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第二章 天使時間の歯車

2-15 反発する感覚

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 結局、勉強は長続きしなかった。あらゆる思索がその邪魔をしたというのもあるけれど、単純に筆記用具を持ってきていないから、勉強しようにもただ本を流し見にするだけに終わったのが原因としてある。

 もう勉強をしない、ということを頭の中で決めると、その後は適当な文庫本を読む。小学生の時に葵が読んでいた本とか、もしくは図書室でいつも借りられていた本など。大概は児童向けの本ではあったけれど、難しい本を読むよりは楽しく過ごすことができたから、まあ、いいとする。

 そんな風に時間を過ごしていれば、いつの間にか日は陰っている。夏が終わったせいか、太陽も早くに落ちて、窓辺から見る外の景色はすべてが暗がりの中に見えた。そこに雫を落とすように街灯が一つ光を垂らしているけれども、どうも人通りが少ないせいか、余計に世界は黒く見えて仕方がない。思い出すべきか迷うけれど、そうして黒に関連して黒魔法を思い出すのだからしようがない気がする。

 ……黒魔法。

 そもそも僕が魔法を使えないというのに、それでも黒魔法というものは使えるのだろうか。立花先生が見出してくれた可能性について理解を示しながらも、僕が本当にそれを扱えるのかどうか。そして、そんな思考の中で横切るのは、世界の改変、あらゆる現実の上書きさえもできてしまうその魔法を、僕はどう使うのか。その結果について想像する。

 ……ぼんやりとしか思い浮かばない。魔法自体が抽象的だから、そこまで明瞭な想像ができるわけもない。

 自分の願い事さえ反映できる世界だったとして、僕はどんな願いをかなえるべきなのだろう。

 願いを考えてみれば、思い当たるものはある。葵や雪冬、天音さんみたいに魔法を使ってみたい。でも、それは自分自身の価値観を変えればいずれかはできるものであり、黒魔法を利用してまで叶えたいとは思わない。そもそも黒魔法が使えるのだったら、その時には普通の魔法でさえも使えるような気がする。だから、その願いは黒魔法とは関連させてはいけないのだ。

 となれば別の願いを抱くべきなのだろうけれども、そうして思い浮かぶものは、どうしても金銭類。母に負担をかけているからこそ、金銭的に楽をさせてあげたいという気持ちがあるから、その解消という意味で金がたくさん欲しいという気持ちはあるけれども、そんな願いが黒魔法で叶えられるものなのだろうか。世界の改変はきっと、そこまで安易なものではないような気がする。

 ……そうであれば、世界平和とかを祈ってみてもいいのかもしれない。漠然とした願いでしかないけれど、あらゆるものが平等に、争いなく進む世界があれば、きっと僕もこんな劣等感を抱かずに済むのだ。

 ──もしくは、人の命を生き返すこと。

 そんな思考がよぎった瞬間に、僕は思考を切り替える。

 そんな願いがかなうはずもない。いくら魔法だからといって──。

 でも、世界を改変するほどの魔法であるのならば、僕の父親が生きていたという世界を作ることも──。

 ……駄目だ駄目だ。そんな思考はありえない。そんな願いは非現実的すぎる。非現実的な世界の魔法の世界であったとしても、更にそれは非現実的すぎるだろうに。

 「……ごめんなさい、そろそろ閉館の時間ですので」

 いつの間にか、カウンターにいたはずの司書さんが目の前にいて、そう声をかけてくる。

 僕はすいません、と一言返して、手に持っていた本を返しに行く。気づけば時間はもう九時を周ろうとしているようだ。

 結局、まともに本は読むことはできなかった気がする。どうして僕はここに来てまで変な思考を繰り返してしまったのだろう。僕は、そんな憂いを抱きながら図書館から出ていった。





 昼間まで寝ていたせいか、どうにも家に帰って過ごす気が今のところはない。母は最近僕が遅く帰ってきても何も言わなくなってきたから、帰る時間を気にする必要もない。こういうときには何かを行うべきなんだろうが、魔法教室に行くというのも難しい。そもそも閉校しているのだから、それは厳しいに決まっている。

 ……というか、そもそも閉校になっているのだから、魔法教室に行っても立花先生はいないのではないだろうか。流石にそんな閉校を宣言したうえで来る人もいないだろう。

 ……どうせなら、魔法の練習をした方が気が晴れる気がする。ここ最近は魔法を見ていたからこそ、なんとなく雰囲気は掴めてきた。

 家で自傷行為をするのもなんだし、とりあえず魔法教室に向かってみよう。僕はそうして歩き出した──。

 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────歩けない。

 ──いつか感じた、すべてが止まるときのような感覚。足は動かず、身体を動かすこともできず、呼吸をすることができず、光さえ目に届かず、音さえ存在しない。

 虫の羽音さえも聞こえてこない。静かな、静かすぎる空間。

 ──なんだこれは、なんなんだこれは。

 どこまでいってもそのままだ。疲れているにもほどがある。世界が止まったように感じるほどに、ここまで身体を動かすことができない。世界をとらえることができない。

 ──なんとか歩き出したくて力を身体に込める。

 ────反発する感覚。

 力を込めて動かした身体は、途端に抵抗感を失くして、そうして歩みを進めることができる。でも、先ほどまであった街燈の光、世界の喧騒さえも自分には届かない。目を閉じているわけでも、耳をふさいでいるわけでもない。なのに、自分一人がここにいるだけという孤独感がどこまでも心にわだかまる。

 何かが、おかしい。でも、何がおかしいのかはわからない。理解ができない。

 でも、この身体の反発する感覚は身に覚えがある。天音さんに反発の性質を一緒に勉強した時の感覚が、どこまでも身体に響いている。

 ──となれば、これは魔法なのだ。結論はあまりにも簡単すぎる。

 そうであるのならば、なぜ、なんで、どうして、そんなことが起きているのか。その正解に辿り着けるような気がしない。

 視界に光は届かないが、ある程度なら道の把握はすることができる。

 僕はそうして違和感を世界に対して抱きながら、『空間』へと向かう。その道のりの違和感を身体に覚えながら。
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