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第5部 悪役令嬢の厄落とし! 一年契約の婚約者に妬かれても、節約して推しのライブ予約してあるので早く帰りたい。だめなら胃腸薬ください!
謝罪行脚(1)
しおりを挟む「 ♪ 君だってそう~ 気になってるんでしょう~
まだ待たせるの? My favorite 信じさせて その瞳
君がわたしのライフセーバー 愛の海へと導いて!
ああ、だってそう~ 気になってるんでしょう~ Love so sweet! Yeah! ♪ 」
「ご機嫌でございますわね、ベアトリスお嬢様」
気が付くと、ヘティたち使用人がくすくす笑っていた。
あれっ、また私気づかないうちに歌ってた……!?
「ご、ごめん、つい……。気に障ったよね、気を付ける」
「いえ……!」
ヘティがふるふると首を横に振って笑った。
「お嬢様が楽しそうで、私たちも安堵しております。どうぞお気の召すままに」
ど、どうぞといわれちゃうと、逆に恥ずかしくなって歌えないっていうか……。
照れ隠ししながらベアトリスの三冊目の日記帳を手に取った。
「う、ううん! みんな忙しいのに手伝ってもらっちゃってごめんね……! 私も今からちゃんと作業に集中するから!」
「私共はいっこうに構いません」
「ベアトリス様がお過ごしやすいようにするのが務めでございますから」
「それよりも、本当にお嬢様の日記帳を私たちが見てもよろしいのですか?」
ヘティの下についている三人のメイドたち。一番年上がメイド頭のトゥールーズ、眼鏡をかけているのがメディナ、一番若いのがサラフィナ。ヘティ曰く、ヴィリーバ家の中では口が堅くて堅実な性格で信用できる使用人たちなのだそうだ。
そう、私は今まさに、彼女たちに手伝ってもらって、ベアトリスのこれまでの日記帳すべてを洗いだそうとしているところ。
私たちの目の前には、実に三十七冊もの日記帳が並んでいる!
なんとベアトリスは物心ついた歳から毎日日記をつけるのを欠かさなかったというから、驚き。
「エバン様から今まで迷惑をかけた人たち全員に謝罪をするようにと言われて、聞き込みから始めようと思っていたんだけど、ベアトリスがこうして自分の日常を洗いざらい日記に残してくれていてよかったわ」
トゥールーズが辺りを見渡しながら、にわかに顎に手をやった。
「つまり、このすべての日記帳から、ベアトリスお嬢様がおこなってきたつまりその……」
「うん、そう、私の意地悪や嫌がらせで迷惑をこうむった人たちをリストにするの」
「お、お嬢様……、ほ、本気なのですか?」
「あっ、その前に……! トゥールーズ、メディナ、サラフィナ、それからヘティ」
私は四人に向かって頭を下げた。
「覚えていなくて恐縮だけど、私が予想するに、ベアトリスが一番迷惑をかけていたのはそばに仕えていたあなた達だと思う。本当にごめんなさい」
「お、お嬢様……!?」
「ベアトリス様が、あ、頭を……!」
「えっ、えっ、なにが、なにが起こってるの!?」
「今日は雨、雪!? まさか槍が振るの!?」
この反応……、想像には難くないけど、ベアトリスの強権はよっぽどだったみたい。ヘティがさりげなく私のそばに来て囁いた。
「お嬢様、いくら謝罪するといっても、貴族が使用人に軽々しく頭を下げるものではございませんわ」
「あっ、そうなんだ……」
「中身がヨウコ様だとしても、私とエバン様以外の前では、ベアトリス様としての威厳をお保ち頂くようお願いいたします」
「うん、わかった……」
貴族の決まり事というのは、一般ピープルの私にはとーんとなじみがない。エバンとヘティは私がベアトリスと入れ替わった別世界の別の人物だと信じてくれたけれど、大々的にこれを明らかにするのは混乱を招く恐れがあるからと、ふたり以外には打ち明けないことにした。ヘティはそのサポートを一手に担ってくれている。
「ありがとう、ヘティ。また変なところがあったらこっそり教えてね」
「はい、お嬢様」
オロオロとしている三人に改めて向かい直した。
「いろいろと迷惑をかけてきた私だけれど、これからは自分のしてきたことを真摯に受け止め反省し、贖罪に努めたいの。期限はあと四十七日。それまでにこの日記に書かれている被害者の方々にお詫びをしなければいけないの。みなさん、どうか私に力を貸してちょうだい」
そう、四十八日後の夕方六時半にはアリーナでライブが始まる。移動時間や遠征準備を考えて最低でも、前日に地球に戻らなければ。そう、それとまずはチケット! チケットが無事に手元にあるかどうかを確認しないと!
私の熱意が伝わったのか、三人が顔を見合わせた後、各々うなづいた。
「わ、わかりました……。お嬢様がそのようにおっしゃるのなら……」
「まだ夢でも見ているのかしら……痛たた……、うそ、現実みたい。でしたら、あの、私も協力いたしますわ」
「べ、ベアトリスお嬢様……べ、別人みたいです……」
うん、サラフィナ、正解。するどいね。
メディナ、さっきもこっそり自分の太腿つねってたけど、大丈夫?
とにかく、四人のおかげでベアトリスの三十七冊の日記から、ベアトリスの被害者をリストアップし、誰がどんな被害をこうむったかを調べ上げる作業は格段に速くなった。
「うわぁ、壮観ね……。ベアトリスの悪行の歴史……」
四人の協力の甲斐あって、リストは三日がかりで完成した。その人数、総勢九十八名。正直、ここまでの数だと、ベアトリスが日記にすら書かなかった人もいそうな気がするけど、知りようがないこの際、それには目をつぶろう。
ヘティがすかさず、大量のレターセットを用意していた。
「残り四十五日という期間を考えますと、お手紙と贈り物にて謝罪する方と、直接お詫びに伺うためにご都合窺いのお手紙を書く方とを分ける必要がございます」
「うん。リストを作るだけでもう手が痛いけど、ここからが本番だよね」
この世界で使われている羽ペンとインク。地球のペンや鉛筆とは違って、力の込め具合や使い勝手が違って、なれるまでにかなり苦労した。しかもここから先は、謝罪の意を込めて丁寧なきれいな字で書かなければいけない。今の時点ですでにペンだこができかけているけど、ここは我慢の子。我慢の子。
年の功のトゥールーズがリストを指でなぞる。
「アラスト男爵令嬢とバース騎士爵のご令嬢、このあたりの方々はお手紙と贈り物で差し支えありませんでしょう」
「マーディン子爵令嬢とコマロフス男爵令息、それとこちらのソルグリット侯爵令息に対する意地悪は、子どもの頃ですし、もはやあちらもお忘れなのでは?」
メディナが眼鏡を押し上げながらのぞき込む。サラフィナが首を横に振った。
「いえいえ、子どもの頃のことって鮮明に覚えているものですわ。特に、いい思い出より悪い思い出のほうが。ぜひお詫びを送って差し上げたほうがいいと思います」
「メディナの言うとおりね。このリストの方々にはもれなく謝罪のお手紙を送ることにするわ。それで、贈り物はどういったものを送ればいいの?」
ヘティがポケットから紙を取り出した。
「それなら僭越ながらこちらに候補を見繕ってございます。年代やご迷惑のお掛け度合い、お相手の性別、家格によって五段階に分けてございます」
「ヘティ、すごい! 仕事が早いのね!」
「ベアトリスお嬢様にお仕えするには、いつも三手ほど先を見越さなければ務まりませんので」
なるほど、高慢不遜我がまま放題のベアトリスをこうやってヘティは扱いこなしていたというわけか。三人が感心するようなまなざしでヘティを見ている。ふんふん、それで仕事のできるヘティがこの問題令嬢の筆頭侍女になったのね。
「じゃあ、贈り物はヘティのいう通りに。手紙が書け次第、一緒に送ってちょうだい。それから、謝罪の文面なんだけど、一応私なりに書いてみたよ。ヘティ見てくれる?」
「はい」
ヘティが有能だとわかったところで、私は既に書いておいた謝罪文の元となる文面を渡した。突然ベアトリスからはるか昔のことを謝られても、相手の方は忘れていたり、気味悪がったり、悲しくなったり、腹を立てたりするかもしれない。だから、できるだけ広く失礼のないような当たり障りのない、それでも謝罪の意図があるということがはっきりとわかるような文章にしてみた。
「……そうでございますね。ここは、頭を打って心を入れ替えた、とするよりも、九死に一生を得たことで、これまでの己の行動を悔い改めるきっかけを得て、とした方が良いかと思います」
「なるほど、さすがヘティ! 早速そうするわね」
「それからこの地の文のあとに、いろいろと罪を告白したうえで謝罪を重ねて書くようですが……」
「ええ、なにがいけなかったのか、どんな酷いことをしたのか具体的にかくほうが、相手に誠意と反省していることが伝わると思ったから」
ヘティが静かに首を横に振った。
「それはお相手にもよりますが、避けておいたほうが良いかと存じます。お相手によっては、過去の辱めや悲しみを掘り返されて嫌な思いをなさってしまうかもしれません。折角の謝罪のお手紙なのに、ベアトリス様に対して逆に嫌悪や敵対心を煽ってしまうことになりかねませんわ。ここは、あのときは申し訳なかった、許してほしいと書くにだけに留めましょう」
「え、あ、そう……なの……?」
元となる謝罪文のそのあとに、みんながリストにまとめてくれた意地悪や悪行の内容についても触れてさらにごめんなさいと書くつもりだったけど。それは不要ってこと? まあ、書く分量が減るのはありがたいに越したことはないけど。
「貴族は体裁や建前、恥や外聞を気に致しますから。内容としては、この文面だけで意図は伝わりますから問題はございません」
「個別に丁寧にと思っていたけど、それが貴族の世界では逆に気に障ってしまうのね。わかったわ、ヘティの言うとおりにするわね。私が気が付かないことを指摘してくれてありがとう」
私がそういったとたん、トゥールーズ、メディナ、サラフィナが目を丸く、口をあんぐりと開けた。
「え、どうしたの、三人とも」
「あ、あの、いえ……」
「ああ、また夢でも見ているのかしら、痛たた……っ!」
「お、お嬢様が、素直に人のことを聞くなんて……。それに使用人にお礼を言うなんて……」
あ、そういうこと。思わずヘティを見ると、苦笑が返ってきた。
「私の意見を聞き入れて下さって嬉しく思います。早速準備を進めてまいりましょう」
ヘティの言葉にベアトリスの変わりように戸惑っていた三人も、はっきりと何かが変わったのだと気が付いたようだった。
これって、いい兆候?
うーんと……。でも待ってよ……。
私は腕を組んだ。
私がここにいる間はこれでいいとして、私とベアトリスがまた入れ替わったときには、どうなっちゃうの?
またわがまま放題の悪役令嬢に元通りってことだよね。
それって、この人たちにとっては最悪なんじゃ……。
改心したみたいだからせっかく手伝ってあげたのに、いつの間にか元通りになって、また意地悪な令嬢に毎日困らされるってことに……なるよね、なるだろうな。間違いないよね、これは。
「ねえ!」
私は四人を素早く振り返った。ヘティ以外の三人が、ギクッとしたが、まあ、この際それはしょうがない。
「このリストの人たちにお詫びの贈り物をするのと同じように、あなた達にもお詫びの贈り物をすべきよね?」
「えっ!?」
「へっ!?」
「なっ!?」
私がここにいるうちに、返せる恩は返しておこう! 正確にはベアトリスのお詫びじゃなくて、楠本容子の恩返しだけど、細かいことはこの際気にしない。
「ヘティはなにが欲しい? トゥールーズ、メディナ、サラフィナは?」
「そ、そんな、めっそうも……!」
「ゆ、夢、痛たたっ!!」
「お、お嬢様、て、天使と魂が入れ替わっちゃたんですか……!?」
残念ながら天使じゃなくて普通の一般女子だよ、サラフィナ。
メディナ、本当に腿に青あざできちゃうよ、それ……!
トゥールーズにいたっては、熱でも出て来たのか額に手を当てている。
「遠慮しないで言って。つまり、あと四十五日以内にね。それをすぎちゃうと保証できなくなっちゃうかもしれないから」
「えっ、ええ~っ! で、でしたら、私は、そのぉ、ベアトリスお嬢様が使っているのと同じ化粧水を一度でいいから使ってみたいです~……」
「こ、これっ、サラフィナ!」
トゥールーズが慌てて止めに入ったが、私は笑顔で受け応えた。一番若いサラフィナが話してくれたおかげで言いやすそうな雰囲気になった。
「サラフィナは私と同じ化粧水ね。メディナは?」
「わっ!? 私は、その……」
「メディナ、いつも言ってるじゃないの、自分もこんな帽子がひとつでもあったらなって」
サラフィナ、ナイスアシスト!
「メディナは帽子ね! トゥールーズは?」
「わ、私は、で、でしたら……、あの、ラベンダーの香りのするハンドクリームを……」
「ああ、これ? うん、わかったわ! ヘティは?」
三人がどぎまぎとしている横で、ヘティはいつも通りの冷静な表情で立っていた。
「ヘティ?」
「でしたら、私は休暇を頂きとうございます」
休暇? 三人と同じように現物支給を望まれると思っていたのに、ひとりだけ全然違う望みに少し驚いた。
「ベアトリスお嬢様に使えて十年余り、私は一度も里帰りを許されたことがございません」
「えっ……」
そ、そうなの? 一度も?
トゥールーズが気をつかわしげに口を開いた。
「確かにそうでしたわね……。ベアトリス様は一番機の回るヘティさんをなにかといつもそばに呼びたがりますから、旦那様も奥様も、ヘティさんに里帰りを望まれてもなかなか許すことができないのが実情でございますわ……」
べッ、ベアトリス……! ブラック上司もブラックすぎるよ、あなた!?
十年以上家族の顔も見られないなんて、いくらなんでもひどすぎるでしょ!
「そ、そうだったのね、ヘティ。あなたにはすぐにでも休暇が必要ね。これまで休めなかった分合わせると何日くらいになるの?」
突然ヘティがくすくすと笑いだした。
「ヘティ……?」
「ベアトリスお嬢様、今私が里帰りしては、謝罪のほうはどうされるおつもりなのですか?」
「あっ……! そ、そうよね。ヘティ、本当に申し訳ないのだけれど、あと四十五日だけ、それだけ待ってもらえないかしら? 四十五日後には必ずあなたに休暇を与えると約束するわ。待って、ちゃんと実現されるように念書を書いて、お父様とお母様にもサインしてもらいましょう! そうすれば、私がベアトリスに戻っても……」
おっと……! 慌てて目を配ると、ヘティと三人が神妙に顔つきで見ていた。ヘティはともかく、三人は入れ替わりのことは知らない。私は、にこっとごまかし笑い。
「とにかく、その念書があれば、確実にお休みをもらえるように準備しておくの。どうかしら、ヘティ?」
「よろしいかと存じます」
ヘティがそういってくれたので、ヴィリーバ子爵夫妻にもヘティがうまくとりなしてくれた。数えて二週間ぶりに私は家族の食卓に呼ばれたのだ。
うわっ、すごっ、長テーブル。家族三人しかいないのに、ここ使ってるの?
無駄に長い! 無駄に広い! これが貴族か~。
ベアトリスの父親、ヴィリーバ子爵が、やや懐疑的なまなざしを向けてきた。
「ヘティから聞いているが、あちこちに謝罪の手紙と贈り物を用意しているそうだな?」
「はい、お父様」
お父様って……。自分で言ってて笑いそう。
子爵夫人が心配そうに顔を向けてきた。
「それに一番のお気に入りのヘティに長期休暇を与えるですって? 本当なの?」
「はい、お母様。ぜひ、その念書にサインをして下さいませんか? 私が今後この念書のことなど知らない、覚えがないと言ったとしても、絶対にここに書かれていることが守られるように、お父様のお母様の名の元に、確実に履行されるようにして欲しいのです」
私をまじまじと見ながら、夫妻が顔を見合わせた。
「ほ、本当に、まるで別人のような物言いだな……」
「まったくだわ……。頭は打ちどころによっては影響が大きいと医者に聞いてはいましたけれど……、もはや自分の娘とは思われないほどの変りようだわ」
「ああ、だが、これも神のおぼしめしというものだろう……。いつも子どもだったベアトリスが、こうしてまともな大人に成長しつつあるのは、実に喜ばしいことじゃないか」
私はにっこりと微笑みを返した。
うんうん、さすが母親。娘じゃないと、よくぞ見抜いていらっしゃる。
それに引き換え、この父親は、うーん、ちょっとアレかな~。
とにかく、ヘティのおかげもあって、初めにやらかしてしまった私の態度を払しょくすることができた。頭を打ってしばらく混乱はしていたものの、今は落ち着きを取り戻し、同時に大人らしい分別を身につけつつある、とふたりの認識は改まったようだ。ありがとう、ヘティ。念書にもしっかりふたりのサインをしてもらえたよ!
「はい、ヘティ。これがあれば私がベアトリスに戻った後でも、必ず休暇がもらえるはずだからね」
「ありがとうございます」
部屋でふたりきりになったあと、ヘティに念書を渡した。
私は重い胃の当たりをさすりながら、すぐにテーブルにつく。時間はない。早速、手紙を書き始めた。
まったく、お貴族様のお食事と来たら、バターたっぷり、塩分たっぷりで私の貧弱な胃にはヘビーすぎるのよね。
「うっぷ……」
「ベアトリスお嬢様、ご加減が悪いのではございませんか?」
「う、うん、ちょっと胃もたれが……」
「今胃薬をお持ちいたします」
ヘティが用意してくれた胃薬を飲むと、少し不快感が和らいだ。
遠慮しながら食べたつもりだったけど、味付けを考えると今日食べたぶんのさらに七割か六割くらいの量にしといたほうがよさそう。
「ヨウコ様はベアトリス様と違って小食なのでございますね。お好みも全く違うようですし……」
「私、子どものころ体がすごく弱くて、しょっちゅう病気ばっかりするような子だったの。食べ物も消化に良いものとか、さっぱりしたものじゃないとなかなか。まあ、私の話は別にしても、ベアトリスの食の好みはちょっと偏りすぎと思うけどね」
「ありていに申し上げれば、その通りかと存じます」
くすりと小さな微笑み。ヘティが言うことには普段のベアトリスは、一人前の食事をペロリとなんなく平らげたあと、部屋に戻って食後のデザートと称してホールケーキや山積みのチョコレートを楽々と胃の中に納めてしまうような大食いなのだという。ただ、ここまでの暴食はさすがに品がないので、誰にも知られることがないように屋敷の者は堅~く厳し~く口止めされていたらしい。
「あはは。本人も一応品がないとは思ってたんだね」
「さようにございますね」
ここ数日、料理人やキッチンメイドたちがいつもの生クリームいっぱいの朝食やお茶菓子を求められないので、ひどく頭を傾げているという。このままでは仕入れた生クリームが傷んでしまうのでどうしたらいいかとぼやいているらしい。
「ええっ、こんなところに思わぬ弊害が……!」
「それでは今後はそうした材料の手配も控えてよろしいでしょうか?」
「う、うんっ、そうして! ベアトリスがひとりいないだけでそこまでのフードロスが起こるとか、びっくりだよ~……」
ヘティがおかしそうにクスクス笑っていたけど、よく考えたらヘティもすごい。規格外の爆食&悪徳問題児お嬢様に仕えながら十年以上も耐えてきて、それでいて今度は別の世界からやってきた別人と魂が入れ替わってるなんて奇想天外な話を信じてくれるなんて、いやぁ、懐が深すぎる。
「ヘティ、本当になにからなにまでありがとうね。あっ、トゥールーズたちへの贈り物ってもう準備してくれた?」
「はい、明日渡せるように用意してございます。メディナへの帽子はこちらをと思っておりますがいかがでしょうか?」
「ヘティが選んだのなら間違いないね」
「恐れ入ります」
いや、ほんと!
ヘティがいなかったら、私は今もこの世界でどうしていいかさっぱりで途方に暮れていたに違いない。
「それじゃあ私、手紙を書くね。なんといっても全部で九十八通も書かなきゃいけないんだから、いっときも時間を無駄にできないよ」
「私もお手伝いいたします」
「ううん、書く内容はもう決まってるし、あとは丁寧に書くだけだから、ヘティはもう休んでもらって大丈夫だよ。これは私がやると決めたことだから。それに、へたでも自筆で書いた手紙のほうが気持ちが伝わるでしょ?」
「ですが……」
「書けたぶんは誤字脱字がないか、明日見直してね。頼りにしてるから」
そういうと、ヘティがまたおかしそうに顔をゆがめた。
ヘティが礼儀正しく部屋を出て言ったあと、私は聞き手にペン、逆の手にリストを掴んで、ふんと息を吐いた。
――よぉしっ、やるわよ~っ!
この手紙一通一通が、ツノ様へと続く道につながっている~!
***
謝罪の手紙を書く合間をぬって、私は王宮に勤めているエバンを訪ねていた。
……というのも、もしものときの念のため、王宮の大階段とやらを確認しておきたかったのと、エバンに謝罪の進捗状況を報告するため。
前回、謝罪について逐一報告しろって言われていたのよね。
それに、ヴィリーバ子爵夫妻がそれなりに私に対して信用を回復してくれたお陰で、エバンに会いに行くのを許してくれた。
どうやら、私が改心したのはエバンのおかげもあると思っているみたい。
まあ、自由にさせてもらえるなら、そう思わせておこう。
「ベアトリス・ヴィリーバと申しますわ。王宮警備にお勤めのエバン・クラークネス様はご在所かしら?」
なんだかんだ力のあるヴィリーバ子爵の伝手と権威を借りて、王宮警備の詰め所を訪ねた。ヴィリーバの名前を出すだけで誰も彼もが委縮したり目をみはったりする。やはり相当な権力者らしいね。家にいるときはただお腹の突き出た禿げたおじさんにしか見えないんだけどな。
「こちらへどうぞ」
下級貴族らしき兵に案内された部屋。ここがエバンの部屋らしい。へえ、よくわからないけど、部屋付きってなんかすごそう。多分、役職とか階級があるっていう意味だよね?
「少尉、婚約者殿をお連れ致しました」
部屋に入ると、執務机の向こうでエバンが突き刺すように私を見た。
えっ……、あれっ!? 怒ってる? なんで!?
今日の服も髪型も前回のように白とグレーの大人しめだし、案内してくれた人にも今ちゃんとお礼も言ったし、尋ねる前の先触れもヘティが出してくれたはず……。失礼はなかったはずだけど……。
「何しに来た」
「えっ……。あの……謝罪の件の報告に……」
「はっ!」
え、えー……? ハッ、って、一笑に伏されたんですけど……?
後ろに控えているヘティを肩越しに見ると、目線で先を促された。
そ、そうか、まだエバンは私のすべてを信用したわけじゃないのね。
信頼を築くには、今この目の前の一歩が大事よね。
気を取り直して、私はにっこりと敵対心がないことを表して見せた。
「私が謝罪すべき人々のリストが出来上がりました。エバン様に確認していただきたくお持ちしました」
「なにっ、リストだと?」
私が持っていた小さなバッグから書面を差し出すと、受け取ったなりにエバンが大きなため息をついた。
「ものすごい人数だな……。これはどのようにしてできたのだ?」
口を開きかけて、私はすぐに口を閉じた。そそっとエバンの近くに寄って声を小さくする。
「あのね、ベアトリスはずうっと日記を書き続けていたの。自分が誰にどんな嫌がらせや意地悪をしたかを事細かに。だから、それを元にリストにしてみたんだ」
「は、はあっ……!?」
エバンが驚きとも呆れともつかない声を上げた。
まあ、そうなるよね。でも本当なんだよ、これが。
ベアトリスもまさか、別世界から来た見知らぬ人に自分の日記をつまびらかにされるとは夢にも思わなかっただろうな。
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「おっ、お前……、まさか、本当に、このリストの全員に謝罪をする気なのか……?」
「だって、そういう約束じゃない」
リストと私の顔を交互に見ながらエバンが妙なことを言う。
私はリストの頭につけられたチェックマークを指した。
「この赤いチェックはもうすでにお詫びのお手紙と贈り物を送った人。青いチェックは、これからお手紙と贈り物を送る人。黒いチェックは直接お詫びに伺いたいから会えませんかってお手紙を送った人たちなの。会ってもいいと言ってくれたら、お詫びの品を持って謝りに行く予定だよ」
エバンが目を白黒させている。
「そういうわけで、今はこの九十八名に対する謝罪を四十三日以内に完了させられるように進めているんだけど、それでいい?」
「うっ……ぬっ……」
……ええ? 報告しろって言ったの、あなただよね? しっかりしてよ。
「だから、この赤いチェックは……」
「それはわかった! そうではなくて、お前!」
なによ。
「本当に、ベアトリスか!?」
はあっ? 私は楠本容子って、納得してくれたんじゃなかった?
えっ……、まさか、もう一度そこからやり直しなの?
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