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しおりを挟む「生き物が、全部嫌いなものに置き換わって見える呪い……ですか?」
「ああ。……人間も動物も妖も全部、だ」
渋々といった風に教えてくれたのは、あの日、狐神が逃走する際に鳳条様にかけられたという呪いの内容についてだった。
あの時倒れていたのはそのせいだったのか。
鳳条様は、苦悶の表情で震える自身を抱き締め、続ける。
「俺は『ソイツ』を見るだけで、……っ、おぞましくて、吐き気と、震えが止まらなくなる……!だから、探知は、今は出来ない……」
切実な訴えに、ズキンと良心が痛む思いがした。
頑なに目を閉じていたのも、異常に怖がっているように見えたのも、全てそれが原因なのだろう。
今も俺の姿は、鳳条様にとって酷く恐ろしい何かに見えてしまっているのだ。
「その、苦手なモノって…?」と興味本位で聞いてしまったが、日々妖を見てる鳳条様が恐れるくらいだ。それはもう強大な妖の、目も背けたくなるようなおどろおどろしい姿に決まっている。
一体どんな回答が飛び出して来るんだろう。俺は固唾をのんでそれを待った。
「…………も…」
「? ごめんなさい。聞き取れなくて……」
「…………」
長い沈黙の後、鳳条様が再度、酷く小さな声で告げる。
「──蜘蛛」
「……え?」
「はあ?ショッボ」
「今ァ!今ッッ!ショボ!って!そんなもんかって!思っただろ!軽視しただろッ!!」
「ぅえ!?ぁ、いや、俺じゃなくてみ、御蔭さんが言ってます!」
「すんませんオレがしょぼくて雑魚のゴミカスです麦茶の飲み残しです。花ヶ崎さんは何も間違ってないです」
御蔭さんの声は聞こえていない筈なのに、反応も、発言の予測も、そしてその後の遜りも早かった。
慌てて頭を上げさせようとする俺だったが、彼は地に伏せたまま数秒無言で静止していたかと思うと、顔が見えないその体勢で告げる。
「本当に駄目なんだ……。なったことねぇヤツには分かんねぇよ……!」
絞り出すような、悲痛さの籠った声だった。
畳の上で硬く握られた拳が震えている。
そこで漸く理解した。鳳条様も俺と同じ人間だということに。
いや、別に化け物だとか思っていたわけじゃない。だがしかし、『凄い人』だとは思っていた。
妖と戦える力を持ち、当主という責任ある立場を任されてもいる、ある意味超人のような、自分とは遠くかけ離れた場所に居る存在だと。そんな先入観があったのだ。
勿論それも事実ではあるが、同時に、鳳条様は俺より年下で、痛みも恐怖も人並に感じる……そんな、ただの等身大の少年でもあった。
やっぱり、ここまで怯えている相手に無理を強いるのは違う気がする。何より罪悪感がすさまじい。
諦めの気持ちから俺が何も言えないでいると、ようやく落ち着いた風な鳳条様もゆっくりと顔を上げた。
どこか気まずげな彼は、こちらから顔を逸らして言う。
「今日のことは他言しないでやるから、分かったら早く帰れ。……狐神も、運が良ければ見つかるだろ」
「……はい」
仕方のないことだと分かってはいても、落ち込まずにはいられなかった。
それこそ多大に期待をしてしまっていたからだ。唯一の望みだとすら思っていたその分、絶望も大きい。
がくりと肩を落とす。しかし、これ以上追い縋る理由も解決策も持たない俺にできることは何もなかった。
俺は隠し通路へ戻るため、重たい足取りで一歩後退る。
そして、完全に踵を返しかけたその時だった。
目の前に差し込まれた手によって俺の動きは制止させられる。
「!」
腕を辿った先に見えたのは、御蔭さんの顔。
彼はまるで現状を楽しんでいるかのように、にこりと愉快そうな笑みを浮かべて言った。
「脅迫しよっか」
「えっ、脅迫!?」
「!?」
思わず声に出して復唱した俺の言葉に、目の前の鳳条様が信じられないほど大きく肩をビクつかせる。
しかし、それを気にも留める様子のない御蔭さんは、どこか弾むような調子で続けた。
「最大の弱点分かってんだからやりやすいでしょ。『狐の居場所吐かないと本物の蜘蛛捕まえて食わせるぞ、穴という穴にぶち込むぞ、一緒に閉鎖空間に閉じ込めるぞ、毎夜寝室に3匹ずつ放つぞ』とか言えば従ってくれるんじゃない?」
「よ、よくそんな嫌がらせすぐ思い付きますね。でも、ご本人は無理だって言ってますし……」
「え、待ってなに?今どんなやり取りしてんの?脅迫ってなに?」
断片的な発言に可哀想なほど取り乱す鳳条様を視界に入れながら、御蔭さんの提案を躊躇う俺。
それを見た御蔭さんは、何を言っているんだと呆れた風にため息を吐いて告げる。
「あのさぁ、蜘蛛見たぐらいで死なないよね?吐き気と……何だっけ?まあ何でもいいけど。それならずっと吐かせとけば?虎徹くんは好き嫌い、優吾くんは生死。天秤にかけるまでもなくない?」
「………、ですね!」
「何が!?脅迫!?脅迫のことか!?……黙るなよ不安になるだろーーッッ!!」
鳳条様のことを可哀想と思えるのも俺が生きてるからこそだもんな!やっぱり何事も自分の命には代えられないな!お母さん以外!
即座に手の平を返した俺は、意を決して鳳条様へと向き直る。
「あの」
「ちょっ、まっ、待て!近寄るな!」
「本当に無理ですか?狐神、探せませんか?」
「ひっ、や、やめろ…っ、~~っ、叫ぶぞ!?」
徐々に近づいていく俺から壁伝いに距離を取ろうとする鳳条様だったが、視界もままならないその状態では逃げるのにも限界があったのか、すぐに部屋の角に追い込むことができてしまった。
本気で怯えきったように身体を震わせるその姿に、同情と罪悪感が胸をよぎる。
しかし、『自分の命のため』という大義名分を堂々と掲げた俺の意志は硬かった。
「『狐神を探す』って言ってくれたらこっちも近寄りません!」
「テメェ……ッ、御蔭さんがうしろについてるからって調子のんなよ!」
「調子のってないです!命かかってるから必死なだけです!」
「ぎゃ!急に声が近ーーーい!」
「ちょっ、声が大きい!」
「ばかお前のが大きいやだ怖いぃい!ぁっ、ひ…っ、手っ、手掴むなあッッ!し、しし失禁するぞ!?いいいいのかコノヤロー!?」
「良くないですけど!?」
咄嗟に暴れる鳳条様の手首を掴んでしまったが、それが余計に彼の恐怖を煽ってしまったらしい。
更に錯乱した様子を見せる鳳条様。
しかし、俺もこの状態で後には引けなかった。
両手首を掴み、失礼にも彼を部屋の隅に押さえつけながら、俺は更に詰め寄る。
「お願いします鳳条様!貴方の力が必要なんです!貴方にしか出来ないことなんです!お願いします!」
「~~~ッッ!……ってんだよ!分かってんだよオレだって!ダセェことしてるってことは!」
追い詰められた鳳条様の大声に、思わず息をのんだ。
はあ、はあ、と震え交じりに呼吸する彼は、続けて、まるで溜め込んできたことを全て吐き出すかのように叫ぶ。
「碌に事情も言えねぇまま、お役目も全部宗主様に肩代わりしてもらって、使用人達にも心配かけて、心底申し訳ないと思ってるよ!……っ、オレだって何回も試そうとした!でも無理だった!……っ、怖ぇんだよ!身体が拒絶してる!気持ちだけでどうにかなるようなもんじゃねぇの!笑いたきゃ笑えよ!」
その切実な訴えを聞きながら、俺は先ほど床で蹲っていた鳳条様の姿を思い返していた。
そうか。あの時震えていたのは、恐怖によるものだけじゃない。
悔しいんだ。急に呪いにかかって、探知の力を使うこともできなくなって、心配してくれる使用人を追い返さざるを得ないこの現状だって、一番悔やんでいるのは、一番彼を責めているのは、他でもない彼自身だ。
それを理解できた瞬間、俺は胸をせり上がる感情のままに鳳条様の手を取っていた。
「笑いません!」
「!」
「俺、虫とか平気ですしっ、貴方に近づくもの全部払いのけられます!盾にしてもらっても構いません!俺が、貴方の怖いものから貴方を守ります!だからっ、協力して欲しいんです!」
きっと俺は、恐怖で立ち止まる鳳条様の姿に、御蔭さんがいなかった場合の自分を重ねてしまったのだ。
だからこそ、彼がここで足を止めることが、まるで自分自身の停滞の証のように感じられて、気づけば心から彼を鼓舞させるような言葉が出ていた。
鳳条様は一瞬、その勢いに呆気に取られていたようだったが、すぐに我に返ると再び抵抗するように身を捩る。
「か、簡単に言うな!お前がいたところで何も変わらねぇ!ヤツらは見た目がキメェんだよ!その時点でもう無理なの!」
「あ、暴れないで!」
もみ合いの最中、ついに振りほどかれてしまった片手が、弾かれた勢いのまま鳳条様の目隠しに引っ掛かった。
あっ、と思ったときにはもう遅い。彼の目を覆っていた布は呆気なく外れ、その下から覗いた濡れた翡翠色の瞳と真正面から視線がぶつかる。
まずい、叫ばれる……!
咄嗟にそう判断し、鳳条様の口を塞ごうとした俺だったが、それよりも彼が俺の両頬をわし掴みにする方が早かった。
「ぶえっ!?」
蜘蛛に見えるんじゃなかったっけ!?
予想外の行動に狼狽する俺を、鳳条様は見開いたままの瞳でじっと見つめ、ややあって、呆然と呟く。
「──人間」
彼は恐る恐る、形を確かめるように俺の顔に触れた。その回数が増すにつれ、強張っていた表情は次第に和らぎ、やがて喜色が滲んだものに変わっていく。
「人間の顔だ……!呪い、解けてたんだ……!」
「え!」
どうやら、いつの間にか鳳条様の呪いは解けていたらしい。深い安堵のため息とともに俺の顔から手を離す鳳条様へ、「良かったですね!」と本心からの喜びの言葉が出た。
鳳条様もそんな俺の声に反応するように顔を上げて、
「ああ!本気で、一生このままだったらどうしようかと……ッッッイ゛ヤ゛ーーッッ!?アババババケモノーーーッッ!!」
「えーーっ!?」
「うるさいなもう……」
悲鳴とともに蹲った鳳条様を、御蔭さんが心底うんざりした様子で見下ろしていた。
「なになにやだやだ一回油断させるみたいな上げて落とすみたいなそういうのよくないって!はっ、はっ、……あっ!?さ、触るのか?もしかして!?触ればいいのか!?」
何やら一人でぶつぶつ言った後、チラ…、と薄目でこちらを見やる鳳条様。
直後、彼は「ゔッッ、ぎーーーーッッ!」と何かの断末魔のごとき呻き声を上げて床の上をのたうち回った。
「無理無理無理無理気持ち悪い近付いて触るくらいなら死んだ方がマシ!」
「あ、じゃあ俺から触りますね」
「ン゛ギァーーーッッ!!……は、ぁ、あっ、に、にんげん……」
体液でぐしゃぐしゃに濡れた顔をほっ、と綻ばせる様子に、なんだかすさまじい庇護欲が湧いた。
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