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第一章
第八話 春雨の夜 8 (レザロ視点)
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「で、これをどうするんですか、レザロは?」
「どうもこうもないよ、エミリア。どうにかしてみんなに配ってくれないか」
「みんな、ね‥‥‥」
銀髪に近いグレーの色が印象的な彼女は困ったように微笑んだ。ここで慈善事業をするのにもお金がいるんですよ、そう言いながら。
「どこも金かね金だなーまったく」
「仕方ありませんよ。これでもまだまともになった方ですよ」
昨年に比べたら。そう付け加えて黙ってしまった彼女は、昨年の夏に父親をこの街で失っていた。とはいえ、色街の女じゃない。陸軍の捜査官だった父の騎士の階級を受け継ぎ、いまではロンド家の女当主という役位に就いていた。
「マックス、大丈夫なのかしら?」
「え? マクスウェルなら大丈夫だろ。あの遊び人が筋金入りだ。真面目さもだがしぶとさもも筋金入りだよ」
「ひどい言い様ねー上司に対してそんなこと言うなんて。良かったのあそこに見捨てて来ちゃって?」
「それ、お前もだろ?」
「知らない」
ふっと視線をそらしてエミリアは荷馬車を半分ほど占領した古着の山を見た。さすが、この王国でも裕福で知られた男爵家。一番最下層の働き人であるはした女の衣装ですら、そこそこ繁盛している商家の従業員の風情がある。
いい生地を使い丁寧な縫製と、着心地のよさそうな仕立てに仕上がっているのがわかった。
そして、その扱いもまた良かったのだろう。
「これ」
「ん、どうした」
「これって本当に三十年ちかくまえのものもあるの?」
「執事はそんなことを言っていたな。倉庫や衣装棚を占めていたが、捨てるにもいろいろと迷いがあると言ってな。ずっと邸内にためていたようだ」
「迷い‥‥‥?」
「ほら、刺繍で男爵家の紋章などが入っていたしな。除けるだけで金がかかってしまった」
「ああ、それで――」
あなたは連絡を寄越してから三日も遅れてやってきたのね。そう、エミリアは呆れていた。
待機している三日間、大変だったわよと。
「すまないな。ここまで時間がかかるとは思わなかった」
「先に一枚だけでものけてしまえば、時間の逆算ができるでしょう? だめな人ねー。まるでザルのマックスみたいだわ」
「ザルって、言い過ぎだろ」
「ザルよー。だってそうでしょー? この色街にわたしを派遣しておいて、自分がいるときは愛妾でもない恋人を演じてくれなんて。やっていられないわよ」
「演技では‥‥‥だめなのか? どうしてだ?」
「だって!」
と、エミリアは短く肩上で切り揃えた銀髪をかきあげてため息をつく。
どうしてこんな女心の理解できない上司ばかりなのだろうと、つぶやいていた。
「――あのね、レザロは女当主がどんなに大変だって理解してる?
マクスウェルの結婚した侯爵夫人。あの子は結婚するまで女侯爵だったけど、爵位は王族に連なる貴族以外では最高位じゃない? わたしみたいな商人と貴族の間の中途半端な身分の女、当主になったとしても世間の風当たりがどれほど強いか理解してないでしょ?」
「つまり、お前はマックスの愛人になり、その後ろ盾になって欲しい。そういうことか?」
「そんなことはっ‥‥‥言ってないわ、ええ」
「言っただろ?」
「うるさいっ! 言ってないの!」
なんだよそれ。意味が理解出来ない。どうしてそうも語気を荒くして怒っているのか。
「うーん、まあそれはいいや。それよりも、これだ。色街にこのまま入れるわけにもいかないし、お前にずっと潜入させるわけにもいかないからな」
「そこも気に入らない一つよ。遊び人の没落貴族の子孫なんて設定はどうでもいいけど。どうしてわたしが色街で働かなきゃいけないのよ!」
「そんな文句は侯爵様に言えよ、まったく。嫌なら他に手配して貰えるだろ?」
「して頂けるわけがないでしょ。これは王命。それも‥‥‥この色街の浄化をしろなんて極秘裏のものじゃない。農民や市民から集まった近衛衛士の方が向いている気もするけど、どこでどうつながりがあるかわからないじゃない。誰もやりたがらないだろうし」
「ま、それはそうだな。だから陸軍や海軍で捜査などに従事していた僕たち貴族にお声がかりがあったってわけだ。なら、文句を言わずにやればいいだろ」
「ほんっとうにあなたは嫌い! 与えられた役が飲み屋の女ってどういうことよ。この身を金で売れってこと?
命令であればやらないこともないけど‥‥‥」
「分かった、分かった。僕が悪かったよ。それでもまだ売ってないんだろ?」
「ねえ! あなた次に同じことを口にしたら、刺すわよ!?」
逆上したエミリアはそこいらの男よりも怖い。盗賊や海賊を容赦なく斬り捨ててきたその刃は遠慮なく、自分の身を寸断するだろう。それは勘弁してくれとレザロは謝っていた。
いまいるのは色街の西側から出入りができる門のすぐ手前の川べりで、エミリアはもう少しすれば夕方になるから店に戻らなければならない。彼女はマックスが居残りをしているあの料理屋に、サティナと同じような色を売る女として潜入していた。無理強いをして暴行を受けた客の噂はまだ流れてこないが‥‥‥いつかはそんなこともあるだろう。
「とりあえず、これ。ここの顔役の一人につなぎをつけたから。ちゃんと交渉してよね?」
「ま、いつものようにやるさ。それで、マックスはどうなんだ?」
「全然だめ、というわけでもなさそうよ。面白い井戸が見つかったって言ってたわ。ねえ、ところで質問していい?」
「なんだ?」
「あなた、なんで侯爵家の家紋を服につけてるの?」
そう不思議そうな顔をして、エミリアは小首を傾げたのだった。
「どうもこうもないよ、エミリア。どうにかしてみんなに配ってくれないか」
「みんな、ね‥‥‥」
銀髪に近いグレーの色が印象的な彼女は困ったように微笑んだ。ここで慈善事業をするのにもお金がいるんですよ、そう言いながら。
「どこも金かね金だなーまったく」
「仕方ありませんよ。これでもまだまともになった方ですよ」
昨年に比べたら。そう付け加えて黙ってしまった彼女は、昨年の夏に父親をこの街で失っていた。とはいえ、色街の女じゃない。陸軍の捜査官だった父の騎士の階級を受け継ぎ、いまではロンド家の女当主という役位に就いていた。
「マックス、大丈夫なのかしら?」
「え? マクスウェルなら大丈夫だろ。あの遊び人が筋金入りだ。真面目さもだがしぶとさもも筋金入りだよ」
「ひどい言い様ねー上司に対してそんなこと言うなんて。良かったのあそこに見捨てて来ちゃって?」
「それ、お前もだろ?」
「知らない」
ふっと視線をそらしてエミリアは荷馬車を半分ほど占領した古着の山を見た。さすが、この王国でも裕福で知られた男爵家。一番最下層の働き人であるはした女の衣装ですら、そこそこ繁盛している商家の従業員の風情がある。
いい生地を使い丁寧な縫製と、着心地のよさそうな仕立てに仕上がっているのがわかった。
そして、その扱いもまた良かったのだろう。
「これ」
「ん、どうした」
「これって本当に三十年ちかくまえのものもあるの?」
「執事はそんなことを言っていたな。倉庫や衣装棚を占めていたが、捨てるにもいろいろと迷いがあると言ってな。ずっと邸内にためていたようだ」
「迷い‥‥‥?」
「ほら、刺繍で男爵家の紋章などが入っていたしな。除けるだけで金がかかってしまった」
「ああ、それで――」
あなたは連絡を寄越してから三日も遅れてやってきたのね。そう、エミリアは呆れていた。
待機している三日間、大変だったわよと。
「すまないな。ここまで時間がかかるとは思わなかった」
「先に一枚だけでものけてしまえば、時間の逆算ができるでしょう? だめな人ねー。まるでザルのマックスみたいだわ」
「ザルって、言い過ぎだろ」
「ザルよー。だってそうでしょー? この色街にわたしを派遣しておいて、自分がいるときは愛妾でもない恋人を演じてくれなんて。やっていられないわよ」
「演技では‥‥‥だめなのか? どうしてだ?」
「だって!」
と、エミリアは短く肩上で切り揃えた銀髪をかきあげてため息をつく。
どうしてこんな女心の理解できない上司ばかりなのだろうと、つぶやいていた。
「――あのね、レザロは女当主がどんなに大変だって理解してる?
マクスウェルの結婚した侯爵夫人。あの子は結婚するまで女侯爵だったけど、爵位は王族に連なる貴族以外では最高位じゃない? わたしみたいな商人と貴族の間の中途半端な身分の女、当主になったとしても世間の風当たりがどれほど強いか理解してないでしょ?」
「つまり、お前はマックスの愛人になり、その後ろ盾になって欲しい。そういうことか?」
「そんなことはっ‥‥‥言ってないわ、ええ」
「言っただろ?」
「うるさいっ! 言ってないの!」
なんだよそれ。意味が理解出来ない。どうしてそうも語気を荒くして怒っているのか。
「うーん、まあそれはいいや。それよりも、これだ。色街にこのまま入れるわけにもいかないし、お前にずっと潜入させるわけにもいかないからな」
「そこも気に入らない一つよ。遊び人の没落貴族の子孫なんて設定はどうでもいいけど。どうしてわたしが色街で働かなきゃいけないのよ!」
「そんな文句は侯爵様に言えよ、まったく。嫌なら他に手配して貰えるだろ?」
「して頂けるわけがないでしょ。これは王命。それも‥‥‥この色街の浄化をしろなんて極秘裏のものじゃない。農民や市民から集まった近衛衛士の方が向いている気もするけど、どこでどうつながりがあるかわからないじゃない。誰もやりたがらないだろうし」
「ま、それはそうだな。だから陸軍や海軍で捜査などに従事していた僕たち貴族にお声がかりがあったってわけだ。なら、文句を言わずにやればいいだろ」
「ほんっとうにあなたは嫌い! 与えられた役が飲み屋の女ってどういうことよ。この身を金で売れってこと?
命令であればやらないこともないけど‥‥‥」
「分かった、分かった。僕が悪かったよ。それでもまだ売ってないんだろ?」
「ねえ! あなた次に同じことを口にしたら、刺すわよ!?」
逆上したエミリアはそこいらの男よりも怖い。盗賊や海賊を容赦なく斬り捨ててきたその刃は遠慮なく、自分の身を寸断するだろう。それは勘弁してくれとレザロは謝っていた。
いまいるのは色街の西側から出入りができる門のすぐ手前の川べりで、エミリアはもう少しすれば夕方になるから店に戻らなければならない。彼女はマックスが居残りをしているあの料理屋に、サティナと同じような色を売る女として潜入していた。無理強いをして暴行を受けた客の噂はまだ流れてこないが‥‥‥いつかはそんなこともあるだろう。
「とりあえず、これ。ここの顔役の一人につなぎをつけたから。ちゃんと交渉してよね?」
「ま、いつものようにやるさ。それで、マックスはどうなんだ?」
「全然だめ、というわけでもなさそうよ。面白い井戸が見つかったって言ってたわ。ねえ、ところで質問していい?」
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