婚約破棄された悪役令嬢ですが、ノーダメージです!

猫宮かろん

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一方その頃、王都の王城では。

「ええい、なんだこれは! 書類が山のように積まれていくではないか!」

執務室にて、王太子ジュリアンのヒステリックな声が響き渡っていた。
彼の目の前には、天井に届きそうなほどの未決裁書類のタワー。
その一つ一つが、国政に関わる重要な案件である。

「なぜだ! 先週まではこれほど溜まることなどなかったはずだぞ!」

「も、申し訳ございません殿下……! ですが、これまではマーヤ様が事前に仕分けし、要約を付箋に書いてくださっていたので……」

側近の文官が青ざめた顔で弁明する。

「なに? マーヤが?」

ジュリアンは眉間のシワを深くした。
確かに、以前はもっとスムーズだった。
彼が「承認」の印を押すだけで済むように、面倒な計算や根回しは全て完了していたのだ。
それを彼は「自分の手腕が優れているからだ」と勘違いしていたのだが。

「あんな女の小細工など不要だ! リリナ! 君がやりなさい。君は賢いと評判だろう?」

ジュリアンは部屋のソファで優雅に紅茶を飲んでいたリリナに声をかけた。
彼女はビクッと肩を震わせ、上目遣いで首を横に振る。

「む、無理ですぅ……。リリナ、難しい漢字とか読めないしぃ……。それに、インクの匂いで頭が痛くなっちゃうの……」

「そ、そうか……可哀想に。君に無理はさせられないな」

ジュリアンはデレっと顔を緩めたが、すぐに書類の山を見て現実に引き戻された。
このままでは、来月の予算会議に間に合わない。

「くそっ、あの女め……! わざと仕事を放り出して困らせようとしているな!」

完全に自業自得なのだが、彼の辞書に「反省」という言葉はない。

「おい! すぐにマーヤを呼び戻せ! 手紙は送ったのだろうな?」

「は、はい。ですが、返事はなく……」

「無視だと!? 王太子の命令をなんと心得る!」

ジュリアンはバンッと机を叩いた。

「いいだろう。文官長、お前が直接行け。そしてあのふてぶてしい女の首根っこを掴んででも連れてくるのだ!」

「は、はいぃぃ……」

   ◇

そして数日後。
『喫茶・マッスル』に、王家の紋章が入った馬車が横付けされた。

降りてきたのは、神経質そうな眼鏡をかけた痩せぎすの男。
王宮の文官長である。

「ここか……なんという下品な店だ」

彼は看板の『力こぶイラスト』を見て眉をひそめ、ハンカチで鼻を押さえながら店内へと足を踏み入れた。

「おい! ここにマーヤ・ベルンシュタインはいるか!」

尊大な態度で叫ぶ文官長。
店内が静まり返る。
カウンターの中でプロテインを調合していた私は、ため息交じりに顔を上げた。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか? おすすめは『脳みそ活性化DHA入りミルク』ですわよ。少し頭が良くなるかもしれません」

「き、貴様……! 私を誰だと思っている! 王宮文官長、ガリウスだ!」

「存じ上げておりますわ。その細すぎる首と、猫背。典型的な運動不足の骨格ですもの」

「なっ……!?」

ガリウスは顔を真っ赤にして、懐から羊皮紙を取り出した。

「減らず口を! 殿下からの命令書だ! 『直ちに王都へ帰還し、滞っている公務を処理せよ』とのことだ!」

彼は羊皮紙をカウンターに叩きつけた。

「さあ、すぐに支度をしろ! 馬車に乗れ!」

客たちがざわめく中、私は冷静にその羊皮紙を指先で弾いた。

「お断りします」

「は……?」

「ですから、嫌ですと言ったのです。私はもう王家とは無関係の一般市民。公務を行う義務はありません」

「ば、馬鹿な! 殿下がお困りなのだぞ! お前がいなくなってから、予算の計算も、外交文書の作成も、何もかもがストップしているのだ!」

「あら、それは大変。でも、それは殿下の能力不足であって、私の責任ではありませんわ」

私はにっこりと微笑んだ。
まさに「ざまぁみろ」である。

「それに、私にはこの店があります。見てください、このお客様たちを。彼らの筋肉(タンパク質)を支えるのが、今の私の崇高な使命なのです」

「ええい、黙れ黙れ! こんな筋肉馬鹿どもの相手など、底辺の仕事ではないか!」

ガリウスが叫んだ瞬間。
店内の空気が凍りついた。

「……あ?」

「……なんだと?」

客席にいた鉱夫たちが、ガタタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
彼らの額には青筋が浮かんでいる。

「てめぇ、今俺たちのことを何つった?」

「筋肉馬鹿だと……? 俺たちが汗水垂らして掘った鉱石のおかげで、王都の貴族は贅沢できてるんじゃねぇのか?」

「お嬢の店を底辺呼ばわりとは、いい度胸だな」

数十人のマッチョたちが、ガリウスを取り囲むようにじりじりと距離を詰める。
その威圧感たるや、オークの群れ以上だ。

「ひっ……! な、なんだ貴様ら! 私は王宮の使いだぞ! 反逆罪で処刑されたいのか!」

ガリウスが喚くが、男たちの歩みは止まらない。
その時、厨房からガンツが出てきた。
彼は手にした巨大な中華鍋(鉄製)を、リンゴを握りつぶすように「グニャリ」と曲げて見せた。

「……お客さん。うちの店で暴言を吐くなら、その『小枝』みたいな手足、へし折っちまうかもしれねぇな」

「ひぃぃぃっ!!」

ガリウスは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
暴力はいけないが、正当防衛(筋肉による威嚇)なら仕方ない。

私はカウンターから身を乗り出し、ガリウスを見下ろした。

「お分かりいただけました? ここには王都の常識は通用しません。あるのは『マッスル・ルール』のみ」

「わ、わかった……帰る! 帰らせてくれ!」

「お待ちになって。お帰りの前に、一つ伝言をお願いできます?」

私は笑顔で言った。

「殿下にこうお伝えください。『自分で撒いた種(書類)は、自分で刈り取りなさい。それが大人というものです』と」

「お、覚えた……! 伝えておく!」

ガリウスは這うようにして店を飛び出し、馬車に転がり込んだ。
「出せ! 早く出せぇぇ!」という悲鳴と共に、馬車が砂埃を上げて去っていく。

「ふぅ……騒がしい客だったわね」

私が肩をすくめると、店内はドッと笑いに包まれた。

「お嬢! 言ったなァ!」

「スカッとしたぜ!」

「ありがとうみんな。お詫びに、全員に『プロテイン・ダブル』をサービスするわ!」

「「「うおおおおっ! 一生ついていきますマッスルゥ!!」」」

歓声が上がる中、私はカウンターの下で小さくガッツポーズをした。
王都の混乱ぶりは予想以上だ。
これなら、しばらくは静かになるだろう。

……そう思っていたのだが。

「お嬢様」

執事服を着たセバスチャン(王家の使いではなく、実家の執事)が、申し訳なさそうに声をかけてきた。

「なんだか、きな臭い噂が入ってきました」

「噂?」

「ええ。殿下が業を煮やして……今度はあの『リリナ男爵令嬢』を、直接こちらへ向かわせたようです」

「はあ?」

私は思わず素っ頓狂な声を出した。
あの計算高いだけの無能女を?
一体何のために?

「『女同士の話し合いで解決してこい』と、丸投げされたようで……」

「……プッ」

私は吹き出してしまった。
男の使者がダメなら、次は女の涙で同情を誘う作戦か。
あるいは、嫌がらせをして店を潰そうという魂胆か。

「面白くなってきわね」

私は新しいプロテインの袋を開封しながら、獰猛な笑みを浮かべた。

「いいわ。来るなら来なさいリリナ。本物の『悪役令嬢』と、ただの『ぶりっ子』の違い……その貧弱な体に叩き込んであげるわ!」

次なる戦いの予感に、私の筋肉(心)は躍った。
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