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17話
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「すみませーん! ワインください!」
元気よく手を挙げたのは、もちろんマリアだった。
木の香りのするテーブルに、赤いワインのボトルとグラスが三つ並べられる。
燭台の炎がゆらゆらと揺れ、ガラスの表面に赤い光を映した。
「俺はお子様だから、そんな苦ぇもん飲めない」
ソーマが笑いながら、オレンジジュースを掲げる。
「ソーマ君、可愛い~!」
すでに頬を染めたマリアが、遠慮なく彼の肩に抱きついた。
「ちょっ、マリアちゃん近いって!」
「えー、減るもんじゃないでしょ~?」
笑い声が弾けて、周りの客もつられて目を向ける。
“らくだ亭”の夜は、いつもよりにぎやかだった。
木造の梁の下を、温かいランプの光がゆっくりと漂っている。
どこか焦げた肉と香草の匂いが混ざって、胸の奥をくすぐった。
「てか今更だけどさ、さん付けも君付けも敬語もやめよう。俺そういうの苦手だし」
ソーマが軽い調子で言う。
「賛成~!」
マリアが即答する。
二人の笑い声が響く中、私は少し遅れてグラスを手に取った。
グラスの中で、赤い液体がゆらゆらと波打つ。
香りが立ち上り、鼻をくすぐる。
(……ちょっとだけ)
そう思って口をつけたはずだった。
けれど、気づけばボトルの半分が空になっていた。
「おっ、リーナが飲んでる! 大人!」
ソーマがからかうように笑う。
「たまにはいいでしょ」
そう言い返す声が、ほんの少し上ずっていた。
そのとき、隣に座っていたレンが静かに言った。
「顔、赤いぞ」
低い声が、炎の揺らめきに溶けて耳に残る。
その一言で、胸の奥がふっと熱を帯びた。
「……大丈夫。ちょっと、ふわふわするだけ」
外の通りから、夜風が吹き込んでカーテンを揺らした。
風が頬に触れるたび、熱が引くどころか、むしろ深く沈んでいく。
笑い声の中で、グラスの音がかすかに響く。
酔いが回るほどに、胸のざわめきが遠のいていく――
まるで、心の奥に溜まった不安を、アルコールがぼやかしてくれるみたいに。
笑い声とグラスの音が絶えない。
マリアとソーマは、すっかり打ち解けていた。
テーブルの上には骨付き肉の皿、食べかけのパン、そして空になりかけたワインボトル。
夜も更け、ランプの光は少しだけ柔らかくなっている。
「ソーマってさぁ、強いのに優しいよね~」
「ま、見た目通り完璧だからな!」
「わっ、出た~!自信家~!」
マリアが笑って、ソーマの腕を軽く叩く。
彼はそれを受けて、からかうように彼女の髪をくしゃっと撫でた。
「わっ!もう~!」
笑い声が弾け、周囲の客がまたこちらをちらりと見る。
私はその様子を見ながら、ワインの残りをグラスに注いだ。
赤い液体が光の中できらりと揺れて、
まるで溶けたルビーのようだった。
(楽しそうだな……)
頬杖をつきながら、ふっと息をつく。
いつの間にかレンが隣で静かに水を飲んでいた。
姿勢は変わらず、ただ視線だけが私に向けられている。
「……飲みすぎ」
短くそう言う声。
その低さが、ワインよりも深く胸に響いた。
「うん……わかってる」
そう返しながらも、グラスを置けない自分に気づく。
――少しでも酔っていれば、考えなくてすむ。
ゾルフのことも、新聞の記事も、あのメモも。
「リーナってさ、真面目すぎるんだよな」
ふいにソーマがこちらに顔を向ける。
「たまには羽目外せって!」
「そうそう!ね、今度みんなでピクニックとか行こうよ!」
マリアが手を叩いて賛同する。
私は少し笑って、曖昧に頷いた。
「……うん。考えとく」
そう言いながらも、胸の奥には重い霧がかかっていた。
店の外から、遠くで馬車の車輪の音が聞こえてくる。
夜が更け、ランプの灯が少しずつ減っていく。
「じゃ、行くか!」
ソーマが立ち上がり、マリアが元気よく続く。
「星、星~! 絶対綺麗だよ!」
四人で“らくだ亭”を出ると、夜空は澄みきっていた。
風に冷たさが混じり、街の灯が小さく瞬く。
坂道を抜け、少し高台になった丘へ向かう。
草の上に寝転がると、目の前いっぱいに星が広がった。
「……すごい」
思わず、息がこぼれる。
無数の星が、まるで零れ落ちそうに輝いていた。
「な、言っただろ? ここ、穴場なんだ」
ソーマが得意げに笑う。
マリアはその隣で「きれい~!」と両手を伸ばした。
レンは少し離れた場所に座り、静かに夜空を見上げていた。
その横顔が、星の光を受けて淡く光っている。
(……やっぱり、レンってきれいだ)
胸の奥で、あたたかい何かが溶けていく。
酔いのせいだけじゃない。
「ねぇ、リーナ」
マリアが隣で囁く。
「やっぱりレンのこと、好きでしょ?」
「っ……な、なに言って――」
「顔に出てるって~!」
マリアがくすくす笑う。
反論しようとしたけれど、言葉が出なかった。
だって――その瞬間、レンがこちらを振り返ったから。
視線がぶつかる。
夜の冷気の中で、彼の瞳だけがあたたかい。
(あ……だめ、見ないで)
けれど、目を逸らせなかった。
星の光が、ふたりの間に細い線を描く。
「……寒くないか」
レンがそう言って、そっと上着を肩にかけてくれた。
その距離が近すぎて、心臓の音が聞こえそうだった。
「ありがとう……」
声がかすれる。
ワインのせいで頬が熱いのか、彼のせいなのか――もう分からない。
それはまるで、世界がこの瞬間だけ優しくなったみたいだった。
元気よく手を挙げたのは、もちろんマリアだった。
木の香りのするテーブルに、赤いワインのボトルとグラスが三つ並べられる。
燭台の炎がゆらゆらと揺れ、ガラスの表面に赤い光を映した。
「俺はお子様だから、そんな苦ぇもん飲めない」
ソーマが笑いながら、オレンジジュースを掲げる。
「ソーマ君、可愛い~!」
すでに頬を染めたマリアが、遠慮なく彼の肩に抱きついた。
「ちょっ、マリアちゃん近いって!」
「えー、減るもんじゃないでしょ~?」
笑い声が弾けて、周りの客もつられて目を向ける。
“らくだ亭”の夜は、いつもよりにぎやかだった。
木造の梁の下を、温かいランプの光がゆっくりと漂っている。
どこか焦げた肉と香草の匂いが混ざって、胸の奥をくすぐった。
「てか今更だけどさ、さん付けも君付けも敬語もやめよう。俺そういうの苦手だし」
ソーマが軽い調子で言う。
「賛成~!」
マリアが即答する。
二人の笑い声が響く中、私は少し遅れてグラスを手に取った。
グラスの中で、赤い液体がゆらゆらと波打つ。
香りが立ち上り、鼻をくすぐる。
(……ちょっとだけ)
そう思って口をつけたはずだった。
けれど、気づけばボトルの半分が空になっていた。
「おっ、リーナが飲んでる! 大人!」
ソーマがからかうように笑う。
「たまにはいいでしょ」
そう言い返す声が、ほんの少し上ずっていた。
そのとき、隣に座っていたレンが静かに言った。
「顔、赤いぞ」
低い声が、炎の揺らめきに溶けて耳に残る。
その一言で、胸の奥がふっと熱を帯びた。
「……大丈夫。ちょっと、ふわふわするだけ」
外の通りから、夜風が吹き込んでカーテンを揺らした。
風が頬に触れるたび、熱が引くどころか、むしろ深く沈んでいく。
笑い声の中で、グラスの音がかすかに響く。
酔いが回るほどに、胸のざわめきが遠のいていく――
まるで、心の奥に溜まった不安を、アルコールがぼやかしてくれるみたいに。
笑い声とグラスの音が絶えない。
マリアとソーマは、すっかり打ち解けていた。
テーブルの上には骨付き肉の皿、食べかけのパン、そして空になりかけたワインボトル。
夜も更け、ランプの光は少しだけ柔らかくなっている。
「ソーマってさぁ、強いのに優しいよね~」
「ま、見た目通り完璧だからな!」
「わっ、出た~!自信家~!」
マリアが笑って、ソーマの腕を軽く叩く。
彼はそれを受けて、からかうように彼女の髪をくしゃっと撫でた。
「わっ!もう~!」
笑い声が弾け、周囲の客がまたこちらをちらりと見る。
私はその様子を見ながら、ワインの残りをグラスに注いだ。
赤い液体が光の中できらりと揺れて、
まるで溶けたルビーのようだった。
(楽しそうだな……)
頬杖をつきながら、ふっと息をつく。
いつの間にかレンが隣で静かに水を飲んでいた。
姿勢は変わらず、ただ視線だけが私に向けられている。
「……飲みすぎ」
短くそう言う声。
その低さが、ワインよりも深く胸に響いた。
「うん……わかってる」
そう返しながらも、グラスを置けない自分に気づく。
――少しでも酔っていれば、考えなくてすむ。
ゾルフのことも、新聞の記事も、あのメモも。
「リーナってさ、真面目すぎるんだよな」
ふいにソーマがこちらに顔を向ける。
「たまには羽目外せって!」
「そうそう!ね、今度みんなでピクニックとか行こうよ!」
マリアが手を叩いて賛同する。
私は少し笑って、曖昧に頷いた。
「……うん。考えとく」
そう言いながらも、胸の奥には重い霧がかかっていた。
店の外から、遠くで馬車の車輪の音が聞こえてくる。
夜が更け、ランプの灯が少しずつ減っていく。
「じゃ、行くか!」
ソーマが立ち上がり、マリアが元気よく続く。
「星、星~! 絶対綺麗だよ!」
四人で“らくだ亭”を出ると、夜空は澄みきっていた。
風に冷たさが混じり、街の灯が小さく瞬く。
坂道を抜け、少し高台になった丘へ向かう。
草の上に寝転がると、目の前いっぱいに星が広がった。
「……すごい」
思わず、息がこぼれる。
無数の星が、まるで零れ落ちそうに輝いていた。
「な、言っただろ? ここ、穴場なんだ」
ソーマが得意げに笑う。
マリアはその隣で「きれい~!」と両手を伸ばした。
レンは少し離れた場所に座り、静かに夜空を見上げていた。
その横顔が、星の光を受けて淡く光っている。
(……やっぱり、レンってきれいだ)
胸の奥で、あたたかい何かが溶けていく。
酔いのせいだけじゃない。
「ねぇ、リーナ」
マリアが隣で囁く。
「やっぱりレンのこと、好きでしょ?」
「っ……な、なに言って――」
「顔に出てるって~!」
マリアがくすくす笑う。
反論しようとしたけれど、言葉が出なかった。
だって――その瞬間、レンがこちらを振り返ったから。
視線がぶつかる。
夜の冷気の中で、彼の瞳だけがあたたかい。
(あ……だめ、見ないで)
けれど、目を逸らせなかった。
星の光が、ふたりの間に細い線を描く。
「……寒くないか」
レンがそう言って、そっと上着を肩にかけてくれた。
その距離が近すぎて、心臓の音が聞こえそうだった。
「ありがとう……」
声がかすれる。
ワインのせいで頬が熱いのか、彼のせいなのか――もう分からない。
それはまるで、世界がこの瞬間だけ優しくなったみたいだった。
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