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第七章 天空の覇者編
EP190 轟きの谷 <☆>
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「見えたわ!アレが轟きの谷よ!」
「うわっ!天気わりぃな!」
「何とかなるよ!」
「刀鍛冶や魔法使いが宿泊する、大規模合宿所があります。そこに泊まりましょう。」
サランに跨った花は、いち早く目的地を視認した。
ラースに襲われてから2週間、意外と長い旅だったが、無事に目的地へと到達出来たようだ。
視線の先に広がる巨大な谷には、積乱雲が形成されていた。
季節はまだ春なのに、稲妻と豪雨が降り注いでいる光景は、夏真っ盛りと言われても違和感が無い。
「探索する前に、天気が良くなるまで宿を取ろう。」
「えぇ、そうしましょう。」
「・・・サランの上、代わろうか?」
「平気よ。ほっといて。」
「・・・はい。」
花は最近、征夜に冷たい。
嫌われた訳では無さそうだが、未だに怒っているようだ。
(どうすれば・・・許してもらえるのか・・・。)
彼はそんな事を思いながら、目を瞑って馬車に揺られていた。
~~~~~~~~~~
山道を下り切ると、そこには数百人規模の村があった。
降雨量が多い地域だが、この村だけは例外のようだ。
地形的な理由か、はたまた魔法による結界なのか。雨粒も稲妻も村には落ちて来ない。
恐らくだが、原住民は存在しない。
誰もが観光や修行、研究や鍛造などの目的で、ここを訪れた"客"なのだ。
強いて言えば旅館やキャンプ、料理店を運営する老人たちが、唯一の住民だろう。
「ここが稲妻の谷ですか!私、一度は来てみたかったんです!」
魔法使いの修行場所として、この谷は有名なのだ。
その端くれであるミサラにとっては、聖地にも近い感覚なのだろう。
「チェックインは僕が済ませとくよ。三人はくつろいで良いよ。」
「ホテルには私が行くから。少しは、ミサラちゃんに構ってあげたら?」
「・・・はい。」
花は冷たい視線と共に、征夜を制止した。落ち込む彼を置き去って、ソソクサと歩んで行く。
だが、入口の"木製扉"を開けようとした時、花は思わず跳び上がった。
バリィッ!
「痛っ!」
彼女の指には、まるで静電気のような感覚が流れた。
だが、彼女が手を掛けたのは"木製の扉"なのだ。そこに、静電気など流れるだろうか――。
花が振り返ると、"杖を構えたミサラ"が居た。
わざとらしく視線を逸らし、無関係を装っている。
(やっぱり・・・嫌われてるんだ・・・。)
ここ最近、花は頻繁に物を紛失していた。
下着を盗まれたり、スキンケアの中身が消えていたり、書物がゴミ箱に入っていたり。
何も無い所でつまづいて、転んでしまう。
朝起きたら、ベッドに蜘蛛が群がっている。
水とサラダ油が、入れ替わっている。
そんな事も、日常茶飯事になっていた。
犯人は分かっている。自分に嫌がらせをしているのは、間違いなくミサラだった。
(ずっと恋人だって思ってたのに・・・怒っても仕方ないよね・・・。)
結局、話がこじれた原因はそれなのだ。
ミサラにとって、征夜は自分の彼氏。それなのに、全てが嘘だった。
自分はただの友人であり、恋人は他にいた。信じていたのに、裏切られた気分だ。
彼女を排除して、自分が恋人になるには、"陰湿な嫌がらせ"をしても良い。
彼女にとって、"居場所を守る"のは何よりも大切な事なのだから。ミサラは確かに、そう考えていた。
(でも・・・私にも落ち度がある・・・。)
征夜が勘違いを助長させたのは、自分が彼の真意を確かめなかったから。
そう思うと、ミサラだけを注意する気には、どうしてもなれないのだ。
(後で、しっかりと話を付けないと・・・。)
花はそんな事を思いながら、チェックインをした。
~~~~~~~~~~
日が沈み、皆が宿に戻った頃、四人は一つの部屋に集まって、トランプに興じながら雑談をしていた。
「三人とも、今日は何をしてたの?」
「俺はテニスして、ついでにナンパしてた。」
「うん、知ってた。」
テニスコートに居た美女を口説くシンを、征夜は目撃していた。案の定、速攻でホテルに入っていた。
「私は"雷撃魔法・最上級講義"に出てました!
お爺さん、お婆さんが多かったけど、私が一番上手かったです!」
「へぇ!やっぱり、ミサラは凄いんだね!」
「いえいえ!杖の力ですよ!」
そう言うとミサラは、取っ手に黒い羽根の装飾が施された杖を、照明に向けて掲げた。
「私は買い出しに行って来たわ。
明日からは、おそらく村に籠る事になる。天気が晴れるまで、谷の奥には行けないと思ってね。」
「ま、気楽に行こうや!焦っても良い事ないぜ!」
「いや、そうも言ってられないよ。
こうしてる間にも、多くの人が拐われてる。キャンプ場の人だって、みんな連れ去られたんだ・・・。」
2週間前に泊まったキャンプ場の客は、確かに居なくなっていた。証言から察するに、ラースの仕業である事は間違いない。
「話は変わるけど、今って何月かな?
2021年5月21日が、僕の死んだ日だ。そこから逆算すると・・・2022年の3月くらい?結構、時間が経ってるね・・・。」
「やっべぇな!もう10ヶ月かよ!そろそろ24になっちまうわ!」
確かに、シンの言う通りだ。
そろそろ一年が経とうとする中、年齢を重ねてもおかしくない。
「私はまだ17ですね。早く18歳になりたいです!」
18になると、色々な意味で合法になる。
だからこそ、最も若い合法な年齢として、需要が高いのだ。
「僕はまだ24だね。」
ここに来て、三人の年齢が開示された。
すると残された一人も、年齢を明かす空気になる。
「あれ~?あなただけ、年齢言ってませんね~?」
「26よ。」
花は薬品に関する図鑑を読みながら、素知らぬ顔で応答した。
ミサラは彼女を苦しめるつもりで、ワザと年齢の話を出した。だが、彼女があまりに淡白なので、正直言って面白くない。
「26・・・もうすぐ30歳ですね!」
「えぇ、そうね。」
「そろそろ、シミとかシワが出てくる頃ですよ!」
「スキンケアは頑張ってるわ。薬剤師だから、知識はあるしね。」
「ダイエットとかも大変ですよね?胸が大きい人って、太りやすいんでしょ?」
「加齢と共に、人間は代謝が落ちる。
基礎代謝を維持して筋肉量を低下させない為に、最近では日々の運動にも気を使ってるわ。
食事の中にタンパク質を盛り込むのは勿論、ビタミンB1・B2・B6・Dも多めに取るようにしてるわね。
そもそも、胸が大きい事と脂肪の付き易さは、そこまで関係ないわ。
確かに胸は脂肪が9割を占めてるけど、その大元である乳腺が発達してなければ、大きくならないわよ。」
皮肉を込めたミサラの発言にも、花は完璧に対応した。
彼女は薬剤師であり、健康や美容に関する知識は非常に豊富なのだ。付け焼き刃のミサラでは、太刀打ち出来る筈がない。
「くっ・・・!じゃ、じゃあ!太腿はどうですか!そんなに太いと、歩きにくいでしょう!」
「ミサラ!もうやめるんだ!花が嫌がってるだろ!」
「口を挟まないで。」
「はい・・・。」
恋人に対して浴びせられる暴言に、征夜はついに我慢出来なくなった。
だが花は、それすらも制止する。まるで「お前の助けなど要らない。」と言わんばかりに、冷たくあしらった。
「ミサラちゃん、人の体に関する話は、とてもデリケートなのよ。
あんまりズケズケと、話題にする物じゃないわ。」
親しい仲ならば、それも構わないだろう。
それこそセレアならば、彼女も快く聞き流せる。
だが、ミサラは明確な悪意を持っているのだ。その事が、どうしても言葉尻から伝わってくる。
「そんなに嫌なんですか?容姿の話をするのが。」
「あなたの事を思って、私は言ってるの。
あなたの言葉で傷付く人が居て、あなたの事を嫌になる人が居る。
そんな事になって欲しくないから、あなたにも気を付けて欲しくて」
バンッ!
「もう良いです!」
ミサラは不機嫌そうに机を力強く叩いて、勢いよく立ち上がった。そして、三人を残して部屋から出て行ってしまう。
「・・・おっ?"ハイパーお説教タイム"は終わったか?」
「逃げられちゃったけどね。」
「そういう年頃だろ?」
「他人の容姿を揶揄するのは、年齢に関わらず許される事じゃないわよ。」
「そういうもんかねっ!」
シンは悪戯っぽく笑いながら、部屋から出て行った。
どこか小馬鹿にした態度だが、そんな事を気にする余裕はない。花は今晩の夕食当番なのだ。
エプロンをソソクサと厨房に向かおうとする花、その右手を優しく掴んだ征夜は、彼女を呼び止める。
「花・・・ちょっと話がしたい。」
「何?」
怒ったような、それでいて呆れたような顔だ。
彼が今から何を話そうとしているのか、暗に察しているようにも見える。
「その・・・ミサラの件は、本当に申し訳なく思ってる・・・。
これでも、本当に反省してるんだ。そろそろ、許してくれないかな・・・。」
「・・・?」
"何を言ってるんだ、コイツは。"と言わんばかりに、花は首を傾げた。
明らかに怒っている。むしろ先ほどよりも、怒りのボルテージは上がっているのだ。
「彼女を勘違いさせた事は、本当に悪かったと思ってる・・・。
僕が軽率だったから、不用意な発言をしてしまった。そのせいで、君と彼女を振り回してしまった・・・本当にごめんなさい!」
母親に怒られる子供のように俯きながら、征夜は謝罪の言葉を述べた。
だが、彼女にはイマイチ響いてないようだ。
「私に伝えて・・・どうするの?」
「えっ?」
「私に謝って、何になるのよ。」
花は俯いて、震えながら拳を握りしめている。
湧き上がる怒りのボルテージが、いよいよ爆発しそうになっている。
「だ、だって、怒ってるから・・・。」
バチーンッ!
花の怒りは、"臨界点"に達したようだ。
征夜でも反応できない速度で、右頬に平手打ちが飛んで来る――。
「・・・痛いよ、花。」
この3週間、常に彼女はこんな調子なのだ。
何をやっても冷たくあしらわれ、どんなにアピールをしても、振り向いてもらえない。
この前までは"熱々カップル"だったのに、今の関係は冷え切っている。
"愛想を尽かされた"のではないか。
そう思うと、無性に悲しくなってくる。
叩かれた頬よりも、彼女から浴びせられる視線が痛い。
失望された。嫌われた。もう巻き戻せない。そう思うと、涙が溢れてくる。
「なんで叩かれたか分かる?」
「・・・分からない。」
自分は謝ったのに、どうして叩かれるのか。
その答えが、脳裏に全く浮かばない。
「キャンプの夜、しっかりミサラちゃんに謝った?」
「謝ったよ。ちゃんと土下座した。君も見てたろ?」
砂利に額を擦り付けてまで、征夜は謝罪の意を示した。
それでも、"謝ってない"と言えるのか。なら、何をすれば謝罪になるのか。皆目、見当も付かない。
だが花は彼の謝罪に関して、思うところがあるらしい。
「その後、あの子のテントまで行った?」
「い・・・行ってない・・・です。」
あの後、征夜は即座に就寝した。
ミサラを傷つけてしまった。花に嫌われたのではないか。
そんな事を思いながら、押し寄せる疲労に追い立てられるように眠った。
しかし花には、それが我慢ならなかった――。
「あの子はまだ、あの事を引きずってるわ。
あなたの謝罪は、あの子に響いてない。だから"わだかまり"が解けないの。
それなのに、あなたは"自己満足"で終わらせてる。私に許してもらえば、それで良いと思ってる。」
征夜はハッとした。
自分は彼女に許してもらう事に必死で、最も傷付いた筈のミサラのケアを怠っている。
今日だって、怒りを受け止める花を守るばかりで、ミサラの気持ちを理解しようとしなかった。
容姿に関する中傷は許されざる行為だが、自分には他にすべき事があった。その事を花は、態度で暗に諭していた。
「自己・・・満足・・・。」
この言葉は、今の自分にピッタリな言葉だ。
吹雪征夜という人間は、どこまでも身勝手な行為を続けて来た。
それを自己満足と言わずして、一体なんだと言うのか。
「征夜、よく覚えておきなさい。
社会人になったら、自己満足な謝罪は通用しない。
子供が親に、先生に、友達に謝るのとは訳が違うのよ。
品格を問われて、常識を問われて、責任を問われる。それが、大人の謝罪なの。
自分は謝った。許してくれないのは変だ。・・・そんなのは、もう通用しないのよ。」
「はい・・・分かりました・・・。」
言われてみれば、思い当たる節は数え切れないほど存在する。
事故死した日の朝だって、「自分のせいだから」という理由で、リムジンでの通勤を断った。
だが、ミーティングを押し付けられた部下は、どんな気持ちだったのか。
他にやるべき仕事があるのに、上司の寝坊を押し付けられる。そんなのは、嫌に決まってる。
「自分の責任だから」と言うなら、リムジンに乗ってでも間に合わせるべきだった。
それをしなかったのは、プライドを重んじたから。「自分は自立してる」という錯覚を、自覚したくなかったのだ――。
自分はダメな人間だ。
社会人として、一人の大人として、論外のクズ人間だ。征夜はしっかりと、そのように再認識した。
「それに加えて、相手は17の女の子なのよ?
多感で、傷付きやすくて、恋を知ったばかりの歳。
それなのに、初恋の人に裏切られた。それが彼女のトラウマになったら、責任を取れるの?」
「取れ・・・ません・・・。」
彼女の上司として、彼女を保護する成人として、最低な事をした。
花には理解できる事が、自分には分からなかった。それなのに、許してもらおうと足掻いた。
なんて、"見苦しい人間"だろう――。
「弁解はあるかしら?」
「何も・・・ありません・・・。」
全てが言い訳で、全てが詭弁だ。
花の言葉は核心を付いていて、文句を付ける隙もない。
だが花は、彼を貶めたい訳ではない。
尊厳を踏み躙って、人格を否定して、自信を喪失させたい訳ではない。
だからこそ、救いの手を差し伸べる――。
「あなたは良い人だと思う。
でも、まだまだ未熟だとも思うわ。そこを治さないと、いつか大きな過ちを犯すわよ。」
彼女からしてみれば、征夜を叱らない方が”楽”なのだ。
いつものように甘やかして、有耶無耶にした方が良い。
何事も無く平和に、二人の関係だけを保っていれば、険悪な関係にはならない。
だが、彼女は親切心で叱っている。
征夜の事が好きだから、彼に少しでも”良い大人”になって欲しい。
彼を成長させ、彼に成長させられる。そんなパートナーでありたい。だからこそ、彼を叱ったのだ。
「夕飯の後、あの子と話を付けるわ。
三人で、じっくりと、あの子が納得出来るまで、話をするから。心の準備をしといてね。」
「はい・・・分かりました・・・!」
今度こそ征夜は、本気の反省をした。
それを見届けた花は、数週間ぶりの笑みを見せる。
「いきなり叩いて、ごめんなさいね。
でも、あなたに分かって欲しいから・・・。」
「うん・・・身に染みたよ・・・!」
「今回の件はあなたが発端だけど、私にもあの子にも非がある。
ここまで叱ってから言うのも変だけど、悪いのはあなただけじゃないわ。
だからこそ、まだやり直せる。しっかりと謝れば、元より良い関係になれるわ!」
「うん・・・ありがとう・・・!」
叩かれた事に対す謝罪よりも、花の笑顔を見れた事が嬉しい。
そして思うのは、もう二度と彼女に”恥じてしまう事”はしたくない――。
「それじゃ、ご飯を作って来るわね!・・・ちゅっ♡」
仲直りのキスを交わした花は、少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら、キッチンへと向かった。
彼女の後ろ姿を見届けた征夜は、別の事に考えを巡らせ始める。
(発端と言えば、最初にガールフレンドって言ったセレアさん・・・今はどうしてるかな・・・。)
そんな事を思いながら、征夜は窓から曇天の空を見上げた――。
「うわっ!天気わりぃな!」
「何とかなるよ!」
「刀鍛冶や魔法使いが宿泊する、大規模合宿所があります。そこに泊まりましょう。」
サランに跨った花は、いち早く目的地を視認した。
ラースに襲われてから2週間、意外と長い旅だったが、無事に目的地へと到達出来たようだ。
視線の先に広がる巨大な谷には、積乱雲が形成されていた。
季節はまだ春なのに、稲妻と豪雨が降り注いでいる光景は、夏真っ盛りと言われても違和感が無い。
「探索する前に、天気が良くなるまで宿を取ろう。」
「えぇ、そうしましょう。」
「・・・サランの上、代わろうか?」
「平気よ。ほっといて。」
「・・・はい。」
花は最近、征夜に冷たい。
嫌われた訳では無さそうだが、未だに怒っているようだ。
(どうすれば・・・許してもらえるのか・・・。)
彼はそんな事を思いながら、目を瞑って馬車に揺られていた。
~~~~~~~~~~
山道を下り切ると、そこには数百人規模の村があった。
降雨量が多い地域だが、この村だけは例外のようだ。
地形的な理由か、はたまた魔法による結界なのか。雨粒も稲妻も村には落ちて来ない。
恐らくだが、原住民は存在しない。
誰もが観光や修行、研究や鍛造などの目的で、ここを訪れた"客"なのだ。
強いて言えば旅館やキャンプ、料理店を運営する老人たちが、唯一の住民だろう。
「ここが稲妻の谷ですか!私、一度は来てみたかったんです!」
魔法使いの修行場所として、この谷は有名なのだ。
その端くれであるミサラにとっては、聖地にも近い感覚なのだろう。
「チェックインは僕が済ませとくよ。三人はくつろいで良いよ。」
「ホテルには私が行くから。少しは、ミサラちゃんに構ってあげたら?」
「・・・はい。」
花は冷たい視線と共に、征夜を制止した。落ち込む彼を置き去って、ソソクサと歩んで行く。
だが、入口の"木製扉"を開けようとした時、花は思わず跳び上がった。
バリィッ!
「痛っ!」
彼女の指には、まるで静電気のような感覚が流れた。
だが、彼女が手を掛けたのは"木製の扉"なのだ。そこに、静電気など流れるだろうか――。
花が振り返ると、"杖を構えたミサラ"が居た。
わざとらしく視線を逸らし、無関係を装っている。
(やっぱり・・・嫌われてるんだ・・・。)
ここ最近、花は頻繁に物を紛失していた。
下着を盗まれたり、スキンケアの中身が消えていたり、書物がゴミ箱に入っていたり。
何も無い所でつまづいて、転んでしまう。
朝起きたら、ベッドに蜘蛛が群がっている。
水とサラダ油が、入れ替わっている。
そんな事も、日常茶飯事になっていた。
犯人は分かっている。自分に嫌がらせをしているのは、間違いなくミサラだった。
(ずっと恋人だって思ってたのに・・・怒っても仕方ないよね・・・。)
結局、話がこじれた原因はそれなのだ。
ミサラにとって、征夜は自分の彼氏。それなのに、全てが嘘だった。
自分はただの友人であり、恋人は他にいた。信じていたのに、裏切られた気分だ。
彼女を排除して、自分が恋人になるには、"陰湿な嫌がらせ"をしても良い。
彼女にとって、"居場所を守る"のは何よりも大切な事なのだから。ミサラは確かに、そう考えていた。
(でも・・・私にも落ち度がある・・・。)
征夜が勘違いを助長させたのは、自分が彼の真意を確かめなかったから。
そう思うと、ミサラだけを注意する気には、どうしてもなれないのだ。
(後で、しっかりと話を付けないと・・・。)
花はそんな事を思いながら、チェックインをした。
~~~~~~~~~~
日が沈み、皆が宿に戻った頃、四人は一つの部屋に集まって、トランプに興じながら雑談をしていた。
「三人とも、今日は何をしてたの?」
「俺はテニスして、ついでにナンパしてた。」
「うん、知ってた。」
テニスコートに居た美女を口説くシンを、征夜は目撃していた。案の定、速攻でホテルに入っていた。
「私は"雷撃魔法・最上級講義"に出てました!
お爺さん、お婆さんが多かったけど、私が一番上手かったです!」
「へぇ!やっぱり、ミサラは凄いんだね!」
「いえいえ!杖の力ですよ!」
そう言うとミサラは、取っ手に黒い羽根の装飾が施された杖を、照明に向けて掲げた。
「私は買い出しに行って来たわ。
明日からは、おそらく村に籠る事になる。天気が晴れるまで、谷の奥には行けないと思ってね。」
「ま、気楽に行こうや!焦っても良い事ないぜ!」
「いや、そうも言ってられないよ。
こうしてる間にも、多くの人が拐われてる。キャンプ場の人だって、みんな連れ去られたんだ・・・。」
2週間前に泊まったキャンプ場の客は、確かに居なくなっていた。証言から察するに、ラースの仕業である事は間違いない。
「話は変わるけど、今って何月かな?
2021年5月21日が、僕の死んだ日だ。そこから逆算すると・・・2022年の3月くらい?結構、時間が経ってるね・・・。」
「やっべぇな!もう10ヶ月かよ!そろそろ24になっちまうわ!」
確かに、シンの言う通りだ。
そろそろ一年が経とうとする中、年齢を重ねてもおかしくない。
「私はまだ17ですね。早く18歳になりたいです!」
18になると、色々な意味で合法になる。
だからこそ、最も若い合法な年齢として、需要が高いのだ。
「僕はまだ24だね。」
ここに来て、三人の年齢が開示された。
すると残された一人も、年齢を明かす空気になる。
「あれ~?あなただけ、年齢言ってませんね~?」
「26よ。」
花は薬品に関する図鑑を読みながら、素知らぬ顔で応答した。
ミサラは彼女を苦しめるつもりで、ワザと年齢の話を出した。だが、彼女があまりに淡白なので、正直言って面白くない。
「26・・・もうすぐ30歳ですね!」
「えぇ、そうね。」
「そろそろ、シミとかシワが出てくる頃ですよ!」
「スキンケアは頑張ってるわ。薬剤師だから、知識はあるしね。」
「ダイエットとかも大変ですよね?胸が大きい人って、太りやすいんでしょ?」
「加齢と共に、人間は代謝が落ちる。
基礎代謝を維持して筋肉量を低下させない為に、最近では日々の運動にも気を使ってるわ。
食事の中にタンパク質を盛り込むのは勿論、ビタミンB1・B2・B6・Dも多めに取るようにしてるわね。
そもそも、胸が大きい事と脂肪の付き易さは、そこまで関係ないわ。
確かに胸は脂肪が9割を占めてるけど、その大元である乳腺が発達してなければ、大きくならないわよ。」
皮肉を込めたミサラの発言にも、花は完璧に対応した。
彼女は薬剤師であり、健康や美容に関する知識は非常に豊富なのだ。付け焼き刃のミサラでは、太刀打ち出来る筈がない。
「くっ・・・!じゃ、じゃあ!太腿はどうですか!そんなに太いと、歩きにくいでしょう!」
「ミサラ!もうやめるんだ!花が嫌がってるだろ!」
「口を挟まないで。」
「はい・・・。」
恋人に対して浴びせられる暴言に、征夜はついに我慢出来なくなった。
だが花は、それすらも制止する。まるで「お前の助けなど要らない。」と言わんばかりに、冷たくあしらった。
「ミサラちゃん、人の体に関する話は、とてもデリケートなのよ。
あんまりズケズケと、話題にする物じゃないわ。」
親しい仲ならば、それも構わないだろう。
それこそセレアならば、彼女も快く聞き流せる。
だが、ミサラは明確な悪意を持っているのだ。その事が、どうしても言葉尻から伝わってくる。
「そんなに嫌なんですか?容姿の話をするのが。」
「あなたの事を思って、私は言ってるの。
あなたの言葉で傷付く人が居て、あなたの事を嫌になる人が居る。
そんな事になって欲しくないから、あなたにも気を付けて欲しくて」
バンッ!
「もう良いです!」
ミサラは不機嫌そうに机を力強く叩いて、勢いよく立ち上がった。そして、三人を残して部屋から出て行ってしまう。
「・・・おっ?"ハイパーお説教タイム"は終わったか?」
「逃げられちゃったけどね。」
「そういう年頃だろ?」
「他人の容姿を揶揄するのは、年齢に関わらず許される事じゃないわよ。」
「そういうもんかねっ!」
シンは悪戯っぽく笑いながら、部屋から出て行った。
どこか小馬鹿にした態度だが、そんな事を気にする余裕はない。花は今晩の夕食当番なのだ。
エプロンをソソクサと厨房に向かおうとする花、その右手を優しく掴んだ征夜は、彼女を呼び止める。
「花・・・ちょっと話がしたい。」
「何?」
怒ったような、それでいて呆れたような顔だ。
彼が今から何を話そうとしているのか、暗に察しているようにも見える。
「その・・・ミサラの件は、本当に申し訳なく思ってる・・・。
これでも、本当に反省してるんだ。そろそろ、許してくれないかな・・・。」
「・・・?」
"何を言ってるんだ、コイツは。"と言わんばかりに、花は首を傾げた。
明らかに怒っている。むしろ先ほどよりも、怒りのボルテージは上がっているのだ。
「彼女を勘違いさせた事は、本当に悪かったと思ってる・・・。
僕が軽率だったから、不用意な発言をしてしまった。そのせいで、君と彼女を振り回してしまった・・・本当にごめんなさい!」
母親に怒られる子供のように俯きながら、征夜は謝罪の言葉を述べた。
だが、彼女にはイマイチ響いてないようだ。
「私に伝えて・・・どうするの?」
「えっ?」
「私に謝って、何になるのよ。」
花は俯いて、震えながら拳を握りしめている。
湧き上がる怒りのボルテージが、いよいよ爆発しそうになっている。
「だ、だって、怒ってるから・・・。」
バチーンッ!
花の怒りは、"臨界点"に達したようだ。
征夜でも反応できない速度で、右頬に平手打ちが飛んで来る――。
「・・・痛いよ、花。」
この3週間、常に彼女はこんな調子なのだ。
何をやっても冷たくあしらわれ、どんなにアピールをしても、振り向いてもらえない。
この前までは"熱々カップル"だったのに、今の関係は冷え切っている。
"愛想を尽かされた"のではないか。
そう思うと、無性に悲しくなってくる。
叩かれた頬よりも、彼女から浴びせられる視線が痛い。
失望された。嫌われた。もう巻き戻せない。そう思うと、涙が溢れてくる。
「なんで叩かれたか分かる?」
「・・・分からない。」
自分は謝ったのに、どうして叩かれるのか。
その答えが、脳裏に全く浮かばない。
「キャンプの夜、しっかりミサラちゃんに謝った?」
「謝ったよ。ちゃんと土下座した。君も見てたろ?」
砂利に額を擦り付けてまで、征夜は謝罪の意を示した。
それでも、"謝ってない"と言えるのか。なら、何をすれば謝罪になるのか。皆目、見当も付かない。
だが花は彼の謝罪に関して、思うところがあるらしい。
「その後、あの子のテントまで行った?」
「い・・・行ってない・・・です。」
あの後、征夜は即座に就寝した。
ミサラを傷つけてしまった。花に嫌われたのではないか。
そんな事を思いながら、押し寄せる疲労に追い立てられるように眠った。
しかし花には、それが我慢ならなかった――。
「あの子はまだ、あの事を引きずってるわ。
あなたの謝罪は、あの子に響いてない。だから"わだかまり"が解けないの。
それなのに、あなたは"自己満足"で終わらせてる。私に許してもらえば、それで良いと思ってる。」
征夜はハッとした。
自分は彼女に許してもらう事に必死で、最も傷付いた筈のミサラのケアを怠っている。
今日だって、怒りを受け止める花を守るばかりで、ミサラの気持ちを理解しようとしなかった。
容姿に関する中傷は許されざる行為だが、自分には他にすべき事があった。その事を花は、態度で暗に諭していた。
「自己・・・満足・・・。」
この言葉は、今の自分にピッタリな言葉だ。
吹雪征夜という人間は、どこまでも身勝手な行為を続けて来た。
それを自己満足と言わずして、一体なんだと言うのか。
「征夜、よく覚えておきなさい。
社会人になったら、自己満足な謝罪は通用しない。
子供が親に、先生に、友達に謝るのとは訳が違うのよ。
品格を問われて、常識を問われて、責任を問われる。それが、大人の謝罪なの。
自分は謝った。許してくれないのは変だ。・・・そんなのは、もう通用しないのよ。」
「はい・・・分かりました・・・。」
言われてみれば、思い当たる節は数え切れないほど存在する。
事故死した日の朝だって、「自分のせいだから」という理由で、リムジンでの通勤を断った。
だが、ミーティングを押し付けられた部下は、どんな気持ちだったのか。
他にやるべき仕事があるのに、上司の寝坊を押し付けられる。そんなのは、嫌に決まってる。
「自分の責任だから」と言うなら、リムジンに乗ってでも間に合わせるべきだった。
それをしなかったのは、プライドを重んじたから。「自分は自立してる」という錯覚を、自覚したくなかったのだ――。
自分はダメな人間だ。
社会人として、一人の大人として、論外のクズ人間だ。征夜はしっかりと、そのように再認識した。
「それに加えて、相手は17の女の子なのよ?
多感で、傷付きやすくて、恋を知ったばかりの歳。
それなのに、初恋の人に裏切られた。それが彼女のトラウマになったら、責任を取れるの?」
「取れ・・・ません・・・。」
彼女の上司として、彼女を保護する成人として、最低な事をした。
花には理解できる事が、自分には分からなかった。それなのに、許してもらおうと足掻いた。
なんて、"見苦しい人間"だろう――。
「弁解はあるかしら?」
「何も・・・ありません・・・。」
全てが言い訳で、全てが詭弁だ。
花の言葉は核心を付いていて、文句を付ける隙もない。
だが花は、彼を貶めたい訳ではない。
尊厳を踏み躙って、人格を否定して、自信を喪失させたい訳ではない。
だからこそ、救いの手を差し伸べる――。
「あなたは良い人だと思う。
でも、まだまだ未熟だとも思うわ。そこを治さないと、いつか大きな過ちを犯すわよ。」
彼女からしてみれば、征夜を叱らない方が”楽”なのだ。
いつものように甘やかして、有耶無耶にした方が良い。
何事も無く平和に、二人の関係だけを保っていれば、険悪な関係にはならない。
だが、彼女は親切心で叱っている。
征夜の事が好きだから、彼に少しでも”良い大人”になって欲しい。
彼を成長させ、彼に成長させられる。そんなパートナーでありたい。だからこそ、彼を叱ったのだ。
「夕飯の後、あの子と話を付けるわ。
三人で、じっくりと、あの子が納得出来るまで、話をするから。心の準備をしといてね。」
「はい・・・分かりました・・・!」
今度こそ征夜は、本気の反省をした。
それを見届けた花は、数週間ぶりの笑みを見せる。
「いきなり叩いて、ごめんなさいね。
でも、あなたに分かって欲しいから・・・。」
「うん・・・身に染みたよ・・・!」
「今回の件はあなたが発端だけど、私にもあの子にも非がある。
ここまで叱ってから言うのも変だけど、悪いのはあなただけじゃないわ。
だからこそ、まだやり直せる。しっかりと謝れば、元より良い関係になれるわ!」
「うん・・・ありがとう・・・!」
叩かれた事に対す謝罪よりも、花の笑顔を見れた事が嬉しい。
そして思うのは、もう二度と彼女に”恥じてしまう事”はしたくない――。
「それじゃ、ご飯を作って来るわね!・・・ちゅっ♡」
仲直りのキスを交わした花は、少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら、キッチンへと向かった。
彼女の後ろ姿を見届けた征夜は、別の事に考えを巡らせ始める。
(発端と言えば、最初にガールフレンドって言ったセレアさん・・・今はどうしてるかな・・・。)
そんな事を思いながら、征夜は窓から曇天の空を見上げた――。
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