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番外編
犬居 刃 5
しおりを挟む降りしきる雨の中、薙を背負った刃は街灯だけが光る夜の町を走っていた。
両肩から垂れ下がる力の入っていない子供の細腕。そこには、古いものから新しいものまでびっしりと注射針の痕があった。アザになっているそれらから目を背けるように刃はひたすら前を向き、足を動かす。
自分のことばかり必死で、薙のことを全然見てやれていなかった。
3歳の時点で空気を読むようなやつなのに、たまに顔を合わせた時の笑顔で問題ないと思い込んで、後で苦しんでいるのを知らなかった。知ろうともしていなかった。
貴虎との生活も、今思えば色々と不可解な部分はあった。
食事をとるときは貴虎の合図がないと箸をつけられなかった。忠誠を示すものだからと犬の墨を入れられた。いつどんな時も貴虎は刃と目を合わせたがり、褒める時には必ず頭をなでた。
どれも気にも留めないような些細なことで、頭をなでられるのなんかは子供扱いの延長かと思っていたが、
今ならわかる。
刃がされていたのは、人間扱いですらない。
刃は貴虎にとって、従順な犬だった。
そして薙は、そんな刃を従わせるためのお気に入りの玩具かオヤツのような感覚だったのだろう。
ギリ……。
食いしばった歯が軋む音がする。
失敗した。最初から手を取るべきじゃなかった。
全部俺のせいだ。俺が間違ったせいで薙が酷い目にあった。
後悔したって遅いのに、止まらない悔恨に視界が雨と混じって汚くぼやけた。
大きな病院の前に辿り着き、薙をゆっくりその場に降ろす。
奥のほのかな明かりに向けて閉じ切った自動ドアをガンガン強く叩くと、人が駆け寄ってくる気配がした。
ほっと息を吐き、そのままそこを立ち去ろうと背を向ける。
「…に…、……っ、」
引き留められる声がした。
か細いそれに刃は振り返り、精一杯の優しい声で語りかける。
「追手が来てるだろうから、そいつら全員やっつけてくる。終わったら絶対戻る。それまで待っててくれ」
ちゃんと笑えていたか分からない。暗闇の中、薙にはこの情けない表情が見えていないことを祈った。
病院を出て、再度屋敷の方へと走る。
案の定途中で追手と鉢合わせになり、刃は病院から離れる方向へと逃げながらその先で応戦を繰り返した。
雨で冷やされた身体は冷たくて、もう動かしている感覚もなかったと思う。
それでも、自分の馬鹿さ加減に対する怒りが、ただがむしゃらに足を前へと進めてくれていた。
「……っ、……はっ、クソ…ッ、」
追手をなんとか撒けたと思った頃には、身体はボロボロだった。
多分あちこちの骨が折れていて息をするのも苦しい。ナイフを刺された腹からはだくだくと血が溢れて止まらなかった。
壁を伝い、何とか薙の元へ戻ろうとしていた刃だったが、流石に限界が来る。
べしゃり。
微かな躓きをきっかけに水濡れのコンクリートに膝をついた。
一度そうなるとどうやっても力が入らず、立ち上がれない身体をひとまず壁へともたれかからせる。すると、ズンッと一気に身体が重さを増した感覚があった。
空気が抜けた風船の如く石の壁と同化していく身体に、もうここまでかと自身の限界を悟る。
目を伏せ、真っ暗な瞼の裏に映るどうしようもない記憶に、乾いた笑いすら出なかった。
ああ、最悪な人生だった──。
「『おおい』ですか?」
「……、……?」
瞬きの一瞬だったのか、それともいくらか時間が経った後なのか分からない。
いつの間にか夜は明けていて、微かな晴れ間に朝日が煌めいていた。
ぼやけた視界に映り込む小さな人影が、再度拙い声で告げる。
「大井ですか?」
ああ、せっかく眠れそうだったのに、目が覚めたのはこいつのせいか……。
あまりの煩わしさに、刃はこれで最後だと喉から声を絞り出す。
「……、うっ、せ、……あっち、行、…け、」
意識はそこで途切れた。
*
目が覚めると、見たことのない天井があった。続けて全身を襲った酷い痛みに、一気に意識を覚醒させられる。
肌に触れるのは、清潔な香りのするシーツと枕、そして掛け布団。
刃が今横になっていたのは、大きなベッドの上だった。
一瞬何が起こっているのか分からず、ぽかんと思考を宙に飛ばす。
すると次の瞬間、右側にある扉からコンコン…と控えめなノック音がした。
警戒から即座に意識が研ぎ澄まされる。
息を止め返事をしないでいると、数秒の後、その扉はゆっくり音を立てないように開いた。
そこから現れたのは、かっちりした黒いスーツを着こなす、清潔感のある一人の男。
彼は刃と目が合うと、驚きから微かに目を見張った。
「目が覚めておいででしたか。お加減はいかがですか?」
「……は」
かけられた丁寧な言葉遣いに困惑する。
まるで日本ではない、違う国の言語で話しかけられている気分になった。
それ程までに男の雰囲気は、言動は、今まで自分がいた場所とはまるで異なる世界観を醸し出していた。
何も答えられないでいる刃に、彼は決して気分を害した風ではなく、恭しく頭を下げて続ける。
「私、この巌主家に仕えております、使用人の鶴間 栄と申します。そして貴方の横で眠っていらっしゃる方が、この家の御子息であり、今回傷だらけの貴方を連れて帰るよう言った張本人の巌主 満様でございます」
「……、」
示された方向を目だけで追うと、今まで全く気付かなかったが、子供が一人、ベッドの縁に顔を埋めるようにして寝息を立てていた。カーテンを揺らしながら運ばれる風と陽光が、その柔い髪をふわりと心地よく浮かす。
使用人──鶴間から「坊ちゃま、坊ちゃま」と優しく揺り動かされ、彼は漸く目を覚ました。
数秒ぼーっと微睡んでいたようだったが、刃と目が合うと、子供らしい大きなそれがどんどん見開かれていって、
「生きてたっ!」
「!?」
ぐんっ、と突然身を乗り出され驚く。
妹の薙と同じ、6歳程の子供だ。
彼はどこか憧れ交じりのキラキラした眼差しでこちらを見ると、鼻息荒く告げた。
「おれを舎弟にしてください!」
「絶対嫌だ」
「えっ……」
ほぼ反射で拒絶を返したら、まさか断られると思っていなかったのか、ガーンとショックを受けた風な子供──満が数歩後ろにふらつき、力なく床へとへたり込む。
近くで様子を見ていた鶴間は落ち込む満に近寄ると、その背をさすって慰めだした。
何とも奇妙な世界に迷い込んでしまった気分である。
経験したことのない全てに、刃は混乱で頭を痛めた。
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