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四獣
奉謝の儀
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暗闇が辺り一面を覆い尽くしている。視界はハヨンの前を歩くリョンヘだけを捉えていた。先頭を歩く老婆の灯りが橙色に眩く光、上下しているのが見える。
ハヨンも松明を高く掲げ、視界を広げようとするが、松明では限界があった。温かな光が照らすその先は深淵へと引き込まれるかのような黒で塗り込められていた。
夜も更けているからか、あたりは静寂に包まれ、生物の気配すらない。ただハヨン達の息遣いと、木の葉を踏み分ける音が響いている。
「あとどれぐらいで祭儀場に着くんだ?」
「あと半刻ほどじゃな」
リョンヘの問いに老婆は迷いなく答えた。彼女は高齢にも関わらず、息一つ上がっていない上に、迷いなく暗闇の山中を突き進んでいく。
(この山を歩き慣れているような気がする)
ハヨンは鍛錬のために、師匠のヨウと険しい山々を歩くことが多々あった。そのため山を登ることに関しては慣れている。しかし、目印もなく暗闇で見通しの悪いこの中で目的の場所まで迷いなく辿り着ける自信はない。老婆は何度もこの山を歩き、感覚を身につけたとしか思えなかった。
(いつまで経っても正体が掴めないな…)
老婆が見た目以上の年月を過ごしてきたことに、ハヨンは気づいている。しかし、それにしても彼女の知識や経験は豊富すぎる。想像を超えるほどの長い時を過ごしてきたのだろう。
老婆に先導されていることもあってか、考え込む余裕が出ている。そのため彼女が何者なのか、という何度も行き詰まった謎をついつい思いめぐらせてしまっていた。
そうしていくうちに、松明が照らし出す木々の数が減っていることに気がついた。ついに老婆が足を止めた頃、辺りは何もなく土を曝け出す開けた場所だった。遮蔽物が一切ないため、北風が容赦なくハヨン達の頬を打つ。
「ここじゃよ」
そう一言老婆が言い、数歩先へと歩く。すると老婆の松明が照らし出す先に、平で奇妙な岩があった。
「これは…?」
リョンヘも見当がつかないようで、訝しげな声色で老婆に尋ねる。
「ここがその始まりの場所じゃ。そして祭壇の代わりとなったものじゃな。」
「剣舞をするにはなかなか難しいところだな」
リョンヘは長靴を履いた足で確認するように地面を踏みしめる。吹きさらしのため、落ち葉や砂利が積もり、払い落としてもある程度残るだろう。そうなると足場が悪い。
「いっそのこと…裸足ですべきか?」
リョンヘの言葉で、北風で冷え切った石の上を裸足で踏みしめる感覚を想像し、ハヨンは思わず身震いした。山を登り続けたため、身体は温まってはいるが、確実に霜焼けを起こしそうだ。
「それはなかなかの試練ね…」
ムニルも同様に考えたのか、気落ちした声で呟いている。
「まぁ、やるしかないよな」
リョンヘは覚悟を決めたようで、ちらりと東の空を見上げる。奉謝の儀は夜明けと共に行うため、時間を気にしているのだろう。まだ東側は暗く、空と地面の見分けはつかない。冬だから夜明けも遅いだろうが、夜中に孟の城を出発したため、あと一刻もすれば空も白んでくるだろう。
「剣舞の手順をもう一度攫っておくから、俺の周りから離れてもらってもいいか?」
リョンヘの言葉に一同は頷いた。そして然るべき時を待つ間、ハヨン達は持ってきていた松明を四方に据え、篝火となるように手を加える。
剣が空を斬る音、火が小さく爆ぜる音、そして息遣いと地を踏みしめる音。それはあまりにも静かで、穏やかな空間だった。
(数日前の私は、同じ時間に山で戦に備えていた…。その時とは大違いだ。)
夢だったのか、と思いたくなったがそれにしては感触が生々し過ぎた。戦が終わり、意識を取り戻してからはふとした瞬間に戦のことを思い返しては叫び出しそうになっていた。いくら覚悟していても、人と剣を交えてきたとしても、大勢の人間が平等にそして簡単に命を落としていく様は耐え難かった。
しかし人間としての防衛反応なのか、恐ろしい記憶にもやがかかった様にして、思い出しにくくなってきている部分がある。
(鍛え続けてきたことで耐える精神力もあると思ってた…。けれど、私はただの人だったということだな…)
当たり前な事ではあるが、ハヨンには剣士としての誇りもあった。以前は心を乱されることは未熟だと以前は考えていた。しかし戦を経てこうしていると、この後己がどう進んでいくかによって剣士の心構えについて理解し、より高めていけるのではないかと思いつつある。
「ほら、もうすぐ夜明けだ」
篝火を見つめて考え込んでいたハヨンは、老婆の声で我に帰る。東の空を見ると、真っ暗に塗りつぶされていた空が、東から紺青へと移り変わり始めている。そして水平線に沿う様にして、白い一筋の光が現れた。
「では始めるとするか。」
リョンヘが深く鋭く息を吐く。そして長靴を脱ぎ捨てた。素足が真冬の空気に触れるが、彼は表情一つも変える事なく石舞台に上がる。それほど集中しているのだろう。
リョンヘが正面に立ったのを確認し、ハヨンは携えていた祭儀用の剣を手渡した。これはリョンヘの愛刀だが、この儀式のために柄には鈴が結えられていた。
ハヨンも松明を高く掲げ、視界を広げようとするが、松明では限界があった。温かな光が照らすその先は深淵へと引き込まれるかのような黒で塗り込められていた。
夜も更けているからか、あたりは静寂に包まれ、生物の気配すらない。ただハヨン達の息遣いと、木の葉を踏み分ける音が響いている。
「あとどれぐらいで祭儀場に着くんだ?」
「あと半刻ほどじゃな」
リョンヘの問いに老婆は迷いなく答えた。彼女は高齢にも関わらず、息一つ上がっていない上に、迷いなく暗闇の山中を突き進んでいく。
(この山を歩き慣れているような気がする)
ハヨンは鍛錬のために、師匠のヨウと険しい山々を歩くことが多々あった。そのため山を登ることに関しては慣れている。しかし、目印もなく暗闇で見通しの悪いこの中で目的の場所まで迷いなく辿り着ける自信はない。老婆は何度もこの山を歩き、感覚を身につけたとしか思えなかった。
(いつまで経っても正体が掴めないな…)
老婆が見た目以上の年月を過ごしてきたことに、ハヨンは気づいている。しかし、それにしても彼女の知識や経験は豊富すぎる。想像を超えるほどの長い時を過ごしてきたのだろう。
老婆に先導されていることもあってか、考え込む余裕が出ている。そのため彼女が何者なのか、という何度も行き詰まった謎をついつい思いめぐらせてしまっていた。
そうしていくうちに、松明が照らし出す木々の数が減っていることに気がついた。ついに老婆が足を止めた頃、辺りは何もなく土を曝け出す開けた場所だった。遮蔽物が一切ないため、北風が容赦なくハヨン達の頬を打つ。
「ここじゃよ」
そう一言老婆が言い、数歩先へと歩く。すると老婆の松明が照らし出す先に、平で奇妙な岩があった。
「これは…?」
リョンヘも見当がつかないようで、訝しげな声色で老婆に尋ねる。
「ここがその始まりの場所じゃ。そして祭壇の代わりとなったものじゃな。」
「剣舞をするにはなかなか難しいところだな」
リョンヘは長靴を履いた足で確認するように地面を踏みしめる。吹きさらしのため、落ち葉や砂利が積もり、払い落としてもある程度残るだろう。そうなると足場が悪い。
「いっそのこと…裸足ですべきか?」
リョンヘの言葉で、北風で冷え切った石の上を裸足で踏みしめる感覚を想像し、ハヨンは思わず身震いした。山を登り続けたため、身体は温まってはいるが、確実に霜焼けを起こしそうだ。
「それはなかなかの試練ね…」
ムニルも同様に考えたのか、気落ちした声で呟いている。
「まぁ、やるしかないよな」
リョンヘは覚悟を決めたようで、ちらりと東の空を見上げる。奉謝の儀は夜明けと共に行うため、時間を気にしているのだろう。まだ東側は暗く、空と地面の見分けはつかない。冬だから夜明けも遅いだろうが、夜中に孟の城を出発したため、あと一刻もすれば空も白んでくるだろう。
「剣舞の手順をもう一度攫っておくから、俺の周りから離れてもらってもいいか?」
リョンヘの言葉に一同は頷いた。そして然るべき時を待つ間、ハヨン達は持ってきていた松明を四方に据え、篝火となるように手を加える。
剣が空を斬る音、火が小さく爆ぜる音、そして息遣いと地を踏みしめる音。それはあまりにも静かで、穏やかな空間だった。
(数日前の私は、同じ時間に山で戦に備えていた…。その時とは大違いだ。)
夢だったのか、と思いたくなったがそれにしては感触が生々し過ぎた。戦が終わり、意識を取り戻してからはふとした瞬間に戦のことを思い返しては叫び出しそうになっていた。いくら覚悟していても、人と剣を交えてきたとしても、大勢の人間が平等にそして簡単に命を落としていく様は耐え難かった。
しかし人間としての防衛反応なのか、恐ろしい記憶にもやがかかった様にして、思い出しにくくなってきている部分がある。
(鍛え続けてきたことで耐える精神力もあると思ってた…。けれど、私はただの人だったということだな…)
当たり前な事ではあるが、ハヨンには剣士としての誇りもあった。以前は心を乱されることは未熟だと以前は考えていた。しかし戦を経てこうしていると、この後己がどう進んでいくかによって剣士の心構えについて理解し、より高めていけるのではないかと思いつつある。
「ほら、もうすぐ夜明けだ」
篝火を見つめて考え込んでいたハヨンは、老婆の声で我に帰る。東の空を見ると、真っ暗に塗りつぶされていた空が、東から紺青へと移り変わり始めている。そして水平線に沿う様にして、白い一筋の光が現れた。
「では始めるとするか。」
リョンヘが深く鋭く息を吐く。そして長靴を脱ぎ捨てた。素足が真冬の空気に触れるが、彼は表情一つも変える事なく石舞台に上がる。それほど集中しているのだろう。
リョンヘが正面に立ったのを確認し、ハヨンは携えていた祭儀用の剣を手渡した。これはリョンヘの愛刀だが、この儀式のために柄には鈴が結えられていた。
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