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ミスリル製の船体が朝日を浴びて、海面に眩いばかりの光を反射させています。
私は特注の寝椅子に横たわり、真珠の粉末を混ぜた特製ジュースをストローですすっていました。
「……ふう。海風というものは、どうしてこうも喉を乾かせますのかしら。ヴィクトール様、この船の空調、少し湿度が足りなくてよ?」
「おや、それは失礼。すぐに魔導士を呼んで、空気中の魔力濃度を調整させよう」
ヴィクトール様が私の隣で、世界経済の動向が記された羊皮紙をめくりながら微笑みました。
その時です。
「……待てぇぇぇ! 待つんだ、リーナァァァ!」
遥か遠く、水平線の彼方から、何やら場違いな叫び声が聞こえてきました。
「あら……? カモメの鳴き声にしては、随分と聞き苦しい不協和音ですわね」
私がルーペ……ではなく、宝石を埋め込んだ遠眼鏡を覗き込むと、そこには驚くべき光景が広がっていました。
波間に揺れる、今にも沈みそうな小さな手漕ぎボート。
その中で、必死にオールを漕いでいるのは、泥と海水でぐちゃぐちゃになったエリオット殿下でした。
「り、リーナ! 目を覚ますんだ! 君は今、その男に騙されている!」
「……まあ。殿下、まだいらしたの? ノイシュタットの地下牢にでも寄付されてしまったかと思っておりましたわ」
船を止めさせ、私は甲板の端から優雅に見下ろしました。
見上げるエリオット殿下と、見下ろす私。その高低差は、そのまま私たちの資産価値の差を表しているかのようです。
「騙されているだと? 穏やかではないね、エリオット殿下」
ヴィクトール様が私の肩に手を置き、冷ややかな視線をボートへと投げました。
「ヴィクトール! 貴様、金と物でリーナを釣って、彼女の純粋な心を汚しやがって! リーナ、見てくれ、この私の姿を! 君を救うために、私は全財産をはたいてこのボートを買い、たった一人で追いかけてきたんだぞ!」
私は殿下の乗っているボートをじっくりと鑑定しました。
「……殿下。そのボート、木材の質からして、おそらく数十年前に廃棄された漁船の端材で作られたものですわね。塗装も剥げていますし、オールが左右で長さが違いますわ。……全財産をはたいて、それ?」
「そうだ! これが私の、形に囚われない『愛の全額』だ!」
「……お安いですわね。私の持っているハンカチ一枚分にも満たない価値ですわ」
私はため息をつき、ジュースの氷を一つ、ボートに向かって投げ落としました。
「いいかいリーナ! 君は今、贅沢という名の檻に閉じ込められているだけなんだ! 物質的な豊かさは、君の感性を麻痺させる! さあ、そのミスリルの船から降りて、私のこの温かみのある木製ボートに飛び移るんだ!」
「飛び移った瞬間に沈没しますわよ。物理の法則は、愛では克服できませんの」
私は扇で口元を隠し、くすくすと笑いました。
「第一、ヴィクトール様が私を物で釣っているとおっしゃいましたけれど……釣られて何が悪くて? こんなにも大きくて、美しくて、価値のある釣り針にかかれるなんて、コレクター冥利に尽きますわ!」
「な、なんだと……!? 君は、誇りというものがないのか!」
「誇り? ございますわよ。私は『世界一高い釣り針にしかかからない』という、非常に気高い誇りを持っておりますの」
私はヴィクトール様の腕に、これ見よがしに縋り付きました。
「殿下は私を釣ろうとなさった時、何を餌になさいました? ……あ、そうでしたわね。一輪の野ばらと、『いつか王妃にしてやる』という、維持費ばかりかかる空手形でしたわ」
「そ、それは……!」
「ヴィクトール様は違いますわ。彼は、私が欲しがる前に『山』や『鉱山』や『この船』を提示してくださる。どちらがより誠実な漁師(パートナー)かは、一目瞭然ではありませんこと?」
エリオット殿下は、顔を真っ青にして絶句しました。
彼は、自分の「真心」という名の安っぽい餌が、私の高度に発達した物欲には一ミリも通用しないことを、ようやく理解し始めたようです。
「さあ、ヴィクトール様。波が高くなってきましたわ。あのボートが転覆して、貴重な海の資源を汚す前に、全速力で進みましょう?」
「そうだね。リーナ、君に汚いものを見せてしまったお詫びに、ノイシュタットに着いたら新しい島を一つプレゼントしよう。……沈まない、本物の島をね」
「まあ! 嬉しいわ!」
私たちは、後ろで「待ってくれ! 話は終わっていない!」と叫ぶエリオット殿下を置き去りにして、加速し始めました。
波飛沫がミスリルの船体を洗い、私たちの未来を祝福するようにキラキラと輝きます。
(愛は心? おーほっほ! 心なんて、金貨一枚で書き換えられる不確かなものですわよ!)
私は、遠ざかっていく小さなボートを見送りながら、新しい島のインテリアをどうするか、楽しそうに想像し始めるのでした。
私は特注の寝椅子に横たわり、真珠の粉末を混ぜた特製ジュースをストローですすっていました。
「……ふう。海風というものは、どうしてこうも喉を乾かせますのかしら。ヴィクトール様、この船の空調、少し湿度が足りなくてよ?」
「おや、それは失礼。すぐに魔導士を呼んで、空気中の魔力濃度を調整させよう」
ヴィクトール様が私の隣で、世界経済の動向が記された羊皮紙をめくりながら微笑みました。
その時です。
「……待てぇぇぇ! 待つんだ、リーナァァァ!」
遥か遠く、水平線の彼方から、何やら場違いな叫び声が聞こえてきました。
「あら……? カモメの鳴き声にしては、随分と聞き苦しい不協和音ですわね」
私がルーペ……ではなく、宝石を埋め込んだ遠眼鏡を覗き込むと、そこには驚くべき光景が広がっていました。
波間に揺れる、今にも沈みそうな小さな手漕ぎボート。
その中で、必死にオールを漕いでいるのは、泥と海水でぐちゃぐちゃになったエリオット殿下でした。
「り、リーナ! 目を覚ますんだ! 君は今、その男に騙されている!」
「……まあ。殿下、まだいらしたの? ノイシュタットの地下牢にでも寄付されてしまったかと思っておりましたわ」
船を止めさせ、私は甲板の端から優雅に見下ろしました。
見上げるエリオット殿下と、見下ろす私。その高低差は、そのまま私たちの資産価値の差を表しているかのようです。
「騙されているだと? 穏やかではないね、エリオット殿下」
ヴィクトール様が私の肩に手を置き、冷ややかな視線をボートへと投げました。
「ヴィクトール! 貴様、金と物でリーナを釣って、彼女の純粋な心を汚しやがって! リーナ、見てくれ、この私の姿を! 君を救うために、私は全財産をはたいてこのボートを買い、たった一人で追いかけてきたんだぞ!」
私は殿下の乗っているボートをじっくりと鑑定しました。
「……殿下。そのボート、木材の質からして、おそらく数十年前に廃棄された漁船の端材で作られたものですわね。塗装も剥げていますし、オールが左右で長さが違いますわ。……全財産をはたいて、それ?」
「そうだ! これが私の、形に囚われない『愛の全額』だ!」
「……お安いですわね。私の持っているハンカチ一枚分にも満たない価値ですわ」
私はため息をつき、ジュースの氷を一つ、ボートに向かって投げ落としました。
「いいかいリーナ! 君は今、贅沢という名の檻に閉じ込められているだけなんだ! 物質的な豊かさは、君の感性を麻痺させる! さあ、そのミスリルの船から降りて、私のこの温かみのある木製ボートに飛び移るんだ!」
「飛び移った瞬間に沈没しますわよ。物理の法則は、愛では克服できませんの」
私は扇で口元を隠し、くすくすと笑いました。
「第一、ヴィクトール様が私を物で釣っているとおっしゃいましたけれど……釣られて何が悪くて? こんなにも大きくて、美しくて、価値のある釣り針にかかれるなんて、コレクター冥利に尽きますわ!」
「な、なんだと……!? 君は、誇りというものがないのか!」
「誇り? ございますわよ。私は『世界一高い釣り針にしかかからない』という、非常に気高い誇りを持っておりますの」
私はヴィクトール様の腕に、これ見よがしに縋り付きました。
「殿下は私を釣ろうとなさった時、何を餌になさいました? ……あ、そうでしたわね。一輪の野ばらと、『いつか王妃にしてやる』という、維持費ばかりかかる空手形でしたわ」
「そ、それは……!」
「ヴィクトール様は違いますわ。彼は、私が欲しがる前に『山』や『鉱山』や『この船』を提示してくださる。どちらがより誠実な漁師(パートナー)かは、一目瞭然ではありませんこと?」
エリオット殿下は、顔を真っ青にして絶句しました。
彼は、自分の「真心」という名の安っぽい餌が、私の高度に発達した物欲には一ミリも通用しないことを、ようやく理解し始めたようです。
「さあ、ヴィクトール様。波が高くなってきましたわ。あのボートが転覆して、貴重な海の資源を汚す前に、全速力で進みましょう?」
「そうだね。リーナ、君に汚いものを見せてしまったお詫びに、ノイシュタットに着いたら新しい島を一つプレゼントしよう。……沈まない、本物の島をね」
「まあ! 嬉しいわ!」
私たちは、後ろで「待ってくれ! 話は終わっていない!」と叫ぶエリオット殿下を置き去りにして、加速し始めました。
波飛沫がミスリルの船体を洗い、私たちの未来を祝福するようにキラキラと輝きます。
(愛は心? おーほっほ! 心なんて、金貨一枚で書き換えられる不確かなものですわよ!)
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