高辻家のΩ

椿

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高辻家のΩ 1

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 もしも自分が、所謂「普通の家庭」に生まれていたのなら、一体今どんな風に生きているんだろうか。
 そんな、暇つぶしにもならないだろう空想を、
 ──俺はもう何年も辞められないでいる。



「…っ、寒ッッ!」

 自室の窓を開け、途端に滑り込んできた冷気にブルルッ!と反射で上半身を揺らす。急いで着流しの襟元を両手で引っ張って詰め、しかしそれだけでは誤魔化せなかった寒さを、俺は箪笥から引っ張り出したウール100%の羽織で何とか凌いだ。先月衣替えしたばかりのそれは、少しだけ古臭い防虫剤の匂いがする。
 うゔ…、この前まで残暑だなんだと死にそうなくらい暑い日が続いていたというのに、数週間で何という様変わり具合。自分の通う高校の制服も、ついこの間まで夏服だった気がするのは俺の時間感覚がおかしいだけか?今はもうダウンが必須ですらある。秋居た?いや居なかったよな?日本の四季、特に春と秋は息してる?

 羽織を羽織ったとて肌の露出面積に差異はないのだ。顔や手足を突き刺す薄氷が張るような空気感は、もはや暴力的だった。
 換気のために最低10分は窓を開けておいて下さい、とか言われた気もするけど10分間この冷気に晒されるなんて正気じゃない。何のために俺は今室内にいると思っているんだ。
 結局1分待ったところで耐えきれず、俺はその窓ガラスを速やかに元の位置にスライドさせた。
 それが全て締まりきると同時、まるでタイミングを見計らったかのように襖の向こうから声がかかる。

かなめ様」
「居ません」
「失礼いたします」
「どうして……」

 硬質で隙のないその声は、主に俺の身の回りの世話を担当する使用人のものだった。彼は俺の返答を軽くあしらうように襖を開けると、「そろそろお時間です」と、これまたAIのような無機質さで告げる。

「あー…、今日は何となく肌艶が悪くてぇ、……休んじゃ駄目?」
「なりません」
「そこを何とか…」
「なりません」

 顎に手を添えて精一杯儚さを演出したりしてみるが、使用人からの返事はまるで容赦がない。俺より10歳程歳上の彼とはもう長い付き合いだが、これちょっと俺舐められてない!?軽く見られてない!?

「……俺、一応この家の当主なんだけど」

 俺はすかさず腕を組み、敷居の外で膝をつく使用人を意識的に威圧感を込めた視線で見下ろした。懇願が難しいと悟ったので、権力にものを言わせる方向へとシフトチェンジである。
 しかし、「当主様に逆らうのか??お??」と若干の小物臭香るオラつきを見せる俺にも彼は動じなかった。流石、(勝手に俺が呼んでいる)渾名が『サイ』なだけある。言わずもがな『サイ』はサイボーグのサイだ。

 サイは表情を変えずに告げる。

「はい。要様は『高辻たかつじ家のΩ』ですので、最低限の責務は果たして貰わねばなりません。
 これは高辻家の伝統であり、──掟です」



 もしも、もしも『性別』も大層な『家の伝統』も何も考えなくて良いような生活をしていたのなら、名前の次ぐらいの頻度で耳にしてきた、この反吐が出そうな程嫌いな言葉を聞く機会もないんだろうか。

 こちらを促す淡々とした声に、俺はもう喉のすぐそこまで出かかっていた溜息をグッ、と飲み込んだ。



 *

 この世には、男女とは別の第二の性というものが存在する。その内訳は基本的に三種類だ。
 一つ目はβ。三種の中で最も人口を占める割合が多く、この世界を構成するポピュラーな性別だと言われている。
 二つ目はα。彼らは遺伝的に身体機能や知能が優れている場合が多く、また人を動かすカリスマ性や特異な才能を持っていたりもする、生まれながらのエリート体質──、

 廊下を移動中、ふと視界の端に映った姿に俺は思考と足を止めた。

江雪こうせつ!」
「に、…要様」
「兄さんでいいって」

 庭先に立っていたのは、俺より2歳下の弟。
 日光に透けた色素の薄い髪と、成長途中のやや肉付きが悪い身体、駆け寄る俺に対して「兄さん」と照れたように柔らかく微笑むその姿は、彼のガラス細工のように精巧に整った相貌と相まってまるで何処かの映画のワンシーンのようだった。俺の弟美しすぎか…。
 突如人間の世界に迷い込んだ天使のようなキラキラしさに目を細めたのは一瞬。俺の意識はすぐに、彼の纏う余りにも寒々しい洋服の方へと向く。

「そんな薄着で何してんの」
「庭にある池の掃除。ヘドロが溜まってるからって」
「はあ?こんな寒い日に?」

 ちり紙のごとき薄っぺらい布一枚を肌に重ね、ズボンの裾を膝まで捲った弟が冷たく汚れた池にその白い足を踏み入れる想像をして、俺はブルリと身体を震わせると同時に眉を寄せた。
 縁側に留まったままのサイから声がかかる。

「要様、お約束の時間が迫っております」
「それより、江雪にこんな事させてんの誰」
「…存じません。恐らく自発的に、」
「なわけないだろ」
「大丈夫だよ、これが僕の役目だから。池が綺麗になったら兄さんにも見て欲しいな」

 若干ピリついた雰囲気の俺を宥めるように江雪はにこっ、と微笑む。
 はぁん…、俺の弟世界一健気…、世界一良い子ぉ…。
 堪らず口に手を添えて涙ぐんだ俺は、弟のなんともいじらしい願いを尊重するため首がもげそうなほど頷いた。本当は手伝えれば一番良いんだが、今日は予定が詰まっていてそれも出来そうにない。せめて、と自分のウール100%あったか羽織を脱ごうとすると、その行動は後方のサイによって声で制止された。

「…要様、余りそのαと親しくするのは、」
「江雪」

 振り向いた先、俺の声に珍しく顔を硬らせるサイが見える。

「『そのα』じゃない。俺の弟の江雪だ。二度と俺の前でその呼称を使わないでくれ」

 弟の江雪はαだ。その優秀な潜在能力から、世間一般では何事においても優遇されることが多い性別にも関わらず、この高辻家でαの弟はぞんざいな扱いを受けていた。
 冬も本格化してきているというのに、未だに生地の薄い夏のような格好をしているのは満足に洋服を買い与えられていないから。業者に任せるか、気温が高い時期にやれば良いような雑用を押し付けられているのは、この家に居る人間から使用人以下の存在であると烙印を押されているからだ。
「…申し訳ございませんでした」と頭を下げるサイを尻目に、俺は自分の羽織を目の前の江雪の肩にかける。

 弟が身じろぐのと同時、サラリと揺れた前髪の隙間から覗いた古い傷に、俺は少しだけ目を伏せた。

「…無理すんなよ。この羽織はどんだけ汚してもいいから、疲れたらすぐ温かいところで休め。な?」
「ありがとう兄さん。…でも兄さんの役に立たなきゃ意味ないから。
 それが掟だから」

 また掟。

「温かい」と羽織を両手で引き寄せながら嬉しそうに笑う弟を、俺は複雑な気持ちで見つめた。




 3種類の性別の最後のひとつ、Ω。男女を問わず妊娠可能な身体構造を持ち、またその機能の使用を促すようなヒートという発情期が存在する性別で、「繁殖の種」などと揶揄されることもある。

 ──そして、俺の生家である高辻家は、そのΩの能力を基盤にして成り立っている家だった。

 高辻の血筋に生まれたΩは、まぐわった相手と同じ性別──この場合の性別は第二の性別である──の子供を確実に孕むことが出来る。現時点、第二の性別がどのように子供に発現するのか分かっていないこの世界で、この体質は特異で貴重だった。簡単な条件付きの性別確定ガチャって訳だな。何故そんな事が出来るのか俺も詳しくは知らないが、もう数百年以上前から脈々と受け継がれてきた能力らしい。
 そしてその能力がどのように利用されるかというと…、まあ深く考えずともわかる。優秀なαの子孫が欲しいお偉いさん方に、確実にαの子供をプレゼントしてやるのだ。随分可愛らしい言い方をしたが、方法としては、高辻家のΩの胎を貸し出すという形で相手側のαとセックスしてαの子供を産むというなんとも俗物的なもの。
 高辻家はそこで繋がった様々な家とのコネクションを最大限利用し、随分とこの社会で幅を利かせているらしい。政界にも何かしら影響を与えられるとか聞いたこともあるが、真偽は不明だ。
 え?高辻家の当主なのに知らないの??と驚く事なかれ。当主は代々高辻家のΩが務める事となっていて…つまり、基本的にはほぼ形だけのハリボテ看板当主。この家の実権を握る者はまた別に存在する。
 俺はただの商品。客寄せΩという訳である。


「……っは、」

 ちゅぷ、自分の下半身から聞こえる小さな水音と、時々詰まる湿度の高い呼吸だけが、俺の今居る離れの一室に満ちていた。
 何をしているのかというと、ほらあれだ、ほら…あの、…解してるんだ。尻の穴を。
 今日の俺の予定というのは、高校生の休日らしく友達と出かける事でも、勉強でも、ましてや昼まで惰眠を貪る事でもない。
『~孕むまで終わらない!Ωの許嫁とのワクワクお世継ぎ作り種付けセックス~』である。
 ……狂ってるよな。俺もそう思う。まあ、俺が健康な内に早いとこ次の『高辻家のΩ』を産んでもらって予備を確保しときたい気持ちも分かるんだけど、それにしても何というか、倫理観死んでるんだよなあ…。

 そんなわけで、俺は今その許嫁との子作りのためにせっせと自分の指で自分の尻の穴を広げているわけなのだが…、この部屋、実は俺一人じゃない。
 閉じられた襖のすぐ傍、内側に控えているのは使用人のサイだ。彼は俺がせっせと尻を解すさまを、何を考えているかよくわからない無表情でスンっと眺めていた。
 …いや、勿論俺が強制したわけじゃないからね??見て欲しいとかそんな性癖ないからね??寧ろどんな羞恥プレイだよって毎回泣きたいくらいだからね??流石にもう慣れちゃったけどさ…。
 彼は監視だ。俺が適当やって尻を壊さないか、また解すのをサボらないか見張っているのである。うん、サイが居なかったら俺絶対自分で尻に指突っ込んだりしない。やはりコイツ、俺の性格を把握してやがる…っ!なんて狡猾な!

「…っンひ、ッ!………………今の、聞こえた?」
「いいえ。何も」

 集中を欠いていたからか、触るつもりの無かった敏感なしこりに指先が掠り、思わず高めの声が出た。何も聞かなかったフリをしてくれるのはありがたいが、その優しさが人を苦しめる時もあるんだサイ。慣れているとはいえ耐え難い羞恥に赤らむ顔を必死に隠しつつ、俺は尻穴の拡張工事を再開した。頭隠して尻隠さずとはこのことだな!!(ヤケクソ)

 サイは変わらず、無機質な目で俺を見ている。

 この屋敷の使用人は全員Ωだ。それも、αによって首の項を噛まれることによる番契約を済ませているΩ、……そして、万に1つも『高辻家のΩ』を孕ませることが出来ないよう、そういう類いの手術を受けている人しか屋敷に勤めることは許されていない。サイもその内の1人である。
 αとの番契約というのも合意かそうでないかは本人にしか分からないが、…彼らの生気のない瞳を見続けているこちらとしては想像に易い。

 ──本当に、どうしようもない家なのだ。


 3本の指が抵抗なく動かせるようになった頃、待機するサイに声をかける。

「…ん、終わった」
「はい、確かに。それでは移動しましょう。要様がとご準備をなされていた間に杉浦様がご到着いたしました。既に別室にてお待ちです。お急ぎを」

 終了の報告を受けたサイはすぐさま立ち上がると、俺へすぐに部屋を出るよう促した。それもやけに一部の言葉を強調しながら。
 遅ぇんだよって遠回しに言われてる~~???
 先程のしんみりした気分が少し飛んだ瞬間であった。


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