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9 外柔内剛

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 巫水ふすいから渡された竹箆しっぺいを、雪玲しゅうりんは両手で石婕妤へとうやうやしく手渡す。石婕妤は訝しそうに受け取ると、その意図が分からず、雪玲に尋ねた。

「潘才人? これは……?」
「石婕妤。後宮には明確な序列制度がございます。私は才人。婕妤の指示に従わず、浅緑色の衣で来たのは私の罪でございます。ですから石婕妤から竹箆で打たれなくてはなりません」

 手の甲がよいですか、脹脛ふくらはぎがよいですか、と雪玲がくんを持ち上げる。

「背中になさいますか」

 くるっと背中を向ける雪玲に、石婕妤は顔色を悪くした。

「え……? い、いいわよ、そこまでしなくても……」
「石婕妤、それではいけません。信賞必罰は必要です」

 ちょっと牽制したかっただけの石婕妤は困惑し、許すからいい、いいや許さないでくれと押し問答が続く。結局、雪玲が折れる形で「そこまでおっしゃるのなら」としずしずと引き下がった。

 が。

「では、次は伝言を誤った侍女に罰を与えなくてはなりません。巫水、連れてきなさい」

 伝言に訪れた香美人の侍女が真っ青な顔で皆の前に引き出される。

「なっ! 潘才人! 私の侍女をどうするつもりです!?」
「香美人、この侍女が桃色の衣を着なくてはならないことを伝え忘れたのです。ですから罰を与えなくてはなりません。こんなことが続けば紫花宮の規律が乱れますから」

 膝をつきガクガク震える侍女が目で香美人に助けを求める。

「はっ! 潘才人。私の侍女が伝え忘れたと? 言いがかりはおやめくださいな、証拠はありますの? あなたが聞き洩らしたのではなくて?」

 あらあら、と言うと、雪玲はずいっと香美人に近づいた。

「どこの莫迦が指定された衣の色を忘れますの? 恐れ多くも私も才人ですよ? あなたは陛下の妃の一人に選ばれた私が莫迦だとおっしゃるの?」
「あ……」

 雪玲と目が合った香美人は、足元が砂のように崩れる感覚に恐怖を感じた。猛獣がひしめく暗い森の中で得体のしれない何かに狙われているような、足元が心許ない不可解な感覚がし、指先から血の気が引いていく。

「……香美人、私はあなたが指示したのではないと信じていますから、侍女の不手際を認めるのならここで手打ちにして差し上げます。それとも、あなたがこの侍女に罰を与えますか?」

「っ……!」

(あら。霊力を乗せ過ぎちゃったかな?)

 どうやら香美人は言葉が出せない様子。青くなったり赤くなったりしながら、怒りを抑えられない香美人は周囲に助けを求めるが、皆目をそらす。

「んー。この侍女は言葉足らずか嘘つきか。どちらにしても必要ないのだから舌を切りましょう」

 雪玲はどこからともなく出したはさみを持ち、チョキチョキと小気味よい音を鳴らす。

「も、申し訳ございません! お許しください、お許しください!」

 香美人の侍女は泣きながら何度も叩頭して地面に打ち付け、額には血が滲んでいる。ちらっと香美人を見ると口をぱくぱくしたまま、未だ声が出ない様子。

 愕然とする周囲をよそに、雪玲は仕方がないわね、と呟くと石婕妤へ向き直った。

「香美人は侍女の過ちにショックを受けているようなので、石婕妤にお任せします。紫花宮を乱すこの侍女のことを、今回は許してやってもよろしいでしょうか。もう、間違った伝達はしないと思うのです」
「え……? え、ええ、そうね、今回は大目に見てあげましょう」
「ありがとうございます。ほら、立ちなさい。石婕妤と香美人のご慈悲に感謝しなさいね。巫水、この娘の手当てをしに連れて行きなさい」

 その後の蓮の花を見ながらのお茶会は、かつてないほどの緊張感が漂った。そんな中、雪玲は初めて見るお菓子を大変気に入り、一人楽しく飲み食いをしたのだった。


 ――その日の夜。

 ガチャン! パリン! 

 香美人の部屋からは陶器が割れる音や壁に何かがぶつかる音が鳴り響いていた。

「はあ、はあ、はあ、許さない! 許さない!! 許さない!! 藩の小娘がよくも、よくもっ!! おのれ……皆の前で私に恥をかかせたこと、絶対に忘れはせぬ! 今に見ていろよ!」

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 ※外柔内剛・・・外見は弱々しく一見穏やかそうでも、内面は強い意志を持ちしっかりしているという意味。

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