遊羅々々うらら

H.sark-9

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004話 春霞の昼下がり

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頭を地面から引き抜いて、火奴羅は起き上がった。
(この先に村でもあるんだろうか。)
火奴羅は彼女が行く方へ歩き始めた。林冠がすこし開けて明るくなってくると、穏やかな色合いの中に突如、鮮やかな彩りが現れた。村のようであった。
(わあっ、ファンシー。)
まるまるとして可愛らしく、しかし立派に巨大なキノコがぽこぽこと立ち並ぶ。素朴にくり抜いてある窓や暖かそうな木の扉は、まるでおもちゃのようであった。
焼きたてのパンケーキのような、鮮やかなサフラン色の柄の巨大なきのこ。歪で所々すじが入ったような形の傘は、葡萄色のものや林檎色のもの、桃色のものなどあって、見るも楽しげであった。
(なんだか絵本の中にいるみたい。)
近づいてみれば、やはりそこには村の者たちがいた。そしてそれらが皆、脚がなく、逆さまの玉ねぎのような下半身をして、ふわふわ浮いている。顔つきなどは楽鬼や舞闘に似て、一対の瞳と一つの口がある丸顔で、豊かな頭髪がある。聴けば言葉を発することもできるようであった。
(素敵…。)
木陰で見とれていると、火奴羅は後ろから声をかけられた。
「あの、もしもし。」
火奴羅が振り向くと、そこに居たのは背の高い、歳上の女性であった。村の者と同族のようで、中でもかなり細身である。
「初めまして。見ない方ですね。」
火奴羅はちょっと慌てた。
「はっ、あ、ええ、そうなんです。」

火奴羅は村の一番手前にあるキノコハウスに案内された。村はやはり少しざわついていたが、女性はあまり気にしていないよう。
「あら…。」
火奴羅ははっと息をのんだ。丸い窓、木製の椅子、テーブル。置かれた家具はどれも曲線のデザインが美しく、火奴羅はなにか洒落た演劇の世界に入り込んだような心地がした。キノコの傘の部分にも部屋があるらしく、階段まで備わっていた。
「ゆっくりしていってくださいね。」
華奢で艶てかの有る木製のグラスに、甘い香りがきらめく。みれば絵の具のように鮮やかな色の果汁がなみなみと。
「わあーっ、美味しそう。ありがとうございます。」
火奴羅は微笑みを見せた。
女性は優しそうで、しかしどこか掴めない様な表情で彼を見つめていた。髪は長く琥珀色で、瞳は澄んだ茜色。豊かな幅の服装は、大人びた雰囲気をふわりと纏っていた。

「私、火奴羅といいます。」
火奴羅は深くお辞儀をした。
「揺陽と申します。お見知りおき。」
彼女もお辞儀した。
「こちら、外の黄色い果実から採ったものですが、どうですか。」
火奴羅は目を閉じて一口。舌先から頬の中まで、柔らかな冷たさが流れゆく。微かな蒼い香は涼やかに、春の訪れをさえずった。ちらりと舐めた唇も甘い。
「とっても甘露です…!」
「そうですか。それは良かった。」

「ところで、貴方はどのようにしてこの場所へいらしたのでしょうか。」
その優しげな顔。
「ええっと、ん、確か、洞窟の…。あ、きのこ。きのこの輪の中を通って来たんです。」
「やはり、そうですか…。」
揺陽の顔が曇った。すこし目線を逸らして居る。
「…なにか?」
火奴羅は胸が嫌にふわりとしたのを感じた。
「いえ、なんでもありません。」
そして首をかしげて見せる。
「ただ、この村に外界の方がいらっしゃるのは…、初めてのことですから。」
「さようで。どうりで外の方がざわついていたわけですね。…ん、ごちそうさまです。私、そろそろ行きますね。ほんとに世話になりました。」
火奴羅はくいっと飲み干して、すこし慌てた様子で走ってゆく。
「あーーっ!しばしお待ちを…!」
がたん、大層な勢いで駆ける揺陽。細い腕で扉を押さえ込んだ。
「あら…?」
「はあ、あ、いえいえ、はあ、ゆっくり、していって、くださいな。なんならずっと…、はあ、ここにいらっしゃって、構いませんから。はあ。」
「えっ…、あ、よろしいんですか。」
よほど息切れしており、随分焦った様子をみせる揺陽。火奴羅は目をぱちぱちさせたが、すぐに微笑みをしてみせる。
「では…、そうさせていただきます。ありがたく。」

家の前に出た揺陽は、首にかけた小さな木の玉を唇にあて、吹き通した。笛の音。真っ直ぐに澄んだ音が高らかに鳴り響く。村の者たちが一斉に、ふたりの前に集まって来た。
(十一体。小さな村だな。)
「皆さん。え、今日からここに新しく住むことになるのが、この方、火奴羅さんです。」
(はい。火奴羅ですっ。…え?)
一瞬の静寂。風と木々の揺れる音だけ、ざわざわと、激しく村に響く。異様な来訪者に、各々が目を見張った。見たことのない装いに、見たことのない髪の色。下半身が二股に分かれて地を立つ姿。白の中に瞳が居る、変わった配色の目。
(住む!?)

(あっさりと定住権を与えられてしまったな。まあ…、帰る場所と云うのも悪くない。)
突如、彼より少し大きいくらいの少年がずいと前に出る。風を切る声で叫んだ。
「貴様!一体どこから参った!」
「こら、秋河。あまり怖がらせてはいけません。火奴羅さん、自己紹介を。」
揺陽の声は聞くにおだやかで、しかしよく通った。
「あっ、はい。私、火奴羅っていいます。よろしくです。」
「皆さん。仲良くしましょうね。」
「はーい。」
その一番奥、すこし暗いところに、浮かない顔の少女が居る。柿色の波打つ髪、桃色の瞳。白い襟が揺れた若葉色の着衣に、深緑の下衣。
(あの子、さっきの…。)
ぼんやり、目が合う。気づいて慌てつつ、目を逸らしあった。

「さて。」
揺陽は、ぱしっと手を叩いた。
「火奴羅さんの住む処が要ります。が、とにかく今夜のことですが、お宿を確保しないといけないので…。誰かいらっしゃいますか。」
各員、目線を下げる。
(そらねえ。)
「…仕方ないですね。とりあえず私の家を貸します。とにかく、今日からこの方は皆さんの仲間ですから、よろしくお願いしますね。」
「はーい。」
(強引だな。ま、よいか。)
綿毛が風に流れて飛ぶように、村の者たちはふわふわと飛んで行った。
「ほら、あなたも遊んでいらっしゃい。」
「あ、ええ、え…では。」
ぺこっとお辞儀をして、火奴羅も歩き出す。

(帰る場所…。)
誰と戯れるでもなく、いたづらに歩き回っていた。何やら物音がして振り返ってみれば、いつかの少年。樹上から降り立ったようで、少し息が立っている。
「邪魔が無くなったな…。貴様!俺と勝負しろ!」
背負った木の帽子は太く傷だらけであり、巻いたハチマキは刺繍が可愛らしい。髪は短く、つんとした感じであった。
「え、はじめまして…。」
少し笑みを浮かべてみせる。
「勝負するか!しないのか!」
少年は凄んだ。
「お相手いたします。」
集まる見物に目もくれず、両者見合って居る。
「良い度胸じゃねえか。行くぞ!」
少年は殴りかかった。ふわり、宙を返る火奴羅。
「何っ!!」
「後ろ…。」
火奴羅の囁き声。少年はびくっと肩を揺らして振り返る。
「きっ、く…、貴様あ!」
もう一度。火奴羅はささと下がった。
「ぬ!素早いやつ!しかし負けん!」
そしてまた少年が火奴羅に飛びかかる事およそ一時間。遂に少年は目を回して倒れてしまった。
「きっ…は、貴様ぁ…、はあ、なかなか…、っ、やるな…!」
「えへ。やるっしょ?」
すこし悪戯っぽく火奴羅は笑った。
「あなたは、秋河…?」
火奴羅はすこしかがんで、にことしながら手を伸ばした。
「仲良くしましょ。」
背後に気配。
「気に入らないねぇ…。」

突然、威迫の声。少し低めの、キレのある声であった。立って振り向いて見ると、左斜めにひとつ結んだ琥珀色の髪を肩に乗せた、背の高い女性の姿があった。瞳はすこし深い紅色をしており、目つきが鋭い。
「喧嘩の相手を…、ねぇ。舐めるんじゃないよ、あんた。」
そよ風は鋭く、村の空気を切り裂いた。冷たい静寂。見物の顔色もはりつめる。
「あら、そう云うつもりは。」
火奴羅はすこし困ったように笑ってみせた。
「うるさい!喧嘩ってのはな、本気の勝負なんだ!あんたは何だ?へらへらして。そんなんで勝ちを称するなんて、卑怯だってのよ!」
腰に手を当てて向かえた。
「お名前は。」
火奴羅は体を斜めにし、背を立てる。
「あたしは芽果。本気で来な。でないと怪我するよ!」
彼女は首を振った。力強い。髪がばらんと舞い、彼女の背中に回った。
そして飛ぶ。速い。
(どうしましょ。)
迫る。彼女は迫る。遂に火奴羅の目先へ。
彼女は勢い余ってすこしよろけ、はっとして振り向いた。火奴羅は後ろ。その顔はやはり少し困ったよう。
彼女は拳をぐっと握りしめた。
「舐めんな!本気で来い!」
彼女は力を込めた。飛びかかり、手を伸ばす。その時。
突風が一つ貫く。
「痛…っ!」
彼女は手を首筋に触れた。一筋の、血。
振り向けば、火奴羅は宙に浮かんでいて、彼女を見下ろしていた。桜色の視線が、木漏れ日の様に彼女を見下ろしていた。

そして火奴羅は降り立つ。
「勘弁して下さいな。」
尚も火奴羅は柔らかな口調で云った。
「くっ…!何で!?何で本気を出さない!」
芽果は一番大きな声をした。火奴羅は少し俯き、伏し目がちにする。
「あなたは…、私を殺したい?」
さらり、そよ風が鳴く。
「え…?」
「私の…本気は、殺すこと。」
木漏れ日はいつも、無神経なほどに爽やかである。
「おかしいですよね…。物騒ですよね。でも私、そう云う世界に居たから…。だから私、本気なんか出来ません。殺し合いなんて嫌だから。あなたとは。」
火奴羅はまっすぐその瞳で芽果を見とめた。少し悲しく、暖かく見据えた。
そしておもむろに懐から細い布を出すと、ゆっくりと芽果に近づいた。柔らかく手に纏いて、首元を包む。
「薬、塗ってあります。すぐに治るでしょう。」
芽果の後ろを歩いてすれ違いざま、火奴羅は一度立ち止まった。
「痛い思いさせて、ごめんなさいね。」
 そして歩いてゆく。
「待ちな。」
呼び止めた芽果の声は、少し爽やかな色。張り詰めた風が少しずつ綻んでゆく。
「あんたがそう考えるなら…。だったらあたしは、あんたに殺されない程強くなって、あんたを殺さずに負かしてやるよ。」
長く生きた者の、さりげない気持ちが閉じた言葉。
火奴羅は立ち止まった。少しだけ黙った。黙ったまま、空を見上げて、また俯いた。
そしてまた振り返って見せる。目の下をさらりと指でなぞって、深くお辞儀をした。
風が止んだ。木々は枝を広げ、日の光が村を暖かく照らす。そしてまたそよ風が流れ、森の穏やかな香気が村に溢れた。誰かの心が、ふわり、和らいでゆく。
ひとり、またひとりと、見物は家に帰って行った。光の中を泳ぐように、ゆらゆら、去って消えてゆく。
「お気遣い、ありがとうございます。」
何も言わず、芽果は少し微笑んだ。
火奴羅も、今度はにこやかに笑みを返した。
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