遊羅々々うらら

H.sark-9

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019話 昔の友

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静やかで、暗くくすんだ硬い色の森。いつかの日差しが生暖かく、湿気た気にどよどよと沈む重たい香り。澄んだ空にどうどうと丸い月が、きらきらと、ざわめきの木の葉に隠れて遠く消えてゆく。見えない。白靄か、黒霞か、鬱屈して先の見えない森の奥、また奥に、悲しみの情は隠れ咽ぶと云うもの。すきま風が運ぶ切なげな唄も、誰に寄り添うこともなく、消える。
火奴羅の前髪は時に長く、顔に見えない影を差す。何も云わない。何も聴かない。木々の間を惑うように、しかしそれでも、やはりの影を残した速さで駆けてゆく。淀む静けさに声が聞こえた。少し。あと少し。そして火奴羅は伸ばした手を、柔に掛けて、そして抱き寄せた。

「やめて!いや!」
泣き叫ぶ会好。
((会好!ごめんね!私が悪いの!))
会好の耳元で火奴羅がささやく。
「嘘!火奴羅も騙すの!?」
泣きながら怒鳴る会好。
((わかってる!何かされたんでしょう!))
火奴羅は小さく、力強く言った。
((…え?))
会好も小さく返した。
((ごめんなさい…。私、ああするしかなかったの。))
((じゃあ、火奴羅は…。))
会好は火奴羅を真っ直ぐ見つめた。
((云ったでしょ?守るとか、なんとか…。))
火奴羅も会好を見つめる。
((火奴羅…!))
会好の目にまた涙がたまった。
((えっ…えっ…。))
静かに泣く会好。火奴羅は今度は力強く、会好を抱いた。言葉は風のささやきだけ。ただ、胸の暖かさで、彼女を包んでいた。

((それで、何があったの?詳しくきかせて。))
隠れ身に交わす会話はささやきの唄。
((賀連さんが私を包丁で殺そうとしたの…。))
((そうか…。))
悟ったように遠くを見つめる火奴羅。
((ね、会好。申し訳ないんだけどさ…。))
申し訳なさそうな顔を見せる。
((明日まで、あいつと一緒でもいい?))
((え…。どうして…?))
戸惑う会好。
((まず、あいつの意図が分かったわけだが…。でも、なんで今すぐにやらないと思う?なんなら私たちと会った時に、すぐやればよかったんだ。))
((ええ、なんでかな…。))
火奴羅は腕を組んだ。
((あいつな、私の隙を見てるんだ。))
((え…?))
冷たい風が流れる。
((確かにあいつは強い。でも私と長いこと一緒に旅していたから、私の強さも知ってる。だから、私と戦うことを避けてるんだ。それで仲間を装ってる。))
((わあ…!))
会好は鳥肌を抑えられなかった。
((怖いよね。最初からそのつもりだったんでしょう。でもそういう計画的なやつは、裏をかかれると弱い。要するに私たちもあいつを騙すんだ。つまり…、明日まで仲間のふりをしていてほしい。))
((なんで…?あ、そうか。))
((そう。昨日今日の傷で、私はまだ本気で戦えない。でも明日必ず決着をつける。それまでの辛抱で、許してくれる?))
会好は火奴羅を見つめた。その目は強かった。
((私、たくましくなったもん。火奴羅と一緒なら大丈夫!))
((会好…!ありがと。))
火奴羅は立ち上がった。会好もその胸の中に入る。
((じゃ、いこっか。))
会好はもう泣いていなかった。
((…会好。))
火奴羅は前を向いたまま呟いた。
((ん。))
((私はいつでもあなたの味方だから。絶対、約束。))
((うん!))

賀連珠は木の麓で横になっていた。
「よお!賀連、遅くなっちまったな!」
手を振る火奴羅。
「賀連さん!ごめんね!私もう大丈夫!」
火奴羅の胸元から手を振る会好。
「あっ!妖霊さん、元気になったね。よかった。」
火奴羅は会好を抱いたまま賀連珠の上、木の枝に座った。
「待たせたな。明日からまた旅だ。」
「そうだな。よっし、今日は寝るか。」
横になる火奴羅の襟元に身を埋めて、会好は目を閉じた。不思議といつになく寝心地が良かった。

朝。小雨がふる、少し寒い天気。
「賀連。起きたか。」
火奴羅は小枝に座っていた。
「…え?ああ、今起きた。」
賀連珠はゆっくり体を起こす。
「怪我はもう治ったか?」
「ああ、大丈夫だ。」
火奴羅は地に降り立った。
「…そいつはいいや。」
拳を握りしめて見せる。
「私も元気になったんでね。まあ今なら十分に戦えるはずだ。」
「そうか!よかったな!」
賀連珠は歩き出した。
「…なあ、賀連。」
「え?」
立ち止まって笑う火奴羅。
「ほら、ちょっと話をしないか。」

火奴羅は賀連を連れて、丘の上に座った。崖のように高い丘は、緑色のビロード野原を広く見渡せる。
「なんだ、話ってよ。」
「ほれ。」
胸元から黄色くて小さな木の実を出した。
「きんこの実。」
「おう。」
賀連珠も実を受け取って座った。
「私たちが会ったのは、ちょうど六年前の嵐の日…。」
雨空を見上げた火奴羅。
「お前は私を助けたな。血まみれで倒れたうえ、見たことない修羅共に襲われた。お前が盾になって、戦ってくれた。」
「なんだよ、急に。」
空が少し暗くなる。
「ほら、そのときにお前が渡してくれたんだよな、この実。私はその日からさして甘くないキンコの味が少し好きになったよ。」
「え?ああ、おいしいよな、これ。」
風が流れた。
「まだ子供だったけど、私たち結構強かったよな。あれから二年間くらいか、ずっと負けなしでさ。」
「そういえば、あれが大変だったな。でかいイラガレチと戦ったとき。あんときはお前が最後うまくやったからよかったものの…。」
雨が強くなる。
「そうだな。どっちもひどく弱って体中大火傷だよ。あのあとお前がらしくねえななんて云うから、調子乗ってるってもんで、随分と腹が立ったもんだ。」
「てめえ!いいやがったな。」
「あはは、まあまあ。」
風が音を立てた。
「だから…、私は嬉しかったよ。お前と会えて、また旅が出来る。たまんねえな。」
「おいおい、どうしちまったんだ?お前。」
火奴羅は困ったように笑う。
「…ちょっと薬草探しに行ってくるわ。会好、賀連とここで待っててくれ。」
「え、私?あ、わかった。いってらっしゃい。」
「おう、すぐ戻ってこいよ。」
そして雨の中に消えた。

ちらり振り返る。火奴羅はいない。短剣を取り出す賀連珠。振り下ろした。ざくりと小気味好い音、弾ける水。彼の手を濡らし、雨とともにどくどくと流れてゆく。
「そんなもので斬らなくても。」
賀連珠は目を丸くして振り向いた。見下ろす火奴羅。後ろに突き立つ沙水斬、側にはあの妖霊の姿。
そして己が手元を見る。濡れた指先、甘い香り。下には綺麗に割れた金色の果実。
「え?あはは、そりゃそうだ。」
笑う賀連珠。
「よしな。」
立つ火奴羅。
「あ…、そうか。」
立つ賀連珠。
「そうだよ。」
少し笑う火奴羅。

「俺は…。」
賀連珠は笑顔を絶やした。
「いい。分かっている。例の病でしょう。」
火奴羅は虚ろに笑った。
「その様子じゃあと十日程で御臨終だな。」
剣をしまう賀連珠。
「そうだ…。そうだよ!だから早くその妖霊を渡せ!」
「分かっているだろう、賀連…。」
「なんで!なんでだよ!」
膝をついて豪腕を振り地を叩いて怒鳴る。
「分かってんのか!?仲間が死にそうになってんだよ!見捨てるのか!?違うだろ!なあ!」
伏し目がちに見据えて何も云わずの火奴羅。
「お前は!お前は、そうか…。お前変わっちまったんだな。昔のお前は熱くて絶対に仲間を見捨てなかった。」
「…熱い?よしてくんな。今まで幾つの修羅を殺したと思っている。それに、イラガレチの戦いを忘れたか?」
火奴羅は少し浮かんで彼を見下ろす。
「痛手を負ったお前は死んだ振りで奴を騙して一撃を浴びせた。そして逃げる奴を私が後ろから撃ち抜いて仕留めたのだったな。お前は狡猾で私は冷徹。何も変わってないぜ。変わったのは周りの環境だけだ。」
「なんだよ!それでもお前は仲間を、俺を守ってくれたじゃねえか!俺だって何度もお前を守ったよ!奴を倒したのも…、俺の敵はお前の敵で、一緒に頑張って生きてきたんだよ!」
「そう。あの修羅は私達の敵だったから殺した。でも今は違う。今の私達の敵は、賀連。お前だよ。」
「はあ…はあ…!」
「残酷だろうが…、一つの崇高な目的の為に、色々なものが容易く犠牲に成り下がる。受け入れろ。争いの世においては…、お前が思うより余程、命というのは儚いものなのだ。」

突風が火奴羅の髪を揺らした。ザアアと雨の叫び。打ち捨てられた水滴が、白く、煙に舞って力強く消えてゆく。
「ぐおおおおーっ!!!」

「えあっ!どうっ!ぐれぁっ!」
風がごうごう荒れ狂う。
「おるぁ!へっ!どりぁ!」
雨を打ちつけ滝の如く。
「であっ!うっ。ぐはぁっ。」
空は灰色、鉛色。
「えっ、げへえっ。ぐああっ!」
稲妻どどうと雲光る。
「だっ!うがあ!であっ!あがあ。」
「…いつかお前と見た五鬼山の星空は綺麗だったなあ。」
「ぐへ、がんがぇ。」
「別に。冥土の土産に持って行け。」
「あ、あがあ…。」
「じゃあな。」
「うがああ!」
「ん、ふふ。やはり変わってないな。」
桃色の光、その手の中で一つの命は思い出になった。

「火奴羅!」
側に駆け寄る会好。
「…居なくなっちゃったね。」
「そうだね。怖かったでしょ?ごめんね、もう大丈夫。」
火奴羅はにっと笑った。
「…。」
少しうつむく。
「どしたの。」
少し間を置いて会好がささやいた。
「あの、辛くない…?」
「あら、どうして?」
火奴羅はすこし目を逸らすと、また笑った。
「…お気になさらず。やりたいようにやっただけだ。」
「そう…。」
会好は戸惑った様子で火奴羅の肩に座った。
「…ありがとうって、言うのは…。ちょっとおかしいよね。」
空を仰いだ。少し収まった雨風でも、空の暗さは変わらず。
「優しいのね。」
火奴羅は歩き出す。その口元には、言葉に反して微笑みが控えめだった。
「その気持ち、こっそり受け取っておきます。」
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