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第七部 第二章 ファイナル・ランウェイ
第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第二章 5
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「さて、どうしよっか?」
駅舎の階段を下りきってロータリーへと降り立った夏姫は、続いて下りてきた克樹に振り返った。
「どうしよう……」
デートに行ってこいと言われはしたが、何も考えていなかったからとりあえず最寄り駅まで戻ってきていた。
克樹にはここのところ本当に余裕がなかった。
モルガーナと戦うための準備はもちろん、テストのために夏姫や近藤に勉強を教えてくれていたりしたから、穏やかに過ごせる時間はほとんどなかったはずだ。
突然デートをしろと言われても、どこかに行くといったことは考えられない。
まだ空は明るくて、夕食には早かった。
食材も昨日のうちに買っていたから充分にある。中野にでも繰り出してショッピングでも、とも思ったが、そんな気分にもなれなかった。
人通りの多い駅舎の階段前から少し歩いて、うなり声を上げている克樹を見ながら、夏姫も考えてしまっていた。
「そう思えば……」
「ん?」
顎に手を当てて考え込んでいた克樹が、ふと顔を上げてロータリーに隣接している広場に目を向けた。
「最初に僕が夏姫のことをちゃんと見たのって、ここだったんだよな」
「あー。そんなこともあった、かな?」
一年と少し前、確かにこの駅の広場で、ローカルバトルに参加していたことを思い出す。
優勝賞品に釣られて出場して優勝し、あのときすでにエリキシルバトルへの参加を表明してレーダーの使い方もわかっていたから、雑踏の中にいた克樹にも気づいていた。
まだバトルを申し込む前で、彼とは話したことがなくて、噂だけで判断して敬遠していた。
――なんか、くすぐったい気分だな。
懐かしそうな顔をして広場に目を向けている、いまは恋人となった克樹の横顔を眺める。
恨みに近い感情を抱いていた男の子が、いまは愛おしい存在となっている。
なんだか、不思議だった。
――そうだっ。
「ねぇ克樹」
「ん?」
「ちょっと行きたいとこあるんだけど、大丈夫?」
「まぁ、今日はデートしろって言われたしね……」
「じゃあ、行こっ」
彼の腕に自分の腕を絡めて、歩き始める。
気温はすっかり冬のそれなのに、ちっとも寒くなかった。
お互いコートを羽織って、しっかり着込んでもいるのに、それでも伝わってくる彼の温もりが、嬉しかった。
駅からしばらく歩いてたどり着いたのは、高校。
正門ではなく、裏門側に回って、たぶんまだ部活をしているクラブがあるためだろう、開け放たれたまま門から敷地の中に入る。
そこはゴミ捨て場のある、小さな広場。
彼と初めて言葉を交わした場所。
「……懐かしい、な」
「うん。初戦だったのに、ここで克樹に負けたのが、始まりだったんだよね」
「もしヒルデが不調じゃなかったら、あのとき僕は――、僕とリーリエとじゃ、勝てなかったと思うよ……」
「克樹も使い古した第四世代パーツだったんだっけ? 条件が良かったらって意味では、たぶんどっちもどっちだったと思うよ」
「まぁ、そうかもな」
戦った場所から少し離れた場所で、彼と並んで何もない土が剥き出しの場所を眺める。
「他にも、行きたい場所があるんだけどさ」
「近いところだけだな」
「うんっ。それでもけっこう、たくさんあるよね」
「そうだな……」
どんな意図でここに来たのか、克樹も理解してくれたらしい。
空を仰いで指折り数える克樹と手を繋ぎ、次の場所へと向かう。
灯理と近藤が猛臣と戦った場所を通り過ぎ、明美が近藤に襲われて車に轢かれそうになった場所を彼に教える。
指を絡めながら手を繋いで歩き、踏み込んでいったのは、公園。
踏み込んでいって見えてきた、細かい砂利を敷いたそれほど大きくはない広場が、終着点。
寒さと、崩れてきそうな天気になってきたためか、人の気配はない。
「やっぱりここが、一番の想い出の場所、かな?」
手を離して、広場の真ん中まで歩いていった夏姫は、克樹に振り返る。
「あのときは気がついたら克樹が死にかけてて、焦ったけどね……」
「あーっ……」
あのときはムービングソーサラーだった近藤の不意打ちを受けて気を失い、目が覚めたら克樹の胸にナイフが突き刺さっていた。
そのときは焦ったけれど、ほんの一瞬現れた百合乃に救われて、息を吹き返した克樹が近藤と戦ってくれた。
ここで初めて、彼の過去と剥き出しの心に触れた。
何より、彼は必死になって、助けに来てくれた。
――もし、克樹を好きになった瞬間を訊かれたら、アタシを守るために近藤と向き合った、背中を見たときだな。
ニッコリと笑ってみせると、克樹ははにかんだような、少し恥ずかしそうな笑みを見せてくれる。
好きだと、そうはっきり言いたい男の子。
大好きだと、胸の鼓動で感じられる、彼。
ゆっくりと近づいてきた彼が、両腕で抱き締めてくれる。
いまの気持ちを、言おうと思った。
彼に伝えたいと思った。
なのに、言えなかった。
――怖い。
身体も、胸の奥も暖かいのに、頭の中を過ぎる冷たさ。
それが夏姫の口から言葉を紡がせてくれなかった。
何故か泣きそうな顔になっている夏姫を抱き締めた。
見ているよりも細く感じる身体。
柔らかく、暖かい、僕の恋人。
「好きだよ、夏姫」
愛おしくて、愛おしすぎて、僕は自然とその言葉を口にしていた。
嬉しそうに笑み、でもその瞳に悲しい色を浮かべている。
「好きだよ、夏姫」
もう一度、僕ははっきりと彼女に告白する。
いままで以上に顔をくしゃくしゃにし、小さく口を開いた夏姫だったけれど、返事はくれなかった。
うつむいた彼女は、僕の肩に額を着け、押しつけてくる。
「克樹はまだ、復讐したいと、思ってる?」
「……正直なこと言うと、その願いが完全に消えたわけじゃない。でも百合乃は妖精としてだけど復活してて、それにもう戦いは僕の願いどころの話じゃなくなってるから、ね」
「うん……」
火傷の男に復讐したい気持ちは、やっぱりいまでも消えたわけじゃない。
たぶんいまでも出会ったなら、殺意が湧くと思う。あの日感じた、全身が冷え切っていく感覚は、消えてくれないから。
けれど夏姫に言った通り、いまはもう戦いは僕の復讐なんてちっぽけなものじゃなくなってる。モルガーナのやろうとしていること次第では、人類の存亡を賭けたものになってしまう。
願いは消えてなくても、僕の中で戦う一番の理由にはなっていない。
「夏姫は、どうなの?」
「アタシは……。アタシも、大丈夫かな」
僕の身体に両腕を回して、額を肩に押しつけたまま、夏姫は言う。
「ママと話せて、けっこう気持ちは小さくなった、かな? いまでもママに復活してほしいって気持ちはあるんだけど、前ほど強くなくなっちゃった。エリキシルバトルが終わっちゃったことも、けっこう受け入れられてるかな」
顔を上げて、顔を歪めて夏姫は笑う。
「克樹が……、あなたが、いてくれるから」
「うん……」
泣いてはいない。
泣いてはいないけれど、泣きそうになっている夏姫の瞳には、様々な感情が浮かんでいるのが見える。
その感情のすべてを、僕が見通すことはできなかった。
「灯理とか近藤も、たぶんどうにかなったんだと思う。諦め切れてはいないと思うけど、気持ちの折り合いは、ある程度ついたんじゃないかな? 何があったかは、向こうから言ってくるまで訊く気はないけど」
「やっぱり、何かあったんだよね。前と少し、雰囲気変わってたね」
ここ数日、灯理や近藤の様子が前と違っていたのは、やっぱり何かがあったからだったんだろう。
そういうとこに敏感な夏姫は、僕よりも一歩深い部分を感じ取っていたらしい。
「アタシは……、それよりも、いまは怖い」
「怖い?」
「うん……。あのモルガーナって人が、凄く怖い。できれば戦ってほしくない。逃げ出しちゃいたい。……できないって、わかってる。克樹の言葉に、応えたい。アタシもはっきりと、言いたい。でもいま言っちゃうと、もう二度と言えなくなりそうで、怖い……」
夏姫の素直な気持ち。
僕は準備にかまけていろいろ考えてる余裕がなかったけれど、いまはもう見ていることしかできない夏姫は、僕の代わりにいろんな気持ちを抱え込んでいたんだ。
強く抱き締めて、いまにも涙が零れそうな夏姫の瞳を、真っ直ぐに見つめる。
「僕も、怖いよ。逃げ出したいよ。でももう、戦うしかない。だから戦う。それにね? 夏姫」
一度言葉を切って、僕は夏姫に笑いかける。
できるだけ優しく、精一杯、僕の彼女への気持ちを込めて、笑む。
「僕の復讐したい気持ちが薄れたのは、夏姫に出会えたからなんだ」
「アタシに?」
「うん。僕は夏姫を守りたい。夏姫と一緒に生きていきたい。だから、それができるように、戦う。戦わないといけないと、思ったんだ」
好きで、愛してて、一緒に生きていきたい、笑顔を守りたいと思える女の子、浜咲夏姫。
そのためにはモルガーナを倒さないといけない。
あの魔女は、人間を憎んでいるから。
もしモルガーナが願いを叶えてしまったら、その後あいつが何をしてくるのか、わからないから。
「僕たちの未来のために、僕は戦う。だから夏姫、戦いのときは待っていて――」
そこまで言った言葉を、塞がれた。
柔らかい唇が、僕の唇を塞いだ。
「それはダメ。何もできない。戦えない。足手まといにしかならないかも知れない。でも、アタシも行く。克樹が戦ってるところを、一番近くで見ていたい」
「それは――」
命懸けで、危険な戦いになると思われる場所には連れて行けない、と言おうと思ったとき、胸元に入れた携帯端末が震えた。
抱き合ってる夏姫も気づいて、顔を強張らせる。
夏姫の身体を強く抱き寄せていた腕を緩めて、携帯端末をポケットから取り出す。
その表示を見た僕は、自分でも表情が強張るのを感じた。
『久しぶりね、克樹君』
「モルガーナ!」
たぶん笑みでも浮かべているだろう、余裕のある声がした。
身体を離して、でも空いてる左手を強く握ってくる夏姫も、僕と同じように眉根にシワを寄せていた。
『いろいろ話したいこともないではないけれど、いまは野暮というものよね。端的に用件を伝えるわ。決着をつけましょう、克樹君』
「……あぁ」
遂に来た。
そう思った。
覚悟していたとは言え、身体が震える。
夏姫が繋いでいてくれてる手の温かさを頼りに、僕は膝に力を入れる。
「ずいぶん、待たされたから、もう諦めたのかと思ってたよ」
『まさかっ。そんなはずがないでしょう? あれだけのことをしてくれた、貴方たちを』
氷の刃のような声。
ボイスオンリーの通話で、口調も少しも変わっていないのに、背筋に凍りつくような冷たさを感じた。
『日時と場所はいまメッセージを送ったわ。この前と違って、ちゃんと正面から入れるようにしておくから。その日は少し早いけれど、もう休みに入って、午後に清掃が入るから夜は建物は無人よ』
携帯端末の表示をちらりと離してメッセージを見てみると、指定された日時は十二月二十四日の夜。
いまから二週間ほど後の日時。
まだ震えが止まらない身体で、僕は精一杯の虚勢を張る。
「ここまで待たせた上に、さらに待たせるんだな」
『戦いの準備に、まだそちらは時間がかかるのでしょう? それくらい時間があった方が貴方には都合が良いのではなくって?』
「否定はしない。でも、そっちの準備も整わないんだろう? モルガーナ」
『ふっ、ふふふふっ。言ってくれるわね。えぇ、その通りよ。こちらの準備にはまだもう少し時間がかかるのよ。けれど、貴方の都合を考えたのも本当よ? 学校もその日を最後に、冬休みに入るのでしょう?』
「そりゃあどうも。――僕は絶対に、お前に勝つ」
『人間如きが、私に? ふふふっ。少しはまともな戦いが見られることを期待しているわ。では、当日に』
「あぁ」
通話が終わった途端、身体から力が抜けた。
崩れそうになる身体を、夏姫が支えてくれる。
「克樹……」
「うん。戦いの日が決まった」
支えてもらいながら、僕は夏姫の瞳を見つめる。
悲しみ、つらさ、寂しさ、不安……、様々な感情が入り交じる瞳を見せていた夏姫は、けれど決意を込めて頷いてくれる。
僕も頷きを返して、彼女の身体に腕を回した。
震えそうになる身体を必死に抑えて、夏姫の身体を強く、強く抱き締めた。
*
通話の終わった携帯端末を机に置いた瞬間、微笑みを浮かべていたモルガーナの表情は大きく歪んだ。舌打ちすら漏らす。
不快だった。
非常に不快だった。
なぜ人間如きにあんなことを言われなければならないのか、理不尽きわまる。
怒りを拳を握りしめることで堪え、オフィスチェアに座ったまま、モルガーナはうつむかせていた顔を上げた。
撤収の準備が進んだ顧問室は、がらんとしていた。
エイナ用のエルフドールも、それを立たせるためのハンガーもなく、飾り程度に置いていた書籍や機材の棚も片付けられている。
執務机の中もほとんど中身はなくなり、あとはモルガーナ本人が撤収すれば明け渡しは完了する。
そんな部屋の中に、整理がついていない物体がひとつ。
ニヤニヤとしたイヤらしい笑みを浮かべている、首筋から頬にかけて火傷の跡が残る貧相な男。
最後まで処分ができていない彼を見て、モルガーナはもうひとつ舌打ちを漏らした。
世界中からあらゆる方法を使ってエリクサーをかき集めた。
それでもフィフスステージに到達するには大きく足りない。戦争や紛争によって人間から得られるログは、すでにイドゥンには飽きられてしまっている。
やはり、克樹の持つスフィアを奪い、それに貯まったエリクサーを得る以外に、必要な量に達する方法はない。
それを、イドゥンもまた望んでいるから。
「貴方にも、働いてもらうわよ」
椅子から立ち上がったイドゥンは、胸の前で手を揉み卑屈な笑みを浮かべている火傷の男に、見下すような視線を向けて言う。
「えぇ、えぇ。必ず、言われた通りに、やり遂げて見せます。ただ、できればもうちょっと――」
「これ以上、貴方にチャンスも、支援も与えられないわ。これまでにどれだけのものを渡してきたと思っているの? 少しはまともな成果を出して返してほしいものだわ」
「はい……」
小さな声で応える男はしかし、不快な笑みを貼りつかせたままだ。
卑屈で、矮小で、あったはずの才能も自ら潰してしまうほどに歪んだ性格をしている男。
もう期待などしていない。失敗しても計画に支障を来すような重要なことを頼む気などない。
ただもし、頼んだことが成功すれば、有利に事が運べるかも知れない、程度のこと。失敗しても失うものはない。
「それで……、その、貴女の願いが叶ったら、約束通り……」
「えぇ。それは言った通りよ。私が残していくすべてを貴方にあげるわ。すべての場所は、貴方が入れるようにしておくから、好きにしなさい」
「はいっ……。はいっ、ありがたく……」
期待と、隠し切れていない残虐性を露わにし、笑みを浮かべる男。
彼に渡すことを約束したのは、地上に残していくすべて。
動産、不動産などの資産はもちろん、数百年の間に積み上げてきた研究資料はもちろん、その研究のために使ってきた世界中に点在する施設のすべて。
人脈などは彼で使えるはずはなく、研究資料や場所を教えているほんの数カ所以外の施設は、ただの人間では利用することも理解することも難しい。
しかし人間の短い寿命でも、男の無駄とも思える執念をもってすれば、超常的な成果のほんの一部を扱えるようになるかも知れない。それくらいのもの。ヘタな使い方をすれば世界の崩壊を招きかねず、先日世界中の重鎮たちが殺してでも奪い取ろうとしたものだが、いまさら心配する必要もない。
――私が、勝てばいいだけの話。
克樹に勝ち、エリクサーを手に入れ、イドゥンとの同化を果たせば不要なものだった。
ただ、勝てばいい。
そのための準備は進めているし、人間如きに負ける気などしない。持てる力のすべてを出し尽くして戦うと、すでに決めているから。
それをイドゥンが望んでいる。
奪うだけなら、どこかの兵でも借りるでも、事故を装って抹殺するでも、エイナを放つでも方法はいくらでもある。
けれどそれはイドゥンが望んでいない。イドゥンを満足させない。
二週間後に行うのは、モルガーナ自身の持つすべてを出し切った、総力戦。
イドゥンに捧げる奉納の戦い。
人間を超える存在である自分が、イドゥンの望みによってエリキシルソーサラーに堕とされていることは理解しているが、望まれているならそれを捧げるのはモルガーナの義務。
「叩き潰して上げるわ、克樹君」
ひとりつぶやき、執務机に視線を落とすモルガーナは、両端をつり上げた唇から低い嗤い声を漏らした。
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