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第九章 反逆の狼牙編

EP246 幼き日の恐怖

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「まぁ許しといてやる。次また変なこと言ったら、姉さんを呼ぶからな。」

「ガキじゃねぇんだから、姉貴の腰巾着なんてしてんなよ!」

 つまるところ、イーサンの主張は幼稚園児の言う「お姉ちゃんに言い付けるぞ!」と同じであり、シンは思わずツッコンでしまった。
 単純に肝っ玉が小さいのか、年齢に不相応なシスコンなのか、どちらにせよ情けない発言に思えてくる。

「うるせぇッ!・・・・・・一応聞いとくけど、姉さんはどう?」

「・・・は?いや!無い無い!あんな暴力女、付き合うのは有り得ないって!顔は可愛いけどさ!
 見てる分にはおもしれーけど、一緒に住むとか絶対無理っしょ!マジで無い!そもそも男が嫌いそうだし!」

 アメリアとの交際を提案されたシンは、両手を大袈裟に振って否定した。
 友人として関わる分には面白いが、あの性格では恋人とするのは難しい。その絶妙なバランスを、シンは主張する。

 そんな中、最後の一言がイーサンの顔を曇らせた――。

「男が嫌い・・・か。」

「ん?どうした?」

 おちゃらけた雰囲気が、イーサンの態度で一変した。
 苦虫を噛み潰したような表情でシンに視線を送る彼は、嫌な事を思い出したようである。

「姉さんは男が嫌いなんじゃない。・・・怖いんだ。」

「は?そんな訳ないだろ。」

「真面目な話だ。聞いてくれ。」

「・・・おぅ。」

 いつになく神妙な面持ちで話を切り出したイーサンの言葉に、シンは取り敢えず耳を傾ける。

「15年ぐらい前、僕たちの父さんは事故で死んだんだ。俺たちが8歳の頃にね。」

「おぉぅ・・・。」

 なんだか、身につまされる話だ。
 ちょうどシンの両親も、同じくらいか少し後に亡くなっていた。なので、その話は共感しかない。

「シンママになったお袋は、ホントにギリギリの所まで追い詰められてた。
 そんな中で、1人の若い男と付き合い始めたんだけど・・・その男が曲者でね。」

「う~む・・・嫌な予感が・・・。」

 "シングルマザー"、"曲者の男"、この二つの単語は化学反応を起こしやすい。そして、大抵が悪い方向に進んで行く。

「お袋はなんて言うか・・・世話好きな人でさ。
 弁護士として日本で働いてたんだけど、少年院で"アイツ"に会ったらしい。」

「・・・アイツ?」

「あぁ、そこらへんのチンピラ野郎だよ。
 名前は確か・・・覚えてないや。何にせよ、マジのクソ野郎だった。」

「う~む・・・大体分かって来た・・・。」

「お察しの通り、後は"よくある話"だよ。シンママがダメ男にトキめきやがって、付き合い始める。
 けどまぁ、"カス同士でつるんで事故って豚箱行き"になるような奴だったからね。・・・分かるだろ?」

 いつになく語気が荒いイーサンの様子を見て、シンは彼が本気で怒っている事を察せられる。

「アイツが保護観察になると、お袋は家に連れ込んだ。勿論、俺らは毎日殴られてた。
 俺はそのうちデカくなって、アイツから狙われなくなったよ。けど、姉さんはsmallだったからね。いつまでも殴られてた。」

 イーサンの体躯は、今となっては185近い。成長スピードを考えれば、10歳で170あっても変ではない。
 だがアメリアは、弟とは対照的に小柄だ。身長はミサラより少し高いぐらいで、言い方は悪いが"虐めやすい"体だった。

「保護観察なのに、そんなメチャクチャ出来るのか・・・?」

「お袋は弁護士のくせに、野郎の事を庇ってた。
 いや、弁護士だから庇ってたのかな。何にせよ、アイツも同罪だったさ。」

 母のことを憎らしげに話すイーサンの目には、殺意が満ち溢れていた。
 10歳の子供たちが、連れ込んだ男に殴られている。それを見て見ぬフリして同棲を続けるのは、ハッキリ言ってドブ以下のクズだ。

「そんなこんなで、アイツは普通に観察から外れた。
 観察中がマシだったと思えるくらい、野郎は更にクソになった。」

 保護観察中であれば、彼の母が庇える範囲の事しかしない。だが、釈放されれば全てが"合法セーフ"になる。
 無論、児童虐待は決して合法ではないし、許されてはならぬ行為だ。しかし、そもそも虐待を行なうカスには、そんな倫理観など存在しない。

「それで、いよいよ姉さんに手を出そうと狙い始めたんだ。猿以下の知能だったし、我慢が出来なかったんだろうな。」

「手・・・出されたのか?」

「いや、出されてない。少なくとも本番はね。セクハラまがいの事は毎日されてた。」

「酷いな・・・。」

 シンは珍しく、他人に対して同情の念を持っていた。
 こんな感情、これまでの人生では数えるほどしか持った事がない。
 それなのに、アメリアに対してはそんな感情が自然と湧く。その理由は、彼にも分からなかった。

「お前が・・・助けたのか?」

 ここまでの話の中で、イーサンは傍観者に近い立ち位置に居た。
 姉が凄惨な児童虐待の被害に遭っていれば、弟とて指を咥えて見ている訳にはいかないだろう。なので、そろそろ彼の活躍が聞ける筈だと思ったのだ。

 だが、イーサンの回答は不可思議な物であった――。

「いいや・・・野郎は勝手に死んだんだ。
 父さんと同じように突然、事故でポックリ死んだ。」

「・・・そりゃあ良かったな!ハッピーエンドだ!」
(お前が助けたんじゃないのかよ!)

 シンの中の"イーサンポイント"が、95点から90点くらいまで低下した。
 子供だから仕方ないとは言え、結局は姉の危機に何も出来なかった事実は変わらない。そんな無力さ、行動力の不足は、"僅かな減点対象"となる。

「ただなぁ・・・風の噂じゃ、殺されたって説もある。」

「は?事故じゃねぇの?」

「バイク事故で後頭部を強打して死んだらしいんだが、その割には顔面に大きな打撲痕があったらしい。
 結局、警察もそれ以上は話してくれなかった。・・・まっ、野郎の死因なんてクッソどうでも良いけどな。」

「せやな。」
(いや、どうでも良くはないだろ!)

 事故と殺人では、心の"スカッと具合"が違う。当然、シンとしては殺人の方が良かった。

「俺たちは泣いて喜び、母さんは泣いて悲しんだ。
 俺は野郎が死んだのは事故だと思ってるけど、姉さんは"白馬の王子様"が奴を倒したと信じてる。」

「アッハハハハッ!なんだそれ!!!」

「顔も何も分からない奴、そもそも居るのかも分からない。けど姉さんは、ソイツに初恋してたね。今はどうか知らないけど。」

「ハハッ!結構可愛い所あるじゃん!?」

 あの強気なアメリアが、"白馬の王子様"などと言う物に憧れるほどメルヘンだった。
 その事実はシンに"ギャップ萌え"とも言える感情を湧き起こらせる。

「そのうち、姉さんは父さんの専門だった天文学にハマって、後を継いでそっち系の学者になった。
 俺も天文学をやろうとしたんだけど、イマイチ面白くなくてな。別方面の研究員になったよ。」

「ふむふむ。」

「因みに、姉さんには天文学者だって嘘付いてる。」

「は?なんで?」

「厄介オタクだから、化学者だって言うと怒るんだ・・・。」

「なんじゃそりゃっ!?」

 正直、意味が分からないが納得は出来る。その微妙な感覚を、シンは捉えていた。

「話を戻すよ。それ以来、姉さんは男を避けるようになった。
 野郎への恐怖で、肌を男に触られるのを未だに嫌がってる。強がって男を威圧してるけど、本心ではトラウマなんだと思う。」

「そうかぁ・・・。」

 理由も無く男が嫌いなのかと思っていたが、全くそんな事は無かった。
 義父とも言える存在から性的虐待を受けて、母からもそれを容認されていた。そんな過去があったのでは、になるのも頷ける。

 彼女の、男に対する苛烈なまでの攻撃は、"恐怖の裏返し"であった――。

「今日はだいぶ機嫌が良いけど、明日はどうなるかな・・・。」

「アレで機嫌が良いのか?」

「むしろ奇跡的だよ。
 隊長に対する態度を見てたろ?アレが普通なんだ。一時期は、僕とも喋ってくれなかったし。」

「そりゃあそうだ。」

 自分がアメリアであったなら、虐待を受けていた時に何もしてくれなかった弟には、些か不信感を覚えるのも無理はないだろうと、シンは共感した。

 大人になった今だからこそ、"どうしようもない状況"という物の存在にも気付ける。
 だが、"なんでも出来る"と言う希望に満ち溢れている幼少期は、無自覚に他人へも無茶を期待するものだ。そして、それを裏切られると落胆する。

「もしかしたら姉さん、お前には心を許してるのかもな?こんなsmallで弱そうな奴の何処が良いのか、分からんけど!」

「背だけデカくて頼りないデクの坊と一緒に育ったから、男の魅力に身長なんて関係ないって気付いたんだろッ!?」

「・・・そうかもな。」

 シンの口撃は、イーサンにクリティカルヒットした。

 お互いに冗談で言い合ったつもりなのだが、イーサンのダメージは深刻だ。
 幼少期のトラウマと、姉を救えなかった無力な自分に対する後味の悪い思いを、ゴッソリと抉り取るような重たい一撃が、彼を閉口させる。

 そんな中、シンはイーサンを置いてアメリアの方に走って行く――。

「おい~!アメリア~!」

「何よ?馴れ馴れしく呼ばないで!キモい!」

 ニヘニヘと笑いながら駆け寄って来るシンを見て、アメリアは罵声を浴びせる。
 だが、その直後に繰り出された"衝撃の一言"によって、彼女の思考は停止する――。

「俺が"嫁"に貰ってやろうか!?」

「・・・え?」

 シンは突然、"結婚の申し込みのような物"を、アメリアに提示した。
 だが、その口調はまさに"俺様気質"であり、乙女ゲームのイケメン並みの上から目線だ。

 無論、こんなの単なる冗談である。
 自分でも、なぜこんな事を言いたくなるのか分からないほど、くだらない冗談。けれどシンは、どうしても言いたくなったのだ。



 一瞬、時が止まったかのような静寂が、辺りを包み込み――。



「・・・・・・くぁwせdrftgyふじこlpッ!!!」

「えっ?・・・ぴぐぎゃあ"ぁ"ぁ"ぁ"ッッッ!!!!!」

 アメリアは言語化を憚られるほどの罵詈雑言と共に、シンの股間を蹴り上げた。
 あまりの激痛に耐えかねたシンはその場に卒倒し、悶え苦しんでいる。

「げっ!?だ、誰かッ!シンの息子がやられた!早く来てくれ衛生兵ぃ~ッ!!!」

 シンの生殖能力の危機を察知したイーサンは、急いで衛生兵を呼び付けた。
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