幽霊当主にご用心!

椿

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 ややあって落ち着きを取り戻したのか、俺の手を掴んだままごほんと咳払いをした鳳条様は、至極真面目ぶった様子で話し出す。

「理屈はわかった。身体に触れれば本来の姿で見えるんだな。今まで触ろうなんて思ってもみなかったから気付かなかったぜ。……そうと分かれば!」

 鳳条様は突然立ち上がると、両手で部屋の障子を全開にし、「みんなー!」とその身一つで部屋を飛び出していった。
 身軽なその挙動を見守るように、俺達も入口の隙間からこっそり顔を覗かせる。
 しかし、ものの数秒も経たないうちに、廊下の先からは「キャーー!」と絹を裂くような悲鳴が聞こえ、同時に鳳条様が物凄い勢いでこちらへと走ってきていた。
 足から滑り込むように部屋に入った彼は、パンッッ!と強く障子を閉め、そして後方の俺へ向けて震える手を差し出す。
 すぐにそれを握ると、ようやく振り返った鳳条様の顔面は、全体的に湿り気を帯びつつ崩壊していた。

「は…っ、へゔぅ…っ!」
「な、泣いてるっ!」
「情けないなあ」

 さめざめと泣く鳳条様の背中を撫でていると、様子のおかしい彼を追ってきたのであろう、慌てた使用人の足音が近づき、そして扉の前で止まる。

「坊ちゃんどうしました!?さっきの何ですか!?急に手を握って来たかと思えば一瞬で青ざめて……緊急事態ですね。今度こそ入ります!」
「やめろアホーーッッ!」
「何故ですか!」

 反射のように否定を返した鳳条様だったが、その直後、ふと何かに気づいたような顔をして俺を見た。
 僅かに逡巡の時間があって、そのまま障子に手をかけた彼は、小さく開けたその隙間から使用人のいる部屋の外を覗き見る。

「虎徹坊ちゃん!」
「人間だーーーっっ!」

 意味は異なれど、歓声が上がったのは同時だった。
 安堵の声と共に涙を拭った鳳条様は、扉の狭さはそのままに、しかし安心しきった声で告げる。

「悪い……。もう、大丈夫だから。大丈夫になったから。心配かけてごめんな」
「──、……っ、いいえ」

 両者による鼻をすする音が、静かに響き渡った。
 それから使用人は「すぐに消化のいいお食事を用意させます。少々お待ちください」と言い残し、張り切った様子で部屋を去る。
 その足音が遠ざかり、完全に消えるまでのわずかな沈黙の後、鳳条様はこちらを振り返った。

「よく、分かんねぇけど……、お前に触れてる間だけはみんなが蜘蛛に見えないみたいだ」

 言葉にしたことで実感を得たのか、はーーと肺の空気を出し切るように息を吐いた鳳条様。
 その憑き物が取れたような柔らかい表情に、俺も思わず頬が緩む。

「力になれて良かったです」
「何いいヤツぶってんだよ。さっきまで脅迫が何とかとか言ってたくせに」
「す、すみません」

 秒で睨まれて、勝手に温かな共感に浸っていた空気はあっけなくしぼんだ。
 あまり彼を刺激しないようにと肩をすくめて大人しくしていると、きょろきょろ周りを見渡していた鳳条様が怪訝に問いかける。

「──花ヶ崎さんは?」
「!!」

 ぎくうっ!
 思わず、気付かれるぐらい大きく肩を揺らしてしまった。
 そうだ。完全に意識から抜け落ちていたが、幽霊の御蔭さんは俺以外には見えないんだった!
 真実を問いただすように向けられる視線に、冷や汗が背筋を伝う。
 誤魔化さなければ、と頭では分かっているのに、肝心の言い訳がまるで浮かばなかった。口を開いても、「あ」「う」といった意味をなさない音が零れ落ちるばかり。
 結局、吐き出されたのは隠しようのない真実だ。

「み、御蔭さんは、霊体でそこに居て……。俺にだけ、見えるみたいで……」

 信じてもらえるはずがないのに。
 以前の当主に激高された記憶が蘇り、バクバクと心臓を早めつつも、既に出てしまった言葉は戻らない。

「霊体?死んだのか?」
「い、いえ!身体は治療中で……中身だけ、抜け出てる?感じらしいです……」

 どうしよう。せっかく探知で協力してもらえるかもしれないと思っていたのに、こんな話をして怒らせて、追い返されてしまったら。
 嫌な汗が滲み、後悔が心を軋ませる。
 俺はその場で身を縮こまらせ、ただ罰を待つ囚人のように視線を俯かせることしかできないでいた。
 しかし、次に返ってきたのは、そんな不安など軽く打ち払う、予想外の言葉。

「はあ……、そんなこともあるんだな」
「──、」

 感心したように、あまりにもあっさりと言い放った鳳条様に、俺はポカンとしてしまう。

「し、信じてくれるんですか…?」
「あ゛!?嘘かよ!」
「いっ、いえ本当です!本当です、けど、『俺にしか見えない』とか……信じてもらえると、思ってなかったので」
「オレの呪いを一時的にでも解除出来るのは今のところお前だけだし……。そういう、お前だけの『何か』があってもおかしくねぇなって。さっきの花ヶ崎さんの言葉が演技とも思えねぇし」
「こ、虎徹さんっ……!」

 初めて信じてもらえたことが嬉しくて、思わず感極まった声が漏れた。
 ……って、はっ!呼び方!さっき御蔭さんの通訳をしていたせいで、虎徹くん呼びにつられてしまった!

「しっ、失礼しました鳳条様!」
「今更呼び方ぐらいでどうこう言わねぇよ。散々無礼なことやられてるし……。あー……お前は、浅葱だっけ。……名前の呼び方は何も言わねぇからさ、オレの呪いが完全に解けるまで、手を──」

 虎徹さんが言い終えるより早く、御蔭さんが手近にあった棒で、俺と繋がっていた虎徹さんの腕を叩き払う。

「どわあぁあーーッッ!?はっはっはなっはなすなっつんてんだよボケカスがよぉーーッッ!!」

 接触が解け、再び俺が巨大な蜘蛛に見えるようになってしまったのか、虎徹さんは頭隠して尻隠さずの典型のような格好のまま蹲る。
 御蔭さんはてっきりそれを面白がっているのだと思っていたが、予想に反して、どこか拗ねたような態度でむっつりと口を噤んでいた。
 な、なんか機嫌悪い?

 *

「お願いします!」
「おう」

 俺と手を繋いでいる間は通常通り妖を探知できるということで、虎徹さんは快く協力してくれた。
 彼はスッとその場で目を閉じると、呼吸を整え、意識を研ぎ澄ませるように沈黙する。

「──見つけた」
「!」

 狐を捕捉したのはすぐだった。
 閉ざされた瞼の奥で今まさに何かが映し出されているのだろう。虎徹さんは目を開けぬまま、淡々と状況を言葉にする。

「丁度花ヶ崎さんの敷地内に居る。……結構活発に動き回ってんな」
「罠にはかかりそうですか?」
「罠?……ああ、あれか。いや、多分警戒されてる。近寄る気配がねぇ。でもこれ、直接捕まえるとなると、それこそ瑠璃宮さんぐらいの機動力ないと難しくないか?」

 瑠璃宮様は討伐の家系の現当主で、今までに数多の妖を屠ってきたまぎれもない専門家。
 その域の動きが俺にできるはずはないし、彼に協力を仰ぐにしても、御神木を燃やした時のブチギレ具合から考えるに現実的とは言えないだろう。
 確かに、実際に遭遇した狐の動きも異様なほど素早かったし……。え、もしかして俺が自分で捕まえようとしてたのって、無謀……?
 不安と焦燥で胃をキリキリ痛める俺の横で、ふと、探知を続けていた虎徹さんが眉を顰めた。

「……おい、花ヶ崎さんって、まだ身体の方は意識戻ってないんだよな?」
「? はい、その筈ですけど」

 答えながら、俺はチラ、と壁にもたれて座る御蔭さんへ視線をやる。
 中身がここにいる以上、彼の意識が戻るはずはない。何故そんなことを聞いたんだろう。
 その疑問を口にする前に、虎徹さんは神妙な顔で続けた。

「門扉に居る。……誰かが、花ヶ崎さんを屋敷に運んでる」
「!」

 心当たりを問われ、俺は即座に否定を返す。
 というか、そもそも御蔭さんは重症なんじゃなかったか?そんな状態の人を動かして大丈夫なんだろうか……。
 再度御蔭さんに視線をやると、それに気づいた彼は「僕も知らないよ」とやや素っ気なく答えた。
 まるで他人事だ……。

「花ヶ崎さんは何だって?」
「何も知らないそうです」
「そうか。……でもこれ、結構まずい状況だぞ」

 虎徹さんの声が、わずかな緊張と硬さを帯びる。

「花ヶ崎さんは今中身が抜けてる状態ってことだろ?狐神に身体を乗っ取られてもおかしくねぇ」
「身体を、乗っ取る?」
「実体の無い妖は基本的に自分の身体を持ちたがる。その方があらゆる面で影響力も強いからな」

 つまり、もし御蔭さんの身体が狐神に乗っ取られてしまえば、狐神の力はより強大になり、捕獲の可能性は著しく下がる。
 そしてそれは同時に、霊体の御蔭さんが戻る身体を失い、そのまま生き返れない可能性すら示唆していた。
 何だそれ最悪じゃないか!

「俺、行ってきます!虎徹さん、ありがとうございました!」

 慌てて立ち上がる俺だったが、直後、下方から手を引かれて動きを阻まれる。
 その犯人は、俺の手を離さないままの虎徹さんだった。

「馬鹿野郎!オレを1人にするなあーーッッ!」
「えーーっっ!?」
「虎徹くんなんて無視してさっさと行こ、優吾くん」
「えっ!?」
「こ、狐神とか花ヶ崎さんの正確な場所、オレならすぐ教えられるし!な!?もう蜘蛛塗れの世界には戻れねぇよ!戻りたくねぇよぉお!!」
「わ、分かりましたっ、分かりましたからっ!じゃあ一緒に行きましょう!」
「……」
「いだだっ!み、御蔭さん!?何で無言で棒突き刺してくるんですか!?」
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