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気持ちの行方がわからない
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しおりを挟む「実弥ちゃん、大丈夫だよ。通常より多く捜査員がいるし、俺らも中央区内を回ってるから」
「うん……」
シバケンにはもしかしたら私が被害に遭っていたかもしれないことは伝えていた。明るい時間でも駅から会社まで歩くだけでも怖いし、頻繁に後ろを振り返ってしまうことも正直に打ち明けた。
私が少しでも安心できるようにとシバケンは毎朝LINEをくれるようになった。捜査状況を教えることができない代わりに、会社に着いたかどうかを心配してくれている。退勤後も家に着くまでメッセージをやり取りしていた。
「シバケンがいてくれるから大丈夫」
私は明るい声を出した。
「あのさ、もうシバケンはやめにしない?」
「じゃあ何て呼んでほしいですか? シバケンって結構気に入ってるのに」
「実はそれ嫌なんだ。警察官になりたての頃を思い出すから」
私たち高校生に『シバケン』と呼ばれていたときは新人警察官だった。あの頃を思い出して未熟な自分が恥ずかしくなるのだという。
「じゃあ健人さんはどうですか?」
「そうだね。健人でいいよ」
健人さん、と言葉に出すとどうもしっくりこない。
「でもシバケンが一番呼びやすいです。私にとってシバケンは特別ですから」
あの時の大事な思い出があってこその今なのだ。『柴田』や『健人』と呼ぶ人はいても『シバケン』と呼ぶ女の子は少ないのだとシバケン自身が言っていた。
「まあいいよ、シバケンでも。実弥ちゃんの好きに呼んで」
「シバケンも実弥ちゃんはやめてください」
「じゃあ何て呼ぶの? みーちゃん?」
「それは嫌です」
シバケンは残念そうな声を出すけれどこれは譲らない。『みーちゃん』なんて子供っぽくて恥ずかしい。実際子供の頃はそう呼ばれていたけれど、大人になっても昔からの友達以外で呼ばれることには抵抗がある。
「呼び捨てでいいですよ」
「……実弥」
スマートフォンを通しても、シバケンの声で囁くように呼び捨てにされると耳がくすぐったい。私たちの距離がどんどん近づいていく気がする。今の関係が心地いい。
「そういえばいい部屋は見つかった?」
「まだです。週末もう一度不動産屋に行ってみます」
「早く帰れたら俺も付き合うからね」
「はい」
週休2日制の私と違ってシバケンは3交代制の勤務だ。私が休みの日でもシバケンが休みとは限らない。二人の休みが重なることの方が珍しかった。
私が家を出たいと思っていることも伝えていた。家族仲が良くないのだとは匂わせても、家を出る詳しい理由は話していない。そのことをシバケンが深く聞いてこないのはありがたかった。
「実弥! 起きて!」
「んー……なに?」
母に揺り起こされて目が覚めた。ベッドの横に置いたスマートフォンで時刻を確認すると、朝の8時になろうとしている。
「今日仕事休みだよ?」
母が仕事の日だと勘違いして起こしてくれたのなら逆に迷惑だった。休みの日は自然と目が覚めるまでゆっくり寝ていたい。
「違うの、坂崎さんが来てるの」
「え!?」
坂崎さんの名前に一気に目が覚めた。
「どうして坂崎さんが?」
「お父さんが呼んだらしいの。お母さんも今突然坂崎さんが来て知ったのよ」
休日なのに朝早くに呼び出される坂崎さんを不憫に思う。父は坂崎さんにパワハラをしているのではと心配になるほどだ。
「もう……とりあえず私部屋にこもってるから、坂崎さんが帰ったら教えてよ」
「実弥を待ってるの。だから支度して下りてきて」
「はい?」
ますます混乱する。まさか父はまた坂崎さんと私を会わせようとしているのだろうか。
「無理、会いたくない。寝起きだし……」
私を待っているとはどういうことだ。下りるにしても今から着替えてメイクして髪を整えて。そうすると坂崎さんをかなり待たせてしまう。
「ごめんね突然で。少しだけでも顔出して。お母さんが上手く言っとくから準備してね」
母も急なことで驚いているのだろう。父は母にすら何も言わずに勝手に物事を決める癖があった。
母が部屋から出て行くとゆっくりとベットから下りた。
今日は不動産屋に行って部屋を探す予定だったのだ。もしシバケンの仕事が早く終われば会えるかもなんて期待していた。
父が私と坂崎さんを会わせて何がしたいのかはわからないけれど、こうなったらなるべく早くお引き取りいただこう。
坂崎さん相手に気合を入れる必要はない。自分を良く見せなくたっていいのだから、髪は下ろしたまま梳かすだけ。メイクもファンデーションとマスカラだけで十分。服はこれでいいやと量販店で買ったシンプルなワンピースをクローゼットから出した。
「お待たせしました……」
リビングに入ると父と坂崎さんが向かい合ってソファーに座りコーヒーを飲んでいた。
「実弥さんおはようございます」
そう言って立ち上がった坂崎さんは、セーターにジーンズというラフなコーディネートなのに様になってかっこいい。同じラフでも私とは大違いでまたしても恥ずかしさがこみ上げた。
「朝早くにすみません」
申し訳なさそうに謝る坂崎さんに「いいえ大丈夫です」と冷たく返した。休みでも8時まで寝ていたのを他人に知られると恥ずかしさも湧く。
「どうせ父に無理に来いと言われたんでしょうから」
私の嫌みに坂崎さんは目を見開いた。
「実弥!」
父の怒声を無視してキッチンに行くと冷蔵庫から牛乳を出してコップに注いだ。朝からくだらない親子喧嘩を見せられるなんて坂崎さんに同情してしまう。私を見る坂崎さんの目は驚いたのか真ん丸に見開かれていた。
どうぞ坂崎さん、私を嫌いになってください。
そう心の中で彼に話しかけた。
普通なら坂崎さんのようなイケメンに好かれたいと思うだろう。けれど私は逆に嫌われてしまいたい。坂崎さんから父に私とは会いたくないと言ってほしい。そのためならどんな失礼な事だってしてみせるのに。
家を出ると決めた今の私に怖いものはなかった。
ふと坂崎さんと目が合った。すると彼は私に向かってまたしても微笑んだ。呆れて睨まれたいとすら思うのに、私に微笑む彼の気持ちが理解できない。私が嫌われようとわざと失礼な言動をしていることに気がついているのだろうか。坂崎さんの笑顔に心の中を見透かされたような気になって居心地が悪くなった。
「じゃあ実弥さん行きましょうか」
「んぇ?」
坂崎さんの言葉に間抜けな声を出してしまった。行きましょうと言われても意味がわからない。
「お父様から今日は二人で出かけたいと聞いたものですから」
「いえ、そんなことは言ってませんが……」
坂崎さんは困った顔をしている。困っているのは私も同じだ。さては父が図ったに違いない。話を聞いていないふりをして無言で新聞を広げて読み始めた父に「行かないから!」と吐き捨てて勢いよく階段を上った。「実弥!」と母が咎めたけれど私は引き返さない。
勝手に休日の予定まで決めてしまうなんて最低な父親だ。周りを巻き込む自己中心的な態度には毎度のことながら嫌気がさす。
部屋に入って靴下を履いてカバンを取ると、再び階段を下りた。誰かに止められる前にスニーカーを履いて玄関のドアを開けた。後ろでドアが閉まる直前に「待ちなさい!」と父の怒鳴り声が聞こえたけれど、私は既に駅に向かって走り出していた。
絶対に止まらない。坂崎さんと出かけたりしない。
父の言いなりで生きてきた。それが当たり前で、望みがあっても最後には父に従ってきた。今の恵まれた生活環境は父のお陰だとはわかっているし感謝もしていた。立派な帰る家があって、自分の部屋があって、豪華な食事ができて立派な会社に勤められている。
けれどもうそれじゃだめなんだ。私はいつまでたっても自分の力で生きてはいけない。もっと強くならなければ。
意志を貫かずに流れに身を任せてきた今までの生き方を後悔している。もう父の言いなりにはならない。
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