この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―

至堂文斗

文字の大きさ
66 / 79
Thirteenth Chapter...7/31

真智田理緒③

しおりを挟む
 夕方になって、母さんが帰宅しても、理緒は戻ってこなかった。
 友達の家に遊びに行ったみたいだと嘘を吐いて、僕はわざと興味がなさそうに振る舞った。しかし、胸の内では、叫び出したくなるような激情と理性とが、辛うじて均衡を保っているような、そんな状態だった。
 父さんが帰って来て、夕食の時間になってもまだ、理緒は帰らなかった。流石におかしいと思ったようで、両親は普段遊んでいる同級生の家に電話を掛けていったが、どの家からも理緒は遊びに来ていないと言われた。そして、とうとう夜八時を過ぎ、両親は不安に負けて、警察に連絡することに決めた。

「本当に、何も聞いてないのか?」

 電話を掛ける直前、父さんは僕をそう問い質した。その口調が、どこか非難するようなものに聞こえて、僕は自分が、両親の本当の息子ではないのだと確信めいた思いに苛まれた。
 自分は他人の子どもで。理緒こそが真実ただ一人の、真智田家の子ども。
 理緒の方が、僕よりも大切な、家族なのに違いない。
 結局、その日一日、理緒が帰って来ることはなかった。両親は一睡もせず、リビングで電話が鳴るのを待ち続けていた。僕も自室へ引っ込んだものの、親と同じく眠ることは出来ないまま、朝を迎えた。

「母さんはここにいてくれ。俺は、近所を探しに行く」

 父さんは耐えきれず、そう言うなり外へ出ていった。母さんは青白い顔をしたまま、ソファに座って電話の方をぼうっと見つめていた。何か声を掛けたくなったが、僕には掛ける言葉が、どうしても見つからなくて。痛々しい母さんの後ろ姿を、じっと見つめているだけしか出来なかった。
 何処に行ってしまったのだろう。十二歳の女の子が、行ける場所なんて限られているはずだ。ここからそう遠くはないどこか。知り合いの家に身を寄せていないのなら、理緒にとって何か、思い入れのある場所にいたりしないだろうか。
 ……思い当たる節は、一つしかなかった。
 もう既に、父さんが見つけているかもしれない。だけど、僕にしか見つけられないかもしれない。……家族の問題ではあるけれど、これは僕と理緒の関係の問題なのだ。僕が、彼女を連れ帰るべきだろう。そうしなければ、いけないはずだ。

「ちょっと、僕も探してくるね」

 母さんに声を掛けて、僕も家を出た。行先は、僕と理緒、二人の思い出が一番残る場所だ。
 ショッピングモールの屋上に併設された、小規模な遊園地。幼い頃、月に一度は両親に連れていってもらって、二人して遅くまで、楽しく遊んで過ごしていたものだ。確か、不況の影響で閉園になってしまったはずだけど、屋上のスペースは何らかの形で解放されていたような気がする。
 ショッピングモールには、当時は電車で出かけていたが、徒歩で行けない距離でもない。多分、二十分もあれば歩きでも辿り着けるだろう。財布も持たずに出てきたので、何にせよ歩いていくしかないのだが。
 夏の暑さに、汗が滴る。理緒も、この暑さの中にいるのだろうか。早く、迎えに行かなければ。それが、兄である僕の責任だから。
 理緒に告げられた事実は、絶望的なものだったけれど。知ってしまったことは、変えられないけれど。……それでも、知らないふりをして生きていくことは、多分可能だ。我慢すれば……きっと大丈夫だ。
 だから、行かなくては。
 目的のショッピングモールには、予想通り二十分ほどで到着した。つい一昔前は、かなり賑わいがあったこのモールも、周囲にコンビニやスーパーが増えたり、或いはネットショッピングが普及したりで、客数はかなり減少しているようだった。

「……ふう」

 汗を拭い、息を整えて、僕はモール内に入る。中は流石に冷房が効いていたので、生き返るような気分になった。買い物目的の客が殆どだろうけれど、一割くらいは避暑目的で逃げ込んできた人もいそうだ。どうでもいいことだが。
 エレベーターホールまで、案内表示を頼りに向かい、エレベータに乗り込む。ただ、これでは屋上まで直接は行けないので、最上階のボタンを押して、屋上の一つ前の階で下り、すぐ隣にある階段から屋上へ上がった。

「……っ」

 太陽の陽射しに、一瞬だけ目が眩む。やがてその眩しさに慣れていくと、殺風景になってしまった屋上に、小さな人影を認めた。
 間違いない。理緒だった。

「理緒」

 他の人は誰もいない。ひょっとしたら、今は立ち入り禁止にでもなっているのを、理緒は勝手に上がってきたのかもしれない。
 理緒は、背中を向けたまま、振り返ろうとはしない。僕の声は聞こえたはずだけれど、何も言わずにずっと、立ち尽くしていた。

「……理緒。父さんも母さんも、心配してる。……もう、帰ろう」

 いつからここにいたのだろうか。昨日、家を飛び出してからすぐこの場所に来て……そのまま? だとしたら、彼女は半日以上も、ここにいたことになる……。
 僕は、音を立てないよう慎重に、理緒の方へ近づいていく。拒絶され、逃げられてしまうかもしれないから、そのときは強引にでも、連れ帰らなくてはと思ったのだ。

「……昨日のことは、謝る。僕が、悪かったんだ。だから……帰ろうよ」
「……お兄ちゃん」

 ようやく、理緒は振り返った。その顔には微笑が浮かんでいたけれど、それは翳りのある、暗い笑みで。こちらを見つめている目は、まるで黒々とした感情が渦巻くような、濁った目をしていた。

「私は、お兄ちゃんのことが好きなの」
「……」

 わざとらしい、明るい声で理緒は言う。

「お兄ちゃんは……私の気持ちに、答えてくれる?」
「それは……」

 風が、理緒の髪を弄ぶ。その隙間から、見え隠れする冷たい視線。
 有無を言わせないような、そんな問いかけ。
 でも……それだけは、頷くことは出来なかった。
 理緒は、今までも、これからも。僕の妹なのだから。

「…………そう」

 沈黙の末、彼女は僕からの返答を諦めて、くすくすと笑った。死んだ目のまま、口元だけを歪めて。

「……生まれてからずっと、お兄ちゃんの傍にいて。いつからか、こんな気持ちになって。妹だったから、一緒でいられたけれど、妹だから、一緒になれなくって。神様を恨んで、世界を恨んで。そしたら、お母さんたちの話が聞こえてきて。奇跡が起きたんだって思った。神様が、私を憐れんで、救ってくれたんだって思った。だから、思いを伝えた。でも……でも、やっぱり、終わりなんだね」

 終わり。
 瞬間、総毛立つのを感じた。

「理緒!」

 僕は、理緒の元へ走った。しかし、彼女はもう、背中を手すりに預けていた。

「……あはは」

 理緒はそのとき、狂ったように、嗤った。

「こんな世界――無くなっちゃえばいいんだ」

 それを最期の言葉に、彼女は僕の手をすり抜けるように、屋上から身を躍らせて、真っ逆さまに、落下していった。

「ああ……ああぁ……」

 その身体が、コンクリートにぶつかる高らかな音を聞きながら、僕は世界が壊れていくような錯覚に囚われ……そしてそのまま、意識を手放した。


 二〇一〇年の七月三十日、それは、とても暑い夏の日の悲劇だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

友よ、お前は何故死んだのか?

河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」 幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。 だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。 それは洋壱の死の報せであった。 朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。 悲しみの最中、朝倉から提案をされる。 ──それは、捜査協力の要請。 ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。 ──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

処理中です...