悪役令嬢は婚約破棄に舞い踊る!

黒猫かの

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「では、失礼いたします」


私はギルバート様の背後に回り、その広い背中に手を伸ばした。


「……頼む」


ギルバート様が緊張した面持ちで身を固くする。


まるでこれから処刑台に上がるかのような悲壮感だ。


私は彼が着ていた漆黒の騎士服の上着を脱いでもらい(ジョセフが恭しく受け取った)、薄いシャツ一枚になってもらった。


そして、問題の右肩に指を這わせる。


(うわ……これは……)


指先に伝わってくる感触は、人間の筋肉のそれではない。


まるで鉄板だ。


あるいは、長年踏み固められた石畳か。


「……いかがだ? やはり、強力な悪霊がついているか?」


ギルバート様が不安そうに尋ねる。


私は深刻な顔を作って頷いた。


「ええ、これは厄介ですね。何層にも重なった『邪気』が、貴方の僧帽筋……いえ、霊脈の流れを完全に堰き止めています」


「霊脈を……! やはり、あの時の敵将か……!」


「いいえ、もっと複合的なものです。日々の激務、書類仕事での前傾姿勢、そして自分を追い込みすぎるストイックな精神……それらが澱のように溜まり、結晶化しています」


私はもっともらしい言葉を並べ立てる。


要するに、『慢性的な運動不足と姿勢の悪さ、ストレスによる筋肉の凝り固まり』だ。


しかし、これをそのまま伝えては商売にならない。


私は眼鏡の位置を直し、厳かに告げた。


「ギルバート様。これを除去するには、通常の祈祷では不可能です。私の特殊技能である『物理的除霊術(ディープ・ティシュー・マッサージ)』を行う必要があります」


「物理的……除霊?」


「はい。邪気の塊を指の力で直接粉砕し、体外へ排出する荒療治です。多少の痛みを伴いますが、耐えられますか?」


ギルバート様はフッと鼻で笑った。


「愚問だな。私は戦場で何度も矢を受け、骨を折ってきた。多少の痛みなど、蚊に刺された程度にすぎん」


「頼もしいお言葉。では、始めます」


私は指の関節をポキポキと鳴らし、気合を入れた。


相手は歴戦の騎士。


生半可な力では、この鉄板のような凝りには通用しない。


私は足を開いて重心を落とし、親指に全体重を乗せて、患部である肩甲骨の内側へ突き刺した。


ググググッ……!!


「ぐ……っ!!?」


ギルバート様の口から、聞いたことのないような空気が漏れた。


「おや、痛みますか?」


「な……に……これは……斬られた時とは……違う……重い……痛みが……!」


「邪気が抵抗している証拠です。力を抜いてください。息を止めると、邪気が逃げ場を失って内臓を傷つけますよ。はい、吸ってー、吐いてー」


「ぐ、ぬぅぅぅぅ……!!」


ギルバート様がソファの肘掛けを握りしめる。


ミシミシと嫌な音がした。


(すごい握力。肘掛けが粉砕されそうだからやめてほしい)


私は構わず、さらに深く指を沈める。


コリッ、という手応えがあった。


これだ。


この老廃物の塊こそが、彼を苦しめる元凶。


「ここですね? ここに悪いものが溜まっていますね?」


「そ、そこだ……! そこが……あぐぅッ!!」


「逃がしませんよ。覚悟!」


私は親指をグリグリと回し、徹底的にその凝りを攻め立てた。


「貴方の肩に乗っているのは、敵将の怨念なんかじゃありません! もっと具体的で、重いものです!」


「な、なんだと……!?」


「それは! 予算会議のストレス! 部下の育成への悩み! そして、上司からの無茶振りに対する怒りです!」


「!!??」


ギルバート様が目を見開く。


「なぜ……それを……!?」


「指を通じて伝わってくるのです! 貴方は真面目すぎる! 全部一人で抱え込みすぎです! もっと適当に流せばいいのに、全て正面から受け止めるから、こんなに硬くなるんです!」


「ぐ……ううう……!」


私の言葉が図星だったのか、それともツボに入った痛みが強烈すぎたのか、ギルバート様が唸り声を上げる。


「ほら、出ますよ! 悪いものが!」


私は最後の仕上げに、肩から首筋にかけて一気に流すように指を滑らせた。


「はあああああッ!!」


ギルバート様が叫び、ガクンと力が抜けた。


しばらくの間、部屋には彼の荒い息遣いだけが響いていた。


私は額の汗を拭い、ふぅと息を吐く。


「……いかがですか?」


ギルバート様はゆっくりと顔を上げた。


その瞳は、先ほどまでの鋭さが嘘のようにとろんとしている。


彼は恐る恐る、右肩を回した。


「……軽い」


彼は驚愕の表情で呟いた。


「嘘だ……あんなに重かった肩が……まるで羽が生えたようだ……」


「成功ですね。邪気の塊は粉砕されました」


「凄い……。神殿の最高司祭でも匙を投げたこの呪いを、わずか数分で……」


ギルバート様は私をまじまじと見つめる。


その眼差しは、もはや恩人を見る目ではなく、信仰の対象を見る信者のそれだった。


「チューナ殿。いや、チューナ様」


「様付けは不要です。これはビジネスですので」


「いや、貴女は魔法使いか? それとも聖女か?」


「ただのコンサルタントです」


私はすかさず追加の提案(セールス)を行う。


「ですがギルバート様。これはあくまで応急処置。貴方の生活習慣が変わらなければ、邪気はすぐに再発します」


「なんと……! ではどうすれば?」


「魔除けのアイテムが必要です」


私は部屋の隅から、自分用に作っていた試作品を取り出した。


中身に乾燥させたハーブと蕎麦殻を詰めた、特製の枕だ。


「これは?」


「『安眠の結界具』です。首の高さを適切に保ち、寝ている間に邪気が入るのを防ぎます。通常価格金貨十枚ですが、本日は初回特典として八枚でご提供します」


「買う。二つ買う」


「一つで十分です。あと、お風呂……いえ、聖水による浄化の儀式も毎日行ってください。ぬるめのお湯にゆっくり浸かり、体を温めるのです」


「承知した。冷水行ではなく、温めるのが鍵なのだな」


ギルバート様は私の言葉を一言一句聞き逃すまいと、真剣にメモを取っている。


(チョロい……いえ、素直な方だわ)


真面目ゆえに思い込みが激しい。


それが今回の勝因だ。


「それと、定期的なメンテナンスも必要です。週に一度、ここに通って除霊を受けてください」


「ああ、必ず来る。……いや、毎日でも構わないか?」


「毎日は筋肉……霊体が傷つくので揉み返しが来ます。週一で結構です」


ギルバート様は名残惜しそうに立ち上がった。


そして、懐から金貨が詰まった革袋をもう一つ取り出し、テーブルに置いた。


「これは?」


「感謝の印だ。当初の報酬に上乗せしてくれ。これほどの神業、安すぎるくらいだ」


「ありがとうございます! 次回のご予約も承っておきますね!」


私は満面の笑みで金貨を受け取った。


ジョセフが扉を開け、ギルバート様を見送る。


去り際、彼は振り返って私に言った。


「チューナ。貴女のような有能な術者が、こんな場所に隠れているとは。……王国の損失だな」


そして、爽やかな笑顔を残して去っていった。


あの氷の騎士が笑った。


その破壊力は凄まじく、背後にいたアンナが「尊い……」と呟いて昇天しかけていた。


扉が閉まる。


私はテーブルの上に積み上げられた金貨の山を見た。


「……ジョセフ」


「はい、お嬢様」


「マッサージって、儲かるのね」


「お嬢様の口八丁……いえ、話術の賜物でございます」


「失礼ね。ちゃんと効果は出したわよ」


私は金貨を一枚手に取り、光にかざした。


これで当面の運営費は確保できた。


しかも、国の英雄という太い顧客(リピーター)まで手に入れたのだ。


「さて、次はどんなお客様が来るかしら?」


私は上機嫌で帳簿に『売上:金貨五〇枚』と書き込んだ。


だが、私はまだ知らなかった。


ギルバート様が騎士団に戻った後、「凄腕の除霊師がいる」「長年の呪いが一瞬で消えた」と触れ回り、明日から店の前に行列ができることを。


そしてその噂が、あの元婚約者の耳にも届いてしまうことを。
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