僕が気付かないふりをしている事

三島 至

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僕が気付かないふりをしている事

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 恋人と初デートをしている時に、店先に置いてある小さな瓶が目に入った。
 魔法薬が売っている店だ。
 空中浮遊、水中で息が出来る、夜目がきく、動物の言葉が分かる……といった、魔法の効果が込められた、様々な薬が並んでいる。
 店の前に座る黒猫が、客寄せをするように鳴いた。恋人が撫でたそうに見ていたので、店に立ち寄ることにする。
 恋人が猫に夢中になっている間、気になった小瓶を手にとった。店員が、香りのサンプルがありますよ、と言って、蓋が開いた状態の小瓶を差し出してくる。
 受け取って、鼻に近づける。
 知っている香りだった。
 甘ったるい、花の蜜をこれでもかというくらい煮詰めたような香りが、脳を刺激する。
 その瞬間、脳裏には様々な記憶が思い起こされていた。

 小瓶のラベルを確認する。
 “あなたの望む姿に変身できます。”
 “効果は、他者に見破られるまで持続します。”

 なるほど。この薬だったのか。
 僕はこの香りを嗅いだ事がある。あの時は、薬の香りだとは気付かなかったけれど、薄々考えてはいたのだ。
 彼女は一体、何の魔法薬を使ったのだろう、と――。






 僕の初恋は六年前。八歳の時だ。
 まだ初等科に通っている頃。
 クラスに一人はいる、可愛い女の子の事が気になっていた。
 その子の名前はルチル。見た目も可愛いのだけど、成績も良くて、教師からの印象も良かった。
 ルチルは、彼女を気にかける男子から、よく苛められていた。今だから分かるけれど、あれは好きな子に意地悪をしてしまうという、よくある話だ。
 当時の僕は、違った方法で彼女にアピールする事に成功した。
 苛めていた男子から庇ってあげたのだ。
 あの年頃の男子は、そういう事を出来る子が少なかったから、僕はルチルに、大層感謝された。
 当然、その男子達には妬まれもしたけれど、気になる女の子に笑顔で挨拶されるようになった僕は、有頂天になっていたので、気にしなかった。
 ところが、ルチルは親の都合で遠くに引っ越すことになり、楽しい時間はあっさりと終わってしまう。
 せっかく仲良くなれたのに、ルチルは転校していった。
 同時期に、クラスからもう一人転校して行ったから、僕のクラスは途端に寂しくなってしまった。


 僕の初恋はこんな感じで終わったのだけれど、つい最近、恋人が出来た。
 きっかけは、ルチルと再会した事。
 街中でばったり会ったのだ。




「ねえ、もしかしてあなた、ジェイドじゃない?」

 茹だるような暑さに辟易しながら、噴水を囲む大きな石に腰掛けていた。シャツの裾をぱたぱたと仰いで、口を半開きにしているという、何とも間抜けな格好をしていた僕は、自分の名前を呼ばれて、辺りを見渡す。

「前よ」

 可笑しそうに、透明な声が笑った。
 声に導かれるまま、正面を見ると、白いワンピースに身を包んだ、可憐な少女が立っている。
 誰だこの美少女は、と声に出せずに呆けた。

「ジェイドじゃないの?」

 彼女の涼やかな声に、もう一度名前を呼ばれて、必死に記憶を探る。
 まじまじと顔を見ていると、彼女は長い髪を耳にかけた。
 ぱっと、頭に閃く名前があって、すぐに確信する。

「ルチル……?」

「そうよ。久しぶり、ジェイド」

 ルチルは、可愛さはそのままに、少し大人びた美人になっていた。


 昔のルチルは、男子に苛められていたとはいえ、女子の中で孤立しているわけでは無かった。
 可愛くて、成績優秀で、割と活発。引っ込み思案と言う事も無く、人の目をしっかりと見て話す子供だった。
 言いたい事ははっきりと言う性格で、男子に意地悪された時も、自分で言い返す所を見た事がある。

 再会したルチルは、昔とは少し変わっていた。




「ジェイド!! 偶然ね!!」

 今のルチルは嘘が下手だ。
 再会してから、度々街中……と言っても、いつも同じ噴水の前で、ルチルに遭遇した。
 素知らぬ顔で噴水に近づいたけれど、実は数分前から、ルチルの様子を見ていた。
 僕が来る前、ルチルは、一直線に噴水まで近づいて行って、きょろきょろと辺りを見た。そして、噴水の周りをぐるりと回って、元の場所に戻ってくると、肩を落とした。まるで誰かを探しているみたいだ。
 いつかの僕のように、ルチルは噴水の淵に座る。待ち合わせをしているようにしか見えない。
 待っていても、ルチルの知り合いが来る様子は無いので、そろそろと彼女に近寄る。
 僕の姿が視界に入ると、ルチルは、正解だ、と言うように華やいだ笑顔を見せた。
 偶然を装う彼女に、にやけそうな口元を努力して固めながら、挨拶を返す。
 ルチルはいつも、偶然ね、と言うけれど、僕を待っているのは明らかだった。
 こんなやり取りを、もう何度も繰り返している。


 昔は同じくらいの背丈だったけれど、僕は最近背が伸びて、ルチルより、少し高いくらいになった。
 僕の肩の高さに、ルチルの頭がある。
 ルチルを呼ぶと、彼女は僕を見上げてくるのだけど、数度瞬きすると、目を逸らしてしまう。見つめ合うのは、五秒ともたない。
 彼女の目を、ずっと見つめていたいのだけど、じっと見ていても、視線を感じてか、ルチルが再び視線を合わせてくれる事は少ない。
 だんだん、ルチルの顔が赤くなってきて、無言で腕を突付かれる。
 彼女が見ていないのをいい事に、だらしなくなる表情を隠さなかった。

 こういう所も、変わったなあ、と思う。
 ルチルは物怖じしない性格だったけれど、今のルチルは、人ごみだと落ち着かない様子を見せる。
 僕と話す時は、少し生き生きしている……ように見えるが、ルチルは基本、大人しい。
 こんな子だったかなあ?
 違和感がありながらも、まあ、六年も経てば変わるかと、自分を納得させた。


 約束をしたわけでもないのに、僕たちは噴水の前で、何度も会った。
 何と言うか、僕もいい加減、これはデートなのでは? と思ったので、ルチルに聞いてみた事がある。

「親しい男女が、何度も二人きりで会うのって、世間一般では、デートみたいじゃない?」

 ルチルも多分、僕に気があるのではないかと思うので、思い切って言った。
 大分緊張して、さりげなくは無かったけれど。

「ぐ、偶然よ。それに、周りにたくさん、人いるでしょう、二人きりじゃないわよ!」

 何が彼女を頑なにさせるのか。ルチルは偶然、という所は譲らない。
 地味に落ち込んだが、ルチルの顔を見て、すぐに復活した。
 俯いて指を組み合わせる彼女の耳は、真っ赤だった。
 ルチルはすぐ、顔に出る。
 今のは、僕を意識している顔だ。

 ああ……。
 僕たち、何で付き合っていないのだろう。
 ルチルは僕の事を好きだと思うのだけど、自惚れだろうか。
 胸の奥が痛くて、喉が詰まったような感覚がした。
 恋人同士だったら、抱きしめてもいいのかな……。
 自分の心臓が、ドクドクと鳴って、顔がどうしようもなく熱くなるのを感じた。
 告白したら、付き合えるのかな。
 横目で、ルチルの耳を眺めたまま、考える。
 暑さで少し、思考が鈍っていて、吸い寄せられるように、ルチルの耳に顔を近づけた。
 何か、言おうとしていたのだと思う。でも、強い香りが鼻孔をくすぐって、意識が霧散してしまった。
 すごく、濃い香りだ。
 花屋さんを通った時にする香りを、何倍にも濃くした感じで、鼻の奥がツン、と痛んだ。
 今まで一緒にいる時には、気付かなかったけれど……疑問に思いながら、彼女から離れると、香りが消えた。

「あれ……?」

 あんなに強く香っていたのに、もう何の香りもしない。
 僕の呟きを拾って、ルチルが顔を上げた。

「どうかしたの?」

 ぱちぱちと、瞬きして僕を見上げるルチルは、僕が彼女の香りを嗅いでいたことには気付いていないようだ。
 何となく決まりが悪くて、何でもない、と言った。
 言いたかった事は、忘れてしまった。


 かなり近づくと、強く香るのに、すぐ隣にいても、全くの無臭、何て事、あるのだろうか。
 思い当たるのは、普通の香水ではなくて、魔法薬を使用していると言う事だ。
 でも、ルチルが何か、魔法薬の効果を使っているようには見えないので、僕の中には疑問が残ったままだった。



 何度も、噴水の前で待ち合わせした。僕の勝手な解釈だけど、デートを重ねる。
 僕も学校に通っているため、毎日噴水前にいるわけではない。だから、自分から約束をするようになった。
 その日は、僕はいないから、会えないね。この日は、噴水前にいるから、一緒に出かけよう、と言って、毎回、次の約束をした。

 ルチルと再会して、一月が経つ。
 汗の滲む暑さは、少し収まってきていた。




 今僕は、中等部に通っている。初等部の頃一緒だったクラスメイトも多い。
 ルチルの事を考えながら、窓からよく晴れた空を眺める。席は窓際だ。それなりに話す友人もいるけれど、積極的に会話の輪に入っていくよりは、自分の席で静かに座っている方が楽だ。
 クラスメイトの声が、耳に入っては通り過ぎていく。
 ぼんやりと聞き流していると、斜め後ろに座っている女子が、甲高い声で話し始めた。隣の席に、友人がやって来たらしい。
 うるさいなあ。
 空を見るのをやめて、後ろにそっと目をやる。
 ちょうどその時、女子が「ルチルって覚えている?」と言うのを聞いた。
 思わず、その女子を凝視してしまい、慌てて前に向き直る。でも、会話に集中して、聞き逃さないようにした。

「ルチル? ……ああ、覚えているわよ、初等部の時、転校していった、可愛い子でしょう」

「そう。実は私、ルチルと連絡取り合っているのよ、それでね、彼女、こっちに戻って来ているらしいの」

 聞き耳を立てながら、その女子の言っている事は本当だろうな、と思う。だって、確かに僕はルチルと会っているので、彼女は地元に戻って来ているのだ。
 ルチルと親しいというのならば、何か、僕の話題を言っていないだろうか。実は、好きな人が出来た、とか……。
 そんな事を期待してみる。

「ルチル、つい昨日、近くに引っ越してきたって、連絡よこしたわ。遠かったから、移動にかなり時間がかかって、相当疲れたって」

「そんなに遠いの? どれくらいかかったのよ」

「三日間、汽車に乗りっぱなし」

「それは大変ね~」

 会話の内容に、耳を疑った。昨日だって? それに、三日間汽車に乗りっぱなし、って……。
 僕は、つい一昨日、ルチルに会ったばかりだ。
 それどころか、もう一月も前から、何度も会っている。
 最近引っ越して来たのなら、僕と会うためには、汽車で三日もかかる距離を、往復しなければならないはずだ。それはさすがに、あり得ない。
 わざわざ、宿を取ったのだろうか。いや、それなら、既に地元にいるのに、また三日間馬車に乗る理由が無い。
 そもそも、汽車に乗っていたと言う、この三日間に、僕はルチルに会っているのだから、前提からして、間違っている。

 この子は、一体どこのルチルの話をしているのだ?

 訳が分からない。
 僕が会っていたのは、ルチルのはずだ。僕の事を覚えていたし、あれだけ似ていて、別人なはずがない。
 でも、じゃあ、今後ろで言っている“ルチル”は、一体誰なのだろう。





 答え合わせの機会は、案外早くやってきた。

 次の休日、ルチルの事が判然としないまま、彼女と噴水の前で待ち合わせた。
 学校での事があったため、落ち着かなくて、時間よりもかなり早く来てしまう。
 時間を持て余し、意味もなくうろうろした。

 まだ時間は早かったのだけど、雑踏の中に、この一月で見慣れた顔を見かけて、ほっと息を吐く。
 早く会いたかった。
 ルチルも早く来てしまったようだ。
 噴水から離れて、ルチルのいる所まで歩いて行く。
 近づいていくにつれて、人ごみに隠れていたルチルの格好が顕わになった。
 いつもと雰囲気が違うな、と思う。
 普段彼女は、淡い色を好んで着ていた。再会した時の白いワンピースもそうだし、あとは薄い水色とか、穏やかな桃色とか。濃い色を纏うルチルを、再会してから見た事は無い。
 それが、今日は真っ赤で華やかなデザインのワンピースを着ていた。
 まだ暑いから、涼しげではあるのだけど、鮮烈な赤と、しみ一つ見当たらない真っ白な腕が対照的で、人目を惹く。
 相変わらず美人だけど……控えめな印象の彼女らしくない。

 とうとうルチルの目の前までやってきて、声をかけた。

「ルチル?」

 声に反応して、ルチルは僕の顔を見た。
 すぐに返事をしない彼女は、眉を潜め、じっくりと僕を観察している。
 明らかにいつもと違う反応に、戸惑う。
 嫌な予感がする。
 ルチルは数秒考え込むと、眉根を上げて、閃いたような声を上げた。

「あ、もしかして、ジェイド!? 変わってないのね! 久しぶり!」

 眩暈がするような気がした。


 一体どういうことなのか。
 ついこの間、会ったばかりじゃないか。
 クラスの女子と結託して、僕をからかっているのだろうか。
 不安に思い、事情を聞きだそうとすると、彼女が先に話し出した。

「よく私の事分かったわね、初等部の時転校して以来だから……六年ぶりかしら? あの頃、結構仲良かったわよね、私たち」

 目の前にいるルチルは、しっかりと僕の目を見て、はきはきと話す。
 もう、とっくに五秒以上目を合わせていた。
 少しも変わっていない、昔のままのルチルだった。


 混乱して、何も言えなかった。
 ルチルが色々話しているけれど、あまり頭に入ってこない。
 驚かせようとしているのか、からかっているのか知らないけれど、とにかく早く、種明かしして、僕を安心させてほしい。

 懐かしい人に会った態度だったルチルが、急に話すのを止めた。可笑しな話は終わっただろうかと、ルチルの様子を窺うと、彼女は目を見開いて、僕の後方を食い入るように見ている。
 彼女の視線を辿ろうと、振り返った。
 その先には、ルチルがいた。

「……ルチル!?」

 薄い黄緑のスカートに、白い鍔付き帽子を被っている。
 僕に呼ばれたルチルは、さっと視線を地面に落として、手を組み合わせた。
 帽子に隠れてよく見えないが、顔色が悪い。
 よく見ると、唇も、指先も、震えていた。
 僕の知っている、ルチルだ。

「え、私とそっくりだけど……」

 僕の後ろから、赤いワンピースのルチルが戸惑いの声を出す。
 それに構わず、僕の知っているルチルへ向かって足を踏み出した。

「見ないで!!」

 ルチルは泣きそうな声で叫ぶと、白い帽子を顔の前まで引っ張って、表情を隠した。
 じりじりと後ずさり、震える声で呟く。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 それだけ言うと、ルチルは走り出し、僕の前から逃げ出した。
 追いかけようとしたけれど、不思議な光景に、目を奪われて、足を止めてしまう。
 後ろ姿の、ルチルの長い髪が、空気に溶けるように、短くなった。
 走り去る彼女の姿が、まるで別人のように変わって見えたのだ。
 呆然とする。
 記憶の隅にあった、甘い香りが脳裏を過ぎる。

 僕が会っていたのは、ルチルではなかった。
 そう確信してしまった。





 中等部に、ルチルが転校してきた。

「初等部の頃引っ越して、また戻ってきました。今日からよろしくお願いします」

 ルチルはクラス中を見回して、勝気な笑顔で挨拶を終える。
 俯いて、五秒以上視線を合わせられないルチルではなかった。
 あれが本当のルチルなのだろう。
 もう一人のルチルの事を、ここにいるルチルに聞かれたが……ああ、ややこしい。僕だって知りたい。彼女が何者なのか。
 僕は、分からないとしか、答えられない。

 あれから、何度も噴水前に行った。でも、会えない。
 恐らく彼女は、何かの魔法薬を使っていたのだろうけれど、魔法薬は高価だし、犯罪に使われると困るので、扱いも難しい。つまり僕には無縁の物だから、何の魔法薬かは分からないし、分かった所で、結局彼女の正体は知り得ない。
 魔法薬を扱う才能がある、優秀な人なのだろう。
 僕に言えるのは、それくらいだ。



 数週間が経って、誰も待っていない噴水に行く事が習慣になりつつあった。
 暫く待つけれど、僕に声をかける人はいない。
 今日も駄目かと、溜息を吐く。
 ふと、思い付きで、噴水から離れる事にした。
 以前、彼女が噴水前をうろうろしていたのを思い出したからだ。
 帰った振りをして、建物の陰から、噴水を眺めた。
 僕が彼女だったら……知られたくない秘密を知られてしまったら……きっと、こうやって、物陰からひっそりと、様子を窺っていると思うのだ。
 そして、誰もいなくなった頃、そっと現場に戻る。
 犯人みたいに。

 正午を過ぎて、日が傾いてきた。人もまばらになってくる。
 果たして、犯人――らしき人物は来た。

 噴水の前にやってきて、注意深く周りを見ている。
 肩にかかるくらいの、短い髪だ。
 見られる事を心配してか、僕の前では着たことの無い服を着ている。
 最初は分からなかった。普通に、知らない人にしか見えない。
 でも、彼女の仕草を見た瞬間――

 足早に、噴水前まで戻った。彼女に悟られないように、慎重に足を運ぶ。
 噴水の後ろから回り込んで、ゆっくりと正面に立った。
 地面に落とした視線に、影が差して、彼女の目線が僕に移る。
 とっくに帰ったと思っていたであろう僕が見下ろしている事に気が付いて、彼女は組み合わせていた手を、さっと口元にあてた。
 今更隠しても、顔はしっかりと見た。
 何とも、まあ、僕は転校生と縁がある。
 昔、初等部で見た事のある顔だ。
 そう、確か彼女も、ルチルと同じ頃、転校して行ったのだ。

 さも、意外そうな表情を作って、彼女に声をかけた。

「なあ、もしかして……シトリンじゃないか? 変わってないな! 久しぶり!」

 本物のルチルが、僕と会った時に言った台詞を、そのまま使わせてもらう。

「僕の事覚えてない? 同じクラスだった、ジェイドだけど……」

 我ながら白々しい事を言う。
 彼女――シトリンが、僕を覚えていないはずが無い。
 だって、先に声をかけてきたのは、シトリンなのだから。

「それにしても、偶然だな! 地元に戻ってきたのか? ちょっと座ろうよ、時間ある?」

 シトリンは、クラスでも目立たない女子だった。大人しくて、あまり自分から発言をしない。友人付き合いも少なくて、転校するときも、ひっそりといなくなった。
 ルチルとは正反対で、いつも俯いているような子だった。
 当時はルチルの事が気になっていたけれど、シトリンの事も、ちゃんと覚えていた。
 ルチルを苛めっ子から庇った時、怪我をした僕に、真っ赤な顔で、ハンカチを差し出してくれたのだ。
 シトリンは、ただ黙って渡すと、すぐいなくなってしまったし、僕はちょっとした英雄気分だったから、それは些細な出来事だった。そのことがきっかけで、シトリンとの交流が発展することは無かった。
 でも、今思えば、あれは、シトリンの精一杯の勇気だったのではないだろうか。
 ルチルばかり気にしている僕に対する、ただの親切だったとは、今では思えないのだ。


「あの、ジェイドの事は……覚えている……」

 じっと目を合わせていると、ほら、やっぱり。
 シトリンは五秒と待たずに、目を逸らした。
 その後、顔を赤くするところまで、全く同じだ。
 僕の知っている、彼女だ。

 良かったと、本音を溢して、シトリンに笑いかけた。
 視線を合わせないシトリンの目には、僕の表情は見えなかったはずだけど、彼女はますます赤くなった。
 ああ……。
 この感じ。

 僕の事が好きだとしたら。
 僕の好きな人に、成り代わりたかったのかな。

 まあ、とりあえずは――

「あのさ、僕最近失恋しちゃったんだ。シトリン、慰めてくれない? たまに会って欲しいんだ。……駄目かな? …………シトリン? 何で泣くの? 嫌だった? え、違う…………?」

 ――気付かないふりをしておこうか。
















「ジェイド、見て、可愛い! 子猫もいる!」

 呼ばれて、我に返った。
 花の蜜の香りがする小瓶を、店員に返す。値段を見たが、やはり高い。
 声のするほうを見ると、恋人がしゃがんで、黒猫を撫でている。
 黒猫の後ろから、子猫がやってきて、小さな声で鳴いた。

「可愛い……! ジェイド、ほら! 可愛い!!」

 恋人が呼ぶので、しゃがみ込んで黒猫を撫でる。邪魔にならないように、少し端に寄った。

 恋人は、頬を緩ませ、子猫と目を合わせている。
 動物相手なら、照れないらしい。
 猫を見ないで、猫を見ている恋人を見つめた。

「ね? 可愛いでしょう? ジェイド」

 不意に、恋人が振り向く。
 僕は恋人を見ていたので、ばっちりと目が合ってしまう。
 子猫に向けたままの、無邪気な顔で笑いかけるものだから、ドキリとした。

「……そうだね、シトリン」

 ……本当、可愛いなあ。







<終わり>
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