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第二章 天使時間の歯車

2-3 彼女との距離感

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 「気晴らしに出かけてみない?」

 学校が終わった放課後に、葵からそんな提案をされる。

 「出かけるって、どこに?」

 気晴らしに出かける、というのは今までにやったことがない。それは彼女とも、僕個人でもそれは行ったことがない。

 「うーん、そうだなぁ」

 そうして葵は考え込むように手で顎をさすった。思い付きだったのか、しばらく考える様子をとる。そんな中、独りで思索を巡らせてみる。

 出かける、という行為には必ず目的があるものだから、気晴らしという名目ならば、どこがいいのだろう。そもそも気晴らしで本当に気が晴れるのかはわからない。そして何よりも、彼女が僕のことをそういう風に案じているのが、なんとなく申し訳ないという感情を発生させる。

 気を遣わせている、最近の彼女はずっとこんな感じだ。

 「そうだ、カラオケとかは?」

 「……あんまり歌えないのだけれど」

 近頃の若者だったのならば、きっと流行りの歌とか、そういったものを歌うことができるのだろうけれど、僕は社会から隔離しているように生活しているから、なかなかどうしてそういったものが思い浮かばない。

 「……それなら、映画とかは?」

 「……映画か……」

 映画を見るのは楽しいとは思う、けれども。

 「……ごめん、お金がないや」

 「あ、それなら私が出そうか?」

 「いや、そこまではしなくていい……」

 彼女にただでさえ気を遣わせているというのに、これ以上負担をかけたくない。金銭面というのならば尚更だ。

 「……ごめん、なんか提案するもの否定しちゃって」

 「別にいいよ。そんなに気にしてないからさ」

 そうして彼女はまた考える動作をとる。

 「……あ!それなら適当に海にでも行ってみる?自転車とかで」

 確かに、それならばお金もかからないし、気晴らしと言えるものにもはなるのかもしれない。

 「わかった、そうしよっか」

 これ以上彼女の提案を無碍にする、というのが正直耐えられないから、僕はその提案に承諾する。

 「よし、それなら今日の夜決行だね!」

 「え?!週末ではなく?!」

 「思い立ったらが吉日だよ!」

 ……というわけで、葵と海に行くことになりました。





 思い立ったら吉日、と背中を押されて、僕と葵は家に帰ったら、そそくさと準備を行った。準備といっても、端的に用意したのは小銭がまとまっている財布くらいのものしか思いつかない。それ以外の荷物に関しては特に思い浮かばないし、あっても嵩張るだけで結局面倒なことになるだけだろう。

 葵の方も同じようなもので、特に背中に抱えるリュックは見当たらない。彼女も僕と同じような性質を持っているから、同じような結果になったのだろう。そうして、僕と彼女は適当に自転車を走らせた。

 「海って言っても、どの道を行くの?」

 「えっと、適当で」

 「そうかい」

 彼女と出かけたことはないけれど、なんとなくそんな事になる気はしたから、特に何かを思うことはない。

 彼女は単純に出かけることに対して意味を見出しているのだ。別に、結果的に海にたどり着かなくとも、それでいいと。

 そんな彼女の考え方が、僕は好きだ。好きだと考えているのは、自分とは違う考え方を持っているからだ。

 僕はいつだって結果を求めてしまう。この行動が、きちんと結果をもたらしてくれることを、いつも期待して、そうして何も得ることができずに、何も失っていないのに喪失した気持ちを味わう。

 そんな価値観でしかない。それを認識するのが、僕は嫌だ。

 彼女との距離感を考えて、彼女に近づけない自分がいつまでも変われないのが嫌悪感を催す。劣等感とは別に膨れ上がるその嫌悪感は、なおさら自己否定へとつながっていく。

 彼女に近づきたい。だからこそ、僕は魔法という選択肢に結果を追い求めている。

 魔法を使うことができれば、彼女に近づくことができるから。彼女に近づけば、それだけで生かしてくれた命を有効に使うことができるような、そんな気がするから。

 自転車を走らせて、赤信号にあたる。夕焼け時、人通りは少ない。まばらに人はいるものの、彼女のことばかりに意識が向いて、そうして二人だけの空間であると錯覚をする。

 ふと見上げた夕焼け空。彼女の色とも言えるような、赤くて暖かい色。今の灰色のままでは辿り着くことができない色彩。この色彩に、そうでなくとも違う色に僕は変わることができるだろうか。

 灰色だけが世界を覆う。心の中にわだかまる憂鬱は、どうしようもなく消えてくれない。

 『お前はどうせ変われない』

 そんな考えが、劣等感が心の内で語りかけてくる。

 『お前はどうしようもないほどに変われない。灰色でしかないのだから』

 五月蠅い。

 五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い。

 その声から耳をふさぐように、僕は目の前の景色を改めて認識する。

 彼女が気を遣ってくれたこんな時でも、そんなことを考えてしまっているうちはどうしようもない。この灰色の劣等はまだ消えないけれど、だからといって無駄に感情を憂いに泳がせるのは、彼女に対して失礼だろう。

 せめて、彼女の懇意に応えられるように、今だけでも前を向くべきなのかもしれない。

 信号が青になる。彩に溢れている世界を、僕と葵は自転車を走らせていった。
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