悪役令嬢は婚約破棄に狂喜乱舞する!

猫宮かろん

文字の大きさ
6 / 28

6

しおりを挟む
「……ねえ、アレク」

私は馬車の窓にへばりついたまま、震える声で尋ねた。

「なあに」

隣で優雅に足を組んでいるアレクが、涼しい顔で答える。

「あなたが紹介してくれる『親戚の宿』って、あれのこと?」

私の指差す先には、夜空を突き刺すようにそびえ立つ、巨大な尖塔群があった。

白亜の壁、幾重にも張り巡らされた城壁、そして中央に輝く黄金の紋章。

どう見ても、ガレリア帝国の心臓部――『皇帝宮殿(インペリアル・パレス)』だ。

「そうだ」

「……」

「……」

「バカ言わないでちょうだい! あれは城よ! 皇帝陛下が住む、国家権力の最高峰よ!」

私はバンと座席を叩いた。

「私の希望は『眺めのいいホテル』か『小綺麗なペンション』よ! あんな堅苦しい政治の中枢に行きたいわけないでしょ! Uターンして! 今すぐ!」

「無理だ。もうゲートに入った」

アレクが短く告げると同時に、馬車が巨大な鉄門をくぐる音がした。

ガガガガガ……と重々しい音が響き、屈強な衛兵たちが直立不動で敬礼しているのが見える。

「げっ……衛兵が敬礼してるわよ! どういうコネなの!? あなた、まさか将軍の息子とか?」

私は青ざめた。

もしそうなら面倒だ。

軍人の家系は規律に厳しい。

朝六時のラッパで起こされ、乾布摩擦を強制されるかもしれない。

「近いが、少し違う」

アレクは意味深に微笑むと、馬車が停車するのを待って扉を開けた。

「着いたぞ。降りろ」

「嫌よ! 私は降りない! ここに立て籠もる!」

私はトランクにしがみついた。

しかし、外から聞こえてきた声が、私の抵抗を無意味なものにした。

「皇帝陛下、万歳!!」

「陛下、ご帰還おめでとうございます!!」

割れんばかりの歓声と、数百人の兵士たちの一斉唱和。

「……へ?」

私は固まった。

今、なんて言った?

陛下?

誰が?

私は恐る恐る、隣のアレクを見た。

彼はマントを翻して馬車を降りると、集まった兵士たちに片手を上げて応えていた。

その姿は、先ほどまでの「親切な警備兵」ではない。

圧倒的なカリスマと支配者のオーラを纏った、帝国の頂点に立つ男のそれだった。

「……う、嘘でしょ」

私はフラフラと馬車から降りた。

アレク――いや、皇帝アレクシスが私の方を振り返る。

「紹介が遅れたな。ここが私の家であり、私がここの主だ」

「……名前は?」

「アレクシス・フォン・ガレリア。このガレリア帝国の皇帝だ」

彼は悪びれもせず、さらりと言ってのけた。

私の脳内で、パズルピースがカチリと音を立てて嵌まる。

国境警備兵にしては良すぎる装備。

上質な素材のマント。

そして、世間知らずなほどの金銭感覚。

全ての辻褄が合った。

「……詐欺よ」

私は呟いた。

「ん?」

「詐欺だわ! 身分詐称よ! 消費者センターに訴えてやる!」

私は指を突きつけて叫んだ。

周囲の兵士たちが「き、貴様、陛下になんという口を……!」と色めき立つが、そんなの知ったことか。

「私は自由になりたくて国を出たのよ! なのに、隣国の皇帝に捕まるなんて、最悪のバッドエンドじゃない! よりにもよって『冷徹帝』と呼ばれる独裁者の本拠地に来ちゃうなんて!」

「誰が独裁者だ。私は民主的な手続きを尊重しているつもりだが」

「嘘おっしゃい! 強引に連れ込んだくせに!」

私はトランクを引き寄せ、踵を返した。

「帰る! 今ならまだ間に合うわ! 野宿の方がマシよ!」

「待て」

アレクシスが私の腕を掴む。

「放して! セクハラで訴えるわよ!」

「ミリオネ。よく聞け」

彼は私の耳元で、甘く、そして悪魔的な声で囁いた。

「この城には、大陸全土から引き抜いた選りすぐりのシェフが五十人いる」

ピタリ、と私の足が止まる。

「……なんだって?」

「デザート専門のパティシエだけで十人だ。毎日、新作のケーキが食べ放題だぞ」

「……っ!」

私の喉がゴクリと鳴る。

いけない、敵の策略だ。

惑わされるな、ミリオネ。

お前の目的は自由だ。

糖尿病予備軍になることではない。

「だ、騙されないわよ! 美味しいご飯と引き換えに、重労働をさせる気でしょう!」

「労働はさせない。君の部屋には、最高級の『幻獣の羊毛』で作った特注ベッドを用意させてある」

「……幻獣の羊毛?」

「一度寝たら、泥のように眠れると評判だ。あまりの快適さに、朝起きられなくなる者が続出している」

「……!」

睡眠不足は美容の大敵。

カイル王子のせいで慢性的な寝不足だった私にとって、それは「不老不死の薬」にも匹敵するキラーワードだった。

「さらに」

アレクシスは畳み掛ける。

「君専用の図書室も用意できる。古今東西の書物が読み放題だ。もちろん、最新のファッション誌や娯楽小説も揃っている」

「……」

私はゆっくりと振り返った。

アレクシスは、勝利を確信したような笑みを浮かべている。

「どうだ? 野宿をして乾パンを齧るのと、ここで極上の食事と睡眠を貪るのと。……合理的な君なら、どちらが『得』か、計算できるはずだが?」

卑怯だ。

あまりにも卑怯だ。

彼は私の弱点(食欲・睡眠欲・知識欲)を完全に把握している。

数秒の沈黙の後。

私はスッとトランクを持ち直した。

「……お邪魔します」

「賢明な判断だ」

アレクシスが満足げに頷く。

「あ、勘違いしないでよね! あくまで『ホテル』として利用するだけだから! サービスが悪かったら、星1つのレビューを書いて即チェックアウトするんだから!」

「善処しよう。お客様」

彼は私の手を取り、エスコートのポーズを取った。

「さあ、案内しよう。君の部屋は最上階のスイートだ」

「荷物は!」

「運ばせる」

彼が指を鳴らすと、屈強な近衛兵たちが私のトランクを丁重に持ち上げた。

「……はあ」

私は大きな溜息をつきながら、皇帝の手を取った。

完全に術中にハマった気がする。

でも、まあいい。

とりあえず今夜は、フカフカのベッドと美味しいディナーを堪能してやろう。

逃げ出すのは、英気を養ってからでも遅くない。

そう自分に言い聞かせながら、私は煌びやかな宮殿の回廊へと足を踏み入れた。

背後で、側近らしき男がボソリと呟くのが聞こえた。

「……陛下があんなに楽しそうなのは、数年ぶりでは?」

「……あの女性、何者だ? 陛下相手にタメ口だったぞ……」

「……『消費者センター』とは、どこの組織だ?」

どうやら、私の悪名は既に隣国でも広まりつつあるようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

これで、私も自由になれます

たくわん
恋愛
社交界で「地味で会話がつまらない」と評判のエリザベート・フォン・リヒテンシュタイン。婚約者である公爵家の長男アレクサンダーから、舞踏会の場で突然婚約破棄を告げられる。理由は「華やかで魅力的な」子爵令嬢ソフィアとの恋。エリザベートは静かに受け入れ、社交界の噂話の的になる。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

やり直し令嬢は本当にやり直す

お好み焼き
恋愛
やり直しにも色々あるものです。婚約者に若い令嬢に乗り換えられ婚約解消されてしまったので、本来なら婚約する前に時を巻き戻すことが出来ればそれが一番よかったのですけれど、そんな事は神ではないわたくしには不可能です。けれどわたくしの場合は、寿命は変えられないけど見た目年齢は変えられる不老のエルフの血を引いていたお陰で、本当にやり直すことができました。一方わたくしから若いご令嬢に乗り換えた元婚約者は……。

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

処理中です...