『Souls gate』

文月

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二章 楠の正体と天音

6.捨てた過去。

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(柊の昔話。楠との出会い以前)


 俺は、あの家の息子でありながら、両親に忌諱されていた。
 陰陽師を生業とする名家‥だけど、そう一族から能力者が出るわけではない。だから、一族は、他から能力者を招き入れた。養子という形をとっているから、苗字は同じ。だけど、「純粋」に拘る古い一族はよそ者を受け入れにくい。だから、純粋な一族を「表」能力持ちの養子を「裏」と分けることにした。
 そんな中、俺が生まれた家は、「表」だった。そして、若いながらも父親は伝統を重んじる堅物で、母親はそんな伝統に憧れ、そういう名家に嫁に来たことを誇りに思っていた。そんな普通の夫婦の間に俺は生まれた。

 西遠寺 隆行

 それが、生まれた時俺が付けられた名前だった。


 黒髪と黒目の母親と父親。だけど、生まれて来て目が開いた俺を見て母親は「ぎゃ! 」って叫んだらしい。
 獣のような、金色の目‥。今でこそ、琥珀色になったが、生まれたばかりの俺は亜麻色の髪と金色の鋭い目をした、それこそ‥獣のような子供だったらしい。
 成長するにつれて、俺は少しのことでも癇癪を起す子供になり、両親はすぐ下に生まれた弟を守る為に、俺を隔離して育てた。もう少し成長したら落ち着く、もう少し成長したら‥。そう母親が僅かな望みをなかなか捨てられなかったのは、俺の顔が自分に似ていたことと、俺の頭が良かったからだった。
 この顔、この利発さ。
 成長すれば、「表」の当主に成れるかもしれない。
 自分たちの産んだ子供が一族のトップ‥当主になれるかもしれない。いや、貴方は絶対なるに違いない。きっとなりなさい。幼い俺に、何度も母親は話しかけた。まるで、呪文の様に、だ。
そんな望みを抱く程、俺は利発で見目麗しい子供だったらしい。今は弟にその夢を見ているようだけど、‥弟は俺から見ても、平凡だ。
 父親に似て整ってはいるが平凡な顔。母親に似て、平凡な頭。そして、‥両親の夢を一笑に付して終わらせてしまえない様な‥優しい性格。
 黒髪で黒目の平凡な子供だ。
 両親に見捨てられ、隔離されている兄に興味本位で近づいては、ちょっと恐れた様な表情を向け、そして、両親の自分に向けられた愛情を再確認する‥そんな「子供らしい姑息さ」を持った「普通の子供」。そう、弟はどこからどこまでも、平凡だったんだ。‥俺さえいなかったら、両親は弟に過剰に期待なんかしなかっただろう。‥表の当主にしようなんて望み‥持ちはしなかっただろう。

 プライドばっかり高い彼らにとって、狐憑きって言われる程に癇癪持ちな俺は、隠して、表には出したくない‥隠匿したい存在だった。
 だけど、俺は別に、彼らの顔色を伺って、機嫌を取って生きることを強いられてきたわけではない。彼らもそれを俺に強要したりしない。
 ただ、目障りだから、自分たちの見えないところで生きていてくれろと言われているだけ。隠匿したいって感情のまま、監禁されてきただけ。別に、虐待されているわけではない。
 母親は、俺を毛虫や蛇の様に嫌い、父親は俺に対して世間体を気にしてだろう、形ばかりの同情とも愛情ともつかない感情を向けた。だが、父親は昔から‥俺のことが苦手で、俺のことを以前は跡取りとして、今は、可哀そうな子供と扱うものの、会いに来たりすることは無かった。
 特に俺と目を合わせることはなかった。父親は、俺同様弟が小さい時にもあまり可愛がっていたように思えなかったから、多分子供が苦手なんだろう。そして、その中でも、俺が特別苦手だった、それだけだ。
 母親が可愛がっている俺を避けるのは憚られた。だけど、母親の嫌っている俺なら‥。
 10歳にもならないうちに、俺は、家族から離されて、家の‥『離れ』に押し込まれた。
 本宅の生活スペースから離れ、家の正面からも裏からも見えない‥殆ど隔離されたように設計された俺だけが住む自室は、かって感染性の自分の病が家人にうつることを懸念した先代の隠居がつくらせた部屋だ。そこに、(俺を住ませると決めた時に)専用の風呂と厠がリフォームで増築され、その一角が俺の生活の総てになった。
 かって、先代が家族を思いやって作らせた部屋に俺は、家族の愛情を感じることもなくおしこめられたんだ。
 だけど、そこは快適だった。
 部屋の前には、庭もある。小さな庭だが、縁側から眺めるその景色が俺に季節の移り変わりを告げ、情緒を感じさせた。三食が運ばれ、家庭教師が付き、剣術の指南は、その庭でつけられた。
 女中は食事を持ってくる以外、ここに近づきもしない。家族の楽しそうな声が時々聞こえる部屋で、だけど、俺がその会話に加わることは絶対にない。
 昼間は家庭教師に勉強を教わる、剣術の稽古をつけられ、素振りをする。(俺のストレスを発散をさせる苦肉の策なのだろうか。素振りをしているときは、三人ぐらいの見張りがついていた。多分、下手なことをしたら、叩きのめされるのだろう)夜は、読書をする。庭を眺める。
 それが俺の生活の全てだった。
 ろくに日に当たらないので真っ白な肌、艶のある絹のような髪、琥珀の様な瞳。母親にとっては不本意なことだっただろうが、俺の顔は、かって小町娘と言われて男の視線を集めた母親自慢の美しい顔にそっくりだった。
 ‥父親の整ってはいるが、平凡な顔とは違う。俺の容姿は、非凡ではなかった。人を惹きつけて止まない、魔性の美貌。そして、それは俺の弟で、彼女にとって愛する息子の弟にはないものだった。俺が癇癪持ちですらなかったら、彼女の愛情をその身に集めていたのは、彼女によく似た俺だっただろう。だけど、そうはならなかった。
 彼女は、俺の癇癪が本家に知られるのを恐れた。「あの顔は、うちの顔じゃない。彼女の家の顔だ。(癇癪持ちの)息子は彼女の家の血を色濃く受け継いでいるんだろう」って言われることを恐れた。
 なんてことはない。
 俺は、一族に時折現れる「能力持ち」、‥陰陽師の血を受け継いだ子供だったんだ。だけど、彼女はそのことを知らず、(不運なことに一族の生れである父親も知らなかったのだった)俺に困惑して、俺を持て余した。
 こころを病みかけた母親は、俺の前髪を、顔を隠すほど伸ばさせて、俺の顔が他の者に見えないようにした。
 だけど、隠していても、知られる。幼い頃から俺を見てきた家人(古くからの使用人。一族のことをよく知っている者が多い)も多い。
 家人たちにとって、俺は、隠匿された手負いの美しい獣だったらしい。(同衾した女中がうっとりとした顔で教えてくれた)
 普段は、誰も俺の癇癪を恐れて俺に近づくことすらないんだけど、中にはもの好きや‥俺の顔だけに惹きつけられたような若い娘が俺に近づいてくることがあったんだ。
 そして、俺に囁きかける。
「おかわいそうな若様。ですが、私だけは、貴方様の味方です」
 って。
 
 母親は、その不肖の息子が使用人の娘と淫行に及んでいるということを知っていただろう。
 だが、彼女が本来すべきであろう、息子に社会的責任を問わせる親としての責任、‥婦女子に対する不義理を諫め、息子に相手に対する謝罪を厳命すること‥はついぞ果たされなかった。
 つまり、性教育をされた覚えもないし、無責任な行いに責任を取らされたことも、謝罪させられたことも、‥説教されたこともない。
 だけど、気付いていないわけではないと俺が知れたのは、自分とそういうことがあった女中が二度と自分の前に現れなかったことだろう。
 ‥ある日、避妊具が置いてあった時には、さすがに嫌な気持ちになった。
 知っていて、隠蔽して、そして、忌み嫌い、軽蔑し‥更に忌諱する。
 俺という存在自体自分の中から消したいと思っている。
 見たくなかったのは、‥隠したかったのは、
 自分と同じ顔した息子。
 そして、その息子が女と『汚らわしい』行為をしているという事実。
 前髪で顔を隠すだけでは到底足りない位、彼女にとって俺の存在は、‥耐えられないものだった。
 
 そんなこと、‥どうでもよかった。でも、何故かあの時、朝からなんとなく気分が良くって、俺は家を出た。
 計画性なんて何もなかった。着の身着のまま、自分が持っている全財産(貯金は除く)を持って。長距離バスに飛び乗った。
 だけど、駅について、もちろん‥行くところもなくって座り込んだ。今までの高揚感は嘘みたいに無くなってて、気が付いたらいつもの‥不安で不機嫌な自分に戻っていた。だけど、‥楠に拾われた。おせっかいで人がいい楠。あれ以来、彼は俺の総てだ。

 あの時‥朝起きて、俺があの部屋から居なくなっていたことを使用人から知らされた時、両親は何を思っただろう。
 旧家で名家である一族に迷惑をかけるかもしれない‥。彼らが最も大切である存在(一族)の誇りを俺如き忌諱すべき存在の者の為に、傷つけるかもしれないという恐怖。人間一人を監禁して来たことが露見して、社会から糾弾されるかもしれないという恐怖。
 俺自身に対する心配なんていう、おおよそ世間一般の両親の考え得る様々な『心配』以外の心配で、彼らは‥裏西遠寺から連絡が入るまで、それこそ眠れない夜を過ごしただろう。
 警察に、行方不明の捜索を依頼することなんて、考えもしなかった。
 ‥でも、身元不明の死体の身元確認なら、嬉々としてしただろうな。
 『新聞沙汰』になるような醜聞なんて、とてもじゃないが耐えられるような人たちじゃない。
 騒がず、静かに情報を集めさせて、裏から手をまわして警察を探らせる。
 彼らに、俺の居場所を知らせたのは、残念ながら、彼らの情報部員でも警察でもなく、『裏』の人たちだったわけだ。
 表は、往々にして裏を忌諱しているし、‥軽く見ている。血が繋がっていない、所詮よそ者がって‥馬鹿な選民思想だ。
 裏に弱味を握られるのも、‥醜態を晒すのも冗談ではないって思っている。
 そんなことは、裏も(思えば、裏の方がまともだな)重々承知だから、交渉には表に生まれた恭二さんと伊吹さんが当たったらしい。表に生まれた「裏寄り」。‥能力持ちと言うのは、俺ほどでもないけれど、忌諱されていることが多く、中には彼らの様に、表でありながら裏との調停役として働く者もいるらしいのだ。
 なんにせよ、話はまとまり、俺は恭二さんの養子になって、あの家と俺の縁は戸籍上からは切れた。
 ありがたいことで、今でも二人には頭が上がらない。

 そんな二人に増して、俺が感謝をしているのは、やっぱり楠だろう。

 俺を暗闇から救ってくれたのは、楠に他ならなかったから。
 
 おせっかいで、‥誰より優しくって、誰よりも強くって、誰よりも‥この世で唯一の愛しい楠。彼が嫌っている黄色に近いシトリンの瞳(目つきが悪くて怖がられるって彼は気にしてるけど、俺はそうは思わない)も、チョコレート色の柔らかい髪の毛も、ふんわりと柔らかい頬も、頼りなく‥はかなげな肩も、いつも痛々しく微笑んでいる口元も‥誰よりも愛している。

 彼といたら、何時もイライラしているのが嘘みたいにこころ静かに暮らせた。
 
 傍に居れるだけで良かった。ただ、敬愛していた。今は守られているばかりだけど、いつかはきっと君を守ろうって‥。そんな思慕が憧憬が恋慕に変わっていたことに気付いた時‥それは、今までの俺にしては奇異なことではあったが、でも、何ら不思議もなく普通の事として、俺はすとん、と納得させられた。

 別に、あんな状態にあっても、俺は自分のことを卑下したり、卑屈になったりすることなんてなかった。あの状況に置いて、そのメンタルを保てたのは、「元からの図太さ」であり、それはまんま「母親に似た」としか言えない。‥顔と、その辺りは感謝すべきなのかもしれない。
 そんな風に、自分の顔に対して、俺は卑下すべきものだとも、忌諱すべきものだとも思わなかった。ただ、他人が好ましいと思うのであったら、最大限に利用せねばならんな、と思うだけ。生い立ちについても、自分が悪いという要素は感じられないわけだし。自分の身は不幸だったって悩んだり、同情を請うて今までもらえなかった愛情を他に求めるほど、俺は‥愛に飢えてはいなかった。‥それ程、愛というものを知らなかった。
 親に同情をする気はないが、別に責めているわけでもないし、悔やんでいるわけでも、不満があるわけでもない。ただ、どうでもいい。それだけ。

 自分という人間を考える際、自分の過去をなかったことには出来ないんだけど、だけど、そうだからお涙頂戴で同情を誘って相手の優しさにつけいるようなみっともないこと、しようとは思わなかったし、それ程までして欲しい程‥手段を選ばない程ほしいものなんてなかった。これから先もそんなこと自分に限ってはないって思ってた。

 だけど、恋に馬鹿になる。恋で馬鹿になるって話は本当だった。

 俺は、気が付けば、‥それこそなりふりなんて構ってられない恋に堕ちていた。

 ‥まだ言わないけど。
 勝ち目のない戦いは、しない主義なんだ。


 ‥そう言っていられるうちは、まだ余裕があるって思える。
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