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22 暗夜之礫
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いつもと変わらない一日だった。雪玲は北極殿に行き古書の解読作業を、巫水と五虹もいつものように仕事をして、睡蓮宮は今日も平和な一日を終えるはずだった。
夕餉も終えた夜去方、宮女長の使いという者がやってきた。伝達事項があるから各宮より侍女がひとり参加するようにとのこと。五虹が行くと言う。
「ついでの用事もありますので、私が行ってまいります。」
「うん、五虹。いってらっしゃい」
書に没頭していた雪玲だったが、それからしばらく経った頃、外が少し騒がしいことに気づいた。
「は? 紫花宮に菓子を取りに来て欲しい? なんて無礼な! 潘充儀の方が位が上なのですよ。そちらが持ってきなさい」
雪玲は書を置き、声がする方へ向かった。誰かの侍女らしき女人と巫水が言い争いをしていたようで、間に入る。
「あなたは誰の使い? 石婕妤?」
「左様でございます。たくさんの菓子を作ったのですが、配る人数が足りず……。日も暮れましたが、潘充儀は早く欲しいだろうから取りに来てもらおうと仰せで」
「さすが石婕妤! ねえ、巫水~、取りに行ってきて。夜食に食べよう?」
そんなきゅるんとした瞳で見られたら、取りに行くしかない。
「……仕方がないですね。それでは大人しく待っていてくださいね?」
「半刻くらいだよね? 書を読みながら大人しく待ってるわ」
「もし、誰かが食べ物を持ってきても、私が一度確認しますから食べないでください。よろしいですね? 戻ったら夜食の前に湯浴みをしましょう」
「はーい」
雪玲は睡蓮宮でひとり、書を黙々と読む。巫水が雪玲のためにと常に新しい書を運び込んでいるため、暇を持て余すことがない。
夢中になっていると、そのうち甘い花の香りが漂ってきた。甘ったるい中にも、ピリッとする香りが鼻をくすぐる……
はっとして顔を上げた雪玲の手から書が落ちた。
(……? 力が入らない)
立ち上がろうとした足にも力が入らず、膝がカクンと折れる。
(あれ……? なんだか変……)
ガタガタと音がし、どこかから刀を手にした黒衣の者が目の前に立った。
「あれ? まだ意識があるのか。気を失った方が楽だったのに。悪く思うなよ?」
「……だれ?」
「ヒヒッ、頭ん中がふわふわするだろう? 意識がない時にブスリとやってやろうと思ったんだが仕方ねえな」
男は手にしていた刀剣を握りしめると、寝牀に靠れる雪玲の脇腹を突き刺した。傷口が広がるよう刀剣を半回転させてから、男は刃を引き抜く。
「うっ……!!」
「心を一突きすりゃあいいものを、お姫様はおまえさんをゆっくりいたぶりたいんだとよ。脇腹じゃあすぐには死ねねえが、たくさん血は出る。さあ、お前は頭のおかしい暗殺者と鉢合わせして死んだことになる予定だ。ほら、逃げろ」
(……っ、逃げなくちゃ……)
ふらふらして足元が覚束ない雪玲を男は面白そうに眺める。必死で逃げようとする雪玲だが、めまいがしていろいろな場所にぶつかる。その拍子に机の上の物が床に散らばり、書棚から巻物や紙の束が落ちてきた。
「う~ん、薬が効きづらい体質なのか? ヒヒッ、三十数えてやるよ。ほら、逃げろよ」
(……どこに……、逃げたら……)
回らない頭で必死で考え、重たい身体を引きずりながら少しでも距離を取ろうと歩みを進める。その間にも、男の大声が聞こえる。
「い~ち……、にぃ……、さ~ん……」
(……痛い……傷口がジンジンして、身体がドクドクする……。ダメだ、寒くなってきた)
力の入らない足を叱咤するが、思うように歩けない。廊下の壁に手をつきながら歩くと、赤い血が流線模様を描く。
(ああ……巫水、五虹、ごめんなさい……、お掃除が……)
「じゅうさ~ん……、じゅうし~……、じゅうごぉ~……」
「くっ……」
(……このままじゃすぐに追いつかれる……隠れても、血の跡で居場所がバレてしまう)
雪玲は上衣を脱ぐと手のひらの血を拭き、裾を破いて窓の外へ投げ捨てた。端切れを傷口にあてながら歯を食いしばり歩く。
(……あそこに入れば、助かるかも……)
『外廷と後宮の下には無数の地下通路が広がっています。ですが潘才人、決してひとりで入ってはなりませんよ? 複雑な上、多くの仕掛けもあります。興味本位で入ったりしたら二度と出れませんからね』
江宦官の忠告を思い出す。でも、頭のおかしい暗殺者に追いかけられるより、生存確率は高いはず。
「にじゅうにぃ~……、にじゅうさ~ん……」
貯蔵室へ入り静かに扉を開ける。雪玲は息を顰めると、音を立てずに潜り込んだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※暗夜之礫・・・不意に加えられる襲撃。防ぎようのない襲撃。
夕餉も終えた夜去方、宮女長の使いという者がやってきた。伝達事項があるから各宮より侍女がひとり参加するようにとのこと。五虹が行くと言う。
「ついでの用事もありますので、私が行ってまいります。」
「うん、五虹。いってらっしゃい」
書に没頭していた雪玲だったが、それからしばらく経った頃、外が少し騒がしいことに気づいた。
「は? 紫花宮に菓子を取りに来て欲しい? なんて無礼な! 潘充儀の方が位が上なのですよ。そちらが持ってきなさい」
雪玲は書を置き、声がする方へ向かった。誰かの侍女らしき女人と巫水が言い争いをしていたようで、間に入る。
「あなたは誰の使い? 石婕妤?」
「左様でございます。たくさんの菓子を作ったのですが、配る人数が足りず……。日も暮れましたが、潘充儀は早く欲しいだろうから取りに来てもらおうと仰せで」
「さすが石婕妤! ねえ、巫水~、取りに行ってきて。夜食に食べよう?」
そんなきゅるんとした瞳で見られたら、取りに行くしかない。
「……仕方がないですね。それでは大人しく待っていてくださいね?」
「半刻くらいだよね? 書を読みながら大人しく待ってるわ」
「もし、誰かが食べ物を持ってきても、私が一度確認しますから食べないでください。よろしいですね? 戻ったら夜食の前に湯浴みをしましょう」
「はーい」
雪玲は睡蓮宮でひとり、書を黙々と読む。巫水が雪玲のためにと常に新しい書を運び込んでいるため、暇を持て余すことがない。
夢中になっていると、そのうち甘い花の香りが漂ってきた。甘ったるい中にも、ピリッとする香りが鼻をくすぐる……
はっとして顔を上げた雪玲の手から書が落ちた。
(……? 力が入らない)
立ち上がろうとした足にも力が入らず、膝がカクンと折れる。
(あれ……? なんだか変……)
ガタガタと音がし、どこかから刀を手にした黒衣の者が目の前に立った。
「あれ? まだ意識があるのか。気を失った方が楽だったのに。悪く思うなよ?」
「……だれ?」
「ヒヒッ、頭ん中がふわふわするだろう? 意識がない時にブスリとやってやろうと思ったんだが仕方ねえな」
男は手にしていた刀剣を握りしめると、寝牀に靠れる雪玲の脇腹を突き刺した。傷口が広がるよう刀剣を半回転させてから、男は刃を引き抜く。
「うっ……!!」
「心を一突きすりゃあいいものを、お姫様はおまえさんをゆっくりいたぶりたいんだとよ。脇腹じゃあすぐには死ねねえが、たくさん血は出る。さあ、お前は頭のおかしい暗殺者と鉢合わせして死んだことになる予定だ。ほら、逃げろ」
(……っ、逃げなくちゃ……)
ふらふらして足元が覚束ない雪玲を男は面白そうに眺める。必死で逃げようとする雪玲だが、めまいがしていろいろな場所にぶつかる。その拍子に机の上の物が床に散らばり、書棚から巻物や紙の束が落ちてきた。
「う~ん、薬が効きづらい体質なのか? ヒヒッ、三十数えてやるよ。ほら、逃げろよ」
(……どこに……、逃げたら……)
回らない頭で必死で考え、重たい身体を引きずりながら少しでも距離を取ろうと歩みを進める。その間にも、男の大声が聞こえる。
「い~ち……、にぃ……、さ~ん……」
(……痛い……傷口がジンジンして、身体がドクドクする……。ダメだ、寒くなってきた)
力の入らない足を叱咤するが、思うように歩けない。廊下の壁に手をつきながら歩くと、赤い血が流線模様を描く。
(ああ……巫水、五虹、ごめんなさい……、お掃除が……)
「じゅうさ~ん……、じゅうし~……、じゅうごぉ~……」
「くっ……」
(……このままじゃすぐに追いつかれる……隠れても、血の跡で居場所がバレてしまう)
雪玲は上衣を脱ぐと手のひらの血を拭き、裾を破いて窓の外へ投げ捨てた。端切れを傷口にあてながら歯を食いしばり歩く。
(……あそこに入れば、助かるかも……)
『外廷と後宮の下には無数の地下通路が広がっています。ですが潘才人、決してひとりで入ってはなりませんよ? 複雑な上、多くの仕掛けもあります。興味本位で入ったりしたら二度と出れませんからね』
江宦官の忠告を思い出す。でも、頭のおかしい暗殺者に追いかけられるより、生存確率は高いはず。
「にじゅうにぃ~……、にじゅうさ~ん……」
貯蔵室へ入り静かに扉を開ける。雪玲は息を顰めると、音を立てずに潜り込んだ。
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※暗夜之礫・・・不意に加えられる襲撃。防ぎようのない襲撃。
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