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第4話 星空と海と自覚
しおりを挟む「さて、それじゃあみんなで風呂に入りましょうか」
試食会という名の夕食を終え、セイルの住居スペースである2階の広間で談笑していた3人の元に、手拭いを4枚持ったセイルが現れた。
「「えっ!?」」
声を合わせて驚くペリエとレティスと、びしっと固まるアッシュ。
「この家、建てる際に店舗側の反対側は全面浴室にしてあるんですよ。店舗の3分の1くらいの広さかな」
「えっ!あそこ全部浴室なんですか!?」
レティスは大きく声を上げた。
レティスは出勤の際、店の中を通って厨房横に有るセイルの住居スペースに続く扉を開ける。店舗に入って右側の奥だ。扉を開けると廊下が有り、右手には2階に続く階段と、その下に庭に出れる扉が有る。左手には扉が2つ有り、手前はトイレだ。レティスは階段を登ってすぐに有るこの広間で着替える。トイレはアッシュやペリエも借りたことがあるが、確かに廊下幅は店舗の3分の1くらいの長さが有った気がする。
「そ。トイレの先に有る扉を開けると物置兼脱衣場が有って、そこの引き戸の先が浴室なんですよ」
セイルが手拭いを3人に渡しながら説明する。
「浴槽も大きくしてあって。6人、8人くらいは優に入れると思うよ」
ペリエ達は瞠目し、アッシュは固まったままだ。
「そんな広い風呂、掃除もだし、湯を溜めるのも大変じゃないか?」
ペリエがセイルに尋ねる。
「……実は俺、生活魔法の他に火魔法と水魔法が使えるんですよ」
セイルが得意げに指を立てた。
「「「えっ!?」」」
これにはさすがにアッシュも声を上げた。
「だから水は出せるし、火の魔石への魔力注入もお手の物なんですよね」
アッシュは水魔法、ペリエは風魔法と簡単な生活魔法、レティスも少しなら生活魔法が使える。しかしセイルは異なる属性2つの魔法を使えるダブルスだという。騎士団でもダブルスはいない。
この世界には貴族院の他に魔術院がある。いわゆる魔法研究所だ。そこにはダブルスのほかに3つの魔法を使えるトリニティ、4つの魔法を使えるエクラも確かに存在する。だがそれはとても希少で、魔術院が知ったら間違いなくセイルをスカウトに来るだろう。セイルは冒険者ではなく一般人だからだ。
アッシュとペリエは顔を合わせ、セイルを見つめる。
「セイルさん、君は一体……」
アッシュが声のトーンをいつもより低くして尋ねる。
「俺はリメインの店長ですよ」
セイルは目を細めて微笑んだ。
…それ以上は、。と、明らかに拒絶の態度だった。
4人は階段を降りて、3人が入ったことのない方の扉を開ける。正面には磨りガラスの嵌った引き戸、入って左奥、トイレ側の壁には姿見の鏡と簡単な洗面台。整理された生活用品が並ぶ棚が有る。
3人はもちろん知らないが、先日のオードトワレ類もここに有り、セイルのインナーや下着も籠に挿れて並べてあった。
「アッシュ、持って帰るなよ」
「…何の事だ?」
廊下側の壁には調味料や雑貨が入った箱もいくつか積んである。
「てか、こんな大きな姿見も…。一般家庭では珍しいな」
ペリエは脱ぎながら驚いていたが、アッシュはそれどころではなかった。
セイルとレティスはためらいもなく脱ぎ始める。アッシュは何故かいたたまれない気分になる。
セイルの控えめだが厚い胸板や薄く張った腹筋、引き締まった腰がアッシュを戸惑わせる。
意識しないように集中するほど、何故か一箇所に血液が集中しそうになる。慌てて脱いで、手拭いを腰に縛った。セイルは引き戸を開けた。
「……なっ」
アッシュは目の前の光景に、人生で一番瞠目した。
ペリエとレティスも声が出ない。
引き戸を開けた浴室内は、魔導ランプが仄暗く焚かれており、奥には湯が溜められた広い浴槽スペースが有るが、それ以上に、引き戸が有る壁とその左側の壁、店舗側に面した壁以外の、庭に面した2面の壁が、無かった。崖だろうか、目の前には夜の海が広がり、星空も見える。
「…これは、どういう」
ペリエが声を絞り出した。
「エルステイン地方にある崖です」
エルステインはこの大陸の南側、海に面した場所である。セイルが早朝にジャッケを買った領地から離れた場所に有る崖だ。
「空間魔法で壁を繋げたんです。実際には普通に壁や窓が有りますよ。認識阻害結界も張ってあるので人や魔物にも気づかれません。まあ近くには確か領地や村なんかは無いはずなので、誰かに見られる心配はないでしょう」
セイルは固まる3人を他所に、桶で浴槽スペースから湯を掬うと身体を流した。そのまま湯に浸かる。
「さあ3人とも、湯に入って。最高のロケーションでしょう?」
3人はゆっくりとそれに続くと湯に浸かる。ふぅと一息つくとレティスが口火を切った。
「セイルさんは料理も上手だけど、すごい魔法が使えるんですね」
星空を反射した海を見つめながら、レティスは感嘆の声を漏らした。
セイルはダブルスではなく、それ以上だ。
しかし3人はそれを口には出せなかった。出してはいけない様な雰囲気が、そこにはあった。
セイルは手拭いで髪をまとめながら、目を細めて遠くを見る。
「ご家族や他の人には内緒だよ。…アッシュもペリエも。俺は君たちが気に入った。3人とも信用できる、大切な人だと、俺は思ってるよ」
セイルの口調が若干変わったことに、3人は直ぐに気づいた。
その瞬間、アッシュの胸に熱いものが込み上げてきた。
それは、今まで感じたことのない、甘く切ない想いだった。
目の前の現状よりも、頭の中がセイルのことでいっぱいになった。
セイルの料理、セイルの笑顔、セイルの言葉、そして裸体。
(大切な人……。
セイルの言葉が頭の中で反響する。彼が自分に、自分達にくれた言葉を思い出すたびに、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
ーー俺は、彼の「たった1人の大切な人」に、なりたいのか?
今までの人生で、こんなにも誰かの存在を求めたことはなかった。
仕事一筋で、恋愛にも興味がなかった。
しかし、セイルと出会ってから自分の心が今までになく揺れ動いているのを感じていた。
「…色々思うことはあるけれど、夜風が気持ちいいな」
ペリエが目を細めて夜の海と星空を見つめながら、アッシュに問うた。
「……ああ」
アッシュは静かに頷いた。その心の中は、夜の海のように深く、穏やかでありながらも、セイルへの想いが渦巻いていた。
静寂が訪れ、ただ波の音と、時折聞こえる桶の音が響く。アッシュは目を閉じる。
(俺は、あなたの料理が好きだ。
あの時、告白の様に口から出た言葉。あれは料理への賞賛だけではなかった。
無意識のうちに、俺はあなた自身が好きだと、そう言いたかったのかもしれない。
アッシュはゆっくりと目を開けセイルを見つめる。セイルはまだ遠い海を見つめていた。その横顔は、夜の光を浴びて、どこか幻想的だ。彼は本当に、この世界の人なのだろうか。魔法の使い方も、作る料理も、そしてその存在そのものが、アッシュの知る常識を遥かに超えていた。
アッシュの視線に気付いたのか、セイルが振り返り、目を細めて優しく微笑む。
その瞬間、アッシュは自分の心が、とっくに彼に囚われていることを悟った。
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