悪役令嬢は婚約破棄に狂喜乱舞する!

猫宮かろん

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「お腹が空いたわ。これは重大なエネルギー不足よ」

ガレリア帝国の帝都、その大通りを歩きながら私は呟いた。

国境を越え、馬車を飛ばすこと数時間。

ついに到着した帝都は、私の予想を遥かに超えて合理的かつ発展した都市だった。

道路は石畳で舗装され、下水道も完備。

街灯は魔石式で、夜でも明るい。

「素晴らしいわ……! 見て、あの区画整理! 無駄がない! 美しい直角だわ!」

私は地図を片手に興奮していた。

しかし、私の脳は知的興奮に満ちていても、胃袋は正直だった。

グゥゥゥ……。

「……不本意ね。生理現象に思考を邪魔されるなんて」

私は道端のベンチに腰を下ろした。

トランクの中には、非常食として持ち出した「乾パン」が入っている。

石のように硬く、味は段ボールに近い、あの保存食だ。

「仕方ないわね。効率重視よ。栄養さえ摂取できれば味なんて……」

私が乾パンを取り出し、齧ろうとしたその時だった。

「そんなレンガを食べて、歯は無事なのか?」

聞き覚えのある、低い声。

顔を上げると、そこにはまたしても「彼」がいた。

「……アレク?」

国境で会ったばかりの、美形すぎる警備兵だ。

相変わらず黒いマントを羽織っているが、今は馬から降りて、なぜか紙袋を抱えている。

「奇遇ね。というか、あなたストーカー? 国境からここまで私の馬車を追ってきたの?」

私がジト目で睨むと、アレクは涼しい顔で首を横に振った。

「失礼な。私は非番で帰宅途中だ。君が目立つ場所に座り込んで、石を齧ろうとしていたから声をかけただけだ」

「石じゃないわ、パンよ。高度な保存技術の結晶なの」

「どう見ても武器だが」

アレクは私の隣に自然な動作で腰掛けた。

距離が近い。

そして、相変わらず顔が良い。

「……で、何の用? 私をナンパする気なら、もっと効率的なアプローチをしてほしいわね。例えば、美味しいレストランの予約権利書を渡すとか」

「レストランはないが、これはある」

アレクは抱えていた紙袋から、包みを取り出した。

焼きたてのパンと、肉の香ばしい匂いが漂う。

「……何それ?」

「私の昼食だ。だが、買いすぎた。処理に困っていたところだ」

「嘘おっしゃい。その袋、老舗ベーカリー『銀の麦』のロゴが入ってるじゃない。完全予約制の高級店よ」

私は即座に指摘した。

事前のガイドブック暗記は完璧なのだ。

アレクは一瞬言葉に詰まったようだが、すぐに無表情を貫いた。

「……常連のツテでな。やるよ」

彼は包みを私に押し付けた。

中には、分厚いローストビーフが挟まれたサンドイッチが入っている。

しかも、肉の断面が美しいピンク色だ。

「これ、ただのローストビーフじゃないわね? サシの入り方からして、帝国産の最高級牛……時価で金貨一枚はする代物よ」

私はサンドイッチを鑑定品のように凝視した。

「あなた、本当にお給料いくらなの? 国境警備兵って、そんなに儲かる商売なの?」

「……危険手当が出る。それに、私は独身で金を使う趣味がない」

「ふーん……怪しいけど、まあいいわ」

私はゴクリと喉を鳴らした。

背に腹は代えられないし、美味しそうな匂いには勝てない。

「毒見は?」

「私が一口食べた残りだ」

「……関節キスってこと? まあ、気にしないわ。いただきます」

私は大きく口を開けて、サンドイッチにかぶりついた。

瞬間、肉の旨味が口いっぱいに広がる。

「んんっ!?」

思わず目を見開いた。

柔らかい。溶ける。パンの小麦の香りが肉汁とマリアージュして、脳内でファンファーレが鳴り響く。

「……美味しい……!」

「そうか」

「何これ、悔しいけど絶品だわ! カイル王子との晩餐会で出たパサパサの肉とは雲泥の差よ!」

私は夢中で食べ進めた。

アレクは、そんな私を横目でじっと見ている。

「……見ないでよ。食べにくいわ」

「いや。随分と美味そうに食べると思ってな」

「当たり前でしょ。美味しいものは正義、不味いものは罪。このサンドイッチは最高裁判決で無罪放免、執行猶予なしの正義よ」

訳のわからない例えをしながら、私はあっという間に完食してしまった。

指についたソースを舐めとりながら、私は深く息を吐く。

「ふう……生き返ったわ。ありがとう、アレク。あなた、意外といい奴ね」

「餌付けされた猫のような感想だな」

「誰が猫よ。私は虎よ」

私はハンカチで口元を拭い、彼に向き直った。

「で、お代は? タダより高いものはないと言うし、請求書があるなら今すぐ書いてちょうだい」

「金はいらない」

「はあ? 気持ち悪いわね、慈善事業?」

「……代わりの要求がある」

アレクが私を真っ直ぐに見つめた。

その瞳の奥に、怪しげな光が宿っている。

「要求?」

私は警戒して身構えた。

「なによ。変なこと言ったら、このトランクで殴るわよ」

「……宿は決まっているのか?」

「これから探すところよ。一番高いホテルに行くつもりだけど、ガイドブックによると予約が必要らしいから、飛び込みでいけるか微妙なところね」

「帝都のホテルは今、学会シーズンでどこも満室だ」

「げっ、マジで?」

私のリサーチ不足が露呈した。

「野宿は嫌よ。私の肌は繊細なんだから」

「なら、私の知っている宿を紹介しよう」

アレクが立ち上がった。

「……知っている宿?」

「ああ。私の親戚が経営している……大きな屋敷だ。部屋は余っているし、シェフの腕もいい。もちろん、最高級ホテル以上の設備だ」

「へえ?」

私は彼を上から下まで値踏みした。

「あなた、ただの警備兵にしては顔が広すぎるわね。高級パンに、屋敷のコネ?」

「……実家が、少し顔が利く家系でな」

「ふーん。まあ、あなたが嘘をついているようには見えないわね(※顔が良いから)」

私は少し考えた後、トランクを持ち上げた。

「いいわ、乗った! その話、採用よ! ただし、部屋が汚かったら即キャンセルしてホテルを探すからね」

「問題ない。気に入るはずだ」

アレクが口元に微かな笑みを浮かべた。

「案内しよう。こちらだ」

彼が歩き出す。

私はその後ろを、トランクを引きずりながらついていった。

「ねえ、そこって馬車置き場はあるの? あとお風呂は?」

「大浴場がある」

「最高じゃない! アメニティは?」

「帝室御用達の石鹸がある」

「なによそれ、凄すぎない?」

私はウキウキと彼の背中を追いかける。

ああ、なんて運が良いのだろう。

美味しい食事に、コネで泊まれる豪華な宿。

私の「自由な生活」は、滑り出し順調そのものだ。

……この時の私は、自分の「現金さ」と「食い意地」が判断力を鈍らせていることに気づいていなかった。

アレクが連れて行こうとしている場所が、街外れの民宿などではなく、帝都の中央にそびえ立つ『皇帝宮殿』だということに。

そして、彼がただの「顔の利く実家」の人間ではなく、この国の支配者そのものであるということに。

「ふふ、楽しみだわ!」

無邪気に笑う私を先導しながら、アレクシス皇帝は心の中でほくそ笑んでいた。

(……捕獲完了だ。ようこそ、私の箱庭へ)
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