悪役令嬢は婚約破棄に舞い踊る!

黒猫かの

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「英雄の帰還だーーッ!!」


王都のメインストリートは、紙吹雪と歓声に包まれていた。


私とギルバート様は、パレード用のオープン馬車に乗り、熱狂する市民たちに手を振っている。


「すごい人気ですね。これなら私の『自伝』を出版すればベストセラー間違いなしです」


「君なら『いかにして国を救い、金を稼ぐか』というタイトルでビジネス書が出せるな」


隣でギルバート様が笑う。


私たちは王宮に到着し、待ち構えていた国王陛下とリリア様に出迎えられた。


「よくやった! よくぞ国を守ってくれた!」


陛下が涙ながらに私の手を取る(ギルバート様がすかさず引き剥がしたが)。


「報告します。帝国軍は撤退。賠償金として金貨五万枚の支払いを約束させました。第一回の振り込みは来週です」


私が書類を渡すと、リリア様が電卓を叩きながら歓声を上げた。


「すごいです師匠! これで赤字が一気に解消されます! 公務員のボーナスも出せます!」


「ええ。私の成功報酬10%も忘れずに計上しておいてくださいね」


「はいっ!」


王宮は祝賀ムード一色だ。


だが、そんな浮かれた空気に水を差すように、一通の手紙が届いた。


「……師匠。アレクシス殿下から定期報告です」


リリア様が少し複雑な顔で封筒を差し出す。


差出人は『北の農夫A(元王子)』となっている。


私たちは執務室に移動し、手紙を開封した。


中に入っていたのは、泥汚れのついた便箋だった。


『拝啓 父上、リリア、そして悪魔のチューナへ。


 そちらは元気だろうか。私は今、死にかけている。
 北の冬は寒すぎる。朝起きると手桶の水が凍っているのが日常だ。
 
 昨日は朝四時から畑の土起こしをした。
 鍬(くわ)が重い。手のひらの豆が潰れて痛い。
 「痛い」と言ったら、監督役の農夫長(ギルバートの部下)に「口を動かす前に手を動かせ」と怒鳴られた。
 
 食事は麦粥と干し肉だけだ。
 王宮で食べていたフレンチのコースが夢に出てくる。
 あの頃の私は、なんと贅沢で、そして感謝を知らない人間だったのだろう。


 だが、不思議なことがある。
 昨日、私が初めて育てたラディッシュ(二十日大根)を収穫した。
 小さくて不格好だったが、それを齧った時……涙が出るほど甘かったのだ。
 
 金貨五百枚の「幻の宝石」より、自分で育てた銅貨一枚の大根の方が価値がある。
 そんな当たり前のことに、私は二十年も気づかずに生きてきた。
 
 もう少し、ここで頑張ってみるつもりだ。
 リリア、お前の作ったクッキーが食べたい。
 帰ったら、一番に食べさせてくれ。


 追伸:腰が痛いので、チューナの湿布を送ってほしい(金は出世払いで頼む)。』


読み終えた執務室に、静寂が流れた。


「……殿下……」


リリア様が手紙を抱きしめ、目を潤ませている。


「成長されましたね。あのワガママ王子が、大根の味に感動するなんて」


「うむ。苦労させて正解だったな」


陛下も目頭を押さえている。


私は腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。


「まあ、ようやく『人間』のスタートラインに立ったというところですね。湿布は着払いで送っておきます」


「師匠、送料くらい持ってあげてくださいよ……」


リリア様が呆れたように言ったが、その顔は嬉しそうだった。


          ◇


数日後。


私とギルバート様の結婚準備が本格的に始まった。


王宮の一室が「準備室」となり、衣装係や式場担当者がひっきりなしに出入りしている。


「チューナ様、ウェディングドレスのデザイン画です。どれになさいますか?」


「招待状のリストです。来賓は千人を超えますがよろしいですか?」


「披露宴の料理ですが、メインは牛肉にしますか? それとも魚?」


次々と突きつけられる選択肢。


私はいつものように即断即決で捌いていく。


「ドレスはA案。ただしレースは削減してコストダウンを。来賓は高額な祝儀が見込める上位貴族を優先して。料理は地産地消で原価率を下げつつ、見栄えを良くして」


「は、はい! さすがの手際の良さです!」


担当者たちが感心して去っていく。


私はソファに座り、ふぅと息をついた。


「疲れたか?」


隣で書類を見ていたギルバート様が、私に紅茶を差し出す。


「いえ、仕事だと思えばどうということはありません。……ただ」


私はカップを受け取り、言葉を濁した。


「ただ?」


「……少し、計算が合わないのです」


「計算?」


「はい。この結婚式にかかる費用と労力。そして、それによって得られる社会的地位と経済効果。……どう計算しても、プラスになるはずなのですが」


私は胸の辺りを手で押さえた。


「なぜか、胸がモヤモヤするのです。……これは『マリッジブルー』というやつでしょうか?」


ギルバート様は書類を置き、私をじっと見つめた。


「……チューナ。君は、無理をしていないか?」


「無理? まさか。私はいつだって合理的です」


「本当にそうか? 君は『契約』だと言って割り切ろうとしているが、心のどこかで『私なんかでいいのか』と思っていないか?」


ドキリとした。


図星だったからだ。


私はカップを置き、視線を落とした。


「……ギルバート様は、王国の英雄です。家柄も、容姿も、能力も完璧。引く手あまたの超優良物件です」


「物件と言うな」


「対して私は、婚約破棄された悪役令嬢。金にがめつく、可愛げもなく、色気より食い気の女です。……釣り合いが取れません」


口に出してしまうと、止まらなくなった。


「今は『面白い女』として見てくださっていますが、結婚生活は長いです。いつか飽きられるかもしれない。私の『計算高さ』が嫌になるかもしれない。……そう考えると、この『契約』はリスクが高すぎるのではないかと」


損得勘定だけで生きてきた私にとって、「永遠の愛」などという不確かなものは、最大の不確定要素だった。


信じて裏切られるのが怖い。


投資して元本割れするのが怖い。


だから、最初から期待しないように、「契約」という言葉で予防線を張っていたのだ。


私の独白を聞いて、ギルバート様は静かに立ち上がった。


そして、私の前に跪いた。


「チューナ」


彼は私の手を取り、その手のひらに頬を寄せた。


「私は君の『計算高さ』が好きだと言ったはずだ。だが、それ以上に……君が計算高いのは、自分を守るためだろう?」


「……え?」


「幼い頃から王宮で厳しい教育を受け、理不尽な王子に振り回され、誰も助けてくれなかった。だから君は、自分の価値を数字で証明し、感情を殺して合理的に生きるしかなかった。……違うか?」


涙腺が熱くなった。


誰にも言ったことはない。


でも、その通りだった。


「お金は裏切らない」と信じるしかなかった私の孤独を、彼は見抜いていたのだ。


「私は、そんな君の『鎧』ごと愛している。……君が計算を間違えても、赤字を出しても、私が補填する。私が君の最大の『資産』であり、『保険』になる」


ギルバート様は真っ直ぐに私を見上げた。


「だから、安心して私に投資してくれ。絶対に損はさせない」


その言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも、私の心に響いた。


「……バカですね」


私は涙をこらえながら笑った。


「そんな不利な契約を結ぶなんて、商売人としては失格ですよ」


「君専属の騎士だからな。商才はなくていい」


ギルバート様が立ち上がり、私を優しく抱きしめた。


その腕の中は温かく、安心感に満ちていた。


モヤモヤしていた胸の霧が晴れていく。


(ああ、これが……)


計算できない感情。


数値化できない幸福。


これが「愛」というバグなのかもしれない。


「……分かりました。この契約、謹んで更新させていただきます。……死ぬまで、返品不可ですよ?」


「望むところだ」


私たちはキスをした。


書類やドレスのデザイン画が散らばる部屋で交わした口づけは、甘くて、少ししょっぱかった。


こうして、私の迷いは消えた。


あとは結婚式に向けて突っ走るだけだ。


だが、人生というのは本当に「計算通り」にはいかないものらしい。


幸せの絶頂にある私たちの元に、最後の、そして最大の試練が忍び寄っていた。


私の懐で、あの『星の涙』が、今までになく強く、赤黒い光を放ち始めたのだ。
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