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1.緑色と蜂蜜色
姫君は家出を企てる
しおりを挟むソファに座らせて水差しの水を飲ませて上げると、ようやく落ち着いたらしいサンザシが口を開いた。
「なんです? 家出って」
デイジーはサンザシの横に腰を下ろし、ぴったりと身体をくっつけた。何を考えているのか、表情の読めない彼の顔を覗き込む。
「準備はばっちりだよ。ほら、手紙も書いておいたの。お父様とお母様宛てのと、カトレア姉様とルー宛てのと、他の城内でお世話になった皆宛てので三通。私が居ない間のお庭の世話とか頼まなきゃいけないし」
封筒を三つ出してサンザシの鼻先で振る。反応しないサンザシに、デイジーは唇を尖らせた。封筒から便せんを一枚出して広げる。こほんと咳払いを一つ。
「お父様お母様。私のような娘を愛してくれた事、心から感謝しています。この度は相談もせず勝手な事をしてしまい申し訳ございません。どうかご心配なさらないで。またクローチアに帰って……」
「読まなくて結構です」
「え、ほんと? 中々感動的なのに」
便せんを畳んで戻し、デイジーは封筒を手に立ち上がった。テーブルに置こうと歩き出すとスカートの裾を引っ張られてしまい、首を捻る。後ろを顧みるとサンザシが困惑した様子でデイジーを見上げていた。
「どうして家出なんてするんですか」
デイジーは目をぱちくりさせて、それからにんまりと笑った。
「時の魔術師を探しに行く」
「……それって」
「噂話できいたの。世界に一人だけ、時間を操れる魔術師がいるんだって」
庭掃除をしていた女中達の会話に出てきたその噂は、デイジーが縋れる最後の希望だった。国王が呼びつけた魔術師でも、占い師でも、呪術師でも、呪いを解く方法は見つけられなかった。解くことが出来ないのなら、夢物語のような話を信じるしかデイジーには生きる術が無かった。
「知ってる? 時の魔術師は、時間を止めることも戻すことも出来るんだって。呪われる前に時間を戻して貰えたら、なんて。言い伝えみたいな話らしいから、もしかしたらもうかなり歳を召されてるかもしれないけど」
冗談交じりに明るい口調で語った筈なのに、サンザシの顔は曇ってしまった。まだ気にしているのだろうか、デイジーはサンザシのせいだなんて思っていないのに。
二年前のことだ。サンザシは国王の寝室に忍び込んだところを衛兵に捕らえられ、地下牢に閉じ込められていた。デイジーは自身と年の近い子どもが縛られ魔封じの呪文まで掛けられて牢に連れて行かれるのを見て、興味を引かれた。こっそりと大人達の目を盗んで地下牢へサンザシに会いに行き、そこで遭遇したもう一人の侵入者、「魔女」に掛けられたのが今まさにデイジーを苦しめる「死の呪い」だった。
呪いを掛けた魔女はそのまま息絶え、魔女と繋がりがあるようだったサンザシは責任を取る形でデイジーの従者になった。囚人を従者にする事に周囲は反対したが、デイジーが押し切って我が儘を通したのだ。勝手に地下牢へ行ったのはデイジーであったし、国王や宰相の処分では拷問に掛けられるか終身刑になると聞いて居ても立ってもいられなかった。
デイジーはサンザシに真相を尋ねなかった。話したくないのならそれで構わないと思っていた。何が真実であっても、今の彼がデイジーを大切にしてくれているのは間違いの無い事実だ。だから、どうでもいい。
しかしサンザシは、呪いの話になるといつも下唇を噛んでどこかが痛むように眉を寄せる。
デイジーは手紙をポケットに入れ、スカートの裾を握り続けているサンザシの手を取った。冷たい指先を両手で包み、膝を折って彼の前に跪く。
「ね、サンザシ」
「……なんですか」
普段ならこのような事をしたら「王女が使用人に何をしてるのです」とでも小言を食らうはずなのに、サンザシはじっとデイジーを見返している。よほど動揺しているようだ。
「ごめんなさい。勝手に従者なんかにして。サンザシはどこか違う国の人なんでしょう。私が家出をしたら、自由になっていいよ」
「――姫様」
「でも最後に、どうしても手伝って欲しい。私一人じゃ、この城の警備は抜けられないから」
サンザシの手は大きくてごつごつしている。デイジーはずっとこの手に守られてきた。彼だってまだ子どもで、デイジーよりも年下なのに、たくさん甘えてしまったなと思う。
長い沈黙の後で、サンザシは浅く息を吐いた。
「わかりました」
「サンザシ!」
デイジーが立ち上がってサンザシに抱きつく。サンザシはそれを引きはがして、彼女の肩を押さえた。
「ただし、一つだけ条件があります。私も一緒に行きます。……時の魔術師探し」
一瞬強ばったデイジーの顔が、ぱっと花が開くように明るくなる。
「ありがとうサンザシ!」
また抱きついて、デイジーはサンザシの首に腕を回した。自分一人では無謀だと思われた計画も、サンザシが手伝ってくれるのなら本当に叶ってしまうような気がした。
デイジーはサンザシから離れて、両手を合わせた。
「そうと決まれば、急いで明かりを消して実行しないと」
「明かりを?」
「私、ちょうどこの時間に毎日眠りに付いている事になっているから。――あ、そうだ! サンザシ、一度扉の外に出て。もうすぐ見回りが来る時間だから」
「はあ」
怪訝そうなサンザシの腕を引いて立ち上がらせ、扉に向かって背中を押した。彼が部屋を出て暫くすると足音が聞こえてくる。その音が遠ざかるのを待ってから、再び扉を開けて中に引き入れた。
「この時間帯の城内の見回りはのんびり者のクイールが担当してるから、次に来るまでにもまだ余裕がある。外の見回りはトムだからちょっと厳しいけど、裏庭の警備はお喋りなピーターとロックだから隙が多い筈だよ」
荷物を纏めた鞄とロープを取り出しながらデイジーが言うと、サンザシは目を丸くしたのちに額に手を当てた。
「どうしてそんなことご存じなんですか」
「そりゃあ、私このお城のお姫様だもん」
「……もしかして、私を部屋の見張りに指名したのは」
「夜中にサンザシを呼び出すの大変だから。これで見張りが一人減るし。……あ、もちろんサンザシが見張ってくれていると安心出来る、っていうのも本当だけど」
話しながら、デイジーは手紙をポケットから取り出してテーブルに置いた。花瓶から花を一輪抜き取って、封筒と一緒に並べる。
「姫様には敵いませんね」
笑いを含んだ声でサンザシが言って、デイジーは小首を傾げた。
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