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参/夢見の悪さとその答え
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◇
倫理観が精神に問い続けてくる。どことなく漂う罪悪感が背中に張り付いて消えることはない。それらが意識をなぞり続けて仕方がない。それらを意識することはしたくなかったが、視線をそらしてしまったことで、そらす対象についてをさらに明確にしてしまった。
俺は、彼女らに視線を向けることができない。
ふわふわと浮つく感覚がする。どこか呆然と浮き上がって、自分が自分でないような感覚を覚えた。そこにいるのは自分ではないみたいで、あらゆる風景が自分以外だけで構成されているような、そんな感覚を覚えて仕方がなかった。
まるで小劇場の中にいるようだった。すべては俯瞰のものでしかなく、俺は観客でしかない。
いつも見る夢と同じ。だが、その違いがあるとすれば、まぎれもなく目の前のものは現実でしかなく、それ以上も以下もない。けれど、意識がそれを享受したくないと拒絶している。そのせいで目の前で繰り広げられる会話を認識することができないでいる。
視界の端に映る彼女らの表情を見れば会話をしていることがわかる。
眉の角度、口の開きよう、微笑、隠された呼吸の残滓。皐と伊万里の笑顔を少しだけ覗くことができる。そんな気がした。
そうして彼女らは会話を終えたらしい。煙草を吸い終えた俺の背中を皐が押してくる。バツが悪いような表情をしている伊万里の視線が俺の顔をとらえている。俺はそれを呆然と見つめ返しながら、背中を押されるままに彼女と一緒にコンビニの中へと入る。
先ほども聞いた入店音。俺を歓迎してくれているのかはわからない。だが、音を聞くたびに胃袋がきしむ感覚を反芻してしまう。
伊万里はおにぎりのコーナーのほうへとちょこちょこと移動をする。俺は彼女の後ろについて回るように行動をする。
おにぎりのコーナーにたどり着いて、伊万里の視線がツナマヨをとらえていることを知る。ごくり、とつばを飲み込む音が聞こえてくる。それが、目の前にある食に対して喉を鳴らしたのか、この後に待っている店員とのやり取りに対しての意気込みとして飲み込んだものなのかはわからない。伊万里はそうした後に、目的物であるおにぎりを手に取った。ツナマヨと、明太子のおにぎりをひとつずつ。
その時、伊万里に何かを聞かれたような気がする。髪の中に隠れていた視線が俺のことを見つめているのがわかった。だが、意識は浮ついたままで言葉を聞くことができなかった。俺はそれを悟られないように苦笑を浮かべながら、とりあえず、大丈夫、とだけ声を返した。
昼間の感覚を思い出してしまう。
ご飯を取り込むことができないほどに、きゅっと締め付けてくる感覚。何かを取り込むための余白はあるだろう。きちんとした空腹も感じている。だが、伊万里と同じようにおにぎりを選ぶ気にはならなかった。きっと、対象がおにぎりでなくとも同じものだと思う。
そんな俺の様子を、伊万里は不思議そうな顔をして見つめている。その表情に心配をかけたくなくて、大丈夫、と改めて声をかけた。
同じやりとりの繰り返し。
昼前に恭平としたやりとり。
反省することもなく、大丈夫じゃないのに大丈夫と繰り返している。
でも、今はこれ以外の正解は思い浮かばない。だから、これが正解なのだ。
そこでようやく気づいたこと。気づいてしまったこと。
不思議そうな表情をしている伊万里の顔をのぞくことができているというのは、俺は彼女から視線をそらさずに見つめているということ。
彼女に対して顔を合わせているということ。
そんなことに気が付いてしまう。
……でも、すぐに視線をそらしてしまう。
付き纏うのは、倫理と罪悪。
皐のこと、伊万里のこと。
皐に対して考え事がよぎっているのに、それから視線をそらして伊万里と視線が合ってしまうこと。
それは、罪にならないだろうか。
そんなことを考える。考えてしまう。
俺も伊万里も、恋について介在させる何かを持ち合わせているわけでもないのに。
どうでもいい。考える事柄ではない。不要な思考だ。考える必要性はない。
すべての気持ちを振り払って、俺たちはそのままレジのほうに並んでいった。
◇
「おめでとう!」とコンビニを出た瞬間に皐から元気な声がかかる。そんな声を合図としたように、ようやく浮ついていた意識に落ち着きを取り戻すことができた。
へっ? と呆然としている俺を横目に、伊万里はきらきらとした表情を浮かべながら「や、やりました!」と嬉々とした様子を皐に返している。
「ずっと見てたけど、翔也の力を借りずとも頑張れたじゃん! 伊万里ちゃんすごいよ!」
「あ、ありがとうございます! で、でも、加登谷さんがついていてくれたからこそなので、み、みなさんのおかげです」
大げさだな、と思うリアクションをとりながら、彼女らはそんな会話を繰り広げている。そんな会話に混ざることはできず、やはりどこか風景のような感覚で世界をとらえてしまうことをやめられない。
よかったな、と一言だけつぶやく。それらが彼女らに届いたのかはわからない。けれど、伊万里は今までに見せたことがないにっこりとした表情で「はい!」と返した。
倫理観が精神に問い続けてくる。どことなく漂う罪悪感が背中に張り付いて消えることはない。それらが意識をなぞり続けて仕方がない。それらを意識することはしたくなかったが、視線をそらしてしまったことで、そらす対象についてをさらに明確にしてしまった。
俺は、彼女らに視線を向けることができない。
ふわふわと浮つく感覚がする。どこか呆然と浮き上がって、自分が自分でないような感覚を覚えた。そこにいるのは自分ではないみたいで、あらゆる風景が自分以外だけで構成されているような、そんな感覚を覚えて仕方がなかった。
まるで小劇場の中にいるようだった。すべては俯瞰のものでしかなく、俺は観客でしかない。
いつも見る夢と同じ。だが、その違いがあるとすれば、まぎれもなく目の前のものは現実でしかなく、それ以上も以下もない。けれど、意識がそれを享受したくないと拒絶している。そのせいで目の前で繰り広げられる会話を認識することができないでいる。
視界の端に映る彼女らの表情を見れば会話をしていることがわかる。
眉の角度、口の開きよう、微笑、隠された呼吸の残滓。皐と伊万里の笑顔を少しだけ覗くことができる。そんな気がした。
そうして彼女らは会話を終えたらしい。煙草を吸い終えた俺の背中を皐が押してくる。バツが悪いような表情をしている伊万里の視線が俺の顔をとらえている。俺はそれを呆然と見つめ返しながら、背中を押されるままに彼女と一緒にコンビニの中へと入る。
先ほども聞いた入店音。俺を歓迎してくれているのかはわからない。だが、音を聞くたびに胃袋がきしむ感覚を反芻してしまう。
伊万里はおにぎりのコーナーのほうへとちょこちょこと移動をする。俺は彼女の後ろについて回るように行動をする。
おにぎりのコーナーにたどり着いて、伊万里の視線がツナマヨをとらえていることを知る。ごくり、とつばを飲み込む音が聞こえてくる。それが、目の前にある食に対して喉を鳴らしたのか、この後に待っている店員とのやり取りに対しての意気込みとして飲み込んだものなのかはわからない。伊万里はそうした後に、目的物であるおにぎりを手に取った。ツナマヨと、明太子のおにぎりをひとつずつ。
その時、伊万里に何かを聞かれたような気がする。髪の中に隠れていた視線が俺のことを見つめているのがわかった。だが、意識は浮ついたままで言葉を聞くことができなかった。俺はそれを悟られないように苦笑を浮かべながら、とりあえず、大丈夫、とだけ声を返した。
昼間の感覚を思い出してしまう。
ご飯を取り込むことができないほどに、きゅっと締め付けてくる感覚。何かを取り込むための余白はあるだろう。きちんとした空腹も感じている。だが、伊万里と同じようにおにぎりを選ぶ気にはならなかった。きっと、対象がおにぎりでなくとも同じものだと思う。
そんな俺の様子を、伊万里は不思議そうな顔をして見つめている。その表情に心配をかけたくなくて、大丈夫、と改めて声をかけた。
同じやりとりの繰り返し。
昼前に恭平としたやりとり。
反省することもなく、大丈夫じゃないのに大丈夫と繰り返している。
でも、今はこれ以外の正解は思い浮かばない。だから、これが正解なのだ。
そこでようやく気づいたこと。気づいてしまったこと。
不思議そうな表情をしている伊万里の顔をのぞくことができているというのは、俺は彼女から視線をそらさずに見つめているということ。
彼女に対して顔を合わせているということ。
そんなことに気が付いてしまう。
……でも、すぐに視線をそらしてしまう。
付き纏うのは、倫理と罪悪。
皐のこと、伊万里のこと。
皐に対して考え事がよぎっているのに、それから視線をそらして伊万里と視線が合ってしまうこと。
それは、罪にならないだろうか。
そんなことを考える。考えてしまう。
俺も伊万里も、恋について介在させる何かを持ち合わせているわけでもないのに。
どうでもいい。考える事柄ではない。不要な思考だ。考える必要性はない。
すべての気持ちを振り払って、俺たちはそのままレジのほうに並んでいった。
◇
「おめでとう!」とコンビニを出た瞬間に皐から元気な声がかかる。そんな声を合図としたように、ようやく浮ついていた意識に落ち着きを取り戻すことができた。
へっ? と呆然としている俺を横目に、伊万里はきらきらとした表情を浮かべながら「や、やりました!」と嬉々とした様子を皐に返している。
「ずっと見てたけど、翔也の力を借りずとも頑張れたじゃん! 伊万里ちゃんすごいよ!」
「あ、ありがとうございます! で、でも、加登谷さんがついていてくれたからこそなので、み、みなさんのおかげです」
大げさだな、と思うリアクションをとりながら、彼女らはそんな会話を繰り広げている。そんな会話に混ざることはできず、やはりどこか風景のような感覚で世界をとらえてしまうことをやめられない。
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