黒猫を追いかけてたら新しい世界への道を見つけちゃった話

まなづるるい

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苺谷先輩(1)

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 お兄さんが苺谷先輩のことを知っている。それは裏を返せば、苺谷先輩が新しい世界にも存在しているということになる。お兄さんは私に、新しい世界で存在している苺谷先輩に会わせようとしてるのだ。

 彼女が新しい世界でアイドルとして過ごしていたように、苺谷先輩も新しい世界では全然違う雰囲気を纏っているのかもしれない。そんなの、気にならないと言えば嘘になる。

 お兄さんは私の心を擽るのが上手いなぁ。私はまんまとお兄さんの策略に嵌められて、お兄さんの探究心や好奇心を満たしている都合のいい女だね。

「……い、行きましょうか」

 大丈夫。苺谷先輩を新しい世界へ連れてこなければなんら問題はないはずだ。ただ私がちょっとだけ、新しい世界の苺谷先輩の様子を見たくなっただけ。別に見るだけならいいでしょう。

 私はヘッドフォンを装着すると、世界線を移動した。

 今回は二人とも同じ場所に到達できたらしい。お兄さんが私の姿を目視で確認すると、まるで苺谷先輩がいる場所を知ってるかのように迷いなく歩いていく。

 管理人は、新しい世界の住人の現在地までも把握しているとでもいうのだろうか。だとしたら凄すぎるんですけど。

 少し歩いたところでお兄さんが合図をする。

 見ればそこには確かに苺谷先輩の姿をした人が公園のベンチに一人腰掛けていた。

「い、苺谷先輩……っ」
「ちょっと話してくるといいよ。僕はこの辺りにいるからさ」

 苺谷先輩は、ベンチで文庫本サイズの本を読んでいる。声をかけていいものか迷ったけど、近くまで行くと向こうから声をかけてくれた。

「あれ、無花果さん。こんなところで会うなんて珍しいね」
「い、苺谷先輩……っ、こ、こんにちは」

 苺谷先輩、格好良い。

 私の胸はドキドキして落ち着きをなくしてしまったようだ。

「こんにちは。良かったら隣座りなよ」
「えっ、ぁ、は、はぁ」

 お言葉に甘えて人一人分の間隔を空けて座ると、苺谷先輩の方を見れなくて、自分の足元ばかり見てしまう。

 呼吸ってどうやってしてたんだっけ。どうしよう、緊張で頭が真っ白になってきた。気の所為かもしれないけど、さっきから苺谷先輩の熱い視線を感じるような……。

「ねえ」
「ひゃ、ひゃい!」
「なんでそんなに離れてるの? もっとこっちにおいでよ」
「えっ、あ……い、いえ、そんな……っ」
「遠慮しないで、くっついて」

 言いながら苺谷先輩の腕が、私の腰を抱き寄せる。

 急激に近付く距離に私の心臓が飛びだした。これでは近付くというよりも、物理的に触れている状態だ。

 苺谷先輩って、こんな人だったっけ。

 一瞬、脳が混乱する。私はまだ、苺谷先輩に触れたことはない。それはきっと未来永劫、変わることがないはずだ。

 だけど新しい世界でなら、私は苺谷先輩と触れ合うことができるんだ。此処はなんて甘くて魅力的な世界なんだろう。

 苺谷先輩、苺谷先輩。

 好きが溢れてしまいそうになる。

「ねえ、無花果さん」
「……っ、な、なんですか?」
「いちるちゃんって呼んでもいい?」

 名前を呼ばれた瞬間、息が止まる。苺谷先輩の顔なんてとてもじゃないけど見れなかった。私、今、顔が林檎みたいに真っ赤だもん。

「ええっ、ぃ、いや、あのっその」
「駄目?」
「だ、駄目じゃ、な」
「いちるちゃん、可愛い」

 苺谷先輩はこんなふうに言わないと、分かっていても揺れてしまう。私みたいななんの取り柄もない女が現実の世界で苺谷先輩と上手くいくわけないんだし、新しい世界の苺谷先輩とこうして甘い時間を過ごした方が幸せになれるんじゃ……。

 苺谷先輩との距離がグッと近付くと、唇が触れてしまいそうになる。

 このまま身を委ねたらどうなるんだろう。私は苺谷先輩の彼女になるのかな。苺谷先輩の彼女になりたいな。

「馬ッ鹿野郎がぁ!」
「!」

 何処からともなく大きな罵声が飛んできたと思ったら、隣にいたはずの苺谷先輩の身体がふわりと浮いて真横に吹き飛んでいく。

 そして目の前には大きなハンマーを手に持った私のよく知る男の子が立っていた。

「い、伊恩?」

 口が悪かったし、詩恩ではないと思うけど。

 え、まさか詩恩じゃないよねえ?

 漫画でよく見る、武器を手に取ると人格が変わるタイプじゃないよねえ?

 ていうか、どうして苺谷先輩に危害を加えるの?

 メンテナンス担当って、そんな乱暴なこともするんだ?

「ひ、酷い! 酷すぎる! 急にそんな大きなハンマーで殴らなくたっていいじゃん! どうしてそんな乱暴なことするの? 伊恩ってそんな人だったんだ、最低!」

 怒りと混乱に任せて饒舌に文句を言うと、伊恩の持つハンマーが急激に小さくなっていく。

 ハンマーの大きさも自由自在に変えられるなんて便利だね。他にはいったいどんな武器があるんだろう。人によって武器が違うのかな。詩恩なら弓とか似合いそう。

「あのなぁ。知らないみたいだから教えてやるけど、こっち側でしか存在できない奴等は皆、悪性なんだよ。二見双葉も苺谷苺もそう。悪性って分かるか? 人間に害をもたらす悪い化け物なんだよ」
「そ、そんなことない!」
「そんなことあるから言ってんだ! この分からず屋! 自分にとって都合のいいことばっか信じてんじゃねえぞブス!」
「だ、だって、新しい世界でしか存在できない奴等は皆、悪性なんだって言うけど、二見さんも苺谷先輩も、現実の世界の住人じゃん! だったら悪性じゃないよ!」
「悪性だよバーカ! 僕の言うこっち側は、こっちで産まれた存在のことを言ってんだよ! こっちで産まれたんだからこっちでしか存在できねえだろうが、あったまわりいなお前!」

 馬鹿とか頭悪いとか、一返せば十返ってくる罵倒の嵐に私の心はすぐに折れて、とうとう言い返せなくなってしまった。

 そんなにボロクソに言うことないじゃんか……。

 ちらりと横目でそこに倒れている苺谷先輩の姿を確認すると、首があらぬ方向に曲がってて思わず素っ頓狂な声が出てしまう。

「い、い、苺谷先輩……死んじゃっ」
「ああ大丈夫。ちょっと身体が捻じ曲がったくらいじゃ死なないから。それよりお前早く帰れ」
「えっ、ど、どう、して?」
「いいのか? 此処にいたらお前のそっくりさんがくるぞ?」
「ええ! ど、どうして此処にくるって、分かるの?」
「どうしてって、僕はこっち側のメンテナンス担当だからだろ。そんなことも分からないなんてお前って本当に」
「わ、分かった! 帰るっ帰りますさようなら!」

 黙っていたらまた暴言を言われそうだったので、私は伊恩の言葉を遮るとお兄さんのところに向かってダッシュする。そして無事、現実の世界に戻ってくると、すぐさまお開きになったのだが。

 正直、もう少しだけ苺谷先輩と一緒にいたかった。

 私は自分の唇に軽く触れながら、数分前の余韻に浸る。

 あとちょっとで触れそうだったのに。

 もしあの時、伊恩が邪魔しにこなかったら。私と苺谷先輩の関係は、何か変わっていたのかな。

 変わると言っても新しい世界の苺谷先輩と私の関係だけで、現実の世界の苺谷先輩と私の関係は平行線のまま。新しい世界の苺谷先輩に沼るば沼る程、現実の世界の苺谷先輩とのギャップに勝手に失望してしまいそうで怖いのも確か。

 きっと私は比べてしまう。新しい世界の苺谷先輩と現実の世界の苺谷先輩。理想と現実。願望と現実。振り幅が大きすぎて、心がついていけなくなりそう。

 そんなことになれば、私の初恋は言わずもがな、終止符が打たれるであろう。

 それよりも気になるのは伊恩が言ってた『悪性』という言葉。伊恩曰く、人間に害をもたらす悪い化け物らしいけど。

 苺谷先輩だけならまだ、伊恩が嫉妬でもしたのかな、可愛いなと思えたよ。だけど彼女のことまで悪性呼ばわりするなんて、酷いにも程がある。

 ていうか、メンテナンス担当なんだからあたり前だけど、彼女の名前も筒抜けなんだなぁ。私からはなにひとつ情報を開示してないのに、なんでも知ってるんだもん。常に監視されてるみたいでなんかやだ。

 ぶつぶつと小言を言いながら就寝すると、あっという間に朝がきたようだ。

 いつものように身支度を整えてから学校に行くと、正門のところで苺谷先輩と遭遇する。昨日の今日でいったいどんな顔して会えばいいのか分からなかった私は、不自然に視線を逸らしてしまう。

「無花果さん、おはよう」

 目が合ったのは気の所為だったかなとでも思ってくれれば良かったのに、苺谷先輩は果敢にも私に声をかけてくれる。

 そういう優しいところも好きだけど、今はそっとしておいてほしかった。

 なんて本人を前にして言えるわけもなく、私は不自然に引き攣った笑顔で苺谷先輩に挨拶をした。

「お、おはようございます、苺谷先輩」
「良かった。目が合ったと思ったら逸らされちゃったから、嫌われちゃったのかと思ったよ」
「そ、そんなことっ……わ、私が苺谷先輩を嫌いになるなんて、そんなこと、ない……です……っ」
「ふふ、良かった」

 苺谷先輩の曇りなき笑顔が眩しくて、私はまた視線を逸らしてしまう。

 本当は『いちるちゃん』って呼んでほしいとか、もっと近くに苺谷先輩を感じたいとか、そういう邪な想いばかりが頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え。

 なんとなく肩を並べて歩いていると、やっぱり好きだなぁ……と改めて自分の恋心を実感する。

 苺谷先輩が悪性なんて嘘。こんなに温厚で素敵な人が、悪い人だとは思えないよ。

「無花果さん、どうしたの?」

 無垢な瞳で私を見つける苺谷先輩を見て、胸の奥がギュッとなる。

 私が苺谷先輩を好きになってからもう数ヶ月が経過していた。私はこのままで本当にいいのだろうか。本当に何も進展しないまま、苺谷先輩の卒業を見届けて、本当に後悔しないだろうか。

 嫌われてはいないと思うけど……。

「い、苺谷先輩……私、私……」

 早生まれの蝉が鳴く。夏はもう、すぐそこまで迫っていた。
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