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第四章 異質殺し

4-11 ──いいですよ

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 「へ、へい彼女。お、お、俺とそ、そこでお茶しない?」

 灰色の彼が目の前に立ってそう言う。

 私は、彼の言葉を咀嚼する。

 ……えっ、いや、あの。

 彼と会ったのは半年前、そして先週末の遊園地。

 最初に会ったときには独りでいる姿を目撃したけれど、二回目に会った時、彼のそばにいたのは、白色の長髪をした女の子。

 それも、これ見よがしに腕を組んだりして、仲良さそうに。

 ……彼女持ちがナンパ?

 「……すいません、間に合ってます」

 様々なトラブルが一瞬で脳裏に過ったので、私は彼に対してそう返す。

 以前も、こんなことがあったけれど、其の時とでは状況は明らかに違う。

 私も彼に恋人がいるだなんて思わなかったし、そもそもナンパをするような軽薄な人は苦手だ。

 以前の彼の言葉はナンパをするような声かけではなかったけれど、でも今の彼の言葉はナンパ男そのままでしかない。

 脳裏に過るのは、明楽くんの顔。

 ……うん、相手にしない方がいい。

 脳裏にざわつく声がより一層五月蠅くなったけれど、私はそれを無視して、彼から横道にそれようと帰宅の道を歩み進める。

 「あ、いや、えっと」

 彼がたじろぐような声をあげる。

 無視してしまえばいい。私と彼はどうでもいい関係性でしかない人間なのだから。

 ──でも、体は不自然に動きを止めてしまった。私は彼から視線を離すことができないでいる。

 「……なんですか?」

 どこか彼の視線は、私に用があるような雰囲気を孕んでいる。その雰囲気に引きずられてしまうところがある。それを無視できないから私はそう返す。そして、思ったこともそのままに。

 「そもそもあなた、彼女がいるんでしょう? そんな人がナンパだなんて、軽蔑します」

 彼女……、恋人がいるというのに、それでナンパをするなんて、その恋人に対して不誠実が過ぎるというものだ。そんなの、私は許すことができない。

 私の言葉を耳に入れると、彼女はうわごとのように彼女、という言葉を繰り返した後、「いや! あれは彼女ではなくて、幼馴染というかなんというか」と言い訳のような言葉を紡いだ。

 ……幼馴染という関係性で腕まで普通に組まないだろ。

 「へえ。幼馴染と腕を組んで遊園地ですか。よかったじゃないですか。友人以上恋人未満っていうところですか。はは、いい関係性ですね」

 乾いた笑いしか出てこない。というか、なぜか心に芽生える後ろめたい感情がどこまでも精神に作用する。敵意を込めたつもりもないのに、どこかさついがこもるような……。

 「そもそも、ここに喫茶店はありませんけど?」」

 というか、彼は『そこでお茶しない?』とか言っていたけれど、そもそもここに喫茶店なるものは存在しない。住宅街なのだ。そこに隠れるような喫茶店があるわけでもないだろう。

 彼はそのことに今さら気づいたみたいっで「あっ」という声を漏らすけれど、そのどれもが正直どうでもいい。脳裏にざわつく声は止まないけれど、今日も今日とて家に帰って思索にふけって落ち着く時間を取るべきだ。

 私はそう決心して、彼に「話は終わりのようですね、それじゃあ」と声をかける。その声をかき消すように、彼は「あ、待って! いや、待ってください!」と紡ぐ。

 ──どうして、私はその言葉に引きずられるんだろう。

 



 彼女がそのまま足を勧めようとする動作を声かけで止めて、そうして俺は──。

 「──葵」

 彼女には残っていないはずの記憶を揺さぶるように、俺は声をかけたのだ。





 懐かしさを覚える声音だった。

 彼はその声音で、私の名前を呼んだ。

 「……どうして、知って──」

 「……それを教えるためにも、お茶しない……?」

 彼は震えた声で、そう聞いてくる。

 ……それは、ずるいじゃないか。

 彼の瞳には懇願の意図を孕ませている。

 普通なら、それはストーカーだとか、不審者の可能性を疑ってしまうだろう。でも、私はその声を信じれる心の容量がある。

 視線が、どうしようもなく引きづられるのだ。

 体が、本能が、精神が、理性が、すべて彼に引きづられていく。

 「──いいですよ」

 私は、彼にそう答える。

 不安はなかった。彼から紡がれる言葉を聞きたくて、衝動がどうしようもなかったから。
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