EDGE LIFE

如月巽

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Case.05 奪回

海上 五日目 五月十九日 午前七時三十六分

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「───だめだ、これでは足りない」
 紙幣カウンターへ通した大枚を一〇〇枚単位で区切りながら、未荻は深く息を吐く。

 事務所が用意出来た金額は三百万。
 一人の元金は百万と少ない方ではあったが、一回あたりの賭金を釣り上げていれば、それなりの金額が出来ていた筈だった。
机上の計算であったにせよ、元金から二倍程度にしかなっていないのは、あまりにも誤算が過ぎる。

「……何故もっと稼げなかった」

 俯き続ける三人へ問いかければ、皆一様にひくりと肩を震わせて息を呑む。
 北尾は青褪めたまま顔を伏せ、志鐘は服裾を握りしめて唇を喰み、目を泳がせている。

「事務所が持たせてくれた元金が足りなくなれば、私が出すと言ってあっただろう」
「……高い金額、賭けるのが、怖かったんです」

 震えながら絞り出された王司の言葉に二人が頷き、思わず顔を顰める。

 賭場で大金を賭ける。そんなことはよくある話だ。
 躊躇ためらいなく勝負をしていけば、「若造が」と侮る者達の見る目も変わり、上手くすればこの場限りの協力者を得ることも出来ただろう。

 既に犯罪の域に手を染めている身で、金如きで恐怖を口にするとは。

「お前たちが[怪盗として盗むのは嫌だ]と言ったから、カジノで稼ぐ事にしたんだ。こんな金額では、手が出せないのは解っていた筈だろう」
「っ今まで頂いた私達のお給料も足せば」

「端金を足したくらいで足りる訳が無いだろう!」

 志鐘の提案を反射的に否定し、怒りを机にぶつけて声を放てば、三人は竦み、深く頭を下げて意味の知れぬ謝罪を羅列する。


 奪われた物を奪い返したい


そう願われたから手を貸していると言うのに、こうも不甲斐ないとは。
 再度湧き上がってくる憤懣ふんまんに手を握り、再度言葉を放とうとした瞬間。

「失礼するぜ、御依頼人」

 低く通った音に扉を見れば、トランクケースを携えた緑髪の請負人の姿。

「女性しかいない場所にノックも無く入るとは、貴殿は基本マナーさえ知らないな」
「何回もノックしたんだがな。ま、あれだけ怒鳴ってりゃ聞こえねェよな」
「……気付かなかった事は謝る。しかし、今は彼女達には解ってもらわねばならない話をしている最中なんだ。後にして」
「さっきの何処が話だ、ヒステリーの間違いじゃねェか?外まで丸聞こえだったぜ」

 わざとらしく溜息を吐いて見せる新堂の返事に、未荻は口を塞ぐ。
 態度自体はマンションで顔を合わせた時と変わらない。
しかし、足音も静かに近付く男の、眼鏡の下に見える緑眼へ浮かぶ感情は読めない。

「…王司に北尾、それと志鐘だったか?全員がウチの依頼人なのは重々解っているンだが、少し未荻サンだけと話していいか?」
「え?」

 実弟だというHAYATOに似た、柔らかな笑みに口許を変え、その声は身勝手とも思える提案を紡ぐ。

 正攻法で目的物ターゲットを手に入れる事が出来るのは今夜だけだ。
 時間もないのに、この男は作戦を立てる時間を割けと言うのか。

 意見を求めるように向けられた三人の視線を受け、拒絶しようと未荻が再度新堂へ目を向けて、息を呑む。

 表情の変化はないが、明らかな怒気を帯びている。
 完全に、自分へ向けられて。

「互いに気を揉んでる状態で話した所で、マトモな解決策は出ねえだろ?」
「でも…」
「………いや…。ちょうど私も、彼に話があったんだ」
先程の件は、また後にしよう。

 これまでに当てられた事のない威圧感に、本来の解とは真逆の言葉を吐く。
 未荻は王司に笑みを作り退室を促せば、北尾達と顔を見合わせながら一礼して、扉の外へと消えていく。

「身の置き場も何もねえ場所で稼いでたんだ。労うなら判るが、怒鳴るのは違うんじゃねェの?」

 胸に燻っていた怒りが成りを潜め、激情に熱くなっていた頭が冷えた未荻は、新堂の淡々とした言葉に頷く。

(確かに、完全に私が悪かった。……しかし、気付かされたのが、よりによってこの男とは)

 心の何処かで「大金を稼いで来るだろう」と根拠のない自信を彼女達に課していたらしい。
 ディーラーとして忍ぶ自分の稼ぎもあるため、あんな責める必要はなかった。
 怯えさせてしまった少女達への反省の念と同時、諭された相手が目前の男である事に、酷い苛立ちが胸を灼く。

「あんな子供に何させてんのか解ってンのか。マトモな大人がやらせる事じゃねェ」
「……に加担している貴殿に言われたくはない。汚れ仕事も暗殺も請けるような人間に!」

 金さえ積まれれば人道を逸脱した行動すらもやり遂げる様な者に、真面か否かを言われる筋合いは無い。
 行いを否定された事で反射的に新堂の胸元を掴んで吐き捨てれば、彼はその目を僅かに見開いて鼻で笑う。

「何がおかしい?!」
「いや。図星突かれて怒鳴るまでは予想してたが、こうも簡単にボロを出すなんてな」
 まるで見下すような物言いに沸点は振り切れ、空けていた片手を握り込む。
 捕らえたままの身体へ渾身の力を見舞おうとした瞬間、何かに拳が払われ、身体は壁へと打ち付けられた。

「……っく…」
「俺が殺しの仕事を請けられるのを知ってンのは、同業者と関係機関、政都のお偉いサンくらいだ」


 眼前に向けられたナイフの刃のような鋭さを持った声が、耳を刺す。

「き、貴殿が何を言っているのか理解に苦しむ」
「この後に及んで何シラ切ろうとしてンだ」


政都請負業務監視調査機関プル・ファング機関員殿。


 身体を起こそうと床に着いた左手が踏み留められ、やや変形したトランクケースが置かれる。

「な、なぜ……」

 背を伝う汗のせいか、全身が冷えてゆく。
 無感情な緑眼に生気が呑まれていくかの如く、呼吸ができなくなる。

「そりゃ俺らが聞きてェな。一体何考えてこんなややこしい事してんのか、洗いざらい吐いてもらうぜ」





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