へボールが投げ込まれ、想いを馳せる勝負師達は各々の賭けたチップやスタックの数を増やしてゆく。
「追加しろ。[当たり]だ」
 密かに告げた声に反応した北尾がチップを足すと同時、ディーラーがチップの受付締切を告げる。
 スポットを区切るデフレクターの上、球は不規則な音を立てて転がり彷徨う。

これはに過ぎない。

 個人で待機するだけなら、負け続けていても気にはしない。だが、隣で惑う新人アイドルが預けられている金を悪戯に減らさせる訳にもいかない。
 軽やかな音を立てて黒塗りのスポットに落ちたボールを確認し、ディーラーがマーカーで当選番号を告げれば、落胆と歓楽の声がまた湧く。
(上手くやってくれると良いが)



──────────



 頭上から微かに聞こえる音が気になる。
 辺りを見回し、柱に設置された船内案内図と自身の所在地を確認すれば、賭博遊戯場の真下にいるらしい。
 金欲と快感に会場が沸いているのを見計らって抜け出したが、この分なら気付かれて居ないと考えて良いだろう。防音設計とはいえ、一間ひとまに多くの人間が固まっていれば、一番近い音は多少なり聞こえる。
  進行役が一人居なくとも人の数は足りているのだ、現に上階は問題なく動いている。
 船員の中に王司のような観察眼が良い者でもない限り、騒ぎになる事はない筈だ。
(カジノで動く金の心配をしたな、警備が薄い)
 監視カメラの位置を確認しつつ死角を進み、貨物室を目指して人目を掻い潜る。

 当初、今日の窃取ショーを担当するのは依頼主の一人・志鐘だった。
 彼女達が其々各々が独立したアイドルであれば問題ない。しかし実際には三人一組で売っている。
 陸地だけであれば交代で行動しても誰かどうだと机上論争で終わり、船旅一日目に一人欠けているくらいであれば、慣れぬ船旅で船酔いしたから居ない、で済むだろう。
 だが今日は二日目。前日に元気だった別の人物が欠けているとなれば、勘のいい人間は怪しむ可能性がある。船としては広くとも、行動範囲自体は限られている以上、万一疑いをかけられて集団圧力にでもなれば、を切り続けるのは難しい。
 そうなれば目当ての品々を手に入れる前に捕縛され、表も裏も活動するのは絶望的だろう。

 依頼人達が義賊めいた事をしている以上、諦めるよう説得するのが一般論だ。しかし、ここだけ諦めてもらった所で、内地に戻ってから繰り返されるのも目に見えている。
未荻を含めた四人の活動を踏まえたうえで、船上での奪取役の交代を申し出た。
(上手くいくと良いが…)
 護る事はあれど、奪う側の経験は皆無。
 着慣れぬ上衣の感覚と視界を狭める仮面の煩わしさもあり、自分で自分に行動制限を掛けてしまわないかと僅かな不安が過る。
 目前に見えた貨物室を確認すれば、予告時間が迫ることもあり警備員の数は多い。
 手元には未荻に渡された催涙手榴弾が有るが、前回も含めて彼女達は同じ手を使っている。
今回の犯行は対策をしていないとも限らない。
(……実力行使といくか)
 片目へ僅かに意識を傾け、目的地へと近付く。
 人工石の床の上、わざと足音を立てて歩めば、更に誇張するかのように反響する。
 耳に届いたであろう異常に反応した視線が一斉に向けられたと同時、を開放した。



──────────

「こ…こわかった………」
「よく頑張った、何か飲むか?」
「お水……」
カップから一枚取り出そうとする手を包み留め、バーテンダーへ注文を入れる。
 冷えたグラスへ注がれた水が出されれば、酒のように一息で呷り飲んで息を落とした。
「……大丈夫かな」
「俺もあいつも一応はプロだ。少しは信用してくれ」
 掛けられた時計を確認すれば、二十二時を示すため、秒針が残り二周を走り出している。
 時間迄に何か有れば、耳に付けた緊急連絡用イヤーカフスに反応がある筈だ。今の今迄に何もないとなれば特に問題は起きていないのだろう。
 船内とは思えぬ煌びやかさと遊戯品質に呑まれ、一角離れているこの場所から左眼を通して視れば、大量の高額チップが動いているのが文字通り
(まさかこんな形で報復になるなんてな)
 下卑た笑いを上げる豪遊者の中には、先日の依頼後、報酬支払時に請負業を嘲った金野の姿。思わず上がりそうになる口角を抑えようとスティンガーを呷れば、図ったように照明灯が落ちる。
 唐突な闇に場内は騒然。船内放送が待機と予備電源切替を案内する中、北尾も驚いたのか反射的に疾風の服袖を引く。
『──疾風、金野光三ターゲットは』
「昨夜俺らが居たテーブルだ」
『了解』
 声を落とし返答して数十秒。照明が僅かに明滅し明るさを取り戻したと同時。
「だ、誰だお前は!?」
紺地の燕尾服に身を包み、長い黒髪に目元を隠す白い半仮面。
 招かれざる客が緑髪の政治家の前に立ち、恭しく頭を下げる。
「初めまして……いえ、正しくは、ですね。金野光三さん」
「な、なにを言って、んぐ?!」
わたくし、狙ったものは必ず戴く主義ですので」

旧国時代のティーカップ、いただきました。

 金野の口へ予告状の片割れとなるカードを咥えさせ、電子機器を通した声は嗤う。
 突入してきた警備員を確認したと同時、実弟は弾かれた様に窓硝子を割ってデッキへと飛び出す。
 捕らえようと躍起になる船員と、怪盗を一目見ようと野次馬化した客で場内は騒然。
 警備員達が一人、また一人と隙間を縫い抜けてゆくも、軽やかに疾る怪盗の姿は既に見えず。
ゆっくりと左目に意識を集中すれば、壁は視界から失せ、船尾に立つ疾斗を捉える。
 追いつく警備員へ怪盗として何事かを呟き、変形させたカードを投げると、その身は暗い闇へと消えていった。
「だ、大丈夫、なの…?」
「あー…多分予定通り、海に落ちたな 」
「よて……?!死んじゃう」
「大丈夫だ、明日の朝にはちゃんと居っから」

 
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