路地裏のアン

ねこしゃけ日和

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 小白はムカムカしながら二丁目に向かった。
 先ほど桐乃の言われた言葉がリフレインする。それを必死に振り払いながら小白は空き地を探した。
 空き地は二丁目の端にあった。住宅街から逸れた行き止まりに家が五軒ほど建っているが、その内三軒は空き家になっている。
 その空き家の間に件の空き地は隠れていた。近づくまで隣の家の塀や建物で分からないのでこの町に住んでいても知らない者がほとんどだった。
 雑草は生えっぱなし。家を解体した時に出た廃材も置きっぱなしで、そこに不法投棄の家具が並び、小さな城を作っていた。
 小白がそれを外から眺めていると茂みの中から議長の声が聞こえた。
「おや。来ましたね。さあさ。お入りなさい」
 小白は少し躊躇ったが、それでも勇気を出して自分の背丈ほどある茂みの中に入っていく。背の高い草をかき分けて進むと廃材と廃家電の城に辿り着いた。
 だが入り方が分からない。
「そちらの洗濯機が入り口となってます」
 小白は足下に転がっていたドラム式洗濯機を見つけた。恐る恐る中を覗いて見ると中は空洞になっていた。小白は小さな体を中に滑らせ、洗濯機の中を通過した。
 ぷはっと息を吐くと共に出るとそこは小さな議事堂になっていた。
 段ボールに鉄パイプ、買い物かご、鉄鍋、本棚に蓋のない炊飯器。他にも様々な物が並び、積まれ、議事堂を形成していた。
 天井は倒れかけた冷蔵庫を靴箱やタンスが支えている。高さがないので小白は立つことができず、野球帽のてっぺんにある丸い突起が冷蔵庫に触れていた。
 議長は画面の割れたブラウン管テレビの上に呼び鈴を置いて座っている。見知らぬ少女の来訪にその場にいた他のねこ達がざわつく中、議長は呼び鈴をポンポン叩いた。
「静粛に。静粛に」
「おい。議長。なんだいこの子は?」
 サングラスをかけた大きな茶色いオスねこが眉をひそめた。議長は答えた。
「お答えしましょう。ミスターグラサン。この子は今日の議題です」
「この人間の子がかい? おいおい。勘弁してくれ。せっかく居心地の良い場所を見つけたって言うのに。人間が来るとろくなことにならねえ」
 グラサンは肩をすくめてヘルメットにふんぞり返る。
「人間の子が議題なの?」
 ビーズクッションに座ったメスのシャムねこは小白をじっと見つめた。
「ええ。そうです。マダム」
「あら。それはとても楽しそうね」
 マダムが面白がるとグラサンはケッと悪態をつく。
 その横で耳をぺたんと伏せた灰色の丸いねこがおどおどしながら口を開いた。
「ええっと、ボクはその、いいと思います。議論の幅が広がりますから」
「マック。そう言ってくれるとありがたいです」
 マクドナルドの廃棄を食べて太ったマックは「よかった」と嬉しそうにした。
 しかし髭とまつげの長く、片目が傷で塞がった老いたぶちねこはツギハギだらけのせんべい座布団の上で小白を睨んだ。
「わしは同意しかねる。ここはねこの議会である。有資格者はねこに限定すべきだ。場合によっては総括すべき案件であるぞ」
「まあまあ。同士さん。それについてはこれを見てからで」
 議長は緊張する小白にウインクした。小白は頷くと躊躇いながらも野球帽を取った。
 帽子の下にあったねこの耳を見て一同目を丸くする。
「こいつぁ驚いたぜ」
「まあ。とてもステキな耳だわ」
「ええっと、ボクはその、資格があるかと」
「……なるほど。議長がここに連れてきた理由は理解した」
 議長は満足げに両前足を広げた。
「ホッホッホ。それでは議論を始めましょう。議題はズバリこの子はねこであるかどうか、です!」
 それを聞いて小白が手を上げた。
「はい。うちはねこ」
「なるほど。本人はそう言っています。ではみなさんどうでしょう?」
 マダムはニコリと笑った。
「あら。ねこの言葉が分かるの?」
「わかる。なぜならねこだから」
「でも言葉は人間の言葉なのね。わたくし達ねこは人間の言葉を理解できるけど話せはしないの。逆なのね」
 その指摘に小白はばつが悪そうに耳を伏せた。
「それは……練習してないから…………」
 するとマックが笑いかけた。
「ええっと、ですけど、普通の人間はねこの言葉を聞くことも話すこともできません。ボクらがなにを言ってもニコニコするだけです。ええ。たとえ暴言を吐かれていても」
「そうね。ならやっぱりねこなのかしら」とマダム。
 するとグラサンが眉をひそめて首を捻った。
「どうだかねえ。第一オレたちゃねこは四つの足で歩くのが普通だ。でもお嬢ちゃんは二本しか使えねえじゃねえか。この点は明らかに劣っているぜ」
 小白は痛いところを突かれてしゅんとした。
「…………それも練習する」
「練習してできるもんかねえ。こちとら生まれた時から四足歩行だぜ」
 小白が俯くと意外にも同士が口を開いた。
「グラサン。それだと矛盾が生じる」
「おっと。それはなんだい? 同志諸君?」
 グラサンはからかうように尋ねた。
「わしには足を怪我した知り合いがいる。そいつは車にはねられて足が三本しかない」
「ご愁傷様。車はおっかないからな。でも三本ある」
「ああ。だがそいつがもう一本足を失ってもねこであることに変わりあるまい」
 グラサンはぐっと言いよどんだ。自分の前足を見て納得する。
「……たしかにな。オレの足が全部なくなっちまってもねこじゃなくなるわけじゃねえ」
「その通り。だがだからと言ってその子がねこであるというわけではないがな」
 同士にそう言われ小白は反論した。
「うちはねこだが」
「自分で言っているうちは意味がない。本当にねこなら誰もがそう認めるはずである。才能と同じだ。自称に価値はない」
 すると壊れたノートパソコンに乗っていたマックが前足を上げた。
「あの、いいですか? それだと言葉についても思うところがあります。昨今、人間の間でははこねこというアニメが流行っているんですが、それはねこなのにねこと言うんです」
「それが?」と議長は聞いた。
「ええっと、つまり、人間はねこの姿をしていればねこと判別します。四角くても、ねこと言っても。どちらもねことしてはあり得ないけど、ねことして受け取る。なら彼女もまたそう考えてもいいのでは? ねこの言葉を使えなくてもねこの耳を持っていればねこ的な扱いを受ける権利は有する気がします。ええ。私見ですが」
 マックの意見に小白は何度も大きく頷いた。
「いいこと言う」
「ええっと、恐縮です」
 喜ぶマックに同士は冷たく告げた。
「だがそれは人間から見てだ。ここはねこの議会である。ねこの視点で議論すべきだ」
「ええっと、それはまあ、そうですけど……」
 マックはたじたじになってノートパソコンについたリンゴのマークをふみふみした。焦った時の癖だった。
 議長はふむと唸り「マダムはどう思いますか?」と聞いた。
「わたくし? わたくしは正直どちらでもかまいませんわ。このむさ苦しい議会に女の子が増えるだけでも嬉しいですから」
「それだと議論にならない」と同士は苛立つ。
「ええ。だけどこうは思えないかしら? ねこと議論している段階で既にねこであると」
 一同むうっと唸った。マダムは普段お気楽だが、たまに感心することを言うねこだった。
「一理あるな」とグラサンは言った。
「でしょう」とマダムは微笑み、小白はうんうんと頷く。
 マックも嬉しそうにし、議論は終了かと思われた時、同士が口を開いた。
「いや、待て。そう簡単に決める話じゃない。これはねこのアイデンティティーに関わる問題である」
 同士はむっとする小白をよく観察して言った。
「お前、尻尾は?」
「…………ない。でも尻尾がないねこもいるから……」
「そうだな。なら肉球はどうだ? 前足を見せてみろ」
 そう言われ小白はギクリとした。そっぽを向いてもじもじする。
「ないのか?」と同士は眉をひそめる。
 小白は言いにくそうにしながらも呟いた。
「…………………今は、まだないけど…………」
「じゃあねことは認められまい」
 そう言われて小白は焦った。
「だ、だけどアンは言ってたから……」
「アン?」
 小白はこくりと頷いた。
「強くなれば肉球がもらえるって……」
「ふむ。アンが誰かは知らないが、それが本当ならねこになれるかもしれないな。だが、今はまだねことは認められまい」
 痛いところを突かれ、小白は口を尖らせて俯いた。
 さっきまでねこである方に傾いていた空気が一気に引き戻された。
 グラサンはサングラスをずらしてみんなに尋ねた。
「で? 結局どうなんだ? お嬢ちゃんはねこなのか? ねこじゃないのか?」
 同士は「どちらとも言えまい」と答え、議長を見上げた。
「そうであろう? 議長よ」
「ええ。そのようですね」議長は呼び鈴をボンと叩いた。「では結論は保留ということで」
 グラサンは「また保留かよ」と呆れた。
 しょぼくれる小白をマダムがなだめた。
「気にしないで。同士は堅物なのよ」
 マックも頷く。
「ええっと、ボクもそう思います。だってそんな耳の人間は見たことないですし」
 そう言われ、小白はさらに俯いた。マダムとマックは苦笑すると次の議論が始まった。
 議長が楽しげに告げる。
「では次の議題と参りましょう。ズバリねこの額は本当に狭いのか、です!」
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