6 / 19
1.緑色と蜂蜜色
姫君と大きなたまご
しおりを挟む今まで感じたことの無い身体の痛みにデイジーは目を覚ました。瞼を持ち上げると辺りは明るくなっていて、ぼんやりした脳が少しずつ覚醒する。ああそうだ、家出をしたのだ。
はっとして勢いよく身体を起こすと、サンザシと目が合った。彼はまるでお城で朝の挨拶をしにデイジーの部屋へやってきた時と同じ様に、微笑んで頭を垂れた。
「おはようございます。姫様」
「おは、よう」
呆気にとられながらデイジーは髪を手ぐしで整えた。身体の至る所が軋むように痛い。固い地面で寝るとこのような苦しみを味わうのだと、初めて知った。
「よく眠ってましたよ。それはもう驚くほど」
「自分でもびっくりだよ」
まさか本当に熟睡してしまうとは思わなかった。
デイジーは伸びをして、欠伸をかみ殺した。
「近くに川がありますから、顔を洗いに行かれますか。喉も渇いているでしょう」
顔色がよくないのは普段からだが、サンザシは僅かに声を枯らしていた。
デイジーは頷いて腰を上げる。荷物は毛布以外、ほんの最低限しか持ってきていない。水も重たく邪魔になると思い置いてきた。
慣れた様子で森の中を進んでゆくサンザシの後を追った。
小川に着くと並んで顔を洗う。冷たさにデイジーは思わず身体が強ばった。侍女が桶に用意してくれていた水は冬場でもこんなに冷たくなかった。ここは城では無いのだと実感する。
両手に水を掬って口元へ近づけると、サンザシに止められた。彼はデイジーの手のひらの中にある水に右手を翳したのち、どうぞと飲むように勧める。
「なに?」
「姫様がお腹を下されたら困りますので、水から不純物を取り除いておきました」
「……どうも」
こくりと喉を鳴らすデイジーをサンザシが満足げに見つめる。どうにも過保護が過ぎるように思えるのだが、これまでに掛けてきた迷惑を考えるとデイジーは彼に何も言えなかった。
「荷物にパンが二つ入ってました。潰れていますが」
「味は一緒。食べよう。一個はサンザシのね」
「恐縮です」
川の畔に座って潰れたパンを囓る。乾いて固くなっているパンを咀嚼して飲み下し、デイジーは蜂蜜色の双眸を覗き込んだ。
「ねえサンザシ」
「なんです、姫様」
「ちがうよ」
デイジーが首を横に振るとサンザシは眉を顰めた。
「なにがです」
「デイズ」
立てた指先で自分の顔を示して、デイジーは悪戯っぽく笑う。サンザシは怪訝そうに首を捻った。
「姫様じゃなくてデイズ。あと、一人称は私じゃなくて僕。ついでに敬語も禁止」
「はあ」
「姫様、なんて呼んだらおかしいと思われるでしょ。まだあんまり顔を知られてないとは言っても、ばれちゃうかもしれないし。――だからたった今から私たちは、ただのデイズとサンザシ」
「そう言われましても」
珍しく困惑した表情を見せるサンザシに、デイジーは頬が緩む。
「じゃあ姉弟ってことにする? 姉上、って呼んでいいよ。姉弟なら言葉遣いも不自然じゃないだろうし」
「姫様が姉なのですか」
「そりゃあ、私の方が年上だもん」
むんとデイジーは胸を張った。年下の従者は顎に手を当てて考え込んでしまう。そんなに真剣に悩むようなことだろうか。
デイジーがパンを食べ終わった頃、やっとサンザシは面を上げた。切れ長の目がデイジーをじっと見据える。
「――デイズ?」
彼の声が脳内で反芻される。デイジーは顔が熱くなっていくのを感じて両手で覆った。
「どうして言い出した側が照れるんだよ」
「うるさい!」
形勢が逆転し、暢気にパンを食べ始めたサンザシを睨み付ける。荷物を奪って立ち上がり、腰に手を当てた。
「早く行くよサンザシ!」
「わかったよ、デイズ」
「……やっぱり言葉遣いはいつも通りでいい……」
「わかりました」
急いでパンを飲み込んだサンザシが、口元を手で隠して肩を震わせる。デイジーは口を膨らまして歩き出した。すぐにサンザシが追いかけてきて、荷物を代わりに持ってくれる。
「迷子になりますよ」
サンザシの声は普段よりも弾んでいて、デイジーは恥ずかしさがこみ上げてきた。
からかうつもりがからかわれるとは、一生の不覚。
結局サンザシが道案内をしてくれ、二人は森を抜けた。整備された道に出ると、「白龍草の村ティリトルフ」と書かれた立て札が転がっていた。
「もうすぐ、ってことかなあ」
ボロボロになってしまっている立て札の前で立ち止まって、デイジーが呟いた。
ティリトルフはデイジーたちが向かっている農村の名前だった。もう少し歩いた先だとサンザシが言っていたのだが、立て札が落ちているということは近いのかもしれない。
風が吹き出して、サンザシがデイジーを抱き寄せた。それと同時に風は一瞬にして強まり、立て札が飛んでゆく。遠くに消えるそれを見送れたのを最後に、デイジーは目も開けていられなくなる。吹き荒れる嵐に木々が悲鳴を上げていた。あまりの強風に身体が切り裂かれる恐怖に襲われる。
嵐が過ぎ去り、デイジーは恐る恐る目を開けた。顔に掛かる髪を払って顔を上げると、鼻先に大きな白い塊があった。
「――たまご?」
デイジーの頭ほどの大きさがあるそれは、宙に浮いていた。すぐ横からサンザシの腕が伸びている。
サンザシは卵を手元に引き寄せた。
「飛んできたみたいです。姫様……デイズの頭にぶつかりそうだったので魔術で止めました」
「なんの卵だろう」
デイジーはサンザシが抱えている巨大な卵をしげしげと観察した。純白の殻は艶やかで、薄らとヒビが入っている。
「見たことがありませんね。どうしますか?」
置いていきますか、というサンザシの問いかけにデイジーは瞬きした。卵に手を伸ばして指先で撫でる。殻の向こうで何かが動く気配がした。
「連れて行って良い? 私が抱っこするから」
サンザシから受け取って、デイジーは卵を胸の前に抱きかかえた。ほんのりと温かく、小さな鼓動が自分の心臓の音と重なる。
「駄目? お願い、私が面倒見るから」
複雑そうにデイジーの様子を見ていたサンザシだったが、デイジーの幼い子どものような頼み方にため息を吐いた。
「わかりましたよ」
「ありがとう! ちゃんと巣に帰してあげられたらいいなあ」
あの嵐に運ばれてきたのなら、巣はそう遠くないだろう。
かくして、旅の目的とメンバーを増やした二人は再びティリトルフに向けて歩き出した。ダムバリーはまだ遠い。
0
あなたにおすすめの小説
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる