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第一部 朔月の魔女
プロローグ
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「聖女ですか‥‥‥。
このシェイラめが、で‥‥‥ございますか?
御使い様???」
シェイラと名乗った少女は信じられないという感じで、そのエメラルドの瞳を白黒させていた。
御使い。
彼は――神殿の最奥部。
太陽神アギトを奉るその神像の前で夜に上がる三連の月の一つ。
青の月明かりが照らし出す、その部屋で祈りを捧げていた少女の前にいきなり現れた。
驚きあわてふためくまだ年若い少女は、その雄々しい姿を見て、最初に思わず呟いてしまった。
「あなた様は‥‥‥どちらの魔神様ですか?」
と。
部屋の天井は高いが、彼はそこに届きそうなほどの威圧感をもってその場に立っていた。
いや、四つ足だからなんと言うべきか。
ただ、漆黒の毛並みに、巨大なあご。
それは見紛うことない、狼のもので――少女は神殿に上がる以前の幼い頃に山で見かけたその雄姿を忘れてはいなかった。
でも真っ黒な狼って変ね?
などとつまらない疑問を頭の中に持てる程度には余裕があるらしい。
そんな自分をどこかで笑いながら、少女は彼を見あげて問いかけていた。
「‥‥‥苦しくないのか?」
「へ????」
あまりにも的外れな回答に、こちらも間の抜けた返事をしてしまって恥じ入る少女に、彼は再度尋ねた。
「いや、膝をついた格好で、頭だけを上げて‥‥‥苦しくはないのか?」
ああ、そういう質問だったんだ。
「いえ、はい。
まあ、しんどいですけどー‥‥‥。
あの、本当に良いんですか?
聖女なんて単なる名前だけを頂くものかと――」
そう少女言うと、立ち上がり、彼を再びその尾の先から耳の先まで見渡してみた。
大きい。
それになんて勇壮な方なんだろう。
それが、太陽神アギトの御使いに対する、聖女と呼ばれた真紅の髪を持つ少女の感想だった。
彼との出会いは突然だった。
いきなり闇の中から?
いや、多分。
自分の影からだろう。
なんの予告もなく、影がまるで海の水面のようにうごめき、彼が出てきた時。
少女は叫び声を上げそうになった。
でも、ここは太陽神アギトの。
神々の王の神殿。
闇に身を置く魔族や虚無の亡霊が出てくるにはそれはそれで大した度胸だわ。
そう少女は思いなおして、彼をまじまじと見つめていたのだ。
そして、冒頭の会話に戻ることになる。
「そうだな、聖女となったというべきか。
名実ともに‥‥‥アギトの能力ではないが、まあ、使えるようにはなったということだ。
聖女?
妙な名前を付けたものだな、しかしー‥‥‥」
「左様で‥‥‥ございます、か。
しかし、他にもアギト様の聖女様は数名おられるようですが。
彼女たちもまた、あのご存知でしょうか?
この神殿の数代前に仕えていた聖女が、その能力により敵軍を焼き尽くした件は‥‥‥?
アギト様の御心にはかなわなかったのでしょうか、御使い様?」
うん?
彼はその小山ほどもある、漆黒の肉体を四肢を曲げてシェイラの前に伏せるようにして視線を合わせていた。
怖い‥‥‥一本、一本の歯がまるで自分の胴体のように巨大に感じる。
少女は内心、恐怖で気を失いそうだった。
「さて、な。
俺はそれは知らん。
その数代前から今まで、アギトが力を与えなかったのならば。
ああ、いや。
神託は下してもそれ以上の能力を与えなかったのならば、まあそういうことだろう。
あれも気まぐれだからな」
「あれって‥‥‥。
御使い様、アギト様の家臣か眷属ではないのですか?」
「さあな?
眷属。かもしれんな。
それでだ、聖女よ。
アギトが話があるそうだ」
は!?
神様がこのわたしに!?
あり得ない。
少女は心でそれを簡単に否定していた。
だって、神様だもの、アギト様だもの。
そんなことはあり得るはずがー‥‥‥。
しかし、黒狼がどこからか用意した、空中に浮かぶ水鏡には――
「アギト‥‥‥様??」
後光が射してその輪郭しか見えない彼女が信仰する主は、優しくそして、諭すようにシェイラの聖女になった祝いを告げてくれた。
そこにいるうるさい眷属の月の黒狼が何か粗相をしていれば済まない、そうまで言われてシェイラは呆気にとられたものだった。
うるさい黒狼って‥‥‥???
「ちっ、アギト。
余計な会話をするならば切るぞ!」
「えっ?
あーちょっと!!
アギト様―――!!???」
その水鏡のようなものはあっという間に虚空に掻き消えてしまった。
なんて酷いんだろう、この御使い様は。
眷属のくせに、主神に対する態度もなっていないし。
余程、扱いに困っているんだわ。
シェイラは内心、アギト神に同情してしまっていた。
「用件は済んだな。
さて、聖女。
シェイラだったか?
明日、結婚式だな?」
慇懃無礼なその態度に、主神をどこか馬鹿にされた気がして、シェイラは不機嫌な顔ではい、そうですが!?
そう返答する。
「ふん。
それほどに威勢がいい聖女なら、俺も力を与えた甲斐があったものだ。
「力を与えていただいたのは、アギト様からです!!
御使い様、もうご用件が御済みでしたらお引き取り下さいませ!!
誰かに見られたらー‥‥‥」
その御姿では、誤解を招きます。
そこまではシェイラは言えなかった。
しかし、彼は察していたのか、
「ああ、そうだな。
明日の結婚式。
静かに見守らせてもらおう‥‥‥」
なんと、そう言ったかと思うとシェイラの影に再びするりと潜り込んでしまったのだ。
これにはシェイラの方が驚くと共に迷惑だと感じていた。
だって、明日からずっと影の中にいられるなんてー‥‥‥。
せっかくの愛するリクト王太子殿下との二人の時間まで――見知らぬ神が影にいます、なんて言える訳がなかった。
「ああ、そうだ。
俺が来たこと、神託を受けたこと。
今夜の一件は秘密にするがいい。
聖女としての能力を授かったこともな」
そう影から彼の声がして、シェイラの不信感は更に募っていった。
「なぜでございますか!?
喜ばしいことですのに、御使い様?!」
不満を最大限に現わして聖女になった少女は影に文句を投げつけた。
誰からも祝われる、素晴らしいことなのに。
だが、彼の返事は違った。
「その力をまた国の為とか言われて利用されたいなら。
戦場で人殺しになりたいのならば、そうするがいい。
まあ、罪人であることに変わりはないがな‥‥‥」
「罪人!!??
聖なる存在になったのですよ、なのに何が罪なのですか!!???」
しかし、彼は何も返事をしてこなかった。
「もう‥‥‥!!
祝福されたのか、呪われたのか分からないじゃない‥‥‥」
時刻は深夜。
明日は一日、早朝から深夜まで来賓の方々を迎えてもてなさなければならない。
少女は王太子妃となるのだから。
そして、影の中から黒狼は静かに一言だけ告げ、また静かになる。
「あのアギトの言葉、忘れるなよ、シェイラ」
あの言葉。
次代の聖女は―‥‥‥。
その意味を頭の中で反芻して、シェイラは与えられた寝所に向かうのだった。
このシェイラめが、で‥‥‥ございますか?
御使い様???」
シェイラと名乗った少女は信じられないという感じで、そのエメラルドの瞳を白黒させていた。
御使い。
彼は――神殿の最奥部。
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青の月明かりが照らし出す、その部屋で祈りを捧げていた少女の前にいきなり現れた。
驚きあわてふためくまだ年若い少女は、その雄々しい姿を見て、最初に思わず呟いてしまった。
「あなた様は‥‥‥どちらの魔神様ですか?」
と。
部屋の天井は高いが、彼はそこに届きそうなほどの威圧感をもってその場に立っていた。
いや、四つ足だからなんと言うべきか。
ただ、漆黒の毛並みに、巨大なあご。
それは見紛うことない、狼のもので――少女は神殿に上がる以前の幼い頃に山で見かけたその雄姿を忘れてはいなかった。
でも真っ黒な狼って変ね?
などとつまらない疑問を頭の中に持てる程度には余裕があるらしい。
そんな自分をどこかで笑いながら、少女は彼を見あげて問いかけていた。
「‥‥‥苦しくないのか?」
「へ????」
あまりにも的外れな回答に、こちらも間の抜けた返事をしてしまって恥じ入る少女に、彼は再度尋ねた。
「いや、膝をついた格好で、頭だけを上げて‥‥‥苦しくはないのか?」
ああ、そういう質問だったんだ。
「いえ、はい。
まあ、しんどいですけどー‥‥‥。
あの、本当に良いんですか?
聖女なんて単なる名前だけを頂くものかと――」
そう少女言うと、立ち上がり、彼を再びその尾の先から耳の先まで見渡してみた。
大きい。
それになんて勇壮な方なんだろう。
それが、太陽神アギトの御使いに対する、聖女と呼ばれた真紅の髪を持つ少女の感想だった。
彼との出会いは突然だった。
いきなり闇の中から?
いや、多分。
自分の影からだろう。
なんの予告もなく、影がまるで海の水面のようにうごめき、彼が出てきた時。
少女は叫び声を上げそうになった。
でも、ここは太陽神アギトの。
神々の王の神殿。
闇に身を置く魔族や虚無の亡霊が出てくるにはそれはそれで大した度胸だわ。
そう少女は思いなおして、彼をまじまじと見つめていたのだ。
そして、冒頭の会話に戻ることになる。
「そうだな、聖女となったというべきか。
名実ともに‥‥‥アギトの能力ではないが、まあ、使えるようにはなったということだ。
聖女?
妙な名前を付けたものだな、しかしー‥‥‥」
「左様で‥‥‥ございます、か。
しかし、他にもアギト様の聖女様は数名おられるようですが。
彼女たちもまた、あのご存知でしょうか?
この神殿の数代前に仕えていた聖女が、その能力により敵軍を焼き尽くした件は‥‥‥?
アギト様の御心にはかなわなかったのでしょうか、御使い様?」
うん?
彼はその小山ほどもある、漆黒の肉体を四肢を曲げてシェイラの前に伏せるようにして視線を合わせていた。
怖い‥‥‥一本、一本の歯がまるで自分の胴体のように巨大に感じる。
少女は内心、恐怖で気を失いそうだった。
「さて、な。
俺はそれは知らん。
その数代前から今まで、アギトが力を与えなかったのならば。
ああ、いや。
神託は下してもそれ以上の能力を与えなかったのならば、まあそういうことだろう。
あれも気まぐれだからな」
「あれって‥‥‥。
御使い様、アギト様の家臣か眷属ではないのですか?」
「さあな?
眷属。かもしれんな。
それでだ、聖女よ。
アギトが話があるそうだ」
は!?
神様がこのわたしに!?
あり得ない。
少女は心でそれを簡単に否定していた。
だって、神様だもの、アギト様だもの。
そんなことはあり得るはずがー‥‥‥。
しかし、黒狼がどこからか用意した、空中に浮かぶ水鏡には――
「アギト‥‥‥様??」
後光が射してその輪郭しか見えない彼女が信仰する主は、優しくそして、諭すようにシェイラの聖女になった祝いを告げてくれた。
そこにいるうるさい眷属の月の黒狼が何か粗相をしていれば済まない、そうまで言われてシェイラは呆気にとられたものだった。
うるさい黒狼って‥‥‥???
「ちっ、アギト。
余計な会話をするならば切るぞ!」
「えっ?
あーちょっと!!
アギト様―――!!???」
その水鏡のようなものはあっという間に虚空に掻き消えてしまった。
なんて酷いんだろう、この御使い様は。
眷属のくせに、主神に対する態度もなっていないし。
余程、扱いに困っているんだわ。
シェイラは内心、アギト神に同情してしまっていた。
「用件は済んだな。
さて、聖女。
シェイラだったか?
明日、結婚式だな?」
慇懃無礼なその態度に、主神をどこか馬鹿にされた気がして、シェイラは不機嫌な顔ではい、そうですが!?
そう返答する。
「ふん。
それほどに威勢がいい聖女なら、俺も力を与えた甲斐があったものだ。
「力を与えていただいたのは、アギト様からです!!
御使い様、もうご用件が御済みでしたらお引き取り下さいませ!!
誰かに見られたらー‥‥‥」
その御姿では、誤解を招きます。
そこまではシェイラは言えなかった。
しかし、彼は察していたのか、
「ああ、そうだな。
明日の結婚式。
静かに見守らせてもらおう‥‥‥」
なんと、そう言ったかと思うとシェイラの影に再びするりと潜り込んでしまったのだ。
これにはシェイラの方が驚くと共に迷惑だと感じていた。
だって、明日からずっと影の中にいられるなんてー‥‥‥。
せっかくの愛するリクト王太子殿下との二人の時間まで――見知らぬ神が影にいます、なんて言える訳がなかった。
「ああ、そうだ。
俺が来たこと、神託を受けたこと。
今夜の一件は秘密にするがいい。
聖女としての能力を授かったこともな」
そう影から彼の声がして、シェイラの不信感は更に募っていった。
「なぜでございますか!?
喜ばしいことですのに、御使い様?!」
不満を最大限に現わして聖女になった少女は影に文句を投げつけた。
誰からも祝われる、素晴らしいことなのに。
だが、彼の返事は違った。
「その力をまた国の為とか言われて利用されたいなら。
戦場で人殺しになりたいのならば、そうするがいい。
まあ、罪人であることに変わりはないがな‥‥‥」
「罪人!!??
聖なる存在になったのですよ、なのに何が罪なのですか!!???」
しかし、彼は何も返事をしてこなかった。
「もう‥‥‥!!
祝福されたのか、呪われたのか分からないじゃない‥‥‥」
時刻は深夜。
明日は一日、早朝から深夜まで来賓の方々を迎えてもてなさなければならない。
少女は王太子妃となるのだから。
そして、影の中から黒狼は静かに一言だけ告げ、また静かになる。
「あのアギトの言葉、忘れるなよ、シェイラ」
あの言葉。
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