華の剣士

小夜時雨

文字の大きさ
155 / 221
番外編 ムニル過去編

碧色の鬼灯

しおりを挟む
 襖の向こうには何とも華やかな世界が広がっていた。祇女たちが舞い、それに合わせて花びらが踊る。雅な琴の音がその舞に色を添えていた。座敷に据えられている屏風は楽園を表しており、天女が色とりどりの衣を纏って舞っている絵で、まさにその屏風と同じような光景が目の前に広がっていた。

「おお、ジェヒョン。お前もこちらに来い」
「はい、ビョンジン様。しかしその前に」

 ジェヒョンがビョンジンに膳に乗った酒を手で示す。ビョンジンはその仕草だけで、心得たように肯く。馴染みの客で、繰り返しているからこそのやりとりだ。
 ビョンジンが無言で差し出した杯に、ジェヒョンが慣れた手つきで酒を注ぐ。二人は黙ったままであったが、静まり返るような気まずさもなく、あれほどにご機嫌な様子だったビョンジンはすっかり穏やかな表情になっていた。

(流石ジェヒョンさんと言うべきなのかしら…。ただただ賑やかに騒ぐことも悪いわけではないけれど、盛り上がると言うことは必ず終わりが来る…。それよりも穏やかで楽しい空間を作り出すのはもっと難しいと思うもの。)

 ムニルはこの店の、一番の稼ぎ頭である彼女に感嘆した。人の心をいつの間にか掴み、そして決して離さない。しかし、それはしがらみのように人の自由を奪い、闇へと引き摺り込むような強い力ではなく、そっと包み込むような力だった。
 琴を鳴らしながら、ムニルは宴の様子を眺める。だんだんと曲や踊りに合わせて、宴もたけなわになった。ビョンジンと妓女は手遊びをし、勝った負けたと騒いでいる。よく見る客と妓女の風景だ。

(なんだか嫌な予感がすると思っていたけれど、気のせいだったのかしら)

 ムニルは華やかな座敷の様子を眺め、ほっと息をつく。このまま進めば、己は琴を弾くだけに徹すれば良い。緊張する事はないのだと、今まで目まぐるしく脈打っていた己の鼓動を宥めた。そうする事で、ようやく己の指先の感触が戻る。琴を弾く手つきは滑らかになった。
 そうしているうちに、この座敷にいる者の大半はこの夢見心地のような感覚が、ずっと続いて行きそうな恍惚とした心持ちになっていた。しかし、何事にも始まりと終わりはあるものだ。座敷のあちらこちらに据えられている蝋燭がゆっくりと溶けていくように、穏やかにその座敷の盛り上がりは落ち着いていった。
 多くの妓女はじんわりとした達成感にも似た疲労感があり、眠気が体を蝕むような感覚に陥った。そろそろ太陽が顔を出し、朝が訪れる。
 座敷に据えられた蝋燭は今にも燃え尽きそうだった。いつもは朝日が昇るまで煌々と灯されているのだが、今日は一度も交換されず、座敷は暗かった。

(みんな夢中になりすぎて、交換する役の人が忘れていたのかしら…?)

 ムニルがそう疑問に思っていると、何者かが近づいてくる気配がした。どきりとして、勢いよくそちらをみると、妓主だった。妓主はムニルの方に手を置き、

「今から窓の方に背を向けて、上着を脱ぎなさい」

と言う。ムニルはその指示の意図が読めず、混乱した。ここは妓館だ。男の自分がなぜ上着を脱ぐのか。
 しかし、それを問おうと妓主を見ても、彼は表情も変えず暗闇で光る鋭い目つきでムニルを見つめている。拒否できないことをムニルは悟った。
 上着の紐を解く指先は震えていて、思うように動かせず、もどかしい。ようやく上着を脱いだ時に、後ろの窓から朝日が差し込んで来ていることに気がついた。
 徐々に座敷が朝日で照らされ、その時ビョンジンの息を飲む音が聞こえる。

「これは…。まさか」
「ええ、そのまさかです」
「あの時の赤子はまだ生きていたのか…」

 ムニルに対して、恐れが混じったような声を出す者も久しぶりだ、とムニルは自身を俯瞰しているような、妙に頭の一部が冷めていた。
 そしてこの時、何年もの間、妓主が自身に求めていたことをようやく理解したのだった。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 騒ぎ疲れ、心地よい眠気がビョンジンを襲い始めた頃、それは始まった。数年前から女の格好をする童子がいた事は知っていた。
 今日、初めてその件の少年が座敷で琴を弾いているところ見たが、なるほど中性的な美貌の持ち主で、妓女の格好をしていても何ら違和感はなかった。細く女よりやや筋肉質な腕であったために、男だと言う事はすぐにわかったが、それを含めても美しいことに変わりはなかった。

(ここの妓主は相変わらず妙なことをするな。まぁ、その斬新さが面白いのだが)

 ビョンジンは少年に対してその程度しか興味を抱いていなかったが、まさかその少年が10年以上前に騒ぎになった赤ん坊であったとは露ほども知らなかった。

 あれほどに恐ろしくおぞましいと聞いていた背の鱗は、朝日の光を弾き、宝石のように輝いていた。
 元は碧色なのだろう。朝日の赤い色を帯びて、一部が橙色に染まり、熟れかけの鬼灯のようだった。

(何と神々しいのだろう…)

 ビョンジンは昔少年の背の鱗を恐れたと言う者達のことが信じられなかった。これはこの少年の背でしか見ることのできない、貴重なものだ。美術品とも言えた。



 
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!

七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

ひめさまはおうちにかえりたい

あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編) 王冠を手に入れたあとは、魔王退治!? 因縁の女神を殴るための策とは。(聖女と魔王と魔女編) 平和な女王様生活にやってきた手紙。いまさら、迎えに来たといわれても……。お帰りはあちらです、では済まないので撃退します(幼馴染襲来編)

弁えすぎた令嬢

ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
 元公爵令嬢のコロネ・ワッサンモフは、今は市井の食堂の2階に住む平民暮らしをしている。  発端は彼女の父親が行方不明となり、叔父である父の弟が公爵邸に乗り込んで来たこと。  何故か叔父一家が公爵家の資産に手を付け散財するが、祖父に相談してもコロネに任せると言って、手を貸してくれないのだ。  そもそも父の行方不明の原因は、出奔中の母を探す為だった。その母には出奔の理由があって…………。  残された次期後継者のコロネは、借金返済の為に事業を始めるのだ。  小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

処理中です...