H.E.A.V.E.N.~素早さを極振りしたら、エラい事になった~

陰猫(改)

文字の大きさ
6 / 16

第6話【リアルファイト】

しおりを挟む
 朝になって目を覚まし、今日も1日が始まる。

 だが、いつもの一日と何かが違う。
 まるで全てがスローな動きに見える気がした。

 まさかだと思うが、これもH.E.A.V.E.N.の影響だろうか?

 いや、ステータスが現実に持ち越されるなどと言う噂は聞いた事がない。
 仮にそれが事実なら筋力にステータスを割り振りしているプレイヤーがなんらかのの事件や騒動なんかを起こしている筈だ。

 ーーとなると、これは錯覚だろうか?

 そんな事を考えながら、俺は普段通りに仕事をこなす。
 感覚が鋭くなったからか、仕事もいつもよりもペースが上がっている気がする。

「坂田君。仕事が早くなったね?
 何か良い事でもあったのかい?」

 課長の大和北(やまとき)さんにそう言われ、俺は作業していたパソコンの手を止めると座ったまま課長を見上げた。

「そんな大層な事ではありません、課長。少し運動を始めた位です」
「へえ。運動かい。良いねえ。何を始めたんだい?」
「え、えっと、ボクシング?……になると思います」
「ああ。ひょっとしてボクシングエクササイズとかの事かい?
 あれは試した事がないんだけど、少しは効果あるかな?
 最近、また横に太くなっちゃってね?」
「あるとは思いますよ。結構、身体に来ますから」

 H.E.A.V.E.N.での運動になるけどーーとは口が裂けても言えないな。

 そんな事を思いながら、俺は哲の方をチラリと見る。
 哲も表面上は平静を装っているのか、それとも俺に思いをぶつけたからか、少し落ち着きを取り戻している。

 俺はもう一度、課長に視線を向け直し、他愛もない話をしてから再びパソコンと睨み合う。

 昼休みに入ると俺は屋上で焼きそばパンと緑茶のペットボトルで軽めのランチを取る。
 食後は昨日、H.E.A.V.E.N.でスズキさんから教わった事を反復してステップを踏んでシャドーボクシングを開始する。

「先輩」

 そんな風に練習していると女性社員から声を掛けられた。
 俺はその言葉で我に返ると注目を集めている事に気付く。

「あっと、ごめん。迷惑だったかな?」
「いえ。そう言う訳じゃないですけど、先輩の姿が様になっていると思って……」
「様になっている?」

 俺がおうむ返しにその女性社員に尋ねると彼女は面白い物でも見付けた様に頷く。

「先輩の姿、まるでプロボクサーみたいです」
「大袈裟だよ。俺は昨日から始めたばかりなんだから」
「なら、才能があるんですよ、きっと!」

 俺は困り顔で頭を掻くと後ろから同僚の男性社員達に引っ張られる。

「ちょっーーみんな!?く、苦しーーぐえっ!?」
「せ、先輩!?」
「ああ。大丈夫。ちょっと男同士の話だから」

 同僚の一人がそう言って手を振ると俺の首に手を回してボソボソと小声で囁く。

「お前、彩菜(あやな)ちゃんとどんな関係だ?」
「え?ああ。あの子?初対面だけどーーぐえっ!?」

 そう返事をしたら、脇腹を肘でつつかれる。

「初対面な訳あるか!彩菜ちゃんは俺らの会社のアイドルじゃないか!」
「い、いや、知らないけど?」
「マジか、お前?お茶汲み係の彩菜ちゃんだぞ?」

 そう言われれば、なんか、去年だったか、一昨年だったかでアイドルみたいに可愛い女性社員が入ったとか聞いた様な気がするな。

 俺には関係ない事だと思って、聞き流していたけど……。

「彩菜ちゃんと関係ないなら、今すぐ手を引け。お前には相応しくない」
「はあ」
「いいな。彩菜ちゃんはみんなのアイドルだ。お前が独り占めしていいモノじゃない」

 俺は頭を掻きながら呪詛の様に呟く同僚達から解放されると彩菜と呼ばれる女性社員に再度、歩み寄る。
 確かに言われてみれば、目元がパッチリして人形みたいに可愛くも思う。

 そんな彩菜ちゃんは全てを察したかの様にそっぽを向いて口笛を吹く同僚達を睨む。

「皆さん、よって集って酷い事しちゃ駄目ですよ」
「な、何の事かなー?」
「嘘つく人は私、嫌いです」
「ガーン!」

 彩菜ちゃんがバッサリと斬ると自称・彩菜ちゃんファンクラブーーと銘打って置こうーーの面子は膝をついて倒れ込む。
 そんな面子をよそに彩菜ちゃんが俺の腕にしがみつく。

「先輩。良かったら、帰りに一緒に来ませんか?」
「え?どこに?」
「勿論、いいところですよ」

 そう言われて、俺は顔を真っ赤にする。
 流石に鈍い俺でも、そのくらいは解る。
 だが、ヘタレな俺には無理だ。

「ご、ごめん!知り合ったばかりで、そう言うのはちょっと!」
「ふふっ。先輩ったら可愛い♪
 でも、これを見せたら、先輩なら来てくれると思うんですけどね~♪」

 そう言って彩菜ちゃんがおもむろに胸ポケットからある物を取り出し、俺は驚いた顔をした。

 ーーー

 ーー

 ー

 仕事が終わると彩菜ちゃんが俺を待っていた。

「待たせて、ごめんね?」
「私が勝手に待っていただけです。
 それよりも早く行きましょう♪」

 俺は彩菜ちゃんと一緒に目的の場所へと向かう。
 勿論、ラブホテルとか、そう言う類いの物ではない。
 彩菜ちゃんが俺に紹介したかった場所ーーそれはボクシングジムだった。

「ただいま、パパ!」
「お帰り、彩菜」

 彩菜ちゃんのお父さんは某元ボクサーを天然パーマからベリーショートにした様な気立ての良さそうなお父さんだった。

「あのね、実は紹介したい人がいるの」
「おおっ。そうかそうかーーって、はあっ!?」

 明らかに動揺する彩菜ちゃんのお父さんは俺に気付いて、此方を睨む。

「紹介するね、坂田先輩」
「坂田糀です。宜しくお願いします」

 俺が頭を下げると彩菜ちゃんのお父さんがユラリと此方に近付く。

 そしてーー

「あ、勘違いしないでね?
 先輩はボクシングを習いに来ただけだよ?」

 俺に飛び掛からんとして寸前で踏みとどまり、俺と握手を交わす。

「ハッハッハー。ワカッテイタサー」

 彩菜ちゃんのお父さんは片言でそう言うと俺の肩や足を触る。
 そして、その表情は徐々に真剣なモノへと変わっていった。

「坂田君だったね?」
「はい」
「少し私と一緒にスパーをしよう」

 こうして、H.E.A.V.E.N.の為の基礎作りが本格的に始動する。
 まさか、あの時、シャドーボクシングをはじめて、彩菜ちゃんのボクシングのライセンスカードを見せ付けられるとは思わなかった。

 しかも、実家がボクシングジムだとは……。

 目的がH.E.A.V.E.N.で人助けだった筈がこんな縁で本当にボクシングを教わる事になろうとは思いもしなかった。
 しかも僅か、一日、二日でその様な運命になるとは誰が予想してたろうか?

 これもスズキさんの教えの賜物だろうか?

 本当に事実は小説よりも奇なり、だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

処理中です...