遊羅々々うらら

H.sark-9

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012話 パステル・レストラン

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「ん…?」
ぱちりと目を覚ます火奴羅。体を起こすと、がさりと音がする。
(ああ、そうか。いつの間にか眠ってしまっていたのだな。)
見渡すと山沿いの、そり立つ木上の若葉絨毯。しなる木枝と移ろうて光る緑の木漏れ日の瞬き。ゆめうつつの心地で、火奴羅は大きく伸びをした。
胸いっぱいに風を吸い込むと、奇妙、妖艶な香り。
(ああっ。なんと甘美なことでしょう。)
恍惚の境地に酔いしれん。しばらくすると、会好も起き上がった。目を閉じて空を仰ぐ。小さなため息、そしてゆっくりと目を開ける。
「ん、眩しい…。」
小さな額にかざす手が、木の葉の光を映して柔らかく緑に染まる。優雅な、穏やかな朝だった。
「おはよう、会好。」
火奴羅はまた背を横にした。全身で受ける陽の光がほのかに暖かい。
「火奴羅。おはよう…」
会好は眠たげな一言、息を大きく吸い込んだ。そして目を閉じたまま、軽やかな笑顔を見せる。
「わあ、この香り。」
「覚えがあるの。」
火奴羅はふわりと浮き上がった。
「うん…。」
そう言って会好はゆらゆらと降りてゆく。火奴羅もそれに従うと、紫色の果実が現れた。
「ほお。」
その色、透き通って、縦に入る微かな線が美しい。大きさは軽く口にしてしまえる程で、まばらに実ってしなるその枝の緑でさえ、はりつやと透明感があって瑞々しく、きらめく朝露をこしらえて佇むその姿、涼やかな春の趣を鮮やかに表したものだった。
「スグイというのよ。」
小さな会好には、その実も両腕に収まるほど大きかった。
「すぐり…?」
火奴羅は人差し指を頬に当てて首を傾げた。そしてその房を一つ千切って、会好に渡した。
「スグイだよ。…あれ?いらないの。」
手に余るほどのスグイの実を、嬉しそうに受け取る会好。
「合わせるものを探すんだ。朝食の支度をね。」
火奴羅は飛んだ。会好もそれに続く。

山の麓まで降りて、草原を少し進む。すると木陰に、なにやら黒い影が。
「お。」
火奴羅はすっと止まると、会好の手を引いて近くの茂みに隠れた。川のせせらぎが彩る静けさ。
「わ、なに?」
会好は火奴羅の耳元でささやいた。
「会好。目を閉じてここにいて。」
火奴羅は飛び上がった。指先が強く光る。
影が鋭く動いた。陽に照らされて現れた、会好の背ほどの小さな怪物。太い筒状の胴は節々のごつごつ鎧に覆われ、毛のように生えた刺から突き出る身に余るほどの鋏が、黒くぎらりと光りながら、脅しに奇妙な動きを見せる。
一瞬見合ったかと思うと、火奴羅が消えた。見るとその怪物を掠めるように桃色の線が伸びて、その先にいつの間にか火奴羅がいる。
「わあ、速い。」
会好は茂みの中、枝葉の上に肘をかけて眺めていた。

その黒いのは力なく落ちて、草葉を散らして地に伏せた。
火奴羅は拾い上げると、懐に入れて後退り。茂みの横につけて、そっと囁いた。
「もういいよ。」
会好が茂みより顔を出すと、火奴羅は立ち上がった。落ちたばかり、大きめの蒼い木の葉を川水にすこし通すと、火奴羅は振り返った。
「いこか。」
「ね、それ見せて。」
火奴羅の胸の膨らみを、会好は指差した。
「え。」
火奴羅は目を丸くした。
「…見てたの?」
こくりとうなずく会好。火奴羅はそれを取り出すと、座り込んで会好の目の前に差し出した。
「ヤガニ。狭く云えば、アカヤガニ。」
見ると名の通り、黒く光る身体は微かに褐色を帯びている。
「んー。」
会好は目を大きく、まじまじとそれを見つめると、火奴羅の顔を見上げた。
「ね。これ、食べるの。」
「そうよ。」
会好は目線を戻した。近づいて、そっと触れてみる。
「怖くないのか?」
火奴羅は大きな木の葉を置いた。
「ん。」
会好は顔を近づけて、すうと息を吸った。
(意外だな…。慣れてきているのか。)
火奴羅はそれを眺めると、目を細くしてすこし微笑んだ。

「…。」
ふうと息をつくと、こつこつと叩いてみる。
「ね。こんなの、ほんとに美味しいの。」
火奴羅はふわりと浮き上がった。
「がっちゃ!!」
きりっと強い笑みを見せる。
「見せたらあ!我が至極の手捌き!」
「わーっ!」
晴れやかな顔で会好は手を叩いた。
材料:ヤガニ           一尾 
          スグイ果実    一房
工程:
①  ヤガニの背殻に切り込みを入れる
懐の沙水斬、華麗に登壇。
「ほ。」
踊る刃の掠め斬り。
「おおーっ。」
ぱたぱたと会好が手を叩く。
②   ワタを取り除く
蒼い刀筋がヤガニの腹部分で複雑な形を描いた。赤黒いものがほろほろと抜け落ちる。
「いいかな!」
火奴羅は静かに笑った。
③   そのまま強火で炙る
沙水斬、くるりと回って降壇。小枝を二振り拾って手先で交差、打ち付けるが如く、びしぃと一度素早く擦る。
「わあ!」
会好の目は炎色。燃えた小枝を手のひらに、そして枯れ葉をすこし砕いて火にまぶす。
「このくらいかしら。」
こうこうと燃える手上のグリル。横たえられる野蟹の身に、ふわり、たゆたう炎が寄り添う。
④   殻が少し開いたら火を止め、酸味を添えて出来上がり。
「わあ、いい匂い!」
ちりり、火花。汁に潤んだ身の奥、焦げ色が花開く。ふわっと焼き身を放ると、手で火を握りつぶした。そして木の葉を拾って皿として、それを柔らかに受け止めると、懐より輝きの鮮やか果実を一粒搾ってさらりと回した。

「はいな!」
簡単な一品に、きらめきの笑顔を添えて。
「うわあ、おいしそうかも…!」
心踊って舌の舞。至極の一皿、独り占め。
「食べてみる?」
沙水斬でさらに切れ込みを入れる。濃厚な香り。
「ん。」
食器がないので、そのままかじりつく。
「んーっ!」
小さな口の中、汁気たっぷりの味が広がる。ちょっと苦いような、独特のまったりした香りと、やわらかくて歯応えが楽しい身を噛み締める、弾けるような音。そしてすぐいの微かにさわやかな、きりっと突き抜ける風味。
「うん!おいしい!いいねっ!」
身体の小さな会好がたらふく食べてお腹を満たしたのち、残った焼き身の大半を火奴羅がさらりと平らげる。
「ん!美味しくできてよかった。ごちさ!」

まだ涼やかで、草がそよぐ朝の空。すこし強い風がさわやかに会好の身体をはたはたと抜けてゆく。火奴羅は伸びをして、緑の香る土の上、寝転がって目を閉じている。会好は遠くを見て、すこし考え事。
(おいしかったなあ。おいしかったけど…。)
思い出せば、村の記憶。
(会好ちゃん。僕にも料理をいくつか教えてくれないか。)
(会好、この味付けどうやるんだっけ。)
(みてみて!切るの上手くなったでしょう?)
風に流れる髪を払って、手をそっと頬に添えた。
(そう…。私は料理がうまかった。村の誰よりも!)
会好の胸がすこし熱くなる。
(きっと火奴羅が強いのも、この気持ちと同じ。)
口に手を添えて優雅にあくびをする火奴羅を、ちらり、上から見下ろした。
(火奴羅…!いつか料理で、火奴羅を負かして見せるよ!)

「ん、そろそろ行こか。」
「うん。」
陽が照ってぼんやり暖かく、風も収まってきた昼下がり。火奴羅はおもむろに立ち上がり、会好を連れて歩き始めた。空、遠くに翼のある生き物がかすかにころろと鳴き、白い虫がひらひらと、ときより目の前を通り過ぎるだけの静かな時間。しかししばらく歩くと次第に、風が少しずつ、妙にぴりりと張り詰めてゆく。
「あ、森だ。」
火奴羅が呟いたそのとき、二体の細長い身体が超高速で迫る。
「わ!」
目を広げる会好を手のひらに、すっと横に滑る火奴羅。
ギァララララ…
ヴァルルルルルル…
遠ざかってゆく不気味な呻き声。
「ほお、結構荒々しいな。」
その目の前に、すこし山のようにせり上がった、大小様々な木々が鬱蒼と生い茂る森。何やら鳴き声のような音が色々、重なり合って激しく聞こえると共に、闘気の感じが近い。
「どうしよう。上を通るか…」
そう火奴羅が呟いたとき、会好が遮った。
「森の中に入ろう。」
「え。」
火奴羅が驚いて振り向く。その会好の目は真っ直ぐ、森を向いていた。
「お前…。怖くないの。」
会好の表情は変わらない。
「ちょっと怖い。でも行くの。怖くても行くの!」
「会好…。」
火奴羅は力強い表情に変わった。
「よっちゃ!行こか!」
ほんのり森の、碧い香り、紅い香り。
(ふふ。ここからが勝負ね。)
会好はすこし微笑んで、ひとっとび。
「わ、こら、まってよ!」
急いで追いかける火奴羅。

森の中は騒々しく、互いに体を打ちつけ合いながら素早く木々の間を飛び交う数種の修羅たちが、会好の頭上で威嚇の金切り声を絶やさない。
草木をかき分けて進んでいると、目の前に突然現れた、褐色の巨大な花。
「わっ!」
その大きさは火奴羅の丈ほど、無数の牙がびっしりと、無造作に並ぶその花は、中心部の喉のようなところを波打たせつつ、湿って鈍い光をちらちらと映しながら、左右にうねうねと揺れて、真っ直ぐ迫りくる。
火奴羅は会好を手にすると、地を蹴って後退り、その中心部に光の弾を打ち込んだ。飲み込まれるように光が消えると、突然ぐわんぐわんとその口が、牙の並んだ花弁が激しく揺れだした。そして花が閉じるとその全貌が明らかに。
「うわあ。」
会好は思わず口をつぐんだ。六対の、白く光る眼の下に、引き裂かれたように長く閉じた口の花。そしてその先、暗がりにうすら見える、太い胴のその長さ。果てなく遠く伸びるその姿に、会好は予想以上の大きさをこの生物に見た。肌がぞくっとするのを感じる。
地味な体色の皮膚からぼうっと光が一瞬見えたかと思うと、またその五裂の口を開いて上に大きく仰け反り、力なくどすっと倒れた。腹部の巨大な二列に並ぶ吸盤を上に向け、そのまま動かない。
「…倒したの?」
「ん、少ししたらまた動くかもね。」
頭上で変わらず牙を剥き鬩ぐ者たち。その一体が急に飛びかかってくるのを、また火奴羅がぱしっと払った。他の者たちが逃げるように散ってゆく。
「結構激しいね。」
「ああ、森となるとよくこうなるけど、ここは特にぴりついてるな。」
所々で争う音が聞こえる。流れた闘気を手で払いつつ、二人は奥深くへ足を踏み入れてゆく。

「ずいぶん歩いたな…。」
進んでゆくとますます暗くなり、真っ直ぐに聳え立つ幾多の巨木が、日の光を全く通さない。所々に密集する青い発光キノコや、木に張り付く半透明の生物の黄色い発光器官が、朧気に丸い光となって辺りをぼんやりと照らすのみ。
「急に静かになったけど…。」
騒々しい雰囲気は一転、この辺りはしんと静かで、枯れ葉の積もった地面を踏む音が割れる。
「森の奥に棲む生き物は、それほど強いから、慎重になるみたいね。」
火奴羅がそう云うと、会好はくるりと火奴羅の顔を廻った。
「じゃあ襲われないってこと?」
「そーね。」
火奴羅の目の前で、逆さまになって止まる。
「…もし襲われたら?」
「心配なさんな!」
会好はにっこり笑った。
「わーい!」
そしてくるくるっと飛び上がる。
(なあんだ。森で遊びたかったのか。)
すこし疲れて、火奴羅は木の元に腰掛けた。すうっと息を吸うと、甘い芳香が流れ込んでくる。見渡すと、大小様々色とりどりの鮮やかな果実たち。
一つ手に取ると、心の安らぐ香りがふわり。すると、会好が空から降ってきた。
「ね、お腹すいたでしょっ?」
「あ、うん。」
会好は上機嫌。
「夜つくったげようか!」
「え、ほんと!じゃお願いしちゃおうかしら。」
火奴羅も手を叩いて上機嫌。

(会好、慣れてきているんだな。)
辺りを自由に飛び回って、果物やキノコを物色する会好。しばらくすると、朱色の傘に白い線が入った、柄の太いキノコを見つけた。根元より引き抜こうとするも、小柄な彼女には叶わない。
「火奴羅!ちょっと手伝って。」
火奴羅はふわっと飛び上がると、寄って見つめた。
「いいけど、これ毒あるよ。」
「うん。だけど毒抜きするとおいしいよ。」
「え…できるの?」
火奴羅はすこし驚き気味。
「まあねー。」
会好はすこし得意気味。
その他、キノコ五種類、果物四種類、多肉の葉を数本と、材料を揃えた会好。
「ようし、つくるよ!」

落ち枝を編み込んで葉を張り、手早く碗を二つ作ると、一つにキノコと葉から取った水を入れる。して入れたキノコにふたつほど、枝の先で切り込みを入れた。
「火奴羅、火、頂戴。」
木を擦って火を灯すと、会好は拾った石を敷いた上に乾いた枯れ葉と共に置き、強火を作って碗を炙った。
「みて、こうするのよ。」
小さな木の枝に火を灯し、回すように腕の水面を撫でた。白濁した煙が上り、会好は口を押さえて目を閉じる。
「へえ、たしかに。」
火奴羅は舌を出すと、その煙に確かな毒の味を見た。
すこし色が暗くなった毒キノコを別の碗に、そしてその他キノコと水を入れ、最後真紅のすこし細長い果実を片手に取ってかじりついて種を取り出すと、火奴羅に渡し、
「ちょっと砕いてくれる。」
と頼んでやってもらったら、種を砕いた粉々したものを落とし入れ、火にかけた。
(わ、かっこいい。)
会好の目はこれまでにない鋭さ、真剣さで、すこし楽しそう。
拾った枝付きの小さな葉を両手で握り、その身には過ぎる程大きな碗を、懸命に回し混ぜる。さらりとした葉の水は、種の胚を溶かして白く、とろりとした汁となった。そよ風が火奴羅の髪を揺らしたとき、芳しきキノコの香りが色濃くその旨味を火奴羅に示しつけた。
(おなかすいた…。切ない。)
火奴羅は天を仰いだ。黒々と木の葉が遠くに重なるだけ、暗い森。
(もうそんな時間かな。)
会好の火と、点々とする自然の光。それだけが照らす薄暗さと閉鎖感が妙に心地良く、火奴羅はゆっくりと目を閉じた。
(強き者、森に眠って護り神…。)

最後残った、花のようにひらひらと、傘が大きな香り高いキノコを会好は火でそのままささっと炙って、碗の中に入れて完成。
「できたよ!あれ?」
会好の目の前に、目を閉じた火奴羅の姿。
「おーい!あっ…。」
会好がその頬に触れた時、冷たい感触があった。
(涙…?)
その口元が、微かに微笑んでいる。
(眠たかったんだね、きっと。)
「ね、起きて。ごはん。」
会好が肩を揺すると、火奴羅はゆっくりと目を開けた。そしてはっとした顔。
「ふふ。もう。」
火奴羅の目に、会好の暖かさが染みる。すこし止まって、火奴羅はふと頬を撫でた。散りゆく光。そして目を閉じて、胸をすこし抑えた。
「…あ、ごめん。ちょっと寝ちゃったね。」
すぐに笑顔を見せる火奴羅。
「あ。できてる!」
「ほら!食べて!」
会好に引かれて座る。その碗は大きく、火奴羅が両手で持つにちょうどよかった。
「ん。いい香り。」
それは白く、とろみの良いお吸い物。すす、と一口、五色の旨味が濃厚で、その豊かな味わいはまったりとろりと汁を介して、熱く、じわりと染み渡る。
「んーっ!」
もう一口。じゃくっと切れの良い音。汁の中にあってもなお瑞々しく、さらに旨味が詰まった味わい。
(これは…、あの毒キノコの味か。)
三口、その次、その汁の奥にほんのり、葉の青い風味がすこし爽やか。その中に大きく構える、炙ったキノコの一口は、意外や濃厚ではなく、後に来る香りのなんと豊かなこと。一言で語れないその味に、火奴羅はすこし驚きもした。
「あなた…やるじゃない。」
会好はにたっと笑った。
「どう!?なかなかやるっしょ?」
その顔に何かを悟った火奴羅。
「なるほど…。勝負というわけね。」
すこし黙って、火奴羅は呟いた。
「…この勝負、潔く負けとします。」
「わあっ!」
会好は満面の笑みを見せた。
「やった!わあい!」
喜びに飛び回る会好。
「しかし!」
火奴羅はすっと立ち上がった。
「負けっぱなしは好きじゃないんでね…。また勝負、受けてもらうよ!」
火奴羅もにたりと笑う。
「お望みとあらば!」
会好は上から見下ろした。そしてにこっと笑った。
「ま、食べよか。」
「ん。」
会好もその碗をすすった。冷ややかな夜風が、そのご馳走をさらに暖かく飾りつける。
「ともあれ、会好。」
「どしたの?」
寄り添えば、もっと暖かく。
「ありがと。ほんとにおいしいよ。」

暗い森の中、木々を縫って素早く飛ぶ影。生き物達がざざっと波のように、残らず逃げ散ってゆく。
しなる木枝。静寂に響き渡る葉音を残して、影はさらに森の奥へ。
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